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January 12, 2018

葛西紀明を超える9回、10回とオリンピックに出場した選手

スキージャンプの葛西紀明が、8回目の五輪出場を決めた。
そのため、当ブログでも五輪最多出場のページが盛んに見られているが、改めてまとめてみた。

葛西を超える10回、9回と五輪出場した選手はいる。
が、いずれも東西冷戦の華やかなりし頃にボイコット騒動に巻き込まれて連続出場ではない。

そして、何度も五輪に出場するのは、馬術や射撃のような、比較的年齢が高くなってもできる競技の選手が多く、スキージャンプのような、極寒の中で肉体の極限を競うような競技に、45歳の選手が参加するなど常識では考えられない。

天賦の才能に恵まれ、さらに限りない努力を積み重ねた、葛西ならではの快挙ではないだろうか。


最多五輪出場選手は、カナダの馬術選手イアン・ミュラー。
1972年のミュンヘン五輪から10回の五輪に出場した。
1980年のモスクワ五輪に、カナダは米国に追従してボイコットしたが、もし出場していたら前人未到の11大会連続五輪出場も可能だった。

1984年のロサンゼルス五輪から、2012年のロンドン五輪までは8大会連続で出場している。
獲得したメダルは北京五輪の団体の銀のみだが、五輪最多出場は、高い名声を彼にもたらし、カナダのスポーツ殿堂入りも果たしている。

Ian

アファナシジス・クズミンス(ソビエト→ラトビア)は、射撃の選手で9回の五輪に出場した。
先述のイアン・ミュラーとは逆に、1984年のロサンゼルス五輪は、東側諸国の報復ボイコットによって参加できなかった。
主にラピッドファイアピストルに出場したが、ロサンゼルス五輪の同種目の金メダリストは蒲池猛夫さん(故人当時48歳)。
クズミンスは、4年後のソウル五輪の同種目の金メダリスト。
クズミンスがロサンゼルス五輪に出場していたらどうなっていただろうか。

ソビエトの崩壊後の1992年からはラトビアから出場。
よく1992年のバルセロナ五輪は、旧ソ連の合同チームEUNだったのでは?と聞かれるが、バルト3国は1991年にソビエトから独立していたためラトビアからの参加が可能だった。

Kuzmins

9大会連続で五輪出場したのは、オーストリアのヨット選手ヒューバート・ラウダシュクル。
1964年の東京五輪から1996年のアトランタ五輪まで連続9回の五輪に参加し、1968年のメキシコ五輪と1980年のモスクワ五輪で2個の銀メダルを獲得している。

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