オリンピックエトセトラ

March 23, 2010

強化指定選手って一体いくらもらえるの?

先のバンクーバー五輪で、日本選手団は銀銅合わせて5個のメダルを獲得したものの、今大会躍進した中国・韓国と比べ、その環境はあまりにお粗末であると各メディアで話題になった。

JOCの選手強化費用は年間僅かに25億円にすぎず、

ドイツ274億円
米国 165億円
英国 120億円
中国 120億円
韓国 106億円

と、諸外国とは相当な開きがある。(数字はいずれも北京五輪に向けての強化費)
特にバンクーバーで躍進した韓国は、この1年に597億円を注ぎ込んだという説もある。

これに加えて、昨年暮れの政府の行政刷新会議による事業仕分けにより、平成22年度に文部科学省からJOCに降りる予算は25億8800万円と、21年度よりも1億2600円も下がることになった。

ところが、バンクーバー五輪閉幕直後 文部科学省のHPにこんな内容の文章がアップされたことをご存知だろうか。


平成22年度予算案における国際競技力向上関係の予算
(前略)スポーツ振興に関し、来年度のスポーツ予算が、事業仕分けの評価結果等を踏まえ、減らされたのではないかと懸念する声がありますが、事実関係は以下のとおりですので、ご説明します。まず、スポーツ関連予算全体ですが、来年度予算案では、過去最高となる227億円を計上しています。
また、国際競技力向上関係予算については、前年度20%(27億円)増の163億円を計上しています。(後略)

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▲文科省のHPより

図入りで説明が書かれているのだが、JOCへの補助金は、確かに1億円以上落ちている。
ところが、平成22年度に五輪でのメダルが有望な競技・種目を重点的に支援するという「チームニッポンマルチサポート事業」に18億8000万円の予算が取られている。
この事業の21年度の予算額は3億800万円だったから、来年度は実に6倍強の予算が付いたことになる。
また、同様に「次世代アスリート特別強化推進事業」に5億2700万円、「ジュニアアスリート支援プログラム」に2100万円の予算が取られ、これらの合計である「競技力向上ナショナルプロジェクト」全体で24億1200万円の予算が計上されているのだ。
選手強化関連予算は、単純にJOCへの助成金と合わせて約50億円となる。

そして、メダル獲得が有力な種目について海外の情報収集や医科学・栄養学の活用、トレーニング方法の開発など総合的に支援するマルチ・サポート事業については、対象を今年度の8競技から17競技に拡大し、支援を強化するとある。

事業仕分けが話題になっていた頃、あるいは苦戦したバンクーバー五輪の開催中に、日本のスポーツ予算がこんなに増えるとは思わなかった。

が、実際には、2009年末にはこの概要は大きく報道されていたのだ。

敢えてこのようにしているとまでは思わないが、スポーツ予算はわざと判りにくくしているのでは、と勘ぐりたくなる。

「事業仕分け」でも指摘されていたが、スポーツに対する財源が、国庫補助金、スポーツ振興基金、スポーツ振興くじ(toto)と3つあることが問題を判りにくくさせている。

例えば、JOCは各五輪競技に対し

毎月20万円支給する エリートA 
毎月10万円支給する エリートB 
毎月5万円支給する エリートユース

といった選手強化制度を作った。
これはスポーツ振興基金をその原資としている。
簡単にいうならば、エリートAに指定された選手には毎月20万円、エリートBには毎月10万円、ユースには毎月5万円の補助が支給されるというものだ。(さらにコーチ等にも補助が出る)

その一方で、各競技団体ごとにも、同じように強化指定選手が指定されているのだ。

例えば全日本スキー連盟(SAJ)スキー・ジャンプの場合

栃本翔平
岡部孝信
葛西紀明
伊東大貴

の今回の五輪代表だった5選手の内、4人の選手がJOCによりエリートAに指定されている。
(SAJではほかにAはスノーボードの選手が3名のみ、エリートBはひとりもいない)
この4名の選手に支給されるのは
それぞれ20万円×12ヶ月=240万円

一方、SAJのHPを見ると
ジャンプの場合、強化選手Aとして上記4人の選手のほかに
湯本史寿
渡瀬あゆみ
の2名が加えた6名の選手の名前がある。

さらに
強化選手B 19名
強化選手C 5名
ジュニアA 12名
ジュニアB 4名

の選手も指定されている。

SAJのHPによるとジャンプ強化事業支出は年間約5200万円

この金額から推測すると

強化選手A 毎月20万円
強化選手B 毎月10万円
強化選手C 毎月5万円
ジュニアA 1年間80万円
ジュニアB 1年間に40万円

といったの強化費が支給されているようだ(筆者による推測)。

すると、栃本翔平、岡部孝信、葛西紀明、伊東大貴の4選手はJOCとSAJと合わせて年間480万円の強化費を手にしている。
もちろん、所属の雪印や土屋ホームからの給与、さらにW杯のポイントによる賞金もあるので、年収はもっと多くなる。

ところが、JOCによるエリートA、エリートBは3か月ごとに見直されており、現在、いったい誰が指定されているかよく判らない。
JOCのHPに出ている一覧は2009年1月1日現在だ。
これでは1年以上も前の情報でしかないではないか。


3月16日こういったニュースが流れた。

日本陸連は16日の理事会で4月からの強化選手格付けを見直し、2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリスト、野口みずきが最高のS指定から外れてA指定となった。
現在のS指定は昨年8月の世界選手権で銀メダルの女子マラソンの尾崎好美、銅メダルの男子やり投げの村上幸史、男子ハンマー投げの室伏広治の計3人。

陸上競技では
Sランク:300万円
Aランク:200万円
Bランク:150万円
Cランク:60万円

の強化費が日本陸連から各選手に支給されている。
しかし、Aランク以下の選手に誰が該当しているのか、陸連のHPのどこを見ても書いていない。

一方、陸上にもJOC指定のエリートA・Bの選手がいる。
いったい誰か?
北京五輪400mリレー銅メダルを獲った4人の内、活動中の塚原直貴と髙平慎士がエリートA、競歩の山崎勇喜がエリートBであることは、検索すれば出てきており、指定されていることはほぼ間違いない。

ところが、JOCのHPにはエリートAとして末続慎吾の名前が出てくるのだ。
が、ご存知のように末続は現在休養中で、強化指定から外れている。
このことは新聞等でも報道されている。
そして、塚原、高平、山崎の他にも指定されている選手がいるかどうかは判らない。

スポーツ界は情報公開がずいぶんと遅れているようだ。

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December 10, 2009

米国オリンピック委員会の資金は なぜ潤沢なのか

国庫補助金縮減? 危機感を抱くスポーツ界の続き。

2010年のバンクーバー五輪を目前に控えて、米国オリンピック委員会(USOC)は、4年前のトリノ五輪を大幅に上回る強化費を競技団体に割り当てているという。
米国発の長引く不況の中、USOCはなぜ、こんなことが可能なのか。

USOCの2009年の予算は1億3550万ドル(約127億円)で、JOC(86億円)の約1・5倍。
バンクーバー五輪に対する強化費は、2009年の1650万ドル(約15億円)を含むこの4年間で5820万ドル(約54億円)を計上している。
ちなみにトリノ五輪時は、それぞれ1110万ドル(約10億円)、3750万ドル(約35億円)だった。

先のエントリーにあるように、JOCの年間選手強化費用は27億円。
ただし、この額は夏季競技、冬季競技を合計したものだ。
また米国の夏冬合わせた強化費は年間164億円。

実は、米国にはこんな「埋蔵金」があるのだ。

2016年夏季五輪の開催地の決まったコペンハーゲンでのIOC総会、ロゲ会長は、わざわざこんな話をして見せた。
関係者なら当然知っている話なのだが、わざわざ招致関連でIOC総会が注目されている中切り出した。
IOC 収入の各国の国内オリンピック委員会への配分に関してUSOCが極端に優遇されている。米国がIOCに支払う米国向けテレビ放送権料の12・75%、IOCの最高位のスポンサープログラム「TOP」収入の20%がUSOCに配分されている

米NBC放送が契約した2010・12年五輪の米国向け放送権料は22億ドル。
09~12年のTOP 収入は約8億8300万ドルに上り、USOCは09年から4年間で約4億5710万ドルもの莫大な金額をIOCから手にしている。
TOP企業からの収入のうち、米国以外の204カ国・地域へも同額の20%が配分されていることになっているのだが、JOCの収支を見てもどれがこれに該当するのか、よく判らない。
それだけ微々たる額に過ぎないということだ。

欧州のIOC議員を中心に、米国偏重への嫌悪感が高まっている。
その証拠は、2016年夏季五輪招致で、有力と見られていたシカゴが、最初の投票で消えたことでも判る。

Joc
▲JOCのHPより

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December 07, 2009

国庫補助金縮減? 危機感を抱くスポーツ界

JOCに対する国庫補助金が減額されるかもしれないことに、スポーツ界が危機感を抱いている。
日本代表選手の強化費用が、先の行政刷新会議による「事業仕分け」で「縮減」されようとしているのだ。

政府からの「国庫補助金」、自分にとってはいい記憶ではない。
というのも、今から約30年前、ソビエトという国で五輪が開かれようとしたときのことだ。
ソビエトのアフガニスタン侵攻に抗議し、モスクワ五輪をボイコットする、米国のカーター大統領が突然言い出した。
当時は東西冷戦の最中、米国追従の日本が、同調しないわけがない。
当時JOCが、政府からもらっていた国庫補助金が年間14億。
この14億の補助金の打ち切りを盾に、政府はJOCにボイコットを迫ったのだ。
そして、JOC総会に伊東正義官房長官(当時)を送り込み、圧力を掛け、JOCは挙手による採決でモスクワ五輪ボイコットを決定した。
「国庫補助金」というとまだこのときのことを思い出す。

この事態をきっかけにして、JOCはそれまで表裏一体だった日本体育協会から独立した。
が、2003年に元総理大臣の森喜朗氏が体協会長似就任、さらにJOC理事にも就くと、JOCは自民党に寄り添うようになる。
というのも、財政を念頭にしたためだ。

2004年に20億円を超えた国庫補助金は、空前のメダルラッシュに沸いた同年のアテネ五輪の好成績と併せ、さらに上昇、2008年には27億円を超えた。
1980年当時の2倍と、一見かなり増えたようにも見える。
が、諸外国と比べると、その貧弱さが目に余る。

ドイツ274億円
米国165億円
英国120億円
中国120億円
韓国106億円

と、桁が違うのである。
この根本的な理由について、毎日新聞12月4日付記事によると、

JOC幹部は「日本では『体育』という教育の一環として発展してきたスポーツが、欧米では文化であり、国民の福利厚生ととらえられている。健康増進、医療費削減の面からも重視されている」と話す。


とある。
いわば、「文化の相違」として片付けようとしているのだが、本当にそうだろうか?
実は、米国政府は、米国五輪委員会USOCに1ドルも出していないのだ。

(続きはこちら)
米国オリンピック委員会の資金は なぜ潤沢なのか

政府からJOCへの国庫補助金の推移(筆者調べ 空欄は不明)
(2008)27億3199万7733円.
(2007)22億6030万5056円
(2006)
(2005)約23億400万円
(2004)20億2587万9000円
(2003)19億2921万6000円
(2002)
(2001)
(2000)
(1999)15億2879万4000円
(1998)16億1040万6000円
(1997)18億1783万5000円
(1996)17億3962万1000円
(1995)
(1994)
(1993)
(1992)約16億300万
(1991)約15億336万
 ~
(1980)約14億円

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November 27, 2009

仕分け人氏は、主観でしかものを言えないぞ

政府の10年度予算概算要求のムダを洗い出す行政刷新会議の「事業仕分け」で25日、日本オリンピック委員会(JOC)など3団体への文科省からの補助金329600万円が「縮減」の評決を受けた。仕分け人の1人は「ボブスレーやリュージュ」など具体的な競技名も挙げ、「マイナースポーツに補助金をつぎ込んでもメダルに届かないのでは」と質問。文科省側は「マイナーと言われるのは残念だ」と強い調子で反論し、「暖かく見守ってほしい」と話した。「『五輪は参加することに意義がある』はずだったが、今はメダルに意義があるのか」とのやや的外れな質問も。文科省側は「人間の限界に挑戦することも子供たちに夢を与える」と理解を求めた。(日刊スポーツ11.26一部のみ)

この仕分け人の方々は、「マイナーな競技などやるな」と言いたいのだろうか?
どうやら主観でしかものを言えないようだ。
子ども(もちろん大人でもいいんだが)は、メジャーだから、マイナーだからで競技を選ぶわけじゃない。
その競技への純粋な興味から入っていくものだ。

だいたいマイナー競技っていうカテゴリーがあるわけでもない。
一生懸命な選手の気持ちを平気で踏みにじる言葉に腹が立つ。
そり競技なんて見たことないだろう。
ボブスレーとリュージュとスケルトンの違いを言ってみろってんだ。

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December 06, 2008

2008年スポーツマンオブザイヤーは誰だ?

アメリカの著名スポーツ誌「スポーツ・イラストレーテッド」は恒例の年間最優秀スポーツ選手(Sportsman Of The Year)に、競泳男子のマイケル・フェルプスを選出した。 23歳のフェルプスは北京五輪で前人未到の1大会8冠を達成。アテネ五輪での6個と合わせ、通算金メダル獲得数を史上1位の14個とした。

改めてフェルプスの2大会で獲得したメダルを確認しよう。
2004年 (金メダル)
100m バタフライ
200m バタフライ
200m 個人メドレー
400m 個人メドレー
4x200m フリーリレー
(銅メダル)
200m 自由形
4x100mフリーリレー

2008年 (全て金メダル)
4x100m メドレーリレー
200m 自由形
100m バタフライ
200m バタフライ
200m 個人メドレー
400m 個人メドレー
4x100m フリーリレー
4x200m フリーリレー
4x100m メドレーリレー

スポーツ・イラストレーテッド誌のマンオブザイヤーは1954年に始まった、世界でも最も権威のある賞のひとつだ。
プロスポーツ大国のアメリカの雑誌だけに、意外と五輪のヒーローは受賞していない。
例えば、ミュンヘン五輪の競泳7冠のマーク・スピッツ、レークプラシッド五輪5冠のエリック・ハイデン、生涯で9個の金メダルのカール・ルイス。
またアメリカ人以外の受賞も非常に稀である。
この20年間の受賞者は次のようになる。

○1988年
オーレル・ハーシュハイザー MLB投手当時ドジャーズ

○1989年
グレッグ・レモンド 自転車プロロードレース選手。
1986年、1989年、1990年にツール・ド・フランス個人総合優勝を達成したほか、1983年、1989年の世界選手権を制した。

○1990年
NFLジョー・モンタナ (カンザスシティチーフス)のQB

○1991年
マイケル・ジョーダン
言わずと知れたバスケットボールの神様。現役時代の背番号23はシカゴ・ブルズ、マイアミ・ヒート、ノースカロライナ大学の永久欠番になっている。
1984・1992年五輪バスケットボール金メダル

○1992年
アーサー・アッシュ アフリカ系テニス選手の先駆者として活躍したが、受賞の2ヵ月後、エイズのため49歳で死去した。1968年全米オープン、1970年全豪オープン、1975年ウィンブルドンで優勝し、4大大会男子シングルスで3勝を挙げた。

○1993年
ドン・シュラ NFLマイアミドルフィンズ監督

○1994年
ボニー・ブレア 史上最高の女子スピードスケート選手
1988年 500m
1992年 500m、1000m
1994年 500m、1000m
の5個の金メダルのほか1988年の1000mでは銅メダルを獲った。

ヨハン・オラフ・コス(NOR)
この年は2名が選ばれ、この20年間で唯一のアメリカ以外の国の選手、リレハンメル五輪の英雄コス(スピードスケート)が選出されている。
1992年 1500m
1994年 1500m、5000m、10000m
の4個の金メダルと1992年に1000mで銀メダルを獲った。

○1995年
MLBカル・リプケン・ジュニア (ボルチモア・オリオールズ)

○1996年
タイガー・ウッズ ゴルフ

○1997年
ディーン・スミス アメリカ大学バスケット界の名監督 ノースカリフォルニア大監督、1976年五輪アメリカ代表監督(金メダル)

○1998年
MLBマーク・マグワイア(シアトル・マリナーズ)/サミー・ソーサ(=シカゴ・カブス)
MLBの最多シーズンホームラン記録を作った。(ドーピングだけど)

○1999年
アメリカ女子サッカーチーム 地元開催の女子W杯優勝

○2000年
タイガー・ウッズ 2回目の受賞!

○2001年
MLB カート・シリング(ダイヤモンドバックス)/ランディ・ジョンソン(ダイヤモンドバックス=当時)

○2002年
ランス・アームストロング
自転車プロロードレース選手。精巣腫瘍との闘病の後、ツール・ド・フランスで前人未到の7年連続総合優勝(1999年から2005年)を達成した。
2000年五輪 男子個人ロードタイムトライアル銅メダル

○2003年
NBAティム・ダンカン(サンアントニオ・スパーズ)
2004年五輪銅メダル

デビッド・ロビンソン(サンアントニオ・スパーズ=当時)
1992・96年五輪バスケットボール金メダル
1988年五輪バスケットボール銅メダル

○2004年
MLBボストン・レッドソックス(チームとして)

○2005年
NFLトム・ブレイディ ニューイングランド・ペイトリオッツのQB

○2006年
NBAドウェイン・ウェイド(マイアミ・ヒート)
2004年五輪バスケット銅メダル
2008年五輪バスケット金メダル

○2007年
NFLブレット・ファーヴ(ニューヨーク・ジェッツ)のQB。

○2008年
マイケル・フェルプス
北京五輪競泳8冠。

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May 24, 2008

ブルガリア人相撲レスラー琴欧洲 ヨーロッパ人で初の天皇杯奪取

大関琴欧洲の初優勝を、AFP通信やロイター通信も東京発で欧州出身の相撲レスラーの優勝は初めてなどと報じた。

思い起こせば36年前、初の外国人力士の高見山の優勝も五輪イヤーだった。
1964年の東京五輪の年に入門した高見山は、1972年ミュンヘン五輪の年の名古屋場所で初優勝、ニクソン大統領(当時)からの祝電ももらった。
高見山から36年、アメリカ人4人、モンゴル人2人の優勝に続き、初めてヨーロッパ出身の力士が北京五輪イヤーに賜杯を手にした。

2006年から2007年にVリーグの東レに、ブルガリア代表のウラジーミル・ニコロフが所属していた。
数少ない在日ブルガリア人アスリートということで、琴欧洲とかなりの親交があったようだ。
ウラジーミル・ニコロフ200センチ、琴欧洲204センチ、2人でいると異様な光景だった。
それで、琴欧洲は少しでもごまかそうと、髷を隠すために帽子を被るのだが、ばればれだった。

●SOPHIA NEWS AGENCY
Bulgaria Sumo Wrester Kotooshu Wins Emperor's Cup

筆者の新刊発売中

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April 03, 2008

陸上競技で優勝を争う2人が同じ記録でゴールしたらどうなるか?

昨年大阪で行われた世界陸上大阪大会。
女子100m決勝は、2人が11秒01の同タイムとなる大接戦となったが、ベロニカ・キャンベル(ジャマイカ)が小差でローリン・ウィリアムズ(米)を制し優勝。0秒01差で3位にカーメリタ・ジーター(米)が入り、5位までが0秒04差内という壮絶なレースだった。同タイムで写真判定となった金と銀の差は、わずか数センチだった。

①V・キャンベル JAM 11.01
②L・ウィリアムズ USA 11.01
③C・ジーター USA 11.02
④T・エドワーズ USA 11.05
⑤Kim Gevaert BEL 11.05

陸上競技では1/100秒まで表示することは、競泳と同じだが、同着は認めず、写真判定で順位を決める。

五輪でも

1980年モスクワ五輪 男子100m
1.アラン・ウェルズ(英)10.25
2.シルビオ・レオナルド(キューバ)10.25

1996年アトランタ五輪 女子100m
1.ゲイル・ディバース(米)10.94
2.マリン・オッテイ(ジャマイカ)10.94

などのケースがある。
モスクワ五輪は、ご存知のように陸上王国アメリカが参加しなかった大会だ。
アメリカには、当時の世界ジュニア記録10.07を持っていたフロイト、ベストは10.07だったが、追い風参考で9.88を出したエースのサンフォードがいた。
が、モスクワ五輪に出ていてもウェルズに勝てたかは?だと思う。

当時28歳のウェルズは、このレース最後尾から一気に全員抜いて金メダルを獲る。
イギリスの新聞でも「Crazy」と書かれた。
まだ、カールルイスの登場前だが、200mはイタリアのピエトロ・メンネアが優勝したし、面白い五輪だった。

▼モスクワ五輪 男子100m

●参考記事
競泳で優勝を争う2人が同じ記録でタッチしたらどうなるか?

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競泳で優勝を争う2人が同じ記録でタッチしたらどうなるか?

1972年のミュンヘン五輪の400m個人メドレーは、スウェーデンのグンナール・ラーションが金メダルを獲得。200m個人メドレーと合わせて2冠を達成した。
ラーションは、4種目の自由形になってアメリカのティム・マッキーと壮絶なデットヒートを続け、場内の観衆にも、テレビで見ていた人にも同時にタッチしたかに見えた。
記録の表示される会場の電光掲示板に視線が集まった。4分31秒98 ラーション、マッキー2人とも同じ数字が並ぶ。しばらく止まったままだった。
そして、ラーション4分31秒981、マッキー4分31秒983。
場内は一瞬おいて、ハチの巣をつついたような騒ぎとなった。
わずか2/1000秒差。
ラーションの金メダル、マッキーの銀メダルが確定した。

ミュンヘン五輪から、本格的に電気計時が導入された。
電気計時に大会運営側が慣れていなく、1/1000秒台で勝負が決まることを想定していなかったのだ。
果たして0.002秒差に順位をつけることにどこまで意味があるのか。
400m個人メドレーの場合、2/1000秒差というとわずか3ミリ位の差でしかない。
このレースが契機となってルールは改正され、1/100秒まで同タイムの場合は、同着とされた。

その後五輪の水泳決勝で金メダルが同着となったことが2回ある。

2000年シドニー五輪 男子50m自由形
1.アンソニー・アービン(米) 21.98
1.ゲイリー・ホールjr(米) 21.98

1984年ロサンゼルス五輪 100m自由形
1.ナンシー・ホグスヘッド (米)55.92
1.キャリー・スタインサイファー (米)55.92

どちらも両者金メダルとなった。

●参考記事
陸上競技で優勝を争う2人が同じ記録でゴールしたらどうなるか?

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April 01, 2008

北京五輪は香港との分離開催だった

1956年のメルボルン五輪は、2000年のシドニー五輪に先駆けて、初めて南半球で開催された五輪だ。そのため思わぬ事態が起きた。
それまで北半球で開催されてきた五輪は、北半球においての夏の開催が多かったが、南半球のメルボルンでは7~8月は当然真冬だ。
メルボルンの夏である1~2月にすれば冬季五輪とぶつかる。そのため11~12月という変則的な時期に開催された。
そして検疫問題。オーストラリアは、動物の種を守るために検疫が非常に厳しかった。
他国から馬術競技の馬を持ち込むのに6ヶ月も待たされた。そのため、馬術競技だけは、スウェーデンのストックホルムでの単独開催になった。しかも、メルボルン五輪開幕の半年前である6月に開催された。
五輪史上稀な分離大会である。

北京五輪も実は分離大会になる。やはり馬術競技が、香港で行われるのだ。
1997年までイギリスの植民地であった香港は、国際的な競馬場があり検疫体制が確立している。そのため、北京五輪組織委員会がIOCに香港開催を求めていた。
イギリスからの返還10年になる香港で一部競技を実施することによって、中国本土との一体感を強めようとの思惑もありそうだ。

さて、香港は中国に復帰しているのだから、「分離開催ではない」と思われる方もあるだろう。
ところが、香港には香港五輪委員会があり、独自にIOCに加盟している。
現在、国連に加盟している国は192。これ以外には、国家としての体裁はあっても国際社会に承認されていない国がある。
一方、IOCに加盟しているNOCは205ある。
NOCと言うのは、国際オリンピック委員会IOC (International Olympic Committee)に対してJOCのような組織を、国内オリンピック委員会 NOC (National Olympic Committee)と呼んでいる。
中国も中華人民共和国、台湾(ChineseTaipei)、香港それぞれにNOCがあり、独自に五輪に選手団を派遣している。
さらに昨年7月には「チベット・オリンピック委員会」が、スイスで誕生し、独自に北京五輪参加を求めた。が、IOCにより却下された。
チベットは中国の自治区の一つで、IOCはこのような独自のNOCを認めていない、というのがその理由だ。
さらに、マカオにも五輪委員会がある。マカオは、アジア・オリンピック評議会(OCA)の一員として中国五輪委から独立して活動しおり、アジア競技大会や東アジア大会には参加しているも。
が、IOCには未加盟のため、マカオ代表として北京五輪出場はできない見込みだ。

ほかにも、アメリカにはUSOC(アメリカオリンピック委員会)のほかに、グアム、プエルトリコにもNOCがある。イギリス領バージン諸島や、オランダ領アンティル等も独自に五輪に参加している。
逆に英国にあるのはBOA(英国オリンピック委員会)のみで、イングランド、スコットランド、ウェールズなどにNOCはない。

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March 31, 2008

Q.国王がオリンピックで金メダルを獲ったことがある?

五輪の開会式では開会宣言がされる。
五輪憲章には明確に「開催国の国家元首によっておこなわれる」と規定されており、国王、大統領もしくは準じる立場の方が開会宣言を行っている。

1936年のガルミッシュパルテンキルヘン冬季五輪とベルリン五輪ではアドルフ・ヒトラーが行い、五輪史の汚点のひとつである。

開会宣言の内容は、オリンピック憲章第69条の規定で定められており「私は、第○回近代オリンピアード競技大会の開会を宣言する」といったものだ。
同時多発テロの翌年である2002年ソルトレークシティ冬季五輪の開会式で、米ブッシュ大統領は宣言の前に「誇り高く、優雅なこの国を代表して」と政治的色彩のある言葉を付け加え、波紋を招いた。
 
東京五輪以降の開会宣言を行った人物の一覧は下記のようになる。

1964年 昭和天皇
1968年 グスタボ・ディアス・オルダス
1972年 グスタフ・ハイネマン西ドイツ連邦大統領
1976年 エリザベス2世
1980年 レオニード・ブレジネフソ連共産党書記長
1984年 ロナルド・レーガン大統領
1988年 盧泰愚大統領
1992年 スペイン国王フアン・カルロス1世
1996年 ビル・クリントン大統領
2000年 ウィリアム・ディーン総督
2004年 ステファノプロス大統領
2008年 胡錦涛国家主席(予定)

1976年のモントリオール五輪。 
英連邦を構成し、英国王を元首とするカナダは、エリザベス女王が開会宣言を行った。
同じ英連邦の2000年シドニー五輪では、総督としてオーストラリアに派遣されていたウィリアム・ディーン総督が勤めた。

この宣言を行った人物の中に、自身も五輪選手だった人がひとりいる。
スペイン国王フアン・カルロス1世だ。

ヨットのスペイン代表選手としてミュンヘン五輪で15位という結果がある。
また、同じくスペイン王室のクリスチーナ王女、フェリペ皇太子もそれぞれソウル五輪とバルセロナ五輪に出場している。

バルセロナ五輪の開会式で、スペイン選手団の旗手を務めたフェリペ皇太子は、ヨット・ソリング級で6位だった。が、カタルーニャ人のパートナーと3年間一緒に練習し続け、選手村で一般選手と同じ生活をするなど、対立しているスペインとカタルーニャの融和に努めた活躍は、金メダル級と評価されている。

アマチュアスポーツの「象徴」だったIOCは、王族にとって格好の活動の場だった。
一方、王族委員はIOCの権威を高めるのに役立った。

他の王室関連でも、モナコのアルベール王子は、リレハンメル五輪にボブスレー2人乗りに出場。
英国のアン王女は、モントリオール五輪に、乗馬の代表選手として出場している。

だが、最も凄いのは、1960年のローマ五輪のヨット・ドラゴン級で金メダルを獲得したギリシャ国王コンスタンティノス2世だろう。
ギリシャ最後の国王で、現在はロンドンに住むが、即位前だったとはいえ、王様の金メダルは史上唯一だ。

そういえば、クウェートの王子とかいうのもいたのだが…。

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