オリンピック人国記② 福島県
先日、私用で福島県に行った。
地元の有力紙「福島民報」のテレビCMに陸上400mの丹野麻美が出ていたのに、少しびっくりした。
ローカルニュースの枠内では、陸上女子1600mリレーに出場する丹野麻美、久保倉里美、木田真有、青木沙弥佳の練習の様子が報じられていた。
彼女らはいずれも福島大学の現役orOGの選手である。(久保倉と木田は北海道出身、青木は岐阜県出身。)
福島県出身の五輪選手といってまず思い浮かべるのは、やはり東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉であろう。
東京五輪を控えた1961年に設立された自衛隊体育学校には、五輪などの国際大会出場を目指す第二教育課という特別な課がある。
重量挙げ五輪2連覇の三宅義信を始めとする、多くの五輪メダリスト、五輪選手を輩出した学校である。
東京五輪当時、円谷は自衛隊体育学校に所属し、三曹だった。
国立競技場のトラックに帰ってきた円谷は、もう限界だった。
残り200mでベイジル・ヒートリー(イギリス)に抜かれ、惜しくも銅メダルに終わったが、2時間16分22秒8のタイムは自己ベスト。
陸上では36年のベルリン五輪以来28年ぶりのメダルでもあった。
4年後のメキシコ五輪の金メダルに意欲満々であった円谷だったが、過度の練習から腰痛、さらには椎間板ヘルニアを発症。
1967年に手術を受けるも、以前のような走りを出来る状態ではなかった。
そして迎えたメキシコ五輪イヤーの1968年1月9日、カミソリで左頚動脈を切って自殺した。
周囲の期待の重圧と、走れない焦りが原因であるといわれている。
「おいしゅうございました」と家族への感謝を繰り返す遺書は悲しく、責任感が強く礼儀正しい円谷の人柄を偲ばせる。
「キューリ」というニックネームだったのがバレーボールの佐藤哲夫。
メキシコ銀、ミュンヘン金、モントリオール4位と3回の五輪に出場した。
身長198センチは、当時の全日本でも最長身であった。
富士フィルム総務部に勤務していた佐藤に一度あったことがあったが、凄まじくでかかった。
佐藤の子息佐藤浩貴は203センチ105キロある。
バレーボールの道には進まず、バスケットを選んだ。日本代表の経験もあるが、現在はbjリーグの滋賀レイクスターズに所属している。
競輪で賞金王に2度輝いた伏見俊昭は、アテネ五輪のチームスプリント銀メダリストである。
が、北京五輪ではケイリンに出場する。今年の伏見の世界選手権ケイリンは5位、世界選手権2連覇中のクリス・ホイ(イギリス)にどこまで迫れるか。