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August 01, 2018

アジア大会の記憶① 1998年高橋尚子世界デビュー

1998年は、スポーツの大きなイベントが目白押しだった。
2月には長野五輪、6月にはフランスW杯、そして12月にはバンコクでアジア大会が開かれた。

アジア大会の女子のマラソンは、開会式の行われた12月6日の朝6時30分にスタートした。
12月とは言え、バンコクは暑い。
スタート時の気温は25.5℃ 湿度は75%以上
元々エントリーしていたのは僅かに12名だったがゴールまでたどり着いたのは10名だった。
誰もが優勝候補と目していたのは、この年年3月の名古屋女子マラソンで2時間25分48秒の日本最高を出した高橋尚子(当時26歳)
8月から約3カ月間、米コロラド州ボルダーで高地練習をこなし準備は万全。が、11月29日に積水化学のメンバーとして全日本実業団女子駅伝を走ったばかりで、1週間しか間隔がないことと、日本の真夏にも匹敵する暑さが気がかりだった。

スタート時の天気は曇りで、幾分楽だったが、時間とともに天候は回復する。
レース後半の気温は30度を超え、湿度は90%。これはキツイ。
アジア大会ならではの過酷な条件だった。

当時の女子マラソンの世界記録はテグラ・ロルーペ(ケニヤ)の持つ2時間20分47。
1998年4月19日に出された記録であり、灼熱のバンコクとは比べ物にならない条件下だ。
もちろん、バンコクにペースメーカーなどいない。
が、高橋は35㎞過ぎまでロルーペの世界記録を上回っていた。
気温がどんどん上がり、体力の消耗が見て取れる中ゴール。

それでも、当時世界歴代5位に相当する2時間21分47秒の日本最高記録だった。
2位のキムに13分以上の差を付ける圧勝だった。

12月20日に行われた同大会の男子マラソンで4位に入った京大工学部出身の佐々勤の記録は2時間20分15秒。
高橋とあまり変わらない。

この2年後の2000年9月24日。
シドニー五輪女子マラソンの優勝者はもちろん高橋尚子。
記録は2時間23分14秒で当時の五輪新記録だった。

●1998年バンコクアジア大会女子マラソン
①高橋直子(日本)2:21:47
②キム・チャンオク( 北朝鮮)2:34:55
③甲斐智子(日本)2:35:01

なお、高橋尚子以降、アジア大会の女子マラソンに日本人選手は優勝していない。
また、高橋アジア大会の大会記録は、未だに破られていない。

 

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