平昌2018

January 03, 2019

小林陵侑 ジャンプ週間総合優勝なるか

ジャンプ週間というスキージャンプのシリーズをご存知だろうか。
年末年始の1週間にドイツとオーストリアで4戦して「世界最強のジャンパー」を決めるシリーズである。
W杯創設前から開催されている伝統を誇る大会で、既に半世紀以上に渡って行われている。
欧州の選手、観客にとってはシーズン最高のイベントであり、1週間で20万人を超える観客を集め、五輪とはまた別の「最高のステータス」を持つ。

この最高のステータスをつかみ取ろうとしているのが22歳の小林陵侑
オーベルストドルフ、ガルミッシュパルテンキルヘンとジャンプ週間で2戦2勝。
総合優勝はもちろん、史上3人目の4戦4勝も見えてきた。

ジャンプ週間は、1953年1月、ドイツとオーストリアの対抗戦から始まり、第2回大会(53~54年)から、年末年始を挟んで行うようになり、79 ~80年大会からは、各4戦がW杯を兼ねるようになった。

4戦4勝した選手が過去に2人いる。
2001–02年 スヴェン・ハンナワルド(ドイツ)
2017–18年 カミル・ストッフ(ポーランド)
ジャンプの五輪金メダリストは、4年ごとに確実に現れるが、ジャンプ週間の4勝は今後出ないかもしれないくらいの価値がある。

特にカミル・ストッフは、ソチ五輪でNH,LHの2冠。
平昌五輪でもLH金、団体で銅メダルを獲った、歴代最高のジャンパーの一人だ。


一方、4戦の内3勝した日本人が2人いる。
一人は札幌五輪の金メダリスト笠谷幸生氏である。
札幌五輪を28歳という円熟期に迎えた笠谷は、1971年~72年のジャンプ週間に3勝を挙げるという離れ業をやってのけた。
史上初の4戦4勝に欧州中が期待する中、笠谷は、「札幌五輪のための調整」を理由に帰国。
4戦目のビショフスホーフェンを飛ばなかった。

3戦のみでの帰国は当初の予定通りだったそうだが、SAJ(全日本スキー連盟)や笠谷自身のジャンプ週間に対する認識は、現在とはかなり異なっていたと思われる。
笠谷帰国後のジャンプ週間は、ノルウェーのモルクが総合優勝となるが、モルクは札幌五輪でメダルに届くことはなかった。
札幌五輪での笠谷は、70m級(現NH)で金メダル。日本勢日の丸飛行隊によるメダル独占はあまりにも有名だが、90m級は7位に終わっている。

2人目は、97~98年のシーズン、そう長野五輪直前の船木和喜だ。

1997-98年 ジャンプ週間
第1戦 12/29 オーベルストドルフ(ドイツ)
①船木和喜
②斎藤浩哉
③A・ニッコラ(フィンランド)

第2戦 1/1 ガルミッシュ・パルテンキルヘン(ドイツ)
①船木和喜
②原田雅彦
③斎藤浩哉

第3戦 1/4 インスブルック(オーストリア)
①船木和喜
②S・ハンナバルト(ドイツ)
③J・アホネン(フィンランド)

第4戦 1/ 6 ビショフスホーフェン(オーストリア)
①S・ハンナバルト(ドイツ)
②H・イェックル(ドイツ)
③J・アホネン(フィンランド)
⑧船木和喜

◆総合成績
①船木和喜 
②スベン・ハンナバルト(ドイツ)
③ヤンネ・アホネン(フィンランド)
 
地元の五輪開催年のジャンプ週間で3戦3勝と、笠谷幸生と同じ結果を出してきた船木だったが、4戦目、ビショフスホーフェンでは、緩やかでダラダラと続くアプローチにスピードに乗れず8位に終わった。
笠谷氏が、4戦目のビショフスホーフェンを飛ばずに帰国したことは前述の通りだが、このことに腹を立てたジャンプの神様が、以後日本人選手をこのジャンプ台で勝てなくしたという話も、欧州ではされている。

しかし、4戦の総合成績では、ハンナバルト、ゴルトベルガーを抑え、圧倒的な勝利だった。
この時点で長野では船木には勝てない と誰しもが思った。
長野五輪での日本勢は、NHで船木が銀メダル。LHで船木が金、原田が銅、団体で日本チーム(岡部、斎藤、原田、船木)が金メダルを獲っている。

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December 19, 2018

小平奈緒は25勝 高木美帆は9勝 スピードスケート W杯に挑む

W杯を冠したウィンタースポーツの競技会は多く存在する。
アルペンスキーが最も古く、1966年~67年のシーズンに始まった。
他種目に比べても随分と古い。
その後、他種目でも生まれたウィンタースポーツのW杯は、いずれもシーズンを通してチャンピオンを決めようとするもので、ジャンプが1980年から、クロスカントリーが1982年から、ノルディック複合が1983年のシーズンから始まった。
一方スケートは、スピードスケートが1985年と最も古く、ショートトラックは1997年と随分遅い。

スピードスケートのW杯の日本人初の優勝は、黒岩彰さん。
カルガリー五輪の銅メダリストだが、1986年12月6日、オランダ・アッセンで行われた500mに優勝している。
黒岩さんは1988年に引退したので、通算6勝。
日本勢で最も優勝回数が多いのは長野五輪金メダリストの清水宏保さんで通算35勝を挙げた。

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平昌五輪スピードスケート500m金メダルの小平奈緒は、今季も好調で、12月15日のW杯第4戦、オランダ・ヘーレンフェインで行われた女子500mに37秒17で優勝。
W杯は25勝目。
500mは、出場した国内外のレースで34連勝、W杯に限っても20連勝となった。

W杯は、2016年11月12日 中国のハルビンで行われた500mに優勝、それから平昌五輪も含めて丸2年以上負けていない。

2013年に引退した岡崎朋美は、5回の冬季五輪に出場した息の長い選手だったが、W杯は1996年から2005年にかけて10勝している。
ちなみに長野五輪で銅メダルを獲ったときは26歳、引退した時は42歳だった。
 1996年 500m4勝、1000m1勝
 1997年 500m1勝
 1999年 500m3勝
 2000年 500m2勝
 2005年 500m1勝

高木美帆はご存じのように中距離を得意としているが、1500mに7勝、3000mに1勝と日本人女子としては勝てないと言われていた種目で優勝している。
平昌五輪マススタート金メダリストの高木菜那は、今季マススタートで2勝を挙げている。


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March 28, 2018

スキーW杯 高梨沙羅は55勝 渡部暁斗は17勝

ジャンプ女子はドイツのオーベルストドルフで今季最終戦となる個人第15戦を行い、平昌五輪銅メダルの高梨沙羅が99m、102.5mの合計250.4点で2連勝。
自身のW杯男女歴代単独最多を更新する55勝目を挙げた。

W杯を冠したスキーの競技会は多く存在する。
アルペンスキーが最も古く、1966年~67年のシーズンに始まった。
他種目に比べても随分と古い。

当時アルペンスキー界は4年に一度の冬季五輪、2年に一度の世界選手権、そして3大クラシックといわれるアールベルク・カンダハー、ラウバーホルン、ハーネンカムの競技会があった。
この3大クラシックを含めて、アルペンスキーのシーズンの王者を決めようとW杯が始まった。
そのモデルとなったのは自転車のツールドフランスだったといわれている。

その後、他種目でも生まれたウィンタースポーツのW杯は、いずれもシーズンを通してチャンピオンを決めようとするもので、ジャンプが1980年から、クロスカントリーが1982年から、ノルディック複合が1983年のシーズンから始まった。

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日本勢のW杯初勝利は1980年1月、札幌・大倉山で開かれたジャンプ90m級(LH)の八木弘和氏で、このひと月後のレークプラシッド五輪70m級(NH)で銀メダルに輝いた。

ざっと足してみると日本人選手が合計で175勝している。
(ただし、筆者が得意でないスノーボードは除く)
一方、世界の壁が立ちはだかるクロスカントリーとアルペンは未勝利。 

55勝の高梨沙羅に続くのはノルディック複合の荻原健司が、92~96年の4シーズンで挙げた19勝。
今季8勝を挙げた渡部暁斗は通算17勝で、いよいよ健司超えが見えてきた。
45歳のジャンプの葛西紀明が17勝、長野五輪金メダリスト船木和喜が15勝と続く。

モーグルでは五輪で金、銅メダルを獲った里谷多英が2勝であるのに対し、五輪では4位が最高順位の上村愛子が10勝を挙げている。

男子のジャンプの最多勝はグレゴア・シュリーレンツァウアー(オーストリア)の53勝、不倒の勝利数と言われたマッチ・ニッカネン(フィンランド)は46勝。
ノルディック複合では、ハンヌ・マンニネン(フィンランド)が48勝、かつて最多勝利だった19勝の荻原健司は9位まで落ちている。

ちなみにアルペン界での最多勝はインゲマル・ステンマルク(スウェーデン)の86勝。
これを超える選手は出てこないだろうと思っていたが、リンゼイ・ボン(女子・米国)が82勝で背中が見えて来た。


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March 13, 2018

高木美帆優勝 世界スピードスケート選手権は90年前のオリンピックスタジアムで開催された

今週末にオランダ・アムステルダムで行われていた世界スピードスケート選手権。
高木美帆が日本人選手として初めて優勝した。
屋外のリンクでありながら、2万5000人の観衆を集めたと聞いてさすがにスケート王国のオランダは違うと思ったら、オリンピス・スタディオンが会場だったと聞き、さらに驚いた。
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オリンピス・スタディオンというのはその名の通りアムステルダム五輪のメイン会場だったスタジアムであり、当地で五輪が開催されたのはなんと1928年。
織田幹雄さんが三段跳びで金メダル、人見絹枝さんが800mで銀メダルを獲得したスタジアムであり、五輪開催はちょうど90年前ということになる。

90年前のスタジアムが現役であることにも驚くが、このスタジアムでスピードスケートを行うと言う発想は日本人には全く及ばない。

オリンピス・スタディオンを検索していくと、こんな画像が出てくる。
どうも、冬季はスケートリンクになって市民が自由に活用しているようだ

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March 11, 2018

スポーツマフィアに食いつく中国 ANTAのジャケットを着るIOCバッハ会長

下記の画像は20年前の長野五輪の閉会式の模様だ。
サマランチIOC会長(当時・故人)の着ているジャケットの胸には「MIZUNO」のロゴが見える。

ミズノは1995年から2012年までIOCの公式サプライヤーを務めた。
そのため、主に冬季五輪においてIOC委員に防寒のジャケットが必要な際は、必ずミズノのジャケットが用いられた。

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東京の2020年の夏季五輪の招致運動中に、招致委員会の中に、活動の中核を担うNPO法人格の理事会を発足させた。
竹田恒和JOC会長が理事長に、事務総長をミズノの会長だった水野正人氏が務めることになった。

このとき、ミズノとIOCの関係が余りに密であったため、敢えて水野正人氏は、ミズノの会長を退任、ミズノもIOCの公式サプライヤーの座を降りることになった。

ご承知の通り、2013年9月のブエノスアイレスのIOC総会で、東京がイスタンブールとマドリードを破り、2020年五輪招致を決めたが、水野正人氏は五輪招致成功の〝陰の立て役者〟と言われている。

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2010年バンクーバー五輪のロゲ会長 MIZUNOを着ている。

一方、ミズノが退いたあとの公式サプライヤーは2013~2016年までNIKEが務めた。
画像はソチ五輪のバッハ会長。

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今年2月、平昌五輪の開会式で、バッハ会長。

見慣れないロゴのジャケットを着ている。

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よく見ると、ANTAとある。

ANTA(安踏)は1991年に創業された中国のスポーツウエアメーカー。
中国のスポーツウエアメーカーといえば李寧(Lining)や361°などが知られているが、このブランドのことはほとんど知らない。

次回冬季五輪開催国ながら、ほとんど存在感を示せなかった中国。
だが、裏方ではしっかりと世界のスポーツマフィアに食い込んでいるということらしい。

一説によるとIOCと公式サプライヤーの契約をしたわけではないとも言われている。


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February 28, 2018

二刀流!レデツカだけじゃない、もう一人いた同一五輪複数競技でのメダル

冬季五輪史上初めてアルペンスキーとスノーボードの両方に出場したエステル・レデツカ(チェコ)が、アルペンスキースーパー大回転と、スノーボードパラレル大回転の両方で金メダルを獲って、史上初の快挙と騒がれた。
だが、このレデツカの数日前にも五輪史上初の快挙を果たした選手がいた。

2月14日に行われスピードスケートの女子1000mは小平奈緒が銀メダル、高木美帆が銅メダルを獲った。この種目に金メダルを獲ったのがヨリン・テルモルス(オランダ)。

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▲小平と高木の後ろにいるのがヨリン・テルモリス 181㎝とでかい

ヨリン・テルモルスは、珍しいショートトラックとロングトラックの両方やっている二刀流なのだ。
ロングトラックでは、1000m1種目にのみ出場し、金メダル。
ショートトラックでは、1500mと3000mリレーに出場した。

日程順に追ってみると次のようになる。
2月10日 ショートトラック3000mリレー予選、準決勝
2月14日 スピードスケートの女子1000m 金メダル
2月17日 ショートトラック1500m5位
2月20日 スピードスケート3000mリレーB決勝1位→銅メダル

オランダのリレーチームは、準決勝は2組で3位となり、4か国が進めるA決勝には進めず、B決勝に進むことになった。
これはB決勝であり、5-8位決定戦でないところがミソだ。

ショートトラックは、ペナルティを取られて失格することが非常に多い。
平昌五輪でも同リレーのA決勝で、韓国に次いで2位でゴールしたかに見えた中国とカナダが失格。
B決勝で最上位にいたオランダが銅メダルになった。
テルモルスは冬季五輪の異なるスポーツで2つのメダルを獲得する最初の女性アスリートになった。
レデツカが、スノーボード女子パラレル大回転で金メダルを獲ったのが24日だったから数日早かったことになる。

*エステル・レデツカ(チェコ22歳)
アルペンスキー女子スーパー大回転 2月17日 金メダル
スノーボード女子パラレル大回転 2月24日 金メダル

*まだまだいる二刀流
1988年カルガリー五輪のスピードスケートで500m銀、1000mで金メダルを獲ったC・ローテンブルガー(東独・当時)は、同じ1988年のソウル五輪 自転車女子スプリントで銀メダルを獲得した。
現在、夏季・冬季五輪は異なる年に開催されており、同年の冬夏両五輪でのメダル獲得はあり得ない

陸上男子には、100mと110mハードルの両方に金メダルを獲った選手が一人だけいる
ハリソン・ディラード(米国)だ。

元々はハードルの選手だったが、1948年のロンドン五輪選考会では110mハードルの出場を逃してしまう。
が、100mでは3位となり米国代表に滑り込んだ。
ロンドン五輪の100m決勝では、同じ米国のバーニー・ユーウェルと10秒3の同タイムでゴールするが、五輪史上初となる写真判定に持ち込まれ、1つめの金メダルを獲得した。
ロンドン五輪では4×100mリレーでも3走を走り、40秒6で2つ目の金メダルを獲得した。
4年後のヘルシンキ五輪、110mハードルのアメリカ代表の座を得たディラードは、13秒7のタイムで3つ目の金メダルを獲得。
さらに、4×100mリレーでは2走を走り4つめの金メダルを獲得した。
同一大会ではないが、100mと110mハードルに金メダルを獲った唯一の選手であり、今後も絶対に出ないだろう。


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February 27, 2018

平昌オリンピックは黒字?

韓国の中央日報に下記のような記事が出ている。
最終的な収支の発表にはもう少し時間がかかるだろうが、予想以上に良さそうだ。

平昌冬季オリンピック組織委員会によると、大会予想運営費は2兆8000億ウォン(約2800億円)。組織委は企業後援金(1兆1123億ウォン)、国際オリンピック委員会(IOC)後援金(4400億ウォン)、五輪パートナー企業(TOP)後援金(2400億ウォン)などで運営予算を確保した。このほか入場券・ライセンス・付帯施設(食堂)収益で不足分を埋めなければならなかったが、興行的に成功したことで黒字を見込んでいる。

平昌五輪の入場券は107万8564枚売れた。国内で86万6284枚(80.3%)、海外で21万2278枚(19.7%)だ。平昌組織委が目標としていた106万8630枚より9932枚多い。販売収益は1573億ウォン(国内1083億ウォン、国外490億ウォン)にのぼる。

日本国内のテレビ視聴率の上位ランクは以下の通り。(日刊スポーツより)
五輪は、同時刻に多の競技の放送をしているケースが多く、数字が割れて視聴率は低くなる傾向があるが、やはり時差のない国で行われた大会ということ、羽生結弦というスター選手がいて、五輪2連覇を果たしたことにより、他の競技にも相乗効果が表れ、視聴率もよかったのではないか。

Photo


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February 26, 2018

ソウル五輪と平昌五輪を比べてみた

昨日の平昌五輪の閉会式に30年前のソウル五輪のマスコット・ホドリが出て来た。
NHKの杉浦 友紀アナは「ホドリっていうらしいです」みたいなコメント。
30代の人だと記憶にないのか・・・。

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ざっとソウル五輪と平昌五輪を比べてみた。

当時の韓国のGDPが2023億米ドル、現在が1兆3779億ドル。
改めて30年て凄いなあ。

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February 22, 2018

高木美帆が女子初 一大会で金・銀・銅のメダルを獲った日本人選手

五輪一大会で金銀銅の3種類のメダルを獲った日本人選手は8人で延べ10回ある。
女子及び冬季では、高木美帆が初。

高木美帆 2018年平昌冬季(スピードスケート)
チームパシュート 金
1500m 銀
1000m 銅

萩野公介 2016年リオデジャネイロ(競泳)
400m個人メドレー 金
200m個人メドレー 銀
4×200mリレー 銅

森末慎二  1984年ロサンゼルス(体操)
鉄棒 金
跳馬 銀
団体 銅

塚原光男 1976年モントリオール(体操)
団体 金
鉄棒 金
跳馬 銀
個人総合 銅
吊り輪 銅

中山彰規 1972年ミュンヘン(体操)
団体 金
吊り輪 金
床 銀
個人総合 銅

笠松茂 1972年ミュンヘン(体操)
団体 金
平行棒 銀
床 銅
鉄棒 銅

監物栄三 1972年ミュンヘン(体操)
団体 金 
個人総合 銀 
平行棒 銅
あん馬 銅

とりあえずミュンヘンまで。
あとは、メキシコ五輪の中山彰規さん。
ローマ、メルボルン五輪の小野喬さん。

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February 19, 2018

小平奈緒 金メダルのタイムは今季8位

昨日のスピードスケート女子500mで金メダルを獲った小平奈緒の記録は、今季8位。
銀メダルの李相花、カロリナ・エルバノバの記録はそれぞれ24位、27位になる。

今でこそ、スピードスケートは室内リンクで行うのが当たり前の競技になったが、五輪で室内リンクが初めて使われたのは1988年のカルガリー五輪だ。
それまで、天候に泣かされてきたスピードスケートにとって革命的なリンクであった。
好記録が出やすい点と、天候によるスケジュール変更があり得ない点が、テレビ放映に歓迎された。

例えば、1984年のサラエボ五輪。
男子500mの当日、リンクには吹雪が舞い、何と競技開始時間が6時間も遅れている。
日本のエースでメダル候補だった黒岩彰は、その6時間中多くのマスコミを引き連れ、すっかり精神状態を乱し、10位と惨敗した。

1988年のカルガリー五輪以降、1992年を除いて、スピードスケートは、全て室内リンクで行われている。
が、ある要素によってタイムが大きく影響を受ける。

それは、標高。
高地にあるリンクの方が明らかに良い記録が出るのだ。

陸上競技と同様に、スピードスケートも、高地であれば空気抵抗が少なく好記録が出やすい。
ソルトレークシティのリンクは標高1425m、カルガリーのリンクは1034m。
この30年近くの間、世界記録はほぼこのどちらかのリンクで生まれてきた。

小平奈緒の500mの自己ベストは、ソルトレークシティで出された36秒50。
世界歴代3位の記録であり、今回の金メダルの記録36秒94よりも0.46秒も早い。

平昌五輪のスピードスケート会場の江陵オーバルは標高41m。
長野五輪の会場だったエムウェーブは標高342m。
4年前のソチ五輪の室内リンクは標高5mでしかなかった。

●1988年以降のスピードスケートが行われたリンクと標高
1988年 Olympic Oval 1034m
1992年 Stade de Patinage Olympique 331m(屋外リンク)
1994年 Stampesletta Idrettsplass 237m
1998年 エムウェーブ 342m
2002年 Utah Olympic Oval 1423m
2006年 Oval Lingotto 205m
2010年 Richmond Olympic Oval 4m
2014年 Adler Arena 5m
2018年 江陵オーバル 41m

今季のランキングを見ても、小平奈緒、李相花、カロリナ・エルバノバ、郷亜里砂の名前が目立つ。
昨日の500mは、有力選手が実力を出しきったレースだったいうことが言える。

●女子500m今季世界ランキング
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