東京2020

May 29, 2019

東京オリンピック 注目は男子バスケットボール

5月29日の正午前をもって、東京五輪の抽選申込受付が終了した。
注目の競技に男子のバスケットボールがある。
何と言っても1976年のモントリオール五輪以来の五輪出場である。

1964年の東京五輪当時、五輪で行われていた球技は、男子のバスケットボール、男子のホッケー、男子の水球、男子のサッカーと当初は、東京大会のみの実施ということで行われた男女のバレーボールのみだ。

バスケットボールは、16か国が参加し代々木第二競技場で行われた。
日本はカナダ、ハンガリー、イタリア、フィンランドに勝利し10位に入った。

代々木第二の収容人数はわずかに3202人。

一方、2020年の東京五輪のバスケットボール会場は、江東区に新たに作る 夢の島ユースプラザアリーナを予定していた。
バドミントン会場を夢の島ユースプラザアリーナA、バスケットボール会場の夢の島ユースプラザアリーナBとし、その建設費約364億円と計画。
建設予定地は東京メトロ有楽町線 新木場駅から徒歩15分とあった。

というのも、東京五輪招致委員会は、建設費の高騰などにより、競技会場の計画見直しを決め、バスケットボール会場は、さいたまスーパーアリーナに変更になった。

さいたまスーパーアリーナは、2006年の世界バスケットボール選手権の会場になったところだが、所在地は埼玉県さいたま市。
選手村から8キロ圏内にほとんどの競技施設を揃えるという招致プランは、早々に崩れていた。

それでも収容人数は約20000人。
過去の五輪バスケット会場と比べても見劣りしない。
参考までに、五輪バスケットボールの最高観客試合は34064人。
アトランタ五輪の男子決勝の 米国95-69ユーゴスラビア戦だ。
会場はジョージアドーム、2017年に解体されていて、今はない。

東京五輪のバスケットボールのチケットはプレミアチケットになるかもしれない。
NBAのスターで固めたドリームチームを間近に見ることは、生涯まずない。

Basket2020

1936年ベルリン五輪でバスケットが五輪正式種目採用されてから、2016年のリオ五輪までに、アメリカは132勝5敗、勝率96%、金メダル獲得14回。
だが、4回金メダルが獲れなかったことがある。

バスケット王国アメリカにとって、五輪の金メダルなど、大学生の良い選手を集めれば金メダルは十分に獲れるという競技だった。
かつて五輪は、厳格なアマチュアリズムの規定にも縛られ、当然プロ選手に門戸は開放されていなかった。

1972年ミュンヘン五輪、このときのアメリカチームは学生界のセカンドチーム的なメンバーだった。それでも全く他チームの相手になることなく、決勝まで駒を進めた。
対する相手は、ソビエト式選手育成法がピークに達する直前のソ連。冷戦華やかなりし時代に当然のように米ソが激突したのである。
アメリカは劣勢の試合に終始するも終了3秒前にフリースローでソ連を1点差で逆転、ここで試合終了かと思われた。

が、フリースローの前にソ連がタイムアウトを要求していたとして時計は3秒前に戻される。ソ連のインバウンズパスは失敗、アメリカは再び勝利に沸くが、FIBA(国際バスケットボール連盟)会長のW・ジョーンズの指示でなぜか時計は再び3秒前に。ソ連のロングパスからゴールが決まり、アメリカが五輪史上初めて敗戦を味わうことになった。

この2回のタイムリセットは不当だとして、アメリカは銀メダルの表彰台をボイコット。銀メダルは現在でもミュンヘン市の銀行の倉庫に保管され、当時のアメリカ関係者は今も優勝はアメリカであると信じている。

4年後、モントリオール五輪に万全に合わせてきたアメリカに対し、ソ連は準決勝でユーゴスラビアに不覚、アメリカはソ連と対戦することなく金メダルを獲得。
さらに4年後、モスクワ五輪にアメリカは現れず、金メダルはイタリアを下したユーゴスラビアが獲得。
その4年後のロサンゼルス五輪にソ連は現れず、金メダルはスペインを下したアメリカが獲得。
ミュンヘン以来の、五輪での米ソ対決は1988年のソウル五輪まで、16年待つことになる。

その頃、ヨーロッパはバスケットボールの第2のメッカになり、ヨーロッパ出身の選手がアメリカの大学からNBAに入るケースも目立つようになってきた。
ソウル五輪、アメリカの準決勝の相手はソ連。
ソ連にとっても8年振りの五輪の舞台、またソ連にはサボニス、トカチェンコという2m級のセンターや後にNBAでも活躍する選手も含まれていた。

そして76-82。
アメリカは16年前に続いてソ連に敗れたのである。

ソウルでの敗戦により学生選抜チームの限界を悟ったこと、ちょうどオープン化を図り、最高のスポーツ選手の集う祭典へと変貌を遂げつつある五輪の変革期にぶつかったこともあり、さらに4年後のバルセロナ五輪にはドリームチームが登場してくる。

アメリカとヨーロッパ勢やアルゼンチンとの力の差は縮まっている。
アテネ五輪のバスケットボール男子は、アルゼンチンがイタリアを下して優勝した。
3位決定戦でアメリカに敗れたリトアニアが4位、5位ギリシア、7位スペイン、11位にセルビアモンテネグロが入り、欧州勢の活躍が目立った。

大会直後のスポーツイラストレーテド誌は、次のように書いている。

70年代に自己満足していたアメリカ自動車産業に、日本メーカーが突如目覚ましコールを持ってやって来た。アメリカのバスケットボール界が、今そうしなければならないように、海外との競争から多くを学ばなければならなかった。

バスケットボールは、1992年のバルセロナ五輪にNBAのドリームチームが出場し、圧倒的な強さを示すとともに、世界中のバスケットボール界を変えた。

バルセロナ五輪に出場できなかったアルゼンチンが、バルセロナをきっかけに一貫教育を始め、アテネで金メダルを獲った。
一方、組織作りの上手い欧州は、NBAやNCAAにも負けない強力なリーグを作った。
欧州バスケットボールリーグ運合(ULEB)はスペイン、フランス、イタリアのプロリーグが中心となって1991年にバルセロナを本部に設立された。

アマチュアや女子も統括する国際バスケットボール違盟(FIBA)とは全く異なる組織で、男子プロバスケットの発展を目指している。

さて、1991年のソ連解体のあと、その後継であるロシアはバスケットボールでは振るわず、米露戦は、2000年のシドニーオ五輪の準々決勝で85-70でアメリカが勝利して以降ない。
ロシアはロンドン五輪で、ソ連時代のソウル五輪以来のメダル(銅)を獲ったが、リオデジャネイロ五輪の出場権は得られなかった。

筆者は、ソ連の後継はむしろリトアニアではないかと思っている。
ソ連時代もバスケットチームの主力は、リトアニア人だったことはよく知られていることで、ソ連から独立した1992年以降の8回の五輪にすべて出場し、銅メダル3回を含め、5大会で4強以上になっている。
 

 

 

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May 12, 2019

CM女王綾瀬はるかが なぜ「いだてん」で金栗四三の妻を演じているのか

今年のNHK大河ドラマ「いだてん」の視聴率が悪いと言う。
来年の東京五輪を盛り上げるために、NHKが官邸と巧みに仕組んだ国家的プロパガンダではないのか、そう思っている人も多いだろう。
実際にドラマを見ていない人はそういった先入観を持つかもしれないが、決してそうではない。
五輪を無条件に讃えていないところに、好感がもてる。

先々週の放送は、1916年のベルリン五輪が、世界大戦によって中止になり、選手としてピークにあった金栗四三が落胆ぶりを描いた。
嘉納治五郎のセリフにこういったのがあった。
国家だろうが、戦争だろうが若者の夢を奪う権利は誰にもないんだよ!

80年代にボイコットの応酬に見舞われた五輪を知っている世代からすると、身につまされる言葉だ。
「いだてん」の描くのは「五輪を通して見た日本の近代化の歴史」であり、2度の世界大戦、韓国併合、東西冷戦がドラマの中で、どう描かれていくか今後も楽しみである。

 

IOCの最高位スポンサー契約は「TOPプログラム」と呼ばれ、協賛金額は1社年間約100億円以上といわれている。

商業化路線が推進された1984年ロサンゼルス大会以降、五輪マークの独占的使用権など制度が整備され、企業からの協賛金は、各国・地域の国内オリンピック委員会や五輪組織委員会に分配されている。
日本ではパナソニックが1988年から務めていたが、長い間1社のみが続いていた。
ところが、2013年9月に東京五輪の開催が決まってから、ブリヂストン、トヨタが参入、特にトヨタは2024年までの総額1000億円にも上る大型契約と言われている。
これまでの長いTOPプログラムの歴史の中で、自動車会社の契約は初めてだ。
BMWや日産なども検討していたが、契約に至らなかったほど負担が大きい。
これだけでもIOCにしてみれば「東京を選んで良かった」になる。

一方、コカ・コーラと並んで、長い間五輪を支えてきたマクドナルドが、契約を3年残してTOPから撤退した。
民間企業だから、その理由は様々あるのだろうが、米国のメディアによるとリオ五輪の米国での視聴者は、4年前のロンドン五輪よりもかなり減らしたのが大きいという。
夏季五輪に比してさらに危機的状況にあるのが冬季五輪。
昨年の平昌冬季五輪の視聴率は、その4年前のソチ冬季五輪に比べて7%低くかった。
歴史的に低い視聴率だったと言う。

極東地区で五輪が開催されると、米国の視聴率は低迷する。
平昌冬季五輪でも、フィギュアスケートの決勝が正午をまたいで行われたことは記憶に新しいが、その結果が7%の低下。
多様なエンターテインメントが、ネットを通じて身近にある現在、五輪は近年の消費者の興味の的ではないのかもしれない。

一方、IOCのTOPとは別に、2020年東京五輪・パラリンピックで大会組織委員会は、国内スポンサーとも契約しており、そのスポンサー企業の数と収入は近年開かれた夏季五輪の数倍に上る。(朝日新聞2019年02月19日)

 

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「いだてん」で金栗四三の妻春野スヤを綾瀬はるかが演じている。
綾瀬は、日本を代表する女優であり、CM女王でもある。
週刊誌によると現在10社と契約中。女優としての実績に加えて、ノースキャンダルが支持の高さに反映していると言う。
CM1本あたりの契約金はなんと5500万円で、女優の中で最も高い。
契約している10社の内訳は、

●ワールドワイドオリンピックパートナー(TOP)4社
・SK-Ⅱ P&G(P&Gジャパン)
http://www.sk-ii.jp/ja/index.aspx
・Panasonic
http://panasonic.jp/
・日本コカ・コーラ
http://c.cocacola.co.jp/nihon-tsumugi/
・ブリヂストン
http://www.bridgestone.co.jp/

 

●東京2020オリンピックゴールドパートナー 1社
・日本生命
http://www.nissay.co.jp/

●東京2020オフィシャルパートナー 3社
・全日本空輸
https://www.ana.co.jp/
・キッコーマン
https://www.kikkoman.co.jp/

・その他
・江崎グリコ
http://www.glico.co.jp/ice/giant/index.html
・武田薬品工業
http://benza.jp/index.html
・SEIKO
https://www.seiko-watch.co.jp/lukia/

なんと10社のうちTOP4社を含む、五輪スポンサー絡みが7社を占める。
特にパナソニックは、CM全体が東京五輪モードに入っており、その中心にいるのが綾瀬だ。

 

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Panasonic Japan公式認証済みアカウントより

 

「いだてん」のキャスティングに際して配慮、忖度があったかは判らない。
が、春野スヤを綾瀬はるかが演じているのは、巨大広告会社とNHKによる壮大な五輪プロパガンダになっている。

 

 

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April 30, 2019

日本オリンピック選手団の獲得したメダルは 前回の東京五輪で100個、長野五輪で300個を超え、2020年東京五輪で500個を超える

1964年の東京五輪の開幕までに日本選手団の獲得したメダルは、夏季五輪が金24、銀38、銅28、冬季五輪が銀1の合計91個。東京五輪では29個のメダルを獲得しているので、大会期間中に通算100個目のメダル獲得は達成されていた。

1988年の長野五輪の開幕までに日本選手団の獲得したメダルは、夏季五輪が金93、銀87、銅97、冬季五輪が金3、銀8、銅8の合計296個。長野五輪では10個のメダルを獲得しているので、大会期間中に100個目の金メダルと、通算300個目のメダル獲得が達成された。

100個目の金メダルは、スキージャンプ団体(岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜)。

300個目のメダルは、スピードスケート女子500mの岡崎朋美ということになる。

金栗四三等が1912年のストックホルム五輪に初参加以来、昨年の平昌五輪までに、日本選手団がこれまでに獲得したメダルの総数は、夏季五輪で日本選手団が、獲得したメダルは、金142、銀136、銅161の合計439個。

冬季五輪で日本選手団が、獲得したメダルは、金14、銀22、銅22の合計58個。

総計497個となり、記念すべき500個目のメダルは、2020年の東京五輪で得られることになる。

日程を見ると、柔道か競泳ではないかと予想される。

日本と同様に500を超えそうなのがハンガリーの498個。
フィンランドが470個で続いている。
また、平昌冬季五輪までに500個を超えたのが、カナダとオーストラリアで、501個と512個である。

 日本選手団の獲得したメダル

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April 20, 2019

前代未聞! 東京五輪のバスケット決勝は午前中試合開始

2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は4月16日、オリンピックの競技スケジュールを発表した。
バスケットボールでは、5人制が7月26日から8月9日にかけてさいたまスーパーアリーナで開催。
決勝は男子が8日、女子が9日にいずれも11時30分から行われる。

 

五輪運営の鍵を握っているのは、米国のテレビ放映権料だ。
NBCテレビは開催地の決まっていない2032年までの五輪放映権を獲得しており、一大会あたり約1400億円。
そして、日本人のように夜通しで生中継のテレビかじりついて五輪を観るなんてことを米国人はしない。
就寝前にベッドで五輪を見る。これがベストだと思っている。
独占放映権を持つテレビ局は、米国時間の夜まで競技結果を放映せず、夜に録画を流す。
ネットのある生活をしていて、競技結果を夜まで知らないでいられようがない。
すると、テレビの録画放映は低視聴率にあえぐ。

 

これを打開する方法が、競技時間を米国に合わせることだ。
競泳は早々と午前中決勝が発表されていたが、バスケットボールの決勝、3位決定戦は米国時間に合わせることが公表された。
具体的にスケジュールを見てみよう。

 

2020年 東京五輪
男子決勝戦  2020年8月8日(土)11:30~13:30
男子3位決定戦2020年8月8日(土)20:00~22:30
女子決勝戦  2020年8月9日(日)11:30~14:00
女子3位決定戦2020年8月8日(土)16:00~18:00

 

男女の決勝、3位決定戦の4試合のうち、男女の決勝がいずれも午前11時30分開始。
しかも、男子決勝⇒女子3位決定戦⇒男子3位決定戦⇒翌日、女子決勝の順で行われる。
男子決勝が、午前中試合開始。そのあとに男女の3位決定戦をやるとは前代未聞だ。

 

バスケットボールは、東京五輪で行われるプログラムの中で、開会式、閉会式、陸上、競泳に次いで入場料が高価だ。
(1)開会式12000~30万円
(2)閉会式12000~22万円
(3)陸上3000~13万円
(4)競泳5800~10.8万円
(5)バスケット3000~10.8万円

 

それだけメディア(放送する側からしても)価値が高いということ。

 

では、過去にアジアで行われた五輪のバスケットボールは、どういった扱いを受けたか。

 

●1988年 ソウル五輪(試合開始時間)
男子決勝戦  1988年9月30日 12時00分
男子3位決定戦1988年9月29日 21時30分
女子決勝戦  1988年9月29日 12時00分
女子3位決定戦1988年9月28日 21時30分
*男女とも決勝は正午開始。3位決定戦は夜試合開始。

 

●2008年 北京五輪(試合開始時間)
男子決勝戦  2008年8月24日 14時00分
男子3位決定戦2008年8月24日 12時00分
女子決勝戦  2008年8月23日 22時00分
女子3位決定戦2008年9月23日 19時30分
*男子は3位決定戦、決勝共に昼間開催。女子は夜開催。これは中国女子が強豪であり、4強に残る可能性が高かったためと推測される。結果4位で終了している。

 

ちなみに申し上げるが、バスケットボールにNBAのスター、ドリームチームが参加するようになったのは1992年のバルセロナ五輪からだ。
ソウル五輪は、米国代表も大学生主体のチームで、準決勝でソビエトに敗れている。
米国代表はこの敗戦を契機にプロ選手で構成されたドリームチーム結成を決定しているのだが、このときのソ連代表には、アルヴィーダス・サボニスがいた。

 

サボニスは、ソ連崩壊後はリトアニア代表として1992年 バルセロナ、1996 アトランタの両五輪で銅メダルを獲得し、1995年に31歳でNBAのトレイルブレイザーズに入団している。
このとき息子のドマンタス・サボニスが生まれている。
ゴンザガ大でプレイしていたが、八村塁とも1季だけチームメートだったのではないか。

 

アジアで開催される五輪は、しばし米国のテレビの犠牲になる。
昨年年行われた平昌五輪では、フィギュアスケートは全種目が午前10時開始、遅くとも午後2時半ごろまでに終了するスケジュールが組まれていた。
そういえば羽生結弦の演技は会社で見たなあと言う人も多いだろう。
これは時差は14時間の米国東海岸のテレビ視聴者に合わせたもの。
米国人はベッドでフィギュア観戦をし、午前0時半に競技終了とともに寝ていたのだ。

 

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April 02, 2019

44年ぶり東京五輪出場が決まったバスケットボール男子代表 48年ぶりの勝利なるか

2020年東京五輪で、男女とも開催国としての出場権が得ることになった日本バスケットボール代表。
女子はリオ五輪でも8位入賞を果たすなど実績を残しているが、男子代表は1976年のモントリオール五輪以来、44年ぶりの出場となる。

男子は、これまでの五輪に6回出場しているが、順位と勝利した相手国をまとめてみた。
すると、44年前のモントリオール五輪は、日本チームはひとつも勝利を挙げていないが、出場12か国中11位になっている。
果たして何があったのか。 

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この当時、アパルトヘイトと呼ばれる人種差別政策が南アフリカで行われてきた。
南アフリカでは、1948年、オランダ移民の子孫が政権を握り、白人とその他を明確に区別する人種差別政策を完成させた。
これに抗議して、各国はスポーツ、文化、教育交流などを禁じる手段を採った。

1964年の東京五輪にも南アフリカは参加していない。
1970年になってIOCは、南アフリカを除名し、文化・スポーツだけでなく経済面からも孤立していた。

ところが、

1976年 ラグビーのニュージーランド代表チーム(オールブラックス)が南アフリカ遠征を強行。
これに抗議したアフリカの22カ国が、モントリオール五輪をボイコットすることになった。

バスケットボールは、この大会から女子が正式種目となり、4年前のミュンヘン五輪の16か国から12か国に参加国は減った。
アジア代表が日本で予選A組、アフリカ代表がエジプトで予選B組に入った。
日本の試合結果は以下のようになる。

予選A組 日本の結果のみ
7月18日 カナダ 104–76 日本
7月19日 メキシコ 108–90 日本
7月21日 日本 56–97 キューバ
7月23日 日本 63–129 ソビエト連邦
7月24日 オーストラリア 117–79 日本

予選B組のエジプトは、7月18日にチェコスロバキアを相手に 64–103 で敗れると、他のアフリカ諸国に同調し大会をボイコット、2試合目以降を棄権することになった。

9-12位決定戦予備戦
7月25日 プエルトリコ 111–91 日本
11-12位決定戦
7月27日 エジプト 不戦勝 日本

予選A組を5戦全敗で終えた日本は、プエルトリコに敗れ、11-12位決定戦でエジプトに不戦勝となったが、実戦での勝利はないまま11位で大会を終えた。

実は、この前年の1975年 タイ・バンコクで、モントリオール五輪予選を兼ねたアジアバスケットボール選手権が開催されている。
中華人民共和国成立以来、初めて参加してきた中国が優勝。
日本は2位に終わっていたが、当時中国はIOCに復帰以前であり、2位の日本が五輪出場権を獲得している。

 

別表のように、1936年のベルリン五輪で、日本は中国(当時は台湾に逃げる前の中華民国)に勝っているが、戦後は、A代表同士の対戦では中国にほとんど勝っていない。

 

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February 13, 2019

ファイトだ 池江!19歳で白血病を発症、27歳で五輪競泳金メダリストになった男のはなし

マーテン・ファンデルバイデンは、2008年のオランダのスポーツマンオブザイヤーに選ばれた。
それは、2008年に開催された北京五輪のOWS(オープンウォータースイミング)で金メダルを獲得した最初の選手になっただけでなく、急性白血病に打ち勝ったひとりの人間であったからだ。

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▲表彰台の真ん中にいるのが白血病発症発症から8年目のマーテン・ファンデルバイデン

2mを超える長身。大男ぞろいのオランダでもなかなか2mの競泳選手ははいない。
この時期、世界の自由形の短距離の中心にいたピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドが193㎝。
3歳年下のファンデルバイデンの方が、10㎝近く高かった。

アテネ五輪の3年前、19歳の時にファンデルバイデンは複視と息切れを訴えた。
ただならぬ症状に病院に行くと急性白血病と診断された、2001年のことだ。

闘病は2年間に及んだ。その間に4回の化学療法と1回の幹細胞移植が施された。

発病する前、既に自由形の長距離と、OWSで名の知れた選手であったファンデルバイデンは、徐々にレースに復帰していく。
最初は筋肉の落ちた体の回復から始めたが、2005年にはいくつかの国際大会で勝てるようになり、2008年北京五輪のOWSオランダ代表に選ばれた。

先述のように、当時のオランダには男子にはピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド、女子にはインヘ・デブルーインという競泳界の大スターがいた。
闘病するファンデルバイデンにとって、母国のスターの2004年のアテネ五輪での活躍は大いに刺激になっていたのだろう。

特に30歳のピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドは、シドニー、アテネと100m自由形を制し、北京五輪での競泳同一種目3連覇が掛かっていた。
女子には下記の2人の選手が3連覇を達成していたが、男子にはいなかったのだ。
 1956-1964ドーン・フレーザー(豪洲) 競泳100m自由形
 1988-1996 クリスティーナ・エゲルセギ(ハンガリー) 競泳100m背泳ぎ

北京五輪では個人種目は100mの一種目に絞っていたピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド。
8月14日の100m自由形決勝、47.75秒のピーターは5位に終わり、3連覇の夢は絶たれた。
が、この47.75秒の記録は、彼のシドニー、アテネ両五輪の同種目の金メダルタイムを超える快記録でもあった。

OWSは競泳の最終日に行われる。
この日まで、オランダ水泳チームは、女子の4継リレーで金メダルを獲ってはいたが、男子はゼロ。
ファンデルバイデンに金メダルの期待が大きくのしかかっていた。
8月21日 北京郊外の順義オリンピック水上公園、カヌーやボートの競技会場だった施設だがこの日はOWSが行われる。
選手としての引退を決めていたピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドはオランダのテレビ局にゲストとして呼ばれていた。

OWSはいわば、外海を10㎞泳いで勝者を決める過酷な競技。
強靭な肉体とタフな精神が求められる。
出場したのは選りすぐりの25名。
どうぞ下記の動画をご覧ください。

金メダルはマーテン・ファンデルバイデン。
オランダの競泳ファンは、彼の勝利だけでなく、レースの終盤、コメンテーターから一人のファンになったピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドのことも今も忘れていない。


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January 15, 2019

2億3000万円どころじゃない 東京五輪招致費用は100億円 

今日の竹田恒和JOC会長の会見、「私は潔白だ」「適切な対価だった」と何の証拠も示さずにこれまでの主張を繰り返しただけで、記者の質問もいっさい受けず、わずか7分で一方的に打ち切った。
竹田恒和会長がブラックタイディングス社へ支払った額は約2億3000万円。
だが、東京五輪招致にはざっと100億円ものカネが動いていた。

東京五輪の招致活動のうち、税金を使った支出については情報公開請求の対象となる。
招致費用の89億円の内、都税が35億円、その他が65億円。
都税の35億円は当然情報公開請求の対象となる。

しかし、その他の65億円の内訳は、スポンサー企業の協賛金が7億円、スポーツ振興くじの助成金9億円、さらには寄付金等が49億円。
こちらの金額は残念ながら使途開示義務がない。

きっこさんの指摘する竹田恒和JOC会長がは、石原慎太郎都知事時代の2011年から猪瀬直樹都知事時代の2013年にかけて「2020東京五輪招致」の名目で計7回、総額27億円もの予算を東京都に請求したものが、65億円の方から出ていれば使途開示義務はなくなってしまう。

招致活動に必須のロビー活動の費用は、65億円を使ったと見られる。
JOCの元専務理事の市原則之氏は、かつてこんなことを言っている。

「投票を依頼する国際オリンピック委員会(IOC)の委員との関係もあり、すべてを透明にするわけにはいかない」(朝日新聞2012年10月21日)

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January 03, 2019

金栗四三 大河ドラマ「いだてん」主人公 日本初のオリンピック選手

今年の箱根駅伝は東海大が優勝し、最優秀選手の小松陽平(3年)に金栗四三杯が贈呈された。
金栗四三は、NHK大河ドラマいだてんの主人公のひとりで、日本初の五輪選手として知られているが、箱根駅伝の誕生に尽力し、2004年から最優秀選手に金栗の名を冠した賞が贈られている。
 
近代五輪の第1回が行われたのが1896年。
日本が初めて五輪に参加したのは、その16年後の1912年、第5回ストックホルム五輪である。
最初の日本選手団はたったの4名だった。
柔道の創始者として知られる嘉納治五郎・大日本体育協会(日本体協の前身)会長、大森兵蔵同総務理事を役員に、選手は陸上短距離の三島弥彦(東大)とマラソンの金栗四三(東京高師=現筑波大)の2人だけだった。
ストックホルムと言えばスウェーデンの首都。
仮に今年ストックホルムで五輪開催となれば、日本選手団はチャーター便でひとっ飛び…となるところだが、1912年当時、彼ら選手団はどうやって移動したのだろうか。
ちなみに、ライト兄弟の世界初の動力飛行成功が1903年のことである。
そのわずか9年後となれば、当然、日本からヨーロッパへの移動に飛行機が浸透しているわけもなく、鉄道か船を利用するしかなかった。

三島・金栗の両選手は、自腹でストックホルムに向かっている。
まず5月16日に新橋駅を出発し、敦賀から船でウラジオストクへ向かう。そしてシベリア鉄道でサンクトペテルブルクまで行き、さらに船に乗ってようやくストックホルムに到着。かかった時間、実に18日間。
短距離選手の三島はまず100m予選に出場し、最下位で落選。
続く200m予選も敗退した。
3種目目の400m予選では、3人が棄権したため、2位で準決勝に進出を果たしたが、疲労のため結局棄権した。

一方、マラソン代表の金栗は、当時のマラソン世界記録保持者だったが、32キロ地点で日射病のために倒れ、民家で一晩介抱された。
当時は極東から来た選手が行方不明になったと話題になり、時の人にもなっている。

ちなみに金栗には、後日こんなエピソードがある。五輪開催から55年後の1967年、ストックホルム市は五輪開催55周年記念祭を開き、「消えた日本人」こと金栗老人を招待した。
76歳になっていた金栗は、かつてのゴール地点に案内されて10m手前から走ってゴールする。
そこに場内放送が流れた。
「第5回ストックホルム五輪マラソン競技は完全に終了しました」
タイムは、54年と8ヶ月6日5時間37分20秒3
その後の会見で、金栗老人はこんな素晴らしいスピーチを披露した。

「長い道中でした。途中で孫が5人もできました。」

Stockholmphoto

▲旗手は三島弥彦。金栗四三は「NIPPON」と書かれたプラカードを持つが、日章旗に隠れてしまっている。

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November 02, 2018

東京オリンピックの男子体操は4‐3‐3の厳しい争いになる

現在、カタール‣ドーハで世界体操選手権が開催されているが、男子の世界選手権の予選の競技方法は、5-4-3(チーム構成5名、各種目4名が演技し、チームの得点は演技した上位3名の得点の合計)、これが決勝では5-3-3(チーム構成5名、各種目は3名が演技し、そのすべてがチーム得点となる)の方法が採られている。

この場合、5名のチームにオールラウンドの選手とスペシャリストの選手を混ぜて編成ができる。
そして、オールラウンドの選手も決勝で、6種目すべてに出場するのではなく、個人総合や種目別を鑑みながら、種目を減らすこともできる。
これまで、五輪や世界選手権で常に6種目を演じてきた内村航平が、今大会は怪我により、4種目に留まった。
では、今回のドーハ世界選手権で、団体決勝に出場した8か国40人の選手のうち、6種目に出場した選手は何人いるか?
答えは米国のサム・ミクラクSam Mikulakただ一人しかいない。

では、五輪の体操はどのように行われているか。
五輪でもロンドン、リオデジャネイロとこの5-3-3が採用された。
ロンドン、リオデジャネイロ五輪は、世界体操と同じ予選5-4-3、決勝5-3-3だったが、2020年の東京五輪は、4-3-3で行われる。

Taiso2018

つまり、各国ともにチームは4人。そのうち各種目3人ずつが演技をし、そのすべてが得点になる。
日本や中国、ロシアのような選手層の厚い国は、4名の代表を絞り込むのが難しくなるだろう。
また本番では失敗が許されないため、かかるプレッシャーは相当なものになると思われる。
そして、4名で、6種目×3の18種目の演技をするため、オールラウンド型の選手を中心に選考され、1種目のみのスペシャリストが代表に入るのは難しくなるだろう。

2004年のアテネ五輪の男子体操は、日本が28年ぶりに金メダルを獲った大会だが、6-3-3で行われた決勝で、水鳥寿思、中野大輔は1種目ずつしか演技をしなかった。
また、決勝に出場した6か国36名の選手のうち6種目すべてに出場した選手はひとりもいなかった。
東京では、この逆のケースになりそうだ。

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October 31, 2018

東京オリンピックの開会式の日に行われていた日本シリーズ

1964 Tokyo

2020年の東京五輪は、7月24日から8月9日まで開催される。
その間、プロ野球の公式戦は行われない。
しかも横浜スタジアムは五輪正式種目に復帰する野球の競技場になっているほか、神宮球場は組織委員会が70日間に渡って借り上げることが決まっている。

これだけ大規模なペナントレースの中断は初めてと言われている。

では、1964年の東京五輪の際に、プロ野球はどうしたのか。

1964年、五輪開催に合わせてプロ野球のシーズンは日程が繰り上げられた。
つまり通常のシーズンよりも早く終了したわけだ。

当初、9月29日に日本シリーズが開幕する予定だったが、阪神が優勝目前にもたもたし、9月30日に優勝が決まり、2日遅れて10月1日に日本シリーズ開幕となった。
さらに、7戦までもつれたシリーズの6戦目の予定されていた10月8日が雨天中止となり、第7戦はなんと東京五輪開会式の当日 10月10日に行われている。

パリーグの覇者は南海ホークス。
福岡ソフトバンクホークスの前身であり、大阪難波にあった大阪球場を本拠地にしていた。

1・2・6・7戦が甲子園、3・4・5戦が大阪球場での試合となったが、東京五輪を考えての編成だろうか、全試合ナイターで行われた。

10月10日の夜、興奮冷めやらぬNHKを始めとするテレビ各局は、昼間の東京五輪開会式の再放送をし、日本シリーズの中継は関西ローカルの読売テレビでしか行われていない。

日本一が決まる甲子園の試合であるにも関わらず有料入場者は15,172人。
結局4勝3敗で南海が日本一になった。

最優秀選手は南海の投手だったスタンカ(3勝1敗)。
一方の阪神のエースだった村山実氏は0勝3敗。
南海の4番は野村克也氏。
南海の選手の中には大沢啓二氏の名前も見える。

この年のペナントレースでは、巨人の王貞治氏が55本のシーズン最多ホームランを打っているが、巨人は早々に優勝争いから脱落した。
王さんは、長嶋茂雄氏と報知新聞の「ON五輪を行く」という取材で、様々な競技会場に取材に出かけた。

長嶋氏の亡くなった亜希子夫人は、東京五輪のコンパニオンを務めており、この取材がなければ二人は出会わなかったことになる。

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