サッカーフランス代表には1938年からアフリカ系の選手がいた
今年のW杯ではドイツが、史上初のグループリーグ敗退という結果に終わった
W杯では初だったが、ユーロ(欧州選手権)では2000年、 2004年と続けてグループリーグ敗退をしたことがある。
1998年のW杯で優勝したフランス代表は、白人系、アフリカ系、アラブ系の選手が集った国際色豊かなチームだった一方、保守派からは国家も歌えない選手がいると攻撃もされた。
この大会でドイツ代表は、準々決勝でクロアチア相手に敗退した。
この2年後、2000年の欧州選手権では1勝もできず、グループリーグで敗退しているのだ。
ドイツ1-1ルーマニア
イングランド1-0ドイツ
ポルトガル3-0ドイツ
総得点1、勝ち点1はロシアW杯よりも悪い。
当時ドイツ代表には、けが人が出て急遽代表入りした39歳のローター・マテウスを始め、30歳以上の選手が何人もいた。
ドイツ生まれの白人選手で固めたチームが、もろくも崩れ去って行った姿はドイツの純血主義問題を浮き彫りにした。
これを受けてドイツサッカー協会は、重い腰を上げて、開放政策を取り始める。
ちょうど2000年1月より、ドイツは従来の血統主義に基づく移民法に変えて出生地迭を採択していた。
ドイツに永住意志のある外国人の両親を持つドイツで生まれた者は、出生時に両親の国籍と同時にドイツ 国籍も自動的に付与されるというものだ。
だが、親がEU域外の国籍を持つ場合、ドイツで生まれた人も23歳までに、いずれかの国籍を選ばなければならない。
例えば、ドイツ国内に住むトルコ系住民は計約295万人と移民のなかで最多だったが、ドイツ国籍を得たのは半分以下の約135万人に過ぎなかった。
その中の一人がメスト·エジルであり、イルカイ·ギュンドアンだった.
この2人は、ともにトルコ国籍は放棄し、ドイツ国籍しか持っていない。(日本語版Wikipediaは誤っているので注意)
にも関わらず、今年5月ロンドンでトルコのエルドアン大統領と面会し、ギュンドアンが持っていたマンチェスター・シティのユニフォームに、トルコ語で「我が大統領に多大なる敬意を」と書かれていた事が大きく報じられて、両選手等はドイツ国内で批判の対象となっていた。
トルコ紙に載った写真 左はドイツ生まれながらトルコ代表を選んだジェンク・トスン。
そして、ロシアW杯での2人のプレーは精細を欠き、出場時間も少なかった.
すると、メディアはエジルをたたき始めた。
ドイツで生まれ育ち、.9年間もドイツ代表で活躍した選手を「トルコ移民」と。
今や世界的な独裁者であるエルドアンに会ったというのも問題なのだ。
今後、ドイツ代表が移民選手をどう扱っていくのか、気になるところだ。
話は少し変わるが、ヨーロッパの代表チームに何時、初めてアフリカ系の選が入ったか纏めてみた
フランスは、戦前の1938年大会に既にアフリカ系の選手がいるのに対し、ドイツは2002年になって初めてメンバーになっている。
○フランス
ラウル·ディアニュ(故人)
1910年11月10日~2002年11月12日
プランス領ギアナで生まれ
1938年W杯代表
セネガル出身で黒人初のフランス国民議会議員となったブレーズ・ディアニュを父に持ち、のちにセネガル代表の監督も務めた。
○ポルトガル
マリオ·コルナ(故人)
1935年8月6日~2014年2月25日
ポルトガル領モザンビーク生まれ
1966年W杯代表主将
ェウゼビオこそが、最も古い時代に欧州の代表になった選手かと思っていたが、ェウゼビオよりも少し前にこの選手がいた。
○イングランド
ジョン·バーンズ
1963年11月7日ジャマイカ生まれ
1986、90年W杯代表
W杯代表選手と言うとこの選手が初となる。
○ドイツ
ゲーラルド· アサモア
1978年10月3日ガーナ生まれ
2002、06年W杯代表
2002年の日韓大会でアサモアを見たときに、ドイツもここまで来たかと感心したのを覚えている。