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September 10, 2019

オリンピックで100mと100mハードルの両方を制した選手はいるか?

9月1日山梨・富士北麓公園で行われた陸上競技の富士北麓ワールドトライアルで、寺田明日香が100mハードルで12秒97(+1.2)の日本新記録を出した。この競技場は標高1,035mにあり、好記録が期待できたというが、2000年に金沢イボンヌが出した13秒00を19年ぶりに更新する記録だ。

29才の寺田明日香は、7月7日の南部記念では、100mに11秒63の自己ベストを出している。

なんと2007年のインターハイで出した11秒71以来12年ぶりの自己新であるという。

100mとハードルの両方走っていたと言うとこの人を思い出す。

 

陸上競技において400m以下の種目を短距離と分類しているが、女子で日本五輪史上唯一陸上短距離で決勝を走ったのが依田郁子(故人)。スタートラインに着く際に独特のローテーションがあり、市川崑監督の東京五輪の記録映画からもその様子は伺うことができる。

1964年の東京五輪80mハードルで5位入賞を果たした。(手動計時で10.7+2.3m)

女子のハードル走というと100mハードルだが、100mハードルは1969年から実施されるようになった種目で、1968年までは80mハードルが行われていた。

依田は、非常に珍しいことに、100mと80mハードルを掛け持ちし、両種目の日本記録を出し、両種目の日本選手権を取った唯一の選手でもある。

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時事通信の東京五輪特集の中に依田郁子の80mハードルの画像がある。

依田郁子の日本選手権

(100m優勝)1959、1961年

(80mハードル優勝)1960、1961、1963年

1961年の日本選手権では2冠に輝いている。

 

1990年代の陸上女子短距離界にゲイル・ディバース(米国)という選手がいた。

非常に珍しい100mと100mハードルの両方で成功した選手だ。

1991年に東京で開催された世界陸上の女子100mハードルで、リュドミラ・エンクイスト(当時ソビエトのちにスウェーデン)に次いで2位に入ったのと、バセドウ病の治療をしていたことが印象深い。

1992年のバルセロナオリンピックでは100m、100mハードルともに金メダルを獲るのではないかとの下馬評だった。

100 m決勝では5位までが100分の6秒差という僅差の中で競い勝ち優勝。

より得意とされた100mハードルでは、ゴール直前まで2位以下を大きく突き放していたが、最終10台目のハードルに足を引っ掛けて、5位に終わった。

1996年アトランタオリンピックの100mは、マリーン・オッティとディバースが10秒94の同タイムで駆け抜けたが、写真判定の結果ディバースが金メダルを獲得。

しかし、100mハードルは4位に終わった。とは言うものの、100mのオリンピック2連覇は、東京・メキシコを連覇したワイオミア・タイアスとゲイル・ディバースの二人しかいない快挙である。

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ゲイル・ディバースの主な競技結果

 

一方男子には、100mと110mハードルの両方に金メダルを獲った選手が一人だけいる

少年時代にベルリンオリンピックの4冠王ジェシー・オーエンスに憧れていたというハリソン・ディラード(米国)だ。

元々はハードルの選手だったが、1948年のロンドンオリンピック選考会では110mハードルの出場を逃してしまう。

が、100mでは3位となり米国代表に滑り込んだ。

ロンドンオリンピックの100m決勝では、同じ米国のバーニー・ユーウェルと10秒3の同タイムでゴールするが、オリンピック史上初となる写真判定に持ち込まれ、1つめの金メダルを獲得した。

ロンドンオリンピックでは4×100mリレーでも3走を走り、40秒6で2つ目の金メダルを獲得した。

4年後のヘルシンキオリンピック、110mハードルでアメリカ代表の座を得たディラードは、13秒7のタイムで3つ目の金メダルを獲得。

さらに、4×100mリレーでは2走を走り4つめの金メダルを獲得した。

 

同一大会ではないが、100mと110mハードルに金メダルを獲った唯一の選手であり、今後も絶対に出ないだろう。

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