東京2020

July 24, 2018

東京五輪がいかに過酷な大会になるか、世界陸上の男子マラソンを例に見る

東京五輪がいかに過酷な大会になるか、世界陸上の男子マラソンを例にデータを見せよう。
世界陸上は1983年に始まり、2017年のロンドン大会まで16回が行われている。
その男子マラソンの優勝タイムを比較すると明白なのだ。
16回のうち、日本開催が2回。
1991年の東京(旧国立競技場)と2007年の大阪(長居スタジアム)だが、大阪大会の2時間15分59秒は全大会を通じてワースト、東京大会の2時間14分57秒が下から2番目だ。

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1991年東京世界陸上
1991年9月1日午前6時スタート
開始時の気温は26度 湿度が73%
出場60選手 完走36選手、完走率60%
この当時、日本陸連科学部は真夏のマラソンは命にかかわるとし、札幌での分離開催も検討していた。

2007年大阪世界陸上
2007年8月25日午前7時スタート
開始時の気温は28°C湿度は72%。レース終了時は気温30℃。
出場87選手 完走57選手 完走率66%

東京世界陸上は既に30年近く前、大阪も10年以上前のこと。
現在の気象条件はさらに厳しくなっているのはもちろんのことだ。

ちなみに2019年ドーハ世界陸上のマラソンは午前0時から、東京五輪は午前7時スタートとのことだが、深夜スタートが懸命ではなかろうか?

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July 20, 2018

やっぱり米国NBCテレビに屈した東京オリンピック 競泳決勝は午前中に実施

2020年東京五輪の競技日程の大枠が固まったが、競泳決勝の実施時間について国際水泳連盟FINAは、「午前中に開始することで合意した」と発表した。

五輪運営の鍵を握っているのは、米国のテレビ放映権料だ。
NBCテレビは開催地の決まっていない2032年までの五輪放映権を獲得しており、一大会あたり約1400億円。

そして、日本人のように夜通しで生中継のテレビかじりついて五輪を観るなんてことを米国人はしない。
就寝前にベッドで五輪を見る。これがベストだと思っている。
独占放映権を持つテレビ局は、米国時間の夜まで競技結果を放映せず、夜に録画を流す。
ネットのある生活をしていて、競技結果を夜まで知らないでいられようがない。
すると、テレビの録画放映は低視聴率にあえぐ。

これを打開する方法が、競技時間を米国に合わせることだ。

今年行われた平昌五輪では、フィギュアスケートがテレビの犠牲になった。
フィギュアスケートは全種目が午前10時開始、遅くとも午後2時半ごろまでに終了するスケジュールが組まれていた。
そういえば羽生結弦の演技は会社で見たなあと言う人も多いだろう。
これは時差は14時間の米国東海岸のテレビ視聴者に合わせたもの。
米国人はベッドでフィギュア観戦をし、午前0時半に競技終了とともに寝ていたのだ。

アジアで五輪が開催されると、同様のことが繰り返される。
2008年北京の五輪では、競泳決勝のすべてと体操の団体総合、個人総合の決勝が午前中に行われた。

2004年アテネ五輪で金メダルを獲った北島康介の200m平泳ぎを例に取る。
予選、準決勝、決勝と金メダルまで3回泳いだ北島のスケジュールは下記のようだった。
8月17日 予選 午前
8月17日 準決勝 夜
8月18日 決勝 夜
(時間はアテネ時間)

これが北京五輪では、
8月12日 予選 午後
8月13日 準決勝 午前
8月14日 決勝 午前
のように従来の2日間から3日間になった。
ほとんどの選手が複数の種目、あるいはリレーに出場する中で、ひとつの種目に3日かけることの負担は大きい。
水泳大国の豪州や欧州各国はこの案に反対だったが、IOCに押し切られてしまった。

東京五輪も北京五輪の競泳と同じ時間帯になるのだ。
ただでさえ酷暑が予想される東京の夏。
大変な思いをするのは選手だ。

日本は過去に3回の五輪を開催しているが、米国のテレビ局の意向で時間が決められたことはないのだろうか。

ある。

1998年の長野五輪の開会式は、日本時間の午前11時に開始された。
冬季五輪も夏季五輪と同様に開会式は、夕方から夜にかけて行われてきた。
が、長野の午前11時は異例の時刻だ。

1995年2月25日付けの信濃毎日新聞に次のような記事がある。

NAOCは「開会式はすべての競技の前に行うのが望ましい」と、7日午後4時に始まるアイスホッケー予選より早い時間に開会式を設定した。開会式の始まる午前11時は、米国時間の午後6時から9時に当たる。高い視聴率が望めるため、放映権を獲得した米CBSテレビも午前中の実施をNAOCに求めていた。
NAOCとは長野五輪組織委員会のことで、長野五輪の開幕の3年前にCBSテレビが強引に求めてきていたことが判る。

東京五輪の開幕まで2年。
CBSからNBCにネットワークは変わったが、同じように競技スケジュールに圧力を掛けたのだ。

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May 30, 2018

東京オリンピック開催がドーピング違反者を増やしているのか?

ドーピングに関するニュースが頻繁に流れてくる。

・5月28日、日本ボクシングコミッション(JBC)は、日本選手で初めて世界戦でのドーピング違反で処分を受けた尾川堅一にプロボクサーライセンスの1年間停止処分を科したと発表した。
処分期間は昨年12月10日から。尾川選手が判定勝ちして王座獲得した試合は無効となっている。

・5月23日 リオ五輪にも出場し、男子50 m背泳ぎ日本記録保持者の古賀淳也がドーピングで陽性。暫定資格停止処分となり、8月のジャカルタアジア大会の代代表は取り消しになった。

・5月19日 日本カヌー連盟は、東京都内で開いた理事会で、小松正治(愛媛県協会)を、今夏のアジア大会代表として内定した。小松は、昨年のスプリント日本選手権の際に、ライバルだった鈴木康大から飲み物に禁止薬物を混入される被害を受けた。鈴木については、除名処分を6月の総会に諮る。

僅かな期間に、ドーピング違反に関与した日本人選手が何人も出ている。
他にも男子レスリングフリースタイルのN選手、競泳のK選手等もいるが、ともに大学生だ。

2020年の夏季五輪が東京に決まった際、IOC総会のプレゼンテーションにおいて、JOCの竹田恒和理事長は『日本は過去の五輪、パラリンピックでドーピング違反者を一人も出していない』と日本スポーツ界の健全性を強調した。
皮肉なことに、勝ち取った東京開催がドーピング違反者を増やしているのではないか?との声もある。

そして、今年2月の平昌五輪では、ショートトラックの代表だった斎藤慧が、ドーピング検査で陽性反応を示し、暫定資格停止処分を受け、ついに五輪においても違反者を出した。

世界反ドーピング機関(WADA)は4月26日、2016年のドーピング違反に関する報告書を発表した。
2016年といえばリオデジャネイロ五輪が開催された年だが、WADAは毎年報告書を出している。

競技別では陸上が最多の205件だった。ボディビルが183件、自転車が165件、重量挙げが116件で続いた。国別ではイタリアが最多の147件で、フランスが86件、米国が76件。豪州75件、ベルギー73件、インドと、組織的な不正発覚を受けてリオデジャネイロ五輪で陸上と重量挙げのチーム参加が禁じられたロシアが同数の69件。ロシアは、前年のトップから6番目に下がった。
日本人選手は6件、競技別では陸上競技1、ボディビル3、自転車1、サッカー1となっているが具体的な選手の名前が記されている訳ではない。

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この6人という数字が多いかどうか。
WADAによると、2016年以前の日本人のドーピング違反者は以下の通り。

2015年8
(ボディビル3、ゴルフ1、パワーリフティング3、ウェイトリフティング1)

2014年10
(ボディビル1、自転車2、パワーリンフティング1、ラグビー1、相撲1、テコンドー1、バレーボール2、スキー1…パラリンピック対象者)

2013年6
(ボディビル5、スケート1)

今年と昨年(2017年)が公表されていないので、ドーピング違反者の数と東京五輪招致にどこまで相関があるのかは不明だ。

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April 01, 2018

北朝鮮 2020年東京五輪の参加を表明、過去の日本開催の五輪には参加しているのか?

北朝鮮を訪れていたIOCのトーマス・バッハ会長は、金正恩党委員長が「(2020年の東京オリンピックと2022年の北京冬季オリンピックに必ず参加すると表明した」と明らかにした。

金正恩委員長の言うとおり、北朝鮮が東京五輪に参加すれば、日本開催の夏季五輪へ初参加となる。

1964年の東京五輪には、南アフリカ、インドネシア、北朝鮮、中華人民共和国などは参加していない。
また、当時ドイツは、東ドイツと西ドイツに分断されており、日本は東ドイツと国交がなかったため、両国は統一ドイツとして参加している。
この統一ドイツ選手団は、1956年のコルティナダンペッツォ冬季五輪から1964年の東京五輪までの6回の五輪で組まれた。

1960年代には、ドイツのほかにも分断された国家がいくつかあった。
当時中国は、日本と国交はないばかりか、IOCをも脱退中で、東京五輪に参加をしていない。
さらに中国は、東京五輪開催中の10月16日に核実験を行い、世界を驚かせた。
日韓は1965年になって基本条約を結んでおり、1964年の東京五輪開催時には正式国交はなかったが、東京には154人の大選手団を送ってきた。

南北に分かれていたベトナムは、西側にあった南ベトナム(サイゴンを首都とするベトナム共和国)のみが参加している。

東京五輪の3年後に開催された東京ユニバーシアード。
北朝鮮が正式国名で呼ばれないことを不服としてこの大会ボイコットし、これに同調したソビエト連邦、東ドイツ、ハンガリー、ルーマニアといった共産圏の有力国も参加しなかった。
その後北朝鮮は、日本で開催された2回の冬季五輪、1972年の札幌大会と1998年の長野大会に参加しているものの、1994年の広島アジア大会には参加していない。

●1964年東京五輪
Doitu

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November 01, 2017

東京オリンピックの開会式の日に行われていた日本シリーズ

1964 Tokyo

2020年の東京五輪は、7月24日から8月9日まで開催される。
その間、プロ野球の公式戦は行われない。
しかも横浜スタジアムは五輪正式種目に復帰する野球の競技場になっているほか、神宮球場は組織委員会が70日間に渡って借り上げることが決まっている。

これだけ大規模なペナントレースの中断は初めてと言われている。

では、1964年の東京五輪の際に、プロ野球はどうしたのか。

1964年、五輪開催に合わせてプロ野球のシーズンは日程が繰り上げられた。
つまり通常のシーズンよりも早く終了したわけだ。

当初、9月29日に日本シリーズが開幕する予定だったが、阪神が優勝目前にもたもたし、9月30日に優勝が決まり、2日遅れて10月1日に日本シリーズ開幕となった。
さらに、7戦までもつれたシリーズの6戦目の予定されていた10月8日が雨天中止となり、第7戦はなんと東京五輪開会式の当日 10月10日に行われている。

パリーグの覇者は南海ホークス。
福岡ソフトバンクホークスの前身であり、大阪難波にあった大阪球場を本拠地にしていた。

1・2・6・7戦が甲子園、3・4・5戦が大阪球場での試合となったが、東京五輪を考えての編成だろうか、全試合ナイターで行われた。

10月10日の夜、興奮冷めやらぬNHKを始めとするテレビ各局は、昼間の東京五輪開会式の再放送をし、日本シリーズの中継は関西ローカルの読売テレビでしか行われていない。

日本一が決まる甲子園の試合であるにも関わらず有料入場者は15,172人。
結局4勝3敗で南海が日本一になった。

最優秀選手は南海の投手だったスタンカ(3勝1敗)。
一方の阪神のエースだった村山実氏は0勝3敗。
南海の4番は野村克也氏。
南海の選手の中には大沢啓二氏の名前も見える。

この年のペナントレースでは、巨人の王貞治氏が55本のシーズン最多ホームランを打っているが、巨人は早々に優勝争いから脱落した。
王さんは、長嶋茂雄氏と報知新聞の「ON五輪を行く」という取材で、様々な競技会場に取材に出かけた。

長嶋氏の亡くなった亜希子夫人は、東京五輪のコンパニオンを務めており、この取材がなければ二人は出会わなかったことになる。

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June 25, 2017

アメリカにおいて進むオリンピック離れ?

IOCの最高位スポンサー契約は「TOPプログラム」と呼ばれ、協賛金額は1社年間約100億円以上といわれている。

商業化路線が推進された1984年ロサンゼルス大会以降、五輪マークの独占的使用権など制度が整備され、企業からの協賛金は、各国・地域の国内オリンピック委員会や五輪組織委員会に分配されている。
日本ではパナソニックが1988年から務めていたが、長い間1社のみが続いていた。
ところが、2013年9月に東京五輪の開催が決まってから、ブリヂストン、トヨタが参入、特にトヨタは2024年までの総額1000億円にも上る大型契約と言われている。
これまでの長いTOPプログラムの歴史の中で、自動車会社の契約は初めて。
BMWや日産なども検討していたが、契約に至らなかったほど負担が大きい。
これだけでもIOCにしてみれば「東京を選んで良かった」になる。

一方、コカ・コーラと並んで、長い間五輪を支えてきたマクドナルドが、契約を3年残してTOPから撤退した。
民間企業だから、その理由は様々あるのだろうが、米国のメディアによるとリオ五輪の米国での視聴者は、4年前のロンドン五輪よりもかなり減らしたのが大きいという。

世界地図を見て頂くと判るが、米国とブラジルは経度がかなり重複している。
リオデジャネイロは、米国東部と時差が2時間(サマータイム時を除く)。
昼夜逆転していたロンドンや北京五輪と比べて、条件はかなり良かったはずだが、ロンドン五輪の米国内(NBCテレビ)の平均視聴率は17.5%、平均視聴者数3110万人だったが、リオ五輪の平均視聴率は14.4%、平均視聴者数2540万人は、ロンドンと比べてそれぞれ11%と8%下落した。

確かにグラフで見ると、リオ五輪が低かったのが判る。
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●夏季五輪開会式と閉会式/米国内での視聴者数 
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米国において、あるいは世界中どこでも、五輪離れが進んでいるという話がある。

東京五輪では、5競技が追加されて実施される。
野球・ソフトボールや空手はともかく、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンを実施するのは、これまで五輪を見なかった層にアピールするための追加だ。
さらには、東京五輪で新たに16実施される新種目の中にある3×3バスケットボールは、見事にテレビを意識した新種目だ。

マクドナルドのTOP撤退よりも、ひょっとしたら衝撃的ではないかという話がある。
USOCという組織がある。
JOCと同格の米国五輪委員会のことだが、USOCがこれまで契約していた以下のような多くの米国内向けスポンサーが、この一年で一斉に契約を終了させているのだ。

AT&T(通信)
Budweiser(ビール)
Hilton(ホテル)
Citi(金融)
TD Ameritrade(証券)

いずれも米国を代表するブランドではないか。
(ただし、Budweiserは現在はベルギーの企業の傘下にある。)

AT&Tに代わって、ComcastがUSOCのスポンサーに名乗りを上げているが、この会社はNBC放送の子会社だ。
米NBC放送がIOCと契約した2014・16年五輪の米国向け放送権料は43億8000万ドル。
何とも莫大な金額だが、この金額の12・75%が、実はUSOCに配分されている。

USOCの2016年の税務申告を見てみると、総売上高7億5,600万ドルに対し7,850万ドルの黒字を計上している。
IOCからテレビ放映権の配分として1億7300万ドル、スポンサー契約の配分が1億2100万ドルとある。

USOCは、米国内のスポンサーの動向に関わらず、潤沢な資金が常にあるのだ。


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June 15, 2017

引き受け手のないオリンピック

パリとロサンゼルスの一騎打ちとなっている2024年五輪招致だが、今年9月にリマで開かれるIOC総会では、2024年だけでなく、2028年大会の開催都市も決めることになりそうだ。

費用負担の大きさから、五輪開催に立候補する都市は減っており、IOCとしては、パリ、ロサンゼルスといった開催実績のある2都市をともに確保したいとみられる。


実はIOCには痛いトラウマがあるのだ。

2011年7月6日 南アフリカのダーバンで開かれたIOC総会のこと。
2018年の冬季五輪の開催地が決まろうとしていた。
立候補していたのは平昌(韓国)、ミュンヘン(ドイツ)、アネシー(フランス)の3都市。
平昌は2010、2014年に続いて3回目の立候補、ミュンヘンは初の夏冬開催を目指していた。

1回目の投票で平昌が63票と過半数を超え開催地に決定。
ライバルと見られていたミュンヘンは25票、アネシーは7票に留まった。

この時点でIOCはまだ甘く考えていた。
ミュンヘンは2022年の冬季五輪立候補するだろうと。
なぜならば2022年は、1972年のミュンヘン夏季五輪からちょうど50周年にあたり、記念大会になると誰もが思っていたのだ。
ところが、ミュンヘンは2013年11月に行われた住民投票で立候補に賛同が得られず招致を断念。

ミュンヘン撤退後に2022年冬季五輪の本命と見られていたオスロも、2014年10月、ノルウェー政府の財政保証が得られないことを理由に冬季五輪招致から撤退した。

そして、2015年7月 クアラルンプールで行われたIOC総会。
中国・北京とカザフスタンのアルマトイの二都市で投票を行い、44-40で北京開催が決まった。

ご存知のように2018年平昌、2022年北京、さらにその間の2020年には東京五輪もある。
極東アジアで五輪が続くことは異常事態であり、IOCは焦っている。
せっかく手を挙げてくれたパリとロサンゼルスを、取り逃がしたくないと思っているのだ。

日本では、今朝、共謀罪が成立した。
我が国の首相は、東京五輪を開催するためには共謀罪が必要と言うが、私が共謀罪のない社会と、東京五輪のどちらを選ぶかと問われれば、間違いなく共謀罪のない社会を選ぶ。

今日の朝日新聞の投書欄に作家の赤川次郎氏の投書が載っている。
赤川さんも、共謀罪がなければ五輪が開けないのなら、中止にすればいいと言い切っている。

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●2024年夏季五輪招致

2015年9月 パリ、ロサンゼルス、ハンブルグ、ローマ、ブダペストの5都市が立候補
2015年11月 ハンブルクが辞退
2016年9月 ローマが辞退
2017年1月 ブダペストが辞退

2017年6月 IOC:
パリもロサンゼルスも五輪開催に相応しいので、2024年大会だけでなく、2028年大会も一緒に決めませんか?←今ここ

2017年9月 IOC総会(ペルー・リマ)


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May 30, 2017

男子体操の6種目の中で、日本チームが五輪において唯一金メダルを獲ったことのない種目は何でしょう?

男子の体操は6種目(床、跳馬、平行棒、吊り輪、あん馬、鉄棒)で行われるが、日本チームが五輪において唯一金メダルを獲ったことのない種目は何でしょう。

答え:あん馬

体操は長い間日本のお家芸として、メダル量産に貢献してきた。
一時期、世界から離されていたこともあったが、リオ五輪でも男子団体と個人総合で金。
種目別床で、白井健三が銅メダルを獲り、通算の獲得メダルの合計は金31、銀33、銅34の合計98個になる。
この数は旧ソ連、米国に次いで3位。ライバル中国は5位だ。

その体操ニッポンだが、男子の種目別で唯一金メダルを獲ったことのない種目があん馬だ。
あん馬は、脚が長い西洋人の方が見栄えが良いとされ、金メダルに届いていない。

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五輪同様に世界体操選手権でも、長い間金メダルに届かなかったが、足が長く、肩幅の狭い鹿島丈博が現われ、2003年のアナハイム大会で鉄棒とともにあん馬に優勝。

2013年のアントワープ大会でも亀山耕平が優勝した。

鹿島丈博には、日本初のあん馬金メダルの期待がかかったが、2004年のアテネ五輪は銅、北京五輪では団体予選(種目別予選も兼ねる)、ショーン(一腕上上向き全転向)の演技中にまさかの落下。33位に終わり8名の決勝進出を果たせなかった。

ちなみに体操競技では、2006年の世界選手権から従来の10点満点が廃止され、得点に上限がなくなっており、鹿島が世界選手権、五輪でメダルを獲ったのはいずれも10点満点の時代だ。

もう一人の世界王者亀山耕平は、リオ五輪を目指していたものの、昨年の全日本種目別では、得点が伸びず、もうひとりのあん馬のスペシャリスト、順天堂大の萱和磨とともに五輪代表に入れなかった。

日本は、12年ぶりの金メダルを獲るために、最もチーム得点を高くするために、日本が苦手なつり輪の得意な山室光史を選んだのだ。

五輪の場合、5-3-3(チーム構成5名、各種目演技3名、各種目のチーム得点は演技した3名の得点の合計)の競技方法だが、世界選手権は6-3-3。
五輪の代表に入る方が、より大変だ。

リオ五輪の男子団体の6種目の演技した選手と3人の合計の順位をまとめてみる。

床:内村・加藤・白井 ①日本②英国③ロシア
あん馬:内村・加藤・山室 ①英国②ロシア③中国④日本
吊り輪:内村・田中・山室 ①ロシア②中国③日本
跳馬:内村・加藤・白井 ①日本②ロシア③米国
平行棒:内村・加藤・田中 ①中国②日本③米国
鉄棒:内村・加藤・田中 ①日本②英国③中国

結果からいえば金メダルを獲る日本チームだが、あん馬で苦労していたことが判る。

亀山耕平は現在28歳。
2020年の東京五輪に、あん馬一本で勝負することを公言している。
内村航平、山室光史と同学年であり、3人ともに東京五輪は31歳で迎える。

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May 15, 2017

オリンピックの政治利用なんて冗談じゃない

毎日新聞には、シドニー五輪の頃まで、モスクワ五輪を振り返る特集が度々あった。
宗兄弟や高田裕司氏、あるいは津田真男氏の近況を伝える記事もあった。
それからすると、「モスクワ五輪の不参加は政府が決めた」なんて書くのは、ちょっと毎日らしくない。

モスクワ五輪ってカーター米大統領(当時)から圧力を受けて日本や西ドイツ(当時)や韓国はもちろん同調してボイコットしたが、実は西ヨーロッパの主要国は多くが参加している。

イギリス、フランス、イタリア、スペイン、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、オーストリア、オランダ、スイス、ベルギー、ギリシャ、アイルランド等ほかにもブラジル、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランドなども参加している。

各国のNOCがそれぞれ政府から圧力をかけられても、開閉会式・表彰式では国旗ではなく五輪旗を掲げるとか、五輪は平和運動のひとつとの考えでモスクワ五輪に参加したのだ。

▲モスクワ五輪開会式 イギリスはBOA役員のディック・パルマ―が五輪旗を掲げて入場した。 パルマ―の後ろに選手はゼロ。つまり、イギリス選手は開会式に一人も参加していない。 こんなことたぶん誰も知らないだろう。

一方、JOCは、政府から14億円の国庫補助金の打ち切りを示唆されて、あっさりとモスクワ五輪不参加を決めた。この当時の読売新聞の社説には『五輪より外交』などという文字が並んでいるが、米国追従は今も昔も変わらない。

「モスクワ五輪ボイコット」を突如カーター大統領がぶちまけたのは、80年の大統領選で、ロナルド・レーガンに負けそうだったからだ。
「モスクワ五輪ボイコット」を言い出せば、劣勢を挽回できると勘違いしたらしい。

当時のIOC委員は、選手出身の委員よりも、欧州の王族や経済的な成功者が多くを占めるブルジョアクラブのようなものだったため、スポーツの世界、あるいは社会全体の動きに疎い連中の集まりだった。

そのため、ジミー・カーターを説得するでもなく、打開案を見出すでもなく、みすみす五輪の崩壊を指をくわえて見ていただけだった。
五輪からすべての政治色を排除することは難しいが、カーターが五輪ボイコットをを呼びかけたことは誤りだった。
これが、モスクワ五輪ボイコットに対する現在の評価だ。

日本もJOCは不参加を決めたが、日本バレーボール協会や日本レスリング協会は個別に参加できる道を必死に探した。
が、IOCはついに動かなかった。


モスクワ五輪が閉幕し、新たにIOC会長になったばかりのアントニオ・サマランチは、銀行家から外交官になり、IOCに入った人物だ。
サマランチは、五輪の肥大化、商業化、オープン化に尽力した。

招致をめぐるスキャンダルで悪者のイメージも強いが、社会の変化と現状を示そうと、モスクワ五輪の翌年、1981年のオリンピックコングレス(五輪全体会議)に初めて、現役選手に発言の場を設けた。

選手がそれまで、公式の場でものが言えなかったのも驚きなのだが、このときIOCを舞台に、選手の立場から初めて演説をしたのがセバスチャン・コー。

世界に3人しかいないモスクワ・ロサンゼルスの両五輪で金メダルを獲った人物だ。
ロンドン五輪組織委員会会長を経て現在は、IAAF(国際陸連)会長を務める彼は、モスクワに選手を送らなかった国、送ることを妨げた国を痛烈に批判した。
五輪選手の負担は大きく、その犠牲は無視すべきでない。IOCには、選手への社会的配慮を保証する、道義的義務がある」と。

さて、3年後の東京五輪だが、文頭の毎日の記事はこう結んでいる。

首相は16年8月、リオデジャネイロ五輪の閉会式に「マリオ」に扮(ふん)して登場し、東京開催をアピールした。
五輪憲章は国家元首ですら開会式や閉会式で宣言する言葉を定め、政治色を排除している。
(中略)
スポーツ評論家の玉木正之さんは「計画した組織委も、それを許可したIOCも憲章違反と言わざるを得ない」と語る。
果たして五輪と政治の関係はどうあるべきか。
玉木さんは「アスリートを応援するのは当然で、五輪には反対しにくい。
五輪に絡めて憲法改正を持ち出すのは巧妙だ」と指摘。
「五輪はスポーツの祭典として独立しているべきだという感覚が全くない。
政治はスポーツをサポートする役割に徹するべきだ」。

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April 26, 2017

陸上100mのはなし① ボブ・ヘイズとジム・ハインズ

昨年のリオデジャネイロ五輪 陸上男子400mリレーの銀メダリストで、1走を務めた山縣亮太が、右足首周辺に痛みが出たことから今月29日に出場を予定していた織田幹雄記念国際大会を欠場するという。
広島出身の山縣にとって、織田記念は思い入れがあるだろうから残念な気もするが、次回に期待したい。

山縣といえばセイコーホールディングスの所属で、プロ契約ではない一般社員だ。

日本の時計メーカー・セイコーは、東京、札幌、長野の日本で開催された3回の五輪でいずれも公式計時を担った。
特に1964年の東京五輪での功績は高い。
日本政府は当時、国産技術による「科学の五輪」というスローガンを掲げた。
セイコーの技術者たちは各競技のルールを学ぶところから始め、高精度のストップウオッチや、スターターピストルと連動した写真判定装置などを開発した。
東京五輪でボブ・ヘイズ(米国)が、陸上男子100mで金メダルを獲った際の写真判定は目にした方も多いのではないか。
検索してみれば、すぐに出てくるだろう。

ところが、2020年の東京五輪で公式計時を担うのはスイスのオメガ社だ。
IOCにはTOPと呼ばれる公式スポンサー制度があり、1つの分野には1社としか契約することができない。
時計はスイスのオメガ社との契約が継続されている。
現在のIOCとオメガ社との契約は2009年に結ばれたもので、2014、16、18、20年までの4回の五輪に製品を提供するというもの。
その総額は8000万ドルという巨額のものだ。

若い人は知らないかもしれないが、陸上競技のタイムの計測には、現在行われている電気計時のほかに手動計時があった。
手動計時とは、簡単に言えば、10分の1秒までしか計測できないストップウオッチで記録を計るものだ。

オメガは1932年のロサンゼルス五輪で、10分の1秒まで計れるストップウオッチを開発し、30個を組織委員会に提供した。
以後、五輪と深くかかわっていく。
1952年のヘルシンキ五輪では、100分の1秒まで計測できるストップウオッチも導入されているが、正式記録は10分の1秒までの手動計時による記録という時代が長く続いた。

東京五輪の陸上競技の記録測定については、諸説ある。
①手動計時による記録が正式なものだが、試験的に使った写真判定装置の電気計時が100分の1秒まで正確に計れることを実証したため、東京以後の五輪では電気計時が正式タイムとなった。
②写真判定装置の電気計時が初めて導入され100分の1秒まで計測された。が、正式記録は10分の1秒までとされた。電気計時の故障に備え、3人の手動計時の記録員がこれまでの五輪同様準備されていた。

東京五輪の100mに優勝したボブ・ヘイズは、『黒い弾丸』という異名をとり、第1レーンを滑走する姿は日本人に強烈な印象を残した。
このときの記録は世界タイの10秒0。
100分の1秒まで計測できる電気計時では10秒06。

この当時、1970年まで陸上競技の全自動電気計時のタイムは、スターターのピストル発射後0.05秒で時計が始動する取り決めがあり、10秒06から0秒05を引き10秒01。
競技規則の換算表によって10秒0と発表された。

3人の記録員の手動で計ったタイムは9秒8、9秒9、9秒9。
限りなく9秒9に近い10秒0であったといえる。
上記の2説の内、①が正しいのであればヘイズの公式記録は9秒9=世界新とされたはずだ。
だが、10秒0となっていることから②が正しいと推測される。

  金 ボブ・ヘイズ 米国 10秒0 (10.06)
  銀 エンリク・フィゲロラ キューバ 10秒2 (10.25)
  銅 ハリー・ジェローム カナダ 10秒2 (10.27)

ちなみにヘイズは1次予選から決勝まで4回100mを走っているが
  1次予選 10秒4 (10.41)
  2次予選 10秒3 (10.37)
  準決勝 9秒9 (9.91) (追い風5.8m参考記録)
  決勝  10秒0 (10.06) (世界タイ記録)

という記録が残っている。

100mで初めて10秒の壁を破ったのは、メキシコ五輪の100mを制するジム・ハインズ。
メキシコ五輪開催の年1968年の6月開催された全米選手権の準決勝だった。
記録は手動計時である。

  準決勝第1組 ①ジム・ハインズ 9秒9 ②ロニー・スミス 9秒9 
  準決勝第2組 ①チャーリー・グリーン 9秒9 

この日ハインズ、スミス、グリーンの3人が手動計時で9秒9の世界新記録を出したとされている。
その年の10月に開催されたメキシコ五輪でもハインズは優勝している。

  金 ジム•ハインズ 米国 9秒9 (9.95)
  銀 レノックス•ミラー ジャマイカ 10秒0 (10.04)
  銅 チャーリー•グリーン 米国 10秒0 (10.07)

1970年になり、全自動電気計時をスタートのピストル発射から0.05秒遅れて始動させる調整は廃止される。
そして1975年1月1日以降、400m以下のレースの世界記録は電気計時と手動計時の2本立てで公認されることになった。このときにジム・ハインズの9秒95が世界記録として公認された。
さらに、1976年8月からは、400m以下の記録は100分の1秒単位の電気計時しか公認されないことになっている。

話をボブ・ヘイズに戻そう。
東京五輪陸上男子100mで金メダルを獲ったボブ・ヘイズは、日本人に強烈な印象を残した。
が、その後の人生は日本ではあまり知られていない。
五輪後ヘイズはNFLのダラス・カウボーイズに入団し、俊足のワイドレシーバーとして活躍した。
東京五輪から7年後1971年28歳の時には、スーパーボウル優勝も経験している。
長い五輪史の中で、金メダルとSB・リングを獲得したのはボブ・ヘイズひとりしかいない。

*1984年ロサンゼルス五輪砲丸投げで銀メダルを獲ったマイケル•カーターは、同じ年SFフォーティナイナーズに入団。なんとその年のスーパーボウルで優勝した。
ボブ・ヘイズには及ばないが、五輪メダルとスーパーボウル優勝を同一年に成し遂げた唯一の選手である。
なおNFLのドラフトはロス五輪の直前にあった。

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