陸上

August 04, 2012

山県亮太100mで日本人五輪最高記録

男子100m予選が行われ、20歳の山県亮太(慶大)が日本歴代4位に並ぶ10秒07の好タイムで、5日の準決勝に進んだ。五輪同種目での日本勢の準決勝進出は、2000年シドニー大会での伊東浩司以来12年ぶり。江里口匡史は10秒30で2組6着に終わり敗退した。

●五輪陸上100m日本人選手ベスト13
①10秒07 山県亮太 2012年1次予選
②10秒16 朝原宣治 1996年準決勝5位
②10秒16 塚原直貴 2008年準決勝7位
④10秒19 朝原宣治 1996年2次予選
④10秒19 末續慎吾 2004年2次予選
⑥10秒23 塚原直貴 2008年2次予選
⑦10秒24 朝原宣治 2004年2次予選
⑧10秒25 伊東 浩司 2000年1次予選
⑧10秒25 朝原宣治 2008年1次予選
⑩10秒27 末續慎吾 2004年1次 予選
⑪10秒28 朝原宣治 1996年 1次 予選
⑫10秒30 江里口匡史 2012年1次予選
⑬10秒33 朝原宣治 2004年1次予選
⑭10秒34 飯島秀雄 1968年準決勝

1996年以降の記録が並ぶ中、1968年メキシコ五輪の飯島秀雄の10秒34は特筆に値する。

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January 03, 2012

箱根駅伝に名を残す日本初の五輪選手 金栗四三

今年の箱根駅伝は東洋大学が優勝し、最優秀選手の柏原竜二に金栗四三杯が贈呈された。
金栗四三は、日本初の五輪選手として知られているが、箱根駅伝の誕生に尽力し、2004年から最優秀選手に金栗の名を冠した賞が贈られることになった。

近代五輪の第1回が行われたのが1896年。
日本が初めて五輪に参加したのは、その16年後の1912年、第5回ストックホルム五輪である。
最初の日本選手団はたったの4名だった。
柔道の創始者として知られる嘉納治五郎・大日本体育協会(日本体協の前身)会長、大森兵蔵同総務理事を役員に、選手は陸上短距離の三島弥彦(東大)とマラソンの金栗四三(東京高師=現筑波大)の2人だけだった。
ストックホルムと言えばスウェーデンの首都。
仮に今年ストックホルムで五輪開催となれば、日本選手団はチャーター便でひとっ飛び…となるところだが、1912年当時、彼ら選手団はどうやって移動したのだろうか。
ちなみに、ライト兄弟の世界初の動力飛行成功が1903年のことである。
そのわずか9年後となれば、当然、日本からヨーロッパへの移動に飛行機が浸透しているわけもなく、鉄道か船を利用するしかなかった。

三島・金栗の両選手は、自腹でストックホルムに向かっている。
まず5月16日に新橋駅を出発し、敦賀から船でウラジオストクへ向かう。そしてシベリア鉄道でサンクトペテルブルクまで行き、さらに船に乗ってようやくストックホルムに到着。かかった時間、実に18日間。
短距離選手の三島はまず100m予選に出場し、最下位で落選。
続く200m予選も敗退した。
3種目目の400m予選では、3人が棄権したため、2位で準決勝に進出を果たしたが、疲労のため結局棄権した。

一方、マラソン代表の金栗は、当時のマラソン世界記録保持者だったが、32キロ地点で日射病のために倒れ、民家で一晩介抱された。
当時は極東から来た選手が行方不明になったと話題になり、時の人にもなっている。

ちなみに金栗には、後日こんなエピソードがある。五輪開催から55年後の1967年、ストックホルム市は五輪開催55周年記念祭を開き、「消えた日本人」こと金栗老人を招待した。
76歳になっていた金栗は、かつてのゴール地点に案内されて10m手前から走ってゴールする。
そこに場内放送が流れた。
「第5回ストックホルム五輪マラソン競技は完全に終了しました」
タイムは、54年と8ヶ月6日5時間37分20秒3
その後の会見で、金栗老人はこんな素晴らしいスピーチを披露した。

「長い道中でした。途中で孫が5人もできました」。

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September 21, 2011

国立競技場改修へ 1

文部科学省は国立競技場の改修に向けて、2012年度予算案の概算要求に調査費を盛り込むという。
これによって東京都が立候補を表明した2020年夏季五輪のメインスタジアムは、晴海ではなく国立競技場の改修となる。

2016年招致の際には、国立ではなく新スタジアムの新設という計画を立てた。
というのも、近年の五輪メインスタジアムは収容8万人、陸上競技のための直走路・曲走路は9レーンが必要だ。
さらに400mトラックのサブトラックも必要となる。

現在の国立競技場は収容人数は5万4000。
直走路・曲走路はともに8レーン。
これを9レーンに拡げることは構造上できないため、全面的な立替が必要となる。
また、サブトラックは空いている土地がないため、おそらく同じく国立である秩父宮ラグビー場を改修することになる。
2016年招致計画にあった晴海の新スタジアムは何故だめなのだろうか。
建設費900億円。
海外から1億ドルのスタジアムと揶揄されていた晴海スタジアムは、3方を海に囲まれている。
そのため震災に遭遇したら避難することが難しい。
大震災以降、海外から「日本=地震」と見られているため、地震に関することは必要以上に神経質になる必要がある。

そして、晴海のスタジアムは東京都が建設することになっていた。
これが「国立競技場の改修」という形になれば、改修費が800億〜1000億円かかったとしても、東京都の負担はなくなり、都民の理解を得やすい利点がある。

2009
●2009年に世界陸上を開いたベルリンのオリンピアシュタディオン。
1936年のベルリン五輪のメイン会場だが、直走路は9レーンに改修した。
上の方に400mのサブトラックが見える。

Iaafclass


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September 04, 2011

侮れなかったはずの韓国人選手は 大邱で活躍できたのか?

筆者は2009年のベルリン世界陸上の際に、2011年大邱世界陸上開催 韓国の陸上は侮れないぞという記事を書いた。
そのとき名前を挙げた選手は下記の4名。
いずれも日本人選手並みか、それ以上の実力の持ち主だ。

キム・ユスク 棒高跳び
ジュン・スンオク 女子走り幅跳び
キム・ドクヒョン 三段跳び・走り幅跳び
パク・ジェミョン やり投げ


彼等の今大会の結果はどうだったろう


キム・ユスク 
棒高跳び 5m20 予選B組最下位

ジュン・スンオク 
女子走り幅跳び 6m18予選B組14位

キム・ドクヒョン
走り幅跳び 8m02で予選突破するも 三段跳びの予選中に故障し、走り幅跳びの決勝は辞退。

パク・ジェミョン 
やり投げ 今季80m19を投げるもチョン・サンジンに韓国代表を奪われ出場できず。そのチョン・サンジンは72m03で予選18位敗退。

なんでも大会前韓国は10種目で10位以内との目標を掲げていたらしいが、中国、日本を上回る63人の選手が今回の世界陸上に参加し、入賞したのは20㎞競歩のキム・ヒョンスが6位、50㎞競歩のパク・チルソンが7位の2選手に留まった。

バルセロナ五輪マラソン金メダルの黄永祚、アトランタ五輪マラソン銀メダルの李鳳柱。
韓国陸上界の2大ランナーだ。
五輪ではこの二人のように実績を残している選手もいる。
が、世界陸上ではなかなか活躍できない。
世界陸上で韓国人選手の最高成績は、キム・ジェリョンが1993年の男子マラソンで記録した4位。
10位以内に入った選手は、男子走り高跳びのイ・ジンテク(97年8位、99年6位)、女子砲丸投げのイ・ミョンソン(99年10位)、先のキム・ドクヒョンは三段跳びで9位に入った実績がある。(2007年)

大邱大会は、陸上競技に実績のない韓国が、W杯で造ったスタジアムの有効活用に招致した大会である。
地の利を利用してもう少し活躍すると思ったが、陸上競技は奥が深い。


朝鮮日報などによると、韓国の陸上界は底辺拡大のための持続的な投資は全くといっていなかったという。

現在の陸上競技登録人口は日本が26万人弱に対し、韓国は6542人。

韓国の場合は、全ての競技がわずかばかりのトップ層しか選手登録しないのだが、あまりに選手層が薄い。これでは優秀な選手を発掘・育成などできないだろう。

その数少ない韓国トップクラスの選手は契約金1億ウォン(約716万円)に加えて8000万ウォン(約572万円)ほど年俸が支給され、国内の大会では成績に応じて褒賞金が用意されている。

陸上競技はヨーロッパが本場、単身本場の競技会を回ってくるくらいのことをしないと強くはなれない。
にも拘らず、報奨金を得ることの出来ない国際大会には関心はないというのが現実のようだ。

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August 30, 2011

ボルトは0.104秒早かった 過去のフライングのトラブルから考える

IAAFの公式サイトには、100m決勝でフライングし、失格となったボルト、同準決勝でフライング失格となったチェンバース、女子400m予選で失格となったクリスティーン・オフルオグの反応タイムが公開されている。

それによると

ウサイン・ボルト(JAM) -0.104秒
ドゥエイン・チェンバース(GBR) -0.137秒
クリスティーン・オフルオグ(GBR) -0.340秒


いずれもマイナスになっているのは、スタートのピストルがなる前に飛び出していることを示す。
詳しくいうと、例えプラスであっても、スタートのピストル音が鳴ってから0.100秒未満の反応時間を示すとフライングと判定される。
というのも、人は音を聞いてから反応まで、最低でも0.1秒はかかるとされているためだ。

陸上競技ファンならば恐らくパリ大会のドラモンドを覚えているだろう。
2003年世界陸上パリ大会の男子100m2次予選で、ジョン・ドラモンド(米国)、アサファ・パウエル(ジャマイカ)の2選手がフライングにより失格となった。

ドラモンドは、これを受け入れることができず、コースに寝転がるなどして抗議した。
後に公表された数字によると、ドラモンドの反応時間は0.052秒、パウエルは0.086秒。
いずれも+であるが、0.1秒以内の反応ということでフライングと判断された。
さらに、ドラモンドはこのときの態度が悪かったとして、IAAF主催の競技会から追放、という重いペナルティを受けた。

スターティングブロックの計器は、大会スポンサーであるSEIKO製。
ドラモンドは、SEIKOに抗議するも覆ることはなかった。


このときのドラモンドのフライングは、ピストルがなる前からの足のぐらつきに計器が反応して、フライングと判定されたという説もある。
が、パリ大会を通して同様の計器の誤作動は報告されていないため、説得力に欠ける。
なお、このときドラモンドは36歳になるひと月前、このときまで個人での世界タイトルは獲っておらず、パリ大会を最後のチャンスと捉えていた。
結果、有力選手を欠いたパリ大会の優勝タイムはキム・コリンズ(月曜日に銅メダルを獲ったあの選手)の10秒07。
ドラモンドにとってはなんとも口惜しい大会となったことだろう。

ドラモンドは1993年のモナコグランプリの100mに0.100秒で反応したという記録も残っており、驚異的な反応時間の持ち主であったらしいことは確かだ。


記録を調べていくと、1994年の広島アジア大会の男子100m決勝では、何とスタートを5度やり直している。
第7レーンの選手が2度続けてフライングを犯して失格(当時のルールによる)。
その後、3回続けてフライング判定装置が誤作動し、そのたびにリコールスターターがピストルを撃ってやり直しをし、6回目のスタートでやっと競技が成立した。
そのときの結果はこうだった。

●1994年広島アジア大会男子100m決勝
①タラル・マンスール (カタール)  10秒18(大会新)
②サ ビ ン (カザフスタン)10秒29
③陳 文 忠 (中  国)   10秒38

マンスールは、1986・90・94年とアジア大会を3連覇した大選手で、この状況の中でも大会新記録を出した。
4位に入った井上悟が、「経験の差はなんともし難い」といったようなことを覚えている。

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August 29, 2011

36歳 室伏広治の金メダルまでの軌跡

大邱で開催中の世界陸上3日目、ハンマー投げの室伏広治が81.24mで優勝した。
36歳
アテネ五輪金メダルの室伏だが、世界陸上での金メダルは初めて。

室伏と世界陸上というと、僕は1991年の東京大会を思い出す。
東京大会の舞台となった国立競技場に、織田ポールがあるのをご存じだろう。
この織田ポールに掲揚されるIAAF旗を持って場内を1周した6人の高校生の中に、室伏広治がいたのだ。

当時室伏は成田高校の2年生。
アジアの鉄人といわれた重信氏の長男として小さいころからその将来を嘱望されていたが、この年 高校総体と国体のハンマー投げを制し、大物の片鱗を見せていた。

それから20年、室伏は五輪に続いて世界陸上でも表彰台の真ん中に立った。

室伏と同じくこの年の国体を制した選手には
走り高跳び 太田陽子
200m 北田敏恵
10000m 早田俊幸
の名前がある。
また、高校総体には渡辺康幸の名前もある。

それを考えると室伏の選手寿命の長さ、超人ぶりが判るというものだ。


●室伏広治の主な大会の記録
2011年 世界陸上大邱 ①81.24m
2010年 広州アジア大会 不参加
2009年 世界陸上ベルリン 不参加
2008年 北京五輪 ⑤80.71m
2007年 世界陸上大阪 ⑥80.46m
2006年 ドーハアジア大会 不参加
2005年 世界陸上ヘルシンキ 不参加
2004年 アテネ五輪 ①82.91m
2003年 世界陸上パリ ③80.12m
2003年 自己ベスト 84.86m 世界歴代5位だが、事実上世界記録みたいなものだ
2002年 釜山アジア大会 ①78.72m
2001年 世界陸上エドモントン ②82.92
2000年 シドニー五輪 ⑨76.60m
1999年 世界陸上セビリア 予選14位75.18m
1998年 バンコクアジア大会 ①78.57m
1997年 世界陸上アテネ ⑩74.82m
1995年 世界陸上イエテボリ 予選16位67.06m

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スタート前に静まり返った大邱スタジアム

1988年ソウル五輪の100mで、ベン・ジョンソンと金メダルを争ったカール・ルイスが、「ソウル五輪100メートル決勝のスタートラインに立ったとき、7万人の観衆がどれだけ騒がしかったかをよく覚えている。本当に耐えられなかった。韓国人は、自分が経験した中では最悪の観衆だった」と自叙伝に書いていたことは、以前のエントリーで照会した。

大邱世界陸上の100m決勝スタート前に、スタジアムはどういった状態になるのか、興味があった。
選手がスタートラインに着くと、場内のアナウンスは
「シーーー」
一瞬にしてスタジアムを黙らせてしまった。

ソウル五輪から二十余年
韓国の観客も変わったようだ。


変わったといえばスタートの際の合図。
陸上競技の世界では、これまで現地のことばで行ってきていた。
日本であれば
『位置について ヨーイ』
というお馴染みのあれだが、

ソウル五輪当時は
チェジャリエ チャリオ
というなかなか馴染めない韓国語で行われた。
が、今回
『OnYour Mark GetSet』
と英語で行われている

これは2006年から
IAAFが、世界陸上、五輪、W杯等の主催競技においては「英語で統一する」としたためだ。
ローカルな大会では、これまで通り現地語で構わないのだが、日本では2010年から日本選手権でも『OnYour Mark GetSet』
に変更されている。

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August 28, 2011

ウサイン・ボルトがフライング1回で失格 これって厳しいな

大邱で開催中の世界陸上、注目の男子100mは世界記録保持者のウサイン・ボルト(ジャマイカ)がフライングで失格、ヨハン・ブレーク(同)が9秒92で勝った。
何ともいえない空虚感を感じる。
世界中の陸上ファンが見たかったのは、フライングに頭を抱えながら退場するボルトの姿ではないだろう。


大邱で、選手もテレビ視聴者も惑わしているのがこの1回フライングだ。
予選・決勝を問わず、フライングを犯した選手が、即失格となる。


一昨年までのルールでは、フライングは1レース全体で1度だけ許され、2度目からは誰が犯しても、その選手が失格となっていた。
もっと言えば、2003年1月以前は、1選手に1度ずつフライングは認められており、同一選手が2度目のフライングした場合に失格となっていた。
1回フライングを導入した背景について、IAAFはこう説明する。
『1度目はフライング覚悟で故意に早いスタートをする選手がいたため、改善が検討されていた。』
さらには、フライングを繰り返し、いたずらに放送時間を伸ばさないためのテレビ向け配慮もあるようだ。

実は、昨日もこの1回フライングに泣いた大物選手がいる。
クリスティーン・オフルオグ(英国)
北京五輪の女子400mの金メダリストだが、大邱では予選でフライング、一度も走ることなくピッチを去った。

新ルール採用を巡って
「これまでのルールでは、1回目は『やった者勝ち』。それを考えると、1回で失格の方が公平だしすっきりする」
とある有名選手は感想を述べていたが、まさか世界陸上の決勝で、ボルトがやってしまうとは思わなかっただろう。

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August 26, 2011

世界陸上クイズ 第1部1983年~1999年編

世界陸上に関するクイズです。
第1部は1983年のヘルシンキ大会から1999年のセビリア大会までが対象です。

問題
①第1回世界陸上は1983年にヘルシンキで開催されました。
このとき日本国内で独占放送したテレビ局はどこでしょう。


②1987年ローマで行われた第2回大会。
100m男子は、翌年のソウル五輪と同じくカール・ルイスとベン・ジョンソンの一騎打ちとなりました。結果、ジョンソンが当時の世界記録を0秒1上回る9秒83でフィニッシュ、続いてルイスが9秒93の世界タイ記録でゴールしました。
さて、この翌年のソウル五輪で、ジョンソンのドーピングが発覚したのはご承知でしょうが、その際に、ローマでの2人の記録・順位の扱いはどうなったでしょう。


③シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子が、唯一出場した世界陸上はいつの、そしてその種目は何でしょう。


④1991年の東京大会後の世界記録保持者であるジョナサン・エドワーズは、三段跳びの競技(予選)に参加しませんでした。なぜでしょう。


⑤大会史上最も金メダルを多く獲得した選手は誰でしょう。次の3選手の中から選んでください。

1.カール・ルイス
2.セルゲイ・ブブカ
3.マイケル・ジョンソン


答え

①世界陸上の放送を現在も続けているTBSが担当したのは、1997年のアテネ大会からで、今大会で8回目になります。

1回世界陸上ヘルシンキ大会はテレビ朝日の独占放送でした。

そして、2回のローマ大会から第5回のイエテボリ大会までは日本テレビが務めました。

1983年 テレビ朝日

1987919395年 日本テレビ

19979920010305070911年 TBS

②ソウル五輪の100mで優勝したジョンソンのドーピング(禁止薬物使用)違反が発覚し、前年の世界陸上ローマ大会までさかのぼって記録が抹消され、金メダルもルイスのもとへ渡りました。その一方、ジョンソンが1984年のロサンゼルス五輪で獲った銅メダルは、現在も認められています。

③高橋さんは、1997年アテネ大会の5000mに出場し13位、記録は153283でした。また、1999年のセビリア大会ではマラソンにエントリーしていましたが、故障で欠場しています。

④敬虔なクリスチャンであるエドワーズは、東京大会では競技日が日曜日だったため「日曜日は安息日であり、私は、神の定めた安息日に競技を行うことはできない」として欠場しました。が、1993年大会からは考えを改め、日曜日の大会にも出場するようになりました。その後の大会は、19933位、19951位、19972位、19993位、20011位と常にメダルを獲り、特に1995年のイエテボリ大会で出した18m29は、現在でも世界記録です。

3人の獲得した金メダルは下記の通りです。

ただし、ルイスが活躍した時代の世界陸上は4年に1度、もし現在のように2年に1度開催されていれば、結果は違っていたかもしれません。

カール・ルイス 1983100m・走幅・400R87100m・走幅・400R91100m400R 合計8
セルゲイ・ブブカ 19838791939597年全て棒高跳び 合計6
マイケル・ジョンソン 1991200m93400m1600R95200m400m1600R97400m99400m1600R 合計9

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August 23, 2011

韓国63人 中国58人 日本52人 世界陸上参加選手数

今週の土曜日に開幕する世界陸上大邱大会。
この大会に参加する選手数がIAAFから発表された。
それによると202カ国・地域から1945人の選手が参加する。
この数字は歴代最多となる。

国別の選手数は、米国が155人で最も多く、ロシア83人、ドイツ78人、英国69人、韓国63人、中国58人、日本52人と続く。
韓国は2年前のベルリン大会に7人、4年前の大阪大会に9人しか参加していなかったが、今回は開催国枠を目一杯使ってのエントリーとなった。

以下の表は20人以上が参加する国及び世界陸上を開催した経験のある国の選手数だ。
開催経験国は★マークを付けた。
Daegu2011


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