アジア大会の記憶⑥ 陸上男子110m障害に3連覇した劉翔
ジャカルタアジア大会は28日、陸上男子110m障害が行われ、中国の謝文駿が13.34で金メダル、日本の高山峻野が13.48で銅メダルを獲得した。
この種目は、1982年のニューデリー大会で藤森良文氏が金メダルを獲ったのを最後に、7大会に渡って中国が勝ち続けている。
何といっても2002年~2010年に3連覇した劉翔の印象が強い。
劉翔は、2001年に北京で開催されたユニバーシアードを若干18歳で制した。
この年に2008年の五輪開催地に北京が決定し、以後「アジアの昇り龍」として躍進する中国の象徴的な存在だった。
2004年のアテネ五輪決勝では12.91の世界タイ記録で優勝し、金メダルを獲得した。
この時がわずかに21歳。
若すぎた金メダルだったのだろう。
2008年、自国開催となった北京五輪では、連覇が期待されたものの、一度はスタートラインに立つが、右アキレス腱の怪我の影響から一度も走ることなく鳥の巣を後にした。
一方で、アジア大会とは相性が良かったのだろう。
2002年13.27、2006年13.15、2010年13.09と他を寄せ付けない圧倒的な強さだった。
2010年のアジア大会の開催地は中国・広州。
北京五輪の屈辱の後、アメリカでアキレス腱の手術をし、ほとんど大きなレースには出ていない。
限界説も出ていた中、一次予選は平凡な13秒48。
それでも「劉翔の復活を見たい」決勝には7万人の観衆が集まった。
80元のチケットが20倍の1600元になったという中で、13.09で優勝。
この年世界ランクでも3位に入る好記録だったが、復活もここまでだった。
2012年、29歳で迎えたロンドン五輪では、一次予選、1台目のハードルに左足をぶつけ転倒、右アキレス腱を断裂し再び棄権した。