(続)いだてん オープニングに映るあの選手は誰?(大幅に補足あり)
「いだてん」が第二部になって、オープニングの内容が新しくなった。
過去の五輪のシーンを取り上げているのは同じだが、そのすべてが変わった。
その中でいくつか気になる顔を紹介しよう。
日本が初参加したストックホルム五輪、金栗四三が途中棄権するマラソンで、不幸にもレース中に亡くなる選手がいた。
第一部で描かれたのでご存知だと思うが、ポルトガルのフランシスコ・ラザロ、この時21歳。
ポルトガルの五輪初参加は、1912のストックホルム五輪で日本と一緒。
その後の大会で、銀メダルや銅メダルはいくつか獲るのだが、初金メダルは1984年のロサンゼルス五輪の男子マラソンのカルロス・ロペスまで待つことになる。
そして、ロペスこそが、この画像の人物。
このときなんと37歳。
25歳のとき、モントリオール五輪の1万mで銀メダルを獲った選手で(金メダルはラッセ・ビレン)、ロス五輪前は好調が伝えられていた。が、本当に勝ってしまったときは驚いた。
ラザロの死から72年目の金メダルだった。
ロス五輪では、マラソン女子でもポルトガルのロサ・モタが銅メダルを獲るのだが、彼女は4年後のソウル五輪では、金メダルを獲ってのけた。
冷戦華やかなりし1980年代、五輪は不幸だった。
開催の引き受け手はなく、開催してもボイコットの応酬にあった。
1976、80、84年の五輪が片肺のまま開催されている。
そんな中1980年モスクワと84年のロサンゼルスの両五輪に連覇した選手が3人だけいる。
陸上10種競技D・トンプソン(イギリス)、ボートシングルスカルのP・カルピネン(フィンランド)と陸上1500mのセバスチャン・コー(イギリス)である。
現在、国際陸連会長を務めるコー。
ロンドン五輪のときは、大会組織委員長を務めた。
ちなみに2020年東京五輪の大会組織委員長は元総理のあの人だから…。
コーは五輪2大会に4種目出場している。
モスクワ800m銀、1500m金
ロサンゼルス800m銀、1500m金
この画像はロサンゼルスの1500m。
ゼッケン359がセバスチャン・コー。
その後ろの背の高い選手が銀メダルのクラムだ。
1984年ロサンゼルス五輪は、女子3000mも随分話題になった。
前年のヘルシンキ世界陸上のチャンピオンのメアリー・デッカー(米国)が、イギリスのゾーラ・バットと接触し、棄権をしてしまった。
ゾーラ・バッドは、わざと脚をかけたのではないかと大騒ぎになったが、結局故意ではないということで落ち着いた。
673の選手がメアリー・デッカーで隣がゾーラ・バット。
ともに17歳の少年はプレフォンテーヌ、少女の名前はヘンダーソン。
2人により聖火はスタジアムに運ばれた、点火された。
少年はイギリス系で、少女はフランス系だ。
2人は、複合国家であるカナダを象徴していた。
モントリオール市は、英語と仏語の二重言語都市であり、日本人選手を紹介する際の、JAPANに続けてアナウンスされるJAPONの耳慣れない響きが新鮮だった。
2人の青年は、カナダがボイコットした4年後のモスクワ五輪の開会式にも現われた。
その後結婚したという話もあったが、結局誤報だった。
五輪開会式というと、五輪の中でも最も華やかなイベントであり、入場券も最も高額になる。
実はこんな意味合いもある。
開会式は、開催国から全世界に向けてメッセージを発信する唯一の場所である。
モントリオール以外にも、これまでの五輪で開催国からこんなメッセージが発信されている。
例えば1964年東京五輪、最終聖火ランナーは坂井義則氏(故人)。
後にフジテレビで活躍する人物だが、原爆が投下された1945年8月6日に広島で生まれている。
当時19歳、「戦禍から立ち上がり、平和日本を象徴する若い力」を世界に披露した。
1988年ソウル五輪 蚕室五輪スタジアムに入ってきた聖火は、孫基禎(当時76歳・故人)から、女子陸上のヒロイン・林春愛(当時19歳)に渡された。
孫基禎氏は、朝鮮半島の日本統治下時代の1936年・ベルリン五輪に日本代表として出場し、マラソンで金メダルを獲った韓国の歴史的な英雄である。
老雄から若いアスリートへのリレーは、新しい韓国の出発を意味した。
2020年の東京は、何を世界に発信するのだろうか。