東京五輪の競泳選手団は史上3番目の規模
東京五輪の競泳日本選手団は33名となった。
これは、1964年の東京五輪の38名、リオ五輪の34名に次ぐ規模だ。
1996年のアトランタ五輪に27名という大規模編成をし、世界ランカー、メダル有望選手を何人も抱えていながらメダルゼロに終わったことが選考の転機になり、2000年以降、水連は独自の派遣標準記録を設定し少数精鋭の選手団を構成するようになる。
丁度北島康介の台頭と相まり、以後の五輪では複数のメダルを獲得するようになった。
ちなみに東京五輪での日本チームは、男子800リレーの銅メダル1個に終わっている。
800リレーは岩崎邦宏・岡部幸明・庄司敏夫・福井誠のメンバーで銅メダルだったが、この種目の予選には山中毅さんが岡部幸明さんの代わりに泳いでいる。
現在のルール(1984年以降)であれば、予選のみしか泳がなかった選手にもメダルは渡されるが、当時は山中さんにメダルは渡らなかった。
興味深いのは1972年のミュンヘン五輪。
男子の代表選手は僅かに4人。
平泳ぎ・田口信教 21歳
バタフライ・駒崎康弘 18歳
背泳ぎ・本多忠 20歳
個人メドレー・佐々木二郎 16歳
という若きメンバーだった。
が、田口信教さんが100mで金、200mで銅を獲った。
自由形の専門選手のいない中、佐々木二郎を自由形に回したメドレーリレーで6位入賞を果たした。
さらに、ミュンヘン五輪では、女子の青木まゆみさんも100mバタフライで金メダル獲っている。