金メダルから失格 ベン・ジョンソンのその後
31年前 1988年の9月24日に陸上界だけでなく世界のスポーツ界を震撼させた大事件が起きている。
舞台はソウル五輪 陸上男子100mで金メダルを獲ったベン・ジョンソンにドーピングが発覚、追放された事件だが、五輪史上3本の指に入る大スキャンダルと言ってもいいはずだが、30年以上昔のこと。
今の陸上ファンには、話は知っていても映像を見たことがない人も多いと言う。
@TriviaOlympics がこのレースを紹介しているので見てもらおう。
#OnThisDay in #Seoul1988 legendary men´s 100m final @BenJohnson979 🇨🇦 beat @Carl_Lewis 🇺🇸 and set an impressive new world record of 9.79 secpic.twitter.com/lHDLyyzK9J
— Olympic
Trivia (@TriviaOlympics) September
24, 2019
1988年ソウル五輪の陸上男子100m決勝。
スタートから飛び出したべン・ジョンソンは、一気に走り抜け、9秒79の驚異的な世界新記録で優勝した。
2位にロサンゼルス五輪の同種目金メダリストのカール・ルイス(米国)、3位にバルセロナ五輪で同種目の金メダリストになるリンフォード・クリスティ(英国)が入った。
ところが、その3日後、IOCはジョンソンのドーピングテストで禁止薬物が検出されたため、金メダルをはく奪すると発表。歴史に残るスキャンダルはこうして幕を開けた。
ジョンソンから検出されたのは、アナボリック・ステロイド(筋肉増強剤)の一種で、同年のカルガリー冬季五輪までは登場していなかった最新型だった。
ベン・ジョンソンは1976年にジャマイカからカナダに移民してきた。
その4年後のロサンゼルス五輪では、カナダ代表として100mに10秒22で銅メダルを獲った。
だが、あまり記憶にない。
1987年の陸上ワールドカップに10秒00で優勝、同年のローマの世界陸上で、9秒83という驚異的な世界新を出して優勝し、一躍ソウル五輪の金メダルの本命に挙げられていった。
100m決勝から3日後、国際陸上競技連盟(IAAF)はベン・ジョンソンの2年間競技者資格停止と、9秒79の世界記録取り消しを決めた。
さらにローマの世界陸上で出した9秒83の抹消と、こちらの金メダルはく奪も決まった。
するとジョンソンは27日午前中の内に、ソウルの金浦国際空港から追われるようにニューヨークへ逃げていった。
当時、ベン・ジョンソンは日本でも有名選手で、共同石油(現JXTGエネルギー・ブランドはENEOS)のCMにも出演していた。
共同石油は27日、ベン・ジョンソンのCMを別のものに差しかえるよう各放送局に連絡、ジョンソンのCMはこの日を境にオンエアされていない。
ジョンソンは、ローマの世界陸上の金メダルを機に、多額のスポンサーがつくようになっていた。
ディアドラ社のシューズの契約金は5年で2億円強、共同石油も億単位の契約金だったといわれている。
筋肉増強剤であるアナボリック・ステロイドは1981年秋から使用していたと証言しているから、ロサンゼルス五輪の銅メダルの時には、既にクスリに犯されていたことになる。
が、メダル剥奪処分にはなっていない。
この後のベン・ジョンソンについてあまり知られていないが、2年間の競技者資格停止が解け、1991年陸上界に復帰。東京で行われたこの年の世界陸上にやって来た。
とはいうものの、100mの世界陸上B標準しか突破できていなかったジョンソンはカナダチームのリレー要員だった。3走を任されるも、コーナーが下手、カナダは何とか8位に入るのがやっとだった。
そして1992年バルセロナ五輪、ベン・ジョンソンは100mのカナダ代表として3度目の五輪出場を果たした。
スタジアムで名前が紹介されると、人気は意外にも高く、大きな拍手と歓声が沸いた。
1次予選は10秒55と、32人残った中で20番目。2次予選は10秒30、4組4位で辛くも準決勝に進んだ。
準決勝1組に出場したジョンソンは、スタートと同時にこけて、10秒70。最下位で決勝に進めなかった。
「陸上の神様がこけさせた」世界中が思ったに違いない。
そして、1993年3月. ベン・ジョンソンの同年1月に行われた尿検査でテストテロン(筋肉増強剤)の服用が判明。
国際陸連(IAAF)は永久追放処分を発表、カナダ政府もこれを受けてスポーツ基金受給資格を取り消し、さらにすべてのスポーツ競技から、ジョンソンを永久に締め出すとした。
その後ベン・ジョンソンは馬などと慈善レースをしていたが、1999年にまた薬物陽性反応があったとされる。(詳細不明)
2007年になって、選手としては永久追放処分を受けているが、コーチとしてのチャンスは与えられるべきだとの関係者のコメントとともに、20歳のカナダ人選手のコーチを務めることになったとAFP通信が伝えた。
余談になるが、ソウル五輪は1988年9月17日から1988年10月2日に開催されている。
暑さも和らぐいい季節に開催されたのだ。