オリンピック人国記

August 01, 2008

オリンピック人国記② 福島県

先日、私用で福島県に行った。
地元の有力紙「福島民報」のテレビCMに陸上400mの丹野麻美が出ていたのに、少しびっくりした。
ローカルニュースの枠内では、陸上女子1600mリレーに出場する丹野麻美、久保倉里美、木田真有、青木沙弥佳の練習の様子が報じられていた。
彼女らはいずれも福島大学の現役orOGの選手である。(久保倉と木田は北海道出身、青木は岐阜県出身。)

福島県出身の五輪選手といってまず思い浮かべるのは、やはり東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉であろう。
東京五輪を控えた1961年に設立された自衛隊体育学校には、五輪などの国際大会出場を目指す第二教育課という特別な課がある。
重量挙げ五輪2連覇の三宅義信を始めとする、多くの五輪メダリスト、五輪選手を輩出した学校である。
東京五輪当時、円谷は自衛隊体育学校に所属し、三曹だった。
国立競技場のトラックに帰ってきた円谷は、もう限界だった。
残り200mでベイジル・ヒートリー(イギリス)に抜かれ、惜しくも銅メダルに終わったが、2時間16分22秒8のタイムは自己ベスト。
陸上では36年のベルリン五輪以来28年ぶりのメダルでもあった。
4年後のメキシコ五輪の金メダルに意欲満々であった円谷だったが、過度の練習から腰痛、さらには椎間板ヘルニアを発症。
1967年に手術を受けるも、以前のような走りを出来る状態ではなかった。

そして迎えたメキシコ五輪イヤーの1968年1月9日、カミソリで左頚動脈を切って自殺した。
周囲の期待の重圧と、走れない焦りが原因であるといわれている。
「おいしゅうございました」と家族への感謝を繰り返す遺書は悲しく、責任感が強く礼儀正しい円谷の人柄を偲ばせる。

「キューリ」というニックネームだったのがバレーボールの佐藤哲夫
メキシコ銀、ミュンヘン金、モントリオール4位と3回の五輪に出場した。
身長198センチは、当時の全日本でも最長身であった。
富士フィルム総務部に勤務していた佐藤に一度あったことがあったが、凄まじくでかかった。
佐藤の子息佐藤浩貴は203センチ105キロある。
バレーボールの道には進まず、バスケットを選んだ。日本代表の経験もあるが、現在はbjリーグの滋賀レイクスターズに所属している。

競輪で賞金王に2度輝いた伏見俊昭は、アテネ五輪のチームスプリント銀メダリストである。
が、北京五輪ではケイリンに出場する。今年の伏見の世界選手権ケイリンは5位、世界選手権2連覇中のクリス・ホイ(イギリス)にどこまで迫れるか。

Oly3_4

| | Comments (0)

July 17, 2008

オリンピック人国記① 岡山県

日本人の女性で初めて五輪に出場し、初めてメダルを獲ったのは誰か、ご存知だろうか。
岡山県出身の陸上の人見絹枝さん(故人)だ。
1928年のアムステルダム五輪、43名の日本選手団中、唯一の女子選手だった人見は800mで銀メダルを獲り、日本の陸上史にその名を残した。
身長170cm、体重は56kg、この時代の女性としては随分大柄である。
56年ぶりに五輪女子100mに出場する福島千里が166cm48kg、人見と同じアムステルダム五輪に出場した3段跳び金メダリストの織田幹雄が165cmだったというから、その大柄振りが伺える。

100m、400m、走り幅跳びに世界記録を持っていた人見は、アムステルダム五輪で100m、800m、円盤投げ、走高跳の女子の個人種目全てにエントリーした。
100m予選は1着で予選突破したものの、準決勝は4着(12秒8)に終わり決勝進出を果たせず、そのため未経験の800mの出場を決めた。
未経験でありながらエントリーしているところが、凄いのだが・・・。
800mの予選は2分26秒2で突破、決勝は2分17秒6で2位、日本人女性初の五輪メダリストになった。
これが1928年8月2日 人見21歳のときである。
ところが、この日からちょうど3年後の1931年8月2日、人見は肺炎のため24歳で早世した。

人見の銀メダルから64年後、1992年バルセロナ五輪で、同じ岡山県出身の有森裕子が人見以来の陸上女子銀メダリストとなった。
有森の祖母は人見の女学校の後輩であり、有森の銀メダル授与もまた8月2日だったという奇縁もあった。

岡山県は、五輪史に残る選手が多く出ている。
東京五輪に出場し、タレントとしても活躍し、昨年亡くなった競泳の木原光知子。
メキシコ、ミュンヘン、モントリオールの3大会連続で体操団体金メダルを獲得した監物永三、ロサンゼルス五輪の鉄棒で、男子初の10点満点を出し金メダルを獲った森末慎二、北京五輪野球日本代表監督の星野仙一も岡山県出身である。

私事になるが、3年前に102歳で亡くなった筆者の祖母は1902年生まれだった。
人見さんは1907年生まれで、祖母よりも5歳も若かったことになる。
人の一生とは不思議なものだ。

●1928年 陸上女子800m
①リナ・ラトケ ドイツ  2:16.8  ②人見絹枝 日本  2:17.6  ③インガ・ゲンツェル スウェーデン  2:18.8
*女子800mは、そのきつさ故、1932年から1956年まで五輪種目から外されていた。

Oly3_4


| | Comments (8)