陸上

August 19, 2013

世界陸上男子4×100mリレーの記録(1983~2013)

昨日まで開催されていた世界陸上モスクワ大会。日本勢は、女子マラソンの福士加代子が銅メダルを獲得。女子マラソンの木崎良子(4位)、女子10000mの新谷仁美(5位)、男子20km競歩の西塔拓己(6位)、男子棒高跳の山本聖途(6位)、男子ハンマー投の室伏広治(6位)、男子マラソンの中本健太郎(5位)、男子4×100mリレー(6位)が入賞した。日本チームの入賞数8つは01年・03年・05年に並び最多タイとなる。

*世界陸上男子4×100mリレーの記録(1983~2013)

●2013年 決勝6位 38.39
桐生、藤光、高瀬、飯塚
予選 38.23
桐生、藤光、高瀬、飯塚

●2011年 予選 9位 
小林、江里口、高平、斎藤

●2009年 決勝4位
江里口、塚原、高平、藤光
予選 38.53
江里口、塚原、高平、藤光

●2007年決勝5位 38.03(日本記録)
塚原、末続、高平、朝原
準決勝 38秒21
塚原、末続、高平、朝原

●2005年 決勝8位 38.77
末續慎吾、高平慎士、吉野達郎、朝原宣治
準決勝 38.46 
朝原宣治、高平慎士、吉野達郎、末續慎吾

●2003年 決勝6位 39.05
土江、宮崎、松田、朝原
準決勝 38.58
土江、宮崎、松田、朝原

●2001年 決勝5位 38.96
松田、末続、藤本、朝原
準決勝 38.54
松田、末続、藤本、朝原

●1999年 朝原の故障のためエントリーせず

●1997年 5位 38.31(準決勝敗退 当時の日本記録)
井上 悟、伊東浩司、土江寛裕、朝原宣治

●1995年 決勝5位 39.33
鈴木、伊東、井上、伊藤
準決勝 38.67
鈴木、伊東、井上、伊藤

●1993年 7位 39.01(準決勝)
小野原、杉本、井上、伊東

●1991年 6位 39.19(準決勝)
井上、杉本、奥山、山下

●1987年 5位 39.71(準決勝)
松原、大田、名倉、不破

●1983年 エントリーせず
*1991年までは4年に一度の開催

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August 12, 2013

張培萌 日本記録10秒00に並ぶ 男子100m

世界陸上モスクワ大会第2日目 男子100m決勝で、世界記録保持者のウサイン・ボルト(ジャマイカ)が今季自己最高の9秒77のタイムで2大会ぶり2度目の優勝を果たした。

ボルトが勝ったことに特に感慨はないが、ショックだったのは中国の張培萌が準決勝で10秒00の中国新記録を出し、決勝進出を逃したものの(5位)、日本記録に並んだことだ。

伊東浩司さんがアジア大会の準決勝で10秒00を出したのは1998年のこと。
伊東さんの後も朝原、末続、塚原。そして山縣、桐生と9秒台を伺う選手が次々に現れるが、今回山縣、桐生は準決勝に進めなかった。
一方中国は、26歳の張培萌が、予選で4月に自身がマークした中国記録に並ぶ10秒04を出し、4組1着。
23歳の蘇炳添は10秒16で6組4着だったが、4着以下の選手では最も速いタイムで予選を通過した。
 
アジアの国籍を持つ唯一の9秒台の選手は、アフリカ生まれのカタール人 サミュエル・フランシス。
今大会でも予選は、10秒21ながら準決勝までは駒を進めている。
ただ、フランシスの自己ベスト9秒99でも、その記録は世界歴代80位にしかならないのだ。

100mのアジア記録のベスト12を作ってみた。
12人の内日本人選手が7。
数の上では日本人が圧倒している。

面白いのはカザフスタンのヴィタリー・サビン。
1991年にソ連が崩壊した後は、カザフスタン代表で10秒06を出した選手だが、なんと1988年のソウル五輪ではソ連代表として4×100mリレーに出場、金メダルを獲っている。
この時代、リレーといえばジャマイカでなく米国の独壇場。
予選4組に出場した米国は、第三走者とアンカーのバトンパスが、オーバーゾーンとなって失格した。
当時の大スターカール・ルイスは、予選は走らず、決勝のみアンカーを務める予定だったが、走る機会すらなく、この大会2冠に終わっている。

Best12

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August 04, 2012

山県亮太100mで日本人五輪最高記録

男子100m予選が行われ、20歳の山県亮太(慶大)が日本歴代4位に並ぶ10秒07の好タイムで、5日の準決勝に進んだ。五輪同種目での日本勢の準決勝進出は、2000年シドニー大会での伊東浩司以来12年ぶり。江里口匡史は10秒30で2組6着に終わり敗退した。

●五輪陸上100m日本人選手ベスト13
①10秒07 山県亮太 2012年1次予選
②10秒16 朝原宣治 1996年準決勝5位
②10秒16 塚原直貴 2008年準決勝7位
④10秒19 朝原宣治 1996年2次予選
④10秒19 末續慎吾 2004年2次予選
⑥10秒23 塚原直貴 2008年2次予選
⑦10秒24 朝原宣治 2004年2次予選
⑧10秒25 伊東 浩司 2000年1次予選
⑧10秒25 朝原宣治 2008年1次予選
⑩10秒27 末續慎吾 2004年1次 予選
⑪10秒28 朝原宣治 1996年 1次 予選
⑫10秒30 江里口匡史 2012年1次予選
⑬10秒33 朝原宣治 2004年1次予選
⑭10秒34 飯島秀雄 1968年準決勝

1996年以降の記録が並ぶ中、1968年メキシコ五輪の飯島秀雄の10秒34は特筆に値する。

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January 03, 2012

箱根駅伝に名を残す日本初の五輪選手 金栗四三

今年の箱根駅伝は東洋大学が優勝し、最優秀選手の柏原竜二に金栗四三杯が贈呈された。
金栗四三は、日本初の五輪選手として知られているが、箱根駅伝の誕生に尽力し、2004年から最優秀選手に金栗の名を冠した賞が贈られることになった。

近代五輪の第1回が行われたのが1896年。
日本が初めて五輪に参加したのは、その16年後の1912年、第5回ストックホルム五輪である。
最初の日本選手団はたったの4名だった。
柔道の創始者として知られる嘉納治五郎・大日本体育協会(日本体協の前身)会長、大森兵蔵同総務理事を役員に、選手は陸上短距離の三島弥彦(東大)とマラソンの金栗四三(東京高師=現筑波大)の2人だけだった。
ストックホルムと言えばスウェーデンの首都。
仮に今年ストックホルムで五輪開催となれば、日本選手団はチャーター便でひとっ飛び…となるところだが、1912年当時、彼ら選手団はどうやって移動したのだろうか。
ちなみに、ライト兄弟の世界初の動力飛行成功が1903年のことである。
そのわずか9年後となれば、当然、日本からヨーロッパへの移動に飛行機が浸透しているわけもなく、鉄道か船を利用するしかなかった。

三島・金栗の両選手は、自腹でストックホルムに向かっている。
まず5月16日に新橋駅を出発し、敦賀から船でウラジオストクへ向かう。そしてシベリア鉄道でサンクトペテルブルクまで行き、さらに船に乗ってようやくストックホルムに到着。かかった時間、実に18日間。
短距離選手の三島はまず100m予選に出場し、最下位で落選。
続く200m予選も敗退した。
3種目目の400m予選では、3人が棄権したため、2位で準決勝に進出を果たしたが、疲労のため結局棄権した。

一方、マラソン代表の金栗は、当時のマラソン世界記録保持者だったが、32キロ地点で日射病のために倒れ、民家で一晩介抱された。
当時は極東から来た選手が行方不明になったと話題になり、時の人にもなっている。

ちなみに金栗には、後日こんなエピソードがある。五輪開催から55年後の1967年、ストックホルム市は五輪開催55周年記念祭を開き、「消えた日本人」こと金栗老人を招待した。
76歳になっていた金栗は、かつてのゴール地点に案内されて10m手前から走ってゴールする。
そこに場内放送が流れた。
「第5回ストックホルム五輪マラソン競技は完全に終了しました」
タイムは、54年と8ヶ月6日5時間37分20秒3
その後の会見で、金栗老人はこんな素晴らしいスピーチを披露した。

「長い道中でした。途中で孫が5人もできました」。

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September 21, 2011

国立競技場改修へ 1

文部科学省は国立競技場の改修に向けて、2012年度予算案の概算要求に調査費を盛り込むという。
これによって東京都が立候補を表明した2020年夏季五輪のメインスタジアムは、晴海ではなく国立競技場の改修となる。

2016年招致の際には、国立ではなく新スタジアムの新設という計画を立てた。
というのも、近年の五輪メインスタジアムは収容8万人、陸上競技のための直走路・曲走路は9レーンが必要だ。
さらに400mトラックのサブトラックも必要となる。

現在の国立競技場は収容人数は5万4000。
直走路・曲走路はともに8レーン。
これを9レーンに拡げることは構造上できないため、全面的な立替が必要となる。
また、サブトラックは空いている土地がないため、おそらく同じく国立である秩父宮ラグビー場を改修することになる。
2016年招致計画にあった晴海の新スタジアムは何故だめなのだろうか。
建設費900億円。
海外から1億ドルのスタジアムと揶揄されていた晴海スタジアムは、3方を海に囲まれている。
そのため震災に遭遇したら避難することが難しい。
大震災以降、海外から「日本=地震」と見られているため、地震に関することは必要以上に神経質になる必要がある。

そして、晴海のスタジアムは東京都が建設することになっていた。
これが「国立競技場の改修」という形になれば、改修費が800億〜1000億円かかったとしても、東京都の負担はなくなり、都民の理解を得やすい利点がある。

2009
●2009年に世界陸上を開いたベルリンのオリンピアシュタディオン。
1936年のベルリン五輪のメイン会場だが、直走路は9レーンに改修した。
上の方に400mのサブトラックが見える。

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September 04, 2011

侮れなかったはずの韓国人選手は 大邱で活躍できたのか?

筆者は2009年のベルリン世界陸上の際に、2011年大邱世界陸上開催 韓国の陸上は侮れないぞという記事を書いた。
そのとき名前を挙げた選手は下記の4名。
いずれも日本人選手並みか、それ以上の実力の持ち主だ。

キム・ユスク 棒高跳び
ジュン・スンオク 女子走り幅跳び
キム・ドクヒョン 三段跳び・走り幅跳び
パク・ジェミョン やり投げ


彼等の今大会の結果はどうだったろう


キム・ユスク 
棒高跳び 5m20 予選B組最下位

ジュン・スンオク 
女子走り幅跳び 6m18予選B組14位

キム・ドクヒョン
走り幅跳び 8m02で予選突破するも 三段跳びの予選中に故障し、走り幅跳びの決勝は辞退。

パク・ジェミョン 
やり投げ 今季80m19を投げるもチョン・サンジンに韓国代表を奪われ出場できず。そのチョン・サンジンは72m03で予選18位敗退。

なんでも大会前韓国は10種目で10位以内との目標を掲げていたらしいが、中国、日本を上回る63人の選手が今回の世界陸上に参加し、入賞したのは20㎞競歩のキム・ヒョンスが6位、50㎞競歩のパク・チルソンが7位の2選手に留まった。

バルセロナ五輪マラソン金メダルの黄永祚、アトランタ五輪マラソン銀メダルの李鳳柱。
韓国陸上界の2大ランナーだ。
五輪ではこの二人のように実績を残している選手もいる。
が、世界陸上ではなかなか活躍できない。
世界陸上で韓国人選手の最高成績は、キム・ジェリョンが1993年の男子マラソンで記録した4位。
10位以内に入った選手は、男子走り高跳びのイ・ジンテク(97年8位、99年6位)、女子砲丸投げのイ・ミョンソン(99年10位)、先のキム・ドクヒョンは三段跳びで9位に入った実績がある。(2007年)

大邱大会は、陸上競技に実績のない韓国が、W杯で造ったスタジアムの有効活用に招致した大会である。
地の利を利用してもう少し活躍すると思ったが、陸上競技は奥が深い。


朝鮮日報などによると、韓国の陸上界は底辺拡大のための持続的な投資は全くといっていなかったという。

現在の陸上競技登録人口は日本が26万人弱に対し、韓国は6542人。

韓国の場合は、全ての競技がわずかばかりのトップ層しか選手登録しないのだが、あまりに選手層が薄い。これでは優秀な選手を発掘・育成などできないだろう。

その数少ない韓国トップクラスの選手は契約金1億ウォン(約716万円)に加えて8000万ウォン(約572万円)ほど年俸が支給され、国内の大会では成績に応じて褒賞金が用意されている。

陸上競技はヨーロッパが本場、単身本場の競技会を回ってくるくらいのことをしないと強くはなれない。
にも拘らず、報奨金を得ることの出来ない国際大会には関心はないというのが現実のようだ。

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August 30, 2011

ボルトは0.104秒早かった 過去のフライングのトラブルから考える

IAAFの公式サイトには、100m決勝でフライングし、失格となったボルト、同準決勝でフライング失格となったチェンバース、女子400m予選で失格となったクリスティーン・オフルオグの反応タイムが公開されている。

それによると

ウサイン・ボルト(JAM) -0.104秒
ドゥエイン・チェンバース(GBR) -0.137秒
クリスティーン・オフルオグ(GBR) -0.340秒


いずれもマイナスになっているのは、スタートのピストルがなる前に飛び出していることを示す。
詳しくいうと、例えプラスであっても、スタートのピストル音が鳴ってから0.100秒未満の反応時間を示すとフライングと判定される。
というのも、人は音を聞いてから反応まで、最低でも0.1秒はかかるとされているためだ。

陸上競技ファンならば恐らくパリ大会のドラモンドを覚えているだろう。
2003年世界陸上パリ大会の男子100m2次予選で、ジョン・ドラモンド(米国)、アサファ・パウエル(ジャマイカ)の2選手がフライングにより失格となった。

ドラモンドは、これを受け入れることができず、コースに寝転がるなどして抗議した。
後に公表された数字によると、ドラモンドの反応時間は0.052秒、パウエルは0.086秒。
いずれも+であるが、0.1秒以内の反応ということでフライングと判断された。
さらに、ドラモンドはこのときの態度が悪かったとして、IAAF主催の競技会から追放、という重いペナルティを受けた。

スターティングブロックの計器は、大会スポンサーであるSEIKO製。
ドラモンドは、SEIKOに抗議するも覆ることはなかった。


このときのドラモンドのフライングは、ピストルがなる前からの足のぐらつきに計器が反応して、フライングと判定されたという説もある。
が、パリ大会を通して同様の計器の誤作動は報告されていないため、説得力に欠ける。
なお、このときドラモンドは36歳になるひと月前、このときまで個人での世界タイトルは獲っておらず、パリ大会を最後のチャンスと捉えていた。
結果、有力選手を欠いたパリ大会の優勝タイムはキム・コリンズ(月曜日に銅メダルを獲ったあの選手)の10秒07。
ドラモンドにとってはなんとも口惜しい大会となったことだろう。

ドラモンドは1993年のモナコグランプリの100mに0.100秒で反応したという記録も残っており、驚異的な反応時間の持ち主であったらしいことは確かだ。


記録を調べていくと、1994年の広島アジア大会の男子100m決勝では、何とスタートを5度やり直している。
第7レーンの選手が2度続けてフライングを犯して失格(当時のルールによる)。
その後、3回続けてフライング判定装置が誤作動し、そのたびにリコールスターターがピストルを撃ってやり直しをし、6回目のスタートでやっと競技が成立した。
そのときの結果はこうだった。

●1994年広島アジア大会男子100m決勝
①タラル・マンスール (カタール)  10秒18(大会新)
②サ ビ ン (カザフスタン)10秒29
③陳 文 忠 (中  国)   10秒38

マンスールは、1986・90・94年とアジア大会を3連覇した大選手で、この状況の中でも大会新記録を出した。
4位に入った井上悟が、「経験の差はなんともし難い」といったようなことを覚えている。

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August 29, 2011

36歳 室伏広治の金メダルまでの軌跡

大邱で開催中の世界陸上3日目、ハンマー投げの室伏広治が81.24mで優勝した。
36歳
アテネ五輪金メダルの室伏だが、世界陸上での金メダルは初めて。

室伏と世界陸上というと、僕は1991年の東京大会を思い出す。
東京大会の舞台となった国立競技場に、織田ポールがあるのをご存じだろう。
この織田ポールに掲揚されるIAAF旗を持って場内を1周した6人の高校生の中に、室伏広治がいたのだ。

当時室伏は成田高校の2年生。
アジアの鉄人といわれた重信氏の長男として小さいころからその将来を嘱望されていたが、この年 高校総体と国体のハンマー投げを制し、大物の片鱗を見せていた。

それから20年、室伏は五輪に続いて世界陸上でも表彰台の真ん中に立った。

室伏と同じくこの年の国体を制した選手には
走り高跳び 太田陽子
200m 北田敏恵
10000m 早田俊幸
の名前がある。
また、高校総体には渡辺康幸の名前もある。

それを考えると室伏の選手寿命の長さ、超人ぶりが判るというものだ。


●室伏広治の主な大会の記録
2011年 世界陸上大邱 ①81.24m
2010年 広州アジア大会 不参加
2009年 世界陸上ベルリン 不参加
2008年 北京五輪 ⑤80.71m
2007年 世界陸上大阪 ⑥80.46m
2006年 ドーハアジア大会 不参加
2005年 世界陸上ヘルシンキ 不参加
2004年 アテネ五輪 ①82.91m
2003年 世界陸上パリ ③80.12m
2003年 自己ベスト 84.86m 世界歴代5位だが、事実上世界記録みたいなものだ
2002年 釜山アジア大会 ①78.72m
2001年 世界陸上エドモントン ②82.92
2000年 シドニー五輪 ⑨76.60m
1999年 世界陸上セビリア 予選14位75.18m
1998年 バンコクアジア大会 ①78.57m
1997年 世界陸上アテネ ⑩74.82m
1995年 世界陸上イエテボリ 予選16位67.06m

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スタート前に静まり返った大邱スタジアム

1988年ソウル五輪の100mで、ベン・ジョンソンと金メダルを争ったカール・ルイスが、「ソウル五輪100メートル決勝のスタートラインに立ったとき、7万人の観衆がどれだけ騒がしかったかをよく覚えている。本当に耐えられなかった。韓国人は、自分が経験した中では最悪の観衆だった」と自叙伝に書いていたことは、以前のエントリーで照会した。

大邱世界陸上の100m決勝スタート前に、スタジアムはどういった状態になるのか、興味があった。
選手がスタートラインに着くと、場内のアナウンスは
「シーーー」
一瞬にしてスタジアムを黙らせてしまった。

ソウル五輪から二十余年
韓国の観客も変わったようだ。


変わったといえばスタートの際の合図。
陸上競技の世界では、これまで現地のことばで行ってきていた。
日本であれば
『位置について ヨーイ』
というお馴染みのあれだが、

ソウル五輪当時は
チェジャリエ チャリオ
というなかなか馴染めない韓国語で行われた。
が、今回
『OnYour Mark GetSet』
と英語で行われている

これは2006年から
IAAFが、世界陸上、五輪、W杯等の主催競技においては「英語で統一する」としたためだ。
ローカルな大会では、これまで通り現地語で構わないのだが、日本では2010年から日本選手権でも『OnYour Mark GetSet』
に変更されている。

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August 28, 2011

ウサイン・ボルトがフライング1回で失格 これって厳しいな

大邱で開催中の世界陸上、注目の男子100mは世界記録保持者のウサイン・ボルト(ジャマイカ)がフライングで失格、ヨハン・ブレーク(同)が9秒92で勝った。
何ともいえない空虚感を感じる。
世界中の陸上ファンが見たかったのは、フライングに頭を抱えながら退場するボルトの姿ではないだろう。


大邱で、選手もテレビ視聴者も惑わしているのがこの1回フライングだ。
予選・決勝を問わず、フライングを犯した選手が、即失格となる。


一昨年までのルールでは、フライングは1レース全体で1度だけ許され、2度目からは誰が犯しても、その選手が失格となっていた。
もっと言えば、2003年1月以前は、1選手に1度ずつフライングは認められており、同一選手が2度目のフライングした場合に失格となっていた。
1回フライングを導入した背景について、IAAFはこう説明する。
『1度目はフライング覚悟で故意に早いスタートをする選手がいたため、改善が検討されていた。』
さらには、フライングを繰り返し、いたずらに放送時間を伸ばさないためのテレビ向け配慮もあるようだ。

実は、昨日もこの1回フライングに泣いた大物選手がいる。
クリスティーン・オフルオグ(英国)
北京五輪の女子400mの金メダリストだが、大邱では予選でフライング、一度も走ることなくピッチを去った。

新ルール採用を巡って
「これまでのルールでは、1回目は『やった者勝ち』。それを考えると、1回で失格の方が公平だしすっきりする」
とある有名選手は感想を述べていたが、まさか世界陸上の決勝で、ボルトがやってしまうとは思わなかっただろう。

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