バレーボールの英才教育
世界バレーが終了して1週間経った。
日本女子の監督を務めていた中田久美は、2010~11年頃に毎日新聞にコラムを持っていたが、イタリアの選手育成について書いた記事が出てきたので紹介する。
今大会で銀メダルを獲ったイタリア代表メンバーの内、4人が10代、その内3人がクラブイタリアに所属し、もうひとりのパオラ・エゴヌも昨季までクラブイタリアにいた。
*ラケーレ・モレッロ17歳 185㎝
*エレーナ・ピエトリーニ18歳 190㎝
*マリーナ・ルビアン18歳 195㎝
*パオラ・エゴヌ19歳 193㎝
才能のある長身選手がイタリア全国から集まり、英才教育がうまくいっているということだ。
中田久美監督自身、英才教育を受けてきたひとりだ。
東欧諸国や中国等が進めるステートアマ養成システムに危機感を感じていた、1968、76、88年に五輪監督を務めた山田重雄氏(故人)が、76年モントリオール五輪で金メダルを獲った後に、私財を投じて少女バレー塾を作った。その名を「LAエンジェルス」という。
1984年のロス五輪に一人でも選手を送り出せたらと言う願いを込めてのネーミングで、中田はその2期生だったと思う。
通っていた中学から当時日立バレー部のあった小平市内の中学校に転校、学校の部活動には参加することなく、山田氏の下でトレーニングを積んだ。
今でいうJクラブの下部組織みたいなものだ。
中学卒業後、中田のチームメイトはバレーボールの名門高に進学していったが、中田だけは山田氏が手許に置きたいと日立製作所に入社、高校は通信制のNHK学園高校に入学、15歳で実業団のバレー選手としてデビューした。
そして18歳のときにロサンゼルス五輪に出場、銅メダルを獲得。
以後、バルセロナ、アトランタと五輪出場を果たす。
が、「LAエンジェルス」で中田以外に、大成した選手はいないはずだ。
いつのまにかこのクラブはなくなっていった。
日本バレーボール協会(JVA)も英才教育をしようとしたことがある。
2005年度に大阪府貝塚市にJVAによって「貝塚ドリームス」が設立された。
貝塚市というのは、1964年の東京五輪の大半の選手が属していたニチボウ貝塚にあやかったものだが、2012年に解散を余儀なくされた。
この理由として日本代表になる選手が出ず、費用面も含め事業の成果が出なかったことが挙げられている。
(続く)