« 8月のアジア大会男子陸上100mで日本人選手は果たして勝てるのか? | Main | サッカーフランス代表には1938年からアフリカ系の選手がいた »

July 09, 2018

クロアチア、セルビア、コソボ・・・東欧のブラジル ユーゴスラビアのその後

サッカーW杯 6月22日の予選リーグE組 スイス対セルビアは2―1でスイスが勝った。
前半5分にセルビアが先制するも、スイスは後半7分、シャカが強烈なミドルシュートを決め、試合終了間際にはシャキリが勝ち越しゴールを決めた。

シャカは、スイス・バーゼル出身だが、両親はコソボより移民してきたアルバニア人。
シャキリは、自身もコソボで生まれたアルバニア人だ。
2人はゴール直後に両手を親指でつないで胸の前で交差させた。
この行為は、アルバニア国旗の双頭のワシを表していると指摘された。
これに対し、25日、FIFA規律委員会は反スポーツ的行為にあたるとし、シャカ、シャキリ等に罰金処分を科した。

どういうことか?

国民の9割以上がアルバニア人であるコソボは、ユーゴスラビア→セルビアに属する自治州だったが、1990年代、セルビアのミロシェビッチ政権の抑圧に対し、多くのアルバニア系住民が欧州各国に渡った。
シャカ、シャキリのようにスイスには20万人ものアルバニア系の住民がおり、スイス、コソボ、アルバニアの3つの国籍を持つ人もいる。
コソボは、2008年にセルビアから独立を宣言する。
日本、米国等世界の多くは承認したが、ロシア、中国等は承認していない。
これに対し、スポーツ界はIOC、FIFAともに正式に加盟を認めている。

リオデジャネイロ五輪の女子柔道52キロ級、金メダルを狙っていた中村美里が準決勝で判定で敗れたのを覚えているだろうか。
このとき中村に勝ったマイリンダ・ケルメンディはコソボ代表。
リオデジャネイロ五輪に、コソボとして初参加し、初めて金メダルを獲得したのがマイリンダ・ケルメンディだった。


かつてバルカン半島にユーゴスラビア(1929年~2003年)という国があった。
「6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」といわれた多民族・多文化国家だった。
そして、球技に圧倒的な強さを見せ、サッカーでも東欧のブラジルといわれた
旧ユーゴスラビアは、W杯には1930年の第1回大会から出場している。
W杯では1930年大会の3位(3位決定戦は行われず)、1962年犬会の4位があるほか1987年のワールドユース(現U20W杯)での優勝がある。

A代表の国際的なタイトルこそないが、元名古屋グランパス監督のドラガン・ストイコビッチらを擁し、元日本代表監督のイビチヤ・オシム監督時代、1990年のイタリア大会では準々決勝で1人少ないながらも優勝候補であったアルゼンチンに延長120分間で引き分けた。

PK戦で敗退したものの、その完成度から1992年のヨーロッパ選手権の優勝候補に挙げられていた。
しかし一方で、国家としてのユーゴスラビアの解体が始まり、1992年のヨーロッパ選手権は、予選を突破したものの、この年にスロベニアとクロアチアがユーゴスラビア連邦を離脱。
更に本大会直前になってボスニア・ヘルツェゴビナもユーゴスラビア連邦を離脱した。

これを受けてユーゴスラビア連邦軍がサラエボに侵攻を開始。
ボスニア人の監督イビチヤ・オシムは代表監督を辞任する。
国連はユーゴスラビアに対しての制裁を決定し、国際サッカー連盟FIFA、欧州サッカー連盟UEFAはユーゴスラビア代表の国際大会からの締め出しを決定した。
既にヨーロッパ選手権の開催国であるスウェーデン入りしていたユーゴスラビア代表は、帰国を余儀なくされた。
皮肉にもヨーロッパ選手権はユーゴスラビアの代わりに出場したラウドルップ率いるデンマークが優勝した。

旧ユーゴスラビアから独立した国もサッカーの強豪国として認知されている。
先述のように1998年フランスW杯では、日本とグループリーグで開祖だったクロアチアが3位に入った。
また人口わずか203万人のスロベニアは、2002年日韓W杯に続き、2010年南アフリカW杯本大会へも出場した。
同じく南アフリカ大会に出揚したセルビアは、1998年フランス大会は新ユーゴスラビアとして出場16強入りした。
2006年ドイツ大会はセルビアモンテネグロとして出場、モンテネグロの分離独立後の南アフリカ大会、そしてロシア大会はセルビアとして出場した。

今大会のクロアチアは、2戦連続でPK戦にもつれ込むが、開催国のロシアを2(PK4-3)2で下し、準決勝にコマを進めた。
20年前の初出場だったフランス大会の3位を超え、クロアチアの初優勝を予想する人もいる。

Screenshot_20180710215234

旧ユーゴスラビアはサッカーだけでなく伝統的に球技に強く、その実績は他国を凌駕していた。分離独立後も個々の国が高い実績を残している。 

@旧ユーゴスラビア諸国の五輪球技のメダル獲得実績(男子のみ)
バスケットボール
2016年 セルビア 銀メダル
1996年 新ユーゴスラビア(セルビアモンテネグロ)銀メダル
1992年 クロアチア 銀メダル
1988年 旧ユーゴスラビア  銀メダル
1984年 旧ユーゴスラビア 銅メダル
1980年 旧ユーゴスラビア 金メダル
1976年 旧ユーゴスラビア 銀メダル
1968年 旧ユーゴスラビア 銀メダル

ハンドボール
2012年 クロアチア 銅メダル
2004年 クロアチア 金メダル
1996年 クロアチア 金メダル
1988年 旧ユーゴスラビア 銅メダル
1984年 旧ユーゴスラビア 金メダル
1972年 旧ユーゴスラビア 金メダル

水球
2016年 セルビア金 クロアチア銀メダル
2012年 クロアチア金 セルビア銅メダル
2008年 セルビア 銅メダル
2004年 セルビアモンテネグロ 銀メダル
2000年 新ユーゴスラビア 銅メダル
1996年 クロアチア 銀メダル
1988年 旧ユーゴスラビア 金メダル
1984年 旧ユーゴスラビア 金メダル
1980年 旧ユーゴスラビア 銀メダル
1968年 旧ユーゴスラビア 金メダル


|

« 8月のアジア大会男子陸上100mで日本人選手は果たして勝てるのか? | Main | サッカーフランス代表には1938年からアフリカ系の選手がいた »