リオ五輪への道

January 12, 2016

陸上円盤投げ女子の永遠に破ることのできない世界記録

英国陸上競技連盟(UKA)は11日、陸上界にはびこるドーピングや汚職スキャンダルを受けて、すべての世界記録を見直すことなどを求めた。UKAは、「クリーンな陸上競技のための宣言書」を掲げ、重大な薬物違反は永久追放処分にすべきであると主張している。【AFP=時事】

英国陸上競技連盟はいいことを言った。全面的に賛成だ。
昨年、ロシア陸上競技連盟が組織的なドーピングを隠蔽し、今年のリオ五輪に出場できない可能性もあることは、ご存じだろう。
今年に入って早々に、あまりドーピングとは縁がないように思われていたオランダの元選手が衝撃的な告白をした。

1984年ロサンゼルス五輪の陸上女子円盤投げの金メダリスト、リア・スタルマン(オランダ)が8日、地元テレビ番組で現役時代のドーピングを告白した。現役引退前の約2年半、筋力増強作用のあるアナボリックステロイドを使用したという。AP通信などが報じた。 ロス五輪後に引退した64歳のスタルマン元選手は「東欧の選手に対抗するためにドーピングを始めた。 当時は抜き打ち検査もなかったのでリスクがなかった」と述べたと言う。【共同】


このブログでは、随分前から1980年代の陸上競技、特に女子は、ドーピングによると思われるとんでもない記録が世界記録として残り、『永遠に破られることはない』と指摘している。
女子の円盤投げは、灰色の種目の最たるものだ。

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女子円盤投げの世界歴代記録をご覧いただきたい。
1位から10位まですべてが1984年から1989年にかけて作られた記録であり、6人の選手が旧東ドイツ、残りの4人も共産主義だった東欧圏だ。
彼女らが記録を出した大会は自国もしくは隣国での大会、それだけドーピング検査が緩かったということだ。

先のドーピングを告白したスタルマン女史だが、自己ベストは1984年、ロス五輪の直前に出した71m22、この記録が世界歴代17位で、ロス五輪で金メダルを獲った時の記録はなんと65m36でしかない。
繰り返すが、ロス五輪で引退した彼女は、『現役引退前の約2年半、筋力増強作用のあるアナボリックステロイドを使用した』。
1982年からロス五輪までクスリ漬けになっても65m36しか投げられないのだ。
ロス五輪は、ご存じのように東側諸国がボイコットした大会で、女子円盤投げも本来のメダル候補が全く参加しなかった大会であり、スタルマン女史の金メダルは偶然の賜物でしかない。

IAAFが世界記録の見直しをしない限り、人類最後の日まで世界記録保持者であろうガブリエレ・ラインシュ。
1988年のソウル五輪。
東ドイツ、ソ連といった東欧諸国は、8年ぶりに五輪に参加した。
東ドイツから女子円盤投げにエントリーしたのは、マルティナ・ヘルマン、ダィアナ・ガンスキーとガブリエレ・ラインシュ。

マルティナ・ヘルマンの実績は抜群だった。
1983年の第1回世界陸上ヘルシンキ大会で優勝(68m94)、1987年第2回世界陸上ローマ大会で優勝(71m62)、そしてソウル五輪も72m30で制した。
ローマとソウルの記録はそれぞれ大会記録として今も残っている。
一方の世界記録保持者としてソウル五輪に臨んだガブリエレ・ラインシュは、70mを超えることができず、67m26がやっと、7位で五輪を終えた。
とは言え、記録をよく見てほしい。
2年半クスリ漬けだったリア・スタルマンのロス五輪金メダル記録65m36を2m近く超えているのだ。

東ドイツやソ連といった国がどれだけ組織的なドーピングしていたかが判るだろう。

2012年のロンドン五輪。
女子円盤投げの競技終了後の結果はこうだった。
  ①サンドラ・ペルコビッチ(クロアチア)69m11
  ②ダリア・ピシチャルニコワ(ロシア) 67m56
  ③李艶鳳(中国)67m22

ところが、2012年5月に採取したピシチャルニコワの検体からアナボリックステロイドのオキサンドロロンの陽性反応が検出された。IAAFは出場停止処分とし、2013年4月には、ロシア陸上競技連盟は10年間の出場停止処分とし、2012年5月以降の記録抹消とした。
そして、ロンドン五輪で獲得した銀メダルを剥奪した。
その結果、メダル獲得者は下記のようになった。

  ①サンドラ・ペルコビッチ(クロアチア)69.11m
  ②李艶鳳(中国)67.22m
  ③ヤレリス・バリオス(キューバ)66.38m

ピシチャルニコワには大きな前科があった。
2007年の大阪世界陸上競技選手権大会では自己ベストを更新する65m78を記録し、銀メダルを獲得するが、ドーピング違反の嫌疑をかけられ北京五輪には参加できなかった。
北京五輪後の10月、ピシャルニコワは薬物違反があったと認定され、他の6人のロシア人選手とともに2年9か月の出場停止処分を受け、大阪世界陸上の銀メダルも剥奪された。

ピシチャルニコワ自己ベストは2012年の70m69。
もちろん、正式な記録ではなくなっているが、世界歴代21位に相当する。
この選手のような10年間の出場停止を受けるような、悪質なドーピングを繰り返す選手よりもベスト記録が上の選手が20人以上いるのが、陸上競技の世界なのだ。

先に書いたようにほとんど1980年代の永遠に破ることのできない世界記録は、当時の検体が残っていないため、今この時代にドーピングを立証することは難しい。
昨年、IAAF会長にセバスチャン・コーが就いた。
陸上競技のすべての世界記録を見直すこと スポーツ界に根付く多くのタブーを壊してきたコーの手腕に期待をしたい。


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January 08, 2016

女子初の五輪同一種目4連覇をめざす吉田沙保里と伊調馨

リオデジャネイロ五輪で内外から注目されているのが、女子選手初の同一種目4連覇がなされるかどうか。
その選手は吉田沙保里と伊調馨の2人だ。
100年を超える長い近代五輪の歴史の中でも、同一種目4連覇を果たしたのは
  アルフレッド・オーター(米国)陸上・円盤投げ(1956・60・64・68年)
  カール・ルイス(米国)陸上・走り幅跳び(1984・88・92・96年)
の2人しかいない。
吉田と伊調が果たせば、女子選手初、レスリング初の快挙ということになる。

これまで、女子選手初の4連覇に最も惜しかった選手を紹介しよう。

山本宏美さんというスケーターがいた。
1994年のリレハンメル五輪女子5000mで銅メダルを獲った。
男女を通じて日本人の長距離で唯一のメダリストだ。当時23歳。
このとき金メダルを獲ったのが、この2年前のアルベールビル五輪では銅メダルを獲ったドイツのクラウディア・ペヒシュタイン、当時22歳。

山本は1995年に現役を引退、翌1996年に王子製紙で同僚だったアイスホッケー選手の山中武司(現王子監督)と結婚をした。

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一方のペヒシュタインが凄かったのはここからだ。
26歳の長野五輪では5000mに金メダル、3000mに銀メダル。
30歳のソルトレークシティでは3000m、5000mともに金メダルを獲得。
34歳で迎えたトリノ五輪では、冬季五輪初の、そして女子選手初の同一種目4連覇がかかっていた。
ところが、2連覇を目指していた2月12日の3000mは5位。
16日に新種目として始まった女子パシュートでドイツの優勝に貢献し、5度目の五輪で4大会連続となる金メダルを獲得。
しかし22日の1500mは気候変化で持病のぜん息が悪化し、欠場を余儀なくされた。 
4連覇をかけた女子5000mは2月25日に行われた。
最終組でクララ・ヒューズと同走。
前半はリードしていたが徐々に詰められ、最後の2周で逆転され、2位に終わった。
このとき「わたしは機械じゃない。2番でも素晴らしいわ」とインタビューで答え、引退をほのめかしたが、一転、現役を続行。

が、ドーピング違反を問われ、2年間の資格停止処分を国際スケート連盟から受け、2010年のバンクーバー五輪に出場することは出来なかった。
ただし、後にドーピングではなく遺伝によるものであるという診断を得て、競技に復帰。
41歳でソチ五輪に出場するが、3000mは4位、5000mは5位でメダルには届かなかった。
生涯獲得メダルは金5、銀2、銅2に上る。

 ●冬季五輪で3連覇を達成した選手
 ギリス・グラフストローム フィギュアスケート男子シングル SWE 1920、24、28年
 ソニア・へニー フィギュアスケート女子シングル NOR 1928、32、36年
 イリーナ・ロドニナ フィギュアスケートペア 旧ソ連 1972、76、80年
 ウルリヒ・ベーリング ノルディック複合個人 旧東独 1972、76、80年
 ボニー・ブレア スピードスケート女子500m 米国 1988、92、94年
 ゲオルク・ハックルクル リュージュ男子一人乗り ドイツ 1992、94、98年
 クラウディア・ペヒシュタイン 女子スピードスケート ドイツ 5000m 1994、98、02年

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January 02, 2016

箱根駅伝に名を残す日本初の五輪選手 金栗四三

今年の箱根駅伝は青学大が優勝し、最優秀選手の久保田和真(4年)に金栗四三杯が贈呈された。
金栗四三は、日本初の五輪選手として知られているが、箱根駅伝の誕生に尽力し、2004年から最優秀選手に金栗の名を冠した賞が贈られている。
 
近代五輪の第1回が行われたのが1896年。
日本が初めて五輪に参加したのは、その16年後の1912年、第5回ストックホルム五輪である。
最初の日本選手団はたったの4名だった。
柔道の創始者として知られる嘉納治五郎・大日本体育協会(日本体協の前身)会長、大森兵蔵同総務理事を役員に、選手は陸上短距離の三島弥彦(東大)とマラソンの金栗四三(東京高師=現筑波大)の2人だけだった。
ストックホルムと言えばスウェーデンの首都。
仮に今年ストックホルムで五輪開催となれば、日本選手団はチャーター便でひとっ飛び…となるところだが、1912年当時、彼ら選手団はどうやって移動したのだろうか。
ちなみに、ライト兄弟の世界初の動力飛行成功が1903年のことである。
そのわずか9年後となれば、当然、日本からヨーロッパへの移動に飛行機が浸透しているわけもなく、鉄道か船を利用するしかなかった。

三島・金栗の両選手は、自腹でストックホルムに向かっている。
まず5月16日に新橋駅を出発し、敦賀から船でウラジオストクへ向かう。そしてシベリア鉄道でサンクトペテルブルクまで行き、さらに船に乗ってようやくストックホルムに到着。かかった時間、実に18日間。
短距離選手の三島はまず100m予選に出場し、最下位で落選。
続く200m予選も敗退した。
3種目目の400m予選では、3人が棄権したため、2位で準決勝に進出を果たしたが、疲労のため結局棄権した。

一方、マラソン代表の金栗は、当時のマラソン世界記録保持者だったが、32キロ地点で日射病のために倒れ、民家で一晩介抱された。
当時は極東から来た選手が行方不明になったと話題になり、時の人にもなっている。

ちなみに金栗には、後日こんなエピソードがある。五輪開催から55年後の1967年、ストックホルム市は五輪開催55周年記念祭を開き、「消えた日本人」こと金栗老人を招待した。
76歳になっていた金栗は、かつてのゴール地点に案内されて10m手前から走ってゴールする。
そこに場内放送が流れた。
「第5回ストックホルム五輪マラソン競技は完全に終了しました」
タイムは、54年と8ヶ月6日5時間37分20秒3
その後の会見で、金栗老人はこんな素晴らしいスピーチを披露した。

「長い道中でした。途中で孫が5人もできました。」

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▲旗手は三島弥彦。金栗四三は「NIPPON」と書かれたプラカードを持つが、日章旗に隠れてしまっている。

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December 21, 2015

水球日本代表32年ぶり五輪へ 過去最高順位は4位

リオデジャネイロ五輪の予選を兼ねた水球のアジア選手権最終日は20日、中国の仏山で行われ、男子の日本が16―10で中国に快勝し、1984年ロサンゼルス大会以来、32年ぶりの五輪出場を決めた。
リオデジャネイロ五輪の水球は12カ国によって争われる。

●リオデジャネイロ五輪水球出場国
開催国:ブラジル
ワールドリ優勝:セルビア
2015年世界水泳選手権上位2カ国 クロアチア ギリシャ
アフリカ水球選手権:未定
パンアメリカン大会:アメリカ
アジア水球選手権:日本
欧州選手権:1カ国(未定)
オセアニア選手権:1カ国(未定)
世界最終予選:3か国(未定)

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最高順位は1932年のロサンゼルス五輪の4位。
ただし、この大会に参加したのはハンガリー、ドイツ、米国、日本、ブラジルの5カ国のみ。
1984年のロサンゼルス五輪では、日本は出場権を得られなかったが、ハンガリー、ソビエト、キューバがボイコットしたため、カナダ、ブラジル、日本が繰り上げ出場となった。

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November 29, 2015

全滅寸前 韓国のリオ五輪男子球技 残るはサッカーだけ

カタールのドーハで行われていた男子ハンドボールのリオデジャネイロ五輪アジア予選。
優勝はカタールで、初の五輪出場権を得た。
2・3位にはイランとバーレーンが入り、それぞれ来年行われる世界最終予選の出場権を獲得した。
3位決定戦で、バーレーンに敗れた韓国は4位となり、リオ五輪出場はかなわなかった。

韓国男子のハンドボールには、輝かしい歴史がある。
地元開催のソウル五輪では銀メダルを獲り、以後、中東の笛の影響でアトランタ五輪(1996年)こそ五輪出場はならなかったが、シドニー五輪以降4大会連続で五輪出場を果たしていたが、ついに今回、リオ五輪で途切れることになった。

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韓国男子の不調はハンドボールに留まらない。
バレー、バスケット、ホッケー、水球、ラグビーの出場権を落とし、残るはサッカーだけ。
もし、サッカーを落とすようなことがあれば男子球技は全滅となる。

ソウル五輪開催が決まったのが1981年。
以降、球技においてアジアで圧倒的な存在感を誇ってきたのが韓国である。

前門の韓国、後門の韓国とまで言われ、日本の球技の五輪出場に立ちふさがってきた。
例えば2000年のシドニー五輪。
韓国が出場を果たした球技は
バレー男子、女子、ホッケー男子、女子、バスケット女子、野球、ハンドボール男子、女子の8種目。
男子ホッケーは銀メダル獲得というおまけも付いた。
このとき日本は、サッカー男女と野球しか五輪出場を果たせなかった。

なぜ韓国の競技力が落ちているのか。
ハンドボールでリオ五輪出場を決めたカタール。
先のエントリーでも、カタールは帰化選手を集めた世界選抜チームであると書いたが、朝鮮日報によるとメンバー16人のうち、帰化選手が15人だったという。
中東諸国がオイルマネーで球技強化しているのは間違いない。
元々体格に優れ、人口も多いイランも急速に球技の強化を図っている。

一方、こういった要素もある。
2008年北京五輪の男子バレーは、日本が16年ぶりの五輪出場を果たした。
韓国は人口5000万人、仮に長身の人現われる割合が日本と同じだとしても、絶対数は日本に比べ少ない。
すると、一度五輪出場を果たせないと、その競技をしようとする人材が他競技に回ってしまうのではないか。
北京五輪以降の韓国の男子バレーを見ていてそう思った。
かつてはウィングスパイカーに200㎝の左利きの選手を揃えるなんて芸当をしていたが、今は明らかにそんな余
裕がない。

サッカーのリオ五輪予選は、来年1月10日からカタール・ドーハで開催される。
今回はAFC U-23選手権と予選を兼ねたセントラル方式だ。
16カ国が参加し、切符は僅かに3枚。
韓国も日本も相当にタフな戦いになるだろう。

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▲朝鮮日報によるハンドボール・カタール代表の選手構成
キャプションが逆になっていないか?

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November 24, 2015

オリンピックを惑わす帰化選手

カタールのドーハで、男子ハンドボールのリオデジャネイロ五輪アジア予選が行われている。
1次リーグが終了し、準決勝へと進んだのはA組1位バーレーン、2位韓国、B組1位カタール、2位イラン。
準決勝はバーレーンとイラン、カタールと韓国がそれぞれ対戦し、勝ち残りの1カ国だけが五輪出場権を得、2~3位は世界最終予選に回ることになる。
日本代表は27-31でイランに敗れ、B組3位となり、リオ五輪出場を逃した。
これで7大会連続で五輪出場を果たせなかったことになる。

順当に行けばカタールが勝って、初の五輪出場を決めるだろう。
カタールは、何と言ってもほとんどの選手が帰化及び二重国籍選手の世界選抜軍団。
今年の世界ハンドボール選手権でもフランスを相手に準優勝、あわやというところまで追いつめた。

同じようなことは他の国でも頻繁に行われている。
ロンドン五輪に初出場したトルコの女子バスケットボール代表チームは、米国出身の196㎝のセンター・・ホリングスワースやブルガリア出身のNevriyeユルマズ194㎝がいた。
これまで、五輪どころか、世界選手権にも出場したことのなかったトルコが、ロンドン五輪で8位タイになった。
当時、2020年夏季五輪にイスタンブールが立候補していたトルコは、様々な競技の国際競争力を上げることは、招致活動をスムースに進めると考えていたのだ。

バスケットと言えば北京五輪のロシアのバスケット代表チームに、2人の変わったプロフィールの選手がいたことは、日本ではほとんど知られていない。
アメリカからロシアに帰化したバスケットボールの選手がいたのだ。
ひとりは、ジョンロバート・ホルデン。
J.R.ホルデンと呼ばれるアフリカ系のピッツバーグ生まれのアメリカ人。
アメリカではプロのバスケットボール選手になれなかったホルデンは、ラトビア、ベルギー、ギリシアを経てロシアに渡り、名門CSKAモスクワに入団した。

CSKAモスクワは、2005-2006年シーズンにヨーロッパクラブ王者になり、このときのホルデンの活躍は、プーチン大統領の目に留まった。
ポイントガードに恵まれていなかった『ロシア代表のために帰化をしろ』、プーチンの後押しで、ホルデンは僅か10分でロシア国籍を取得、ロシア語も話せないままロシア代表に入る権利を手にした。

肝心の北京五輪でロシアは9位に終わったため、ホルデンのことは話題にもならなかったが、アシストランキングでは2位になった。
一方、女子のロシア代表にはレベッカ・ハモンというやはりアメリカからロシアに帰化した選手がいて、ロシアの銅メダル獲得に貢献した。
ロシアはスポーツでの国威発揚のためには、比較的簡単にロシア国籍を出すということだ。

2006年のトリノ五輪のショートトラックで3つの金メダルを獲得した韓国の安賢洙が、韓国代表を追われ、8年後のソチ五輪にロシア代表のビクトル・アンとして再び3つの金メダルを獲ったことはまだ記憶に新しい。

が、日本も同じことをしている。
1998年の長野五輪のアイスホッケーの日本代表には、7人の帰化をした日系カナダ人がいたし、70年代の女子バレーの大エースも帰化選手だったのだ。

●参考記事
カタール代表 世界ハンドボールで準優勝
 

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November 11, 2015

陸上界激震 ロシア集団ドーピング発覚で五輪出場停止!?

今年の夏 北京で行われた世界陸上に見入っていた人ならアリシア・モンタノの名前を憶えているかもしれない。
モンタノは、昨年の6月の全米陸上に妊娠9ヶ月で、800mを走ったその人だ。
北京では予選で転んでしまい、結果は出なかったが、TBSの世界陸上の番宣?VTRには身重で走る映像が何度も使われたので、ああと思う人もいるだろう。

今、再びモンタノが注目されている。
というのもロシアの陸上界の組織的なドーピング問題が、にわかに騒がしくなってきた。
特にロンドン五輪女子800mの金メダリスト マリヤ・サビノワと銅メダリスト エカテリーナ・ポイストゴワ(ともにロシア)が失格となりそうなのだ。
2人分順位が繰り上がるかもしれない4位以降の選手はちょっとドキドキしているかもしれない。
その内のひとり、ロンドン五輪でこの種目5位だったのがアリシア・モンタノなのだ。
世界お中距離は層が厚く、モンタノも五輪のメダルは初めてとなる。

そして、世界中の陸上ファンが注目しているのは、あのキャスター・セメンヤ(南アフリカ)が銀メダルから金メダルに繰り上がるか?ということだ。
セメンヤは2009年のベルリン世界陸上の同種目の金メダリスト。
過去にいろいろあった選手なのだが、あまりセメンヤが金メダリストになることに複雑な陸上ファンも多いようだ。

●ロンドン五輪陸上女子800m決勝
①マリヤ・サビノワ (RUS) 1:56.19
②キャスター・セメンヤ(RSA) 1:57.23
③エカテリーナ・ポイストゴワ (RUS) 1:57.23

凄い数字をお見せしよう。
上記の3選手の800mのベスト記録とそれが世界歴代で何位であるかだ。

キャスター・セメンヤ 1:55.45 世界歴代13位
マリヤ・サビノワ 1:55.87 世界歴代22位
エカテリーナ・ポイストゴワ 1:56.67 世界歴代56位

世界記録はヤルミラ・クラトフビロバ(チェコスロバキア=当時)の1:53.28。
1983年の記録だ。
この当時のドーピングの凄さに比べれば、サビノワの1分56秒台なんてかわいいもんだ。

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November 04, 2015

ミュンヘンの恋人 オルガ・コルブト

世界体操が開かれていたためだろう。
ツイッターのリオデジャネイロ五輪公式アカウントから流れてきた映像にこんなのがあった。

これを見て、誰であるか判る人は相当な体操通である。
この人の名は、オルガ・コルブト。旧ソ連の選手だ。

この技はコルブトフリップと呼ばれる離れ技で、1972年のミュンヘン五輪での映像。
どうなっているのか何度も見返してしまう。

1970年代に、こんな難易度の高い演技を見せたコルブトは種目別で金メダルを獲った、と思うだろう。
が、オルガ・コルブトは段違い平行棒の決勝で9.80を出すも銀メダルに終わった。
金メダルは9.90を出し、コルブトを上回ったカリン・ヤンツ(東ドイツ)が獲った。
コルブトのスコアを示すボードが9.80を表示すると、観客は口笛を吹き、足で床を踏み、スコアの低さに抗議した。数分に渡って会場の興奮は収まらなかった。
しかし、審判団は、彼女のスコアを変更することを拒否した。

コルブトが見せた「棒の上に立った状態から後方に宙返りして再び棒をつかむ」技 コルブトフリップは、彼女のコーチが彼女のために考案した技だ。
しかし、一度バーの上に立つときに動きが止まってしまい、演技中に静止してはならないという段違い平行棒の禁止行為に当たるため、1993年から禁止技とされている。
そのため、現在はこうした技を見ることはない。

1972年の映像というと今から40年以上も昔のこと。
それでも今なお斬新に見える。

ソビエト連邦も東ドイツも今はない。
この両国は、70~80年代に五輪を国威発揚の舞台と考え、大量にメダルを獲得した。
特定の競技については、獲るメダルを事前に両国で決めていたと言う噂がある。
(オルガ・コルブトは引退後に実際にそういった話をしている。)
ソ連は人口2億人を超す超大国。
かたや東ドイツは人口1800万人の小国。
発言力は圧倒的にソ連にあった。両国はミュンヘン五輪の女子体操の金メダルを、以下のように分けたという。
 女子の団体   ソ連
 女子の個人総合 ソ連
 床       ソ連
 跳馬      東ドイツ
 段違い平行棒  東ドイツ
 平均台     ソ連

これに従って、金メダル級の演技を披露しながら、オルガ・コルブトは銀メダルに終わった。
コルブトフリップは、ミュンヘン五輪当時極めて難易度が高かった。
それが、平凡な技でまとめたカリン・ヤンツに敗れたため、上記のような陰謀論が今なお消えていないのだ。

美人だったコルブトの演技に世界中の人が魅了された。
日本ではミュンヘンの恋人と呼ばれ、モスクワのソ連体操協会には2万通のファンレターが届いたと言われている。
米国のABCテレビのワイドワールドオブスポーツイヤーも受賞した。米ソ冷戦の華やかりし時代にである。

ミュンヘン五輪当時、オルガ・コルブトは17歳。
ということは現在60歳となる。

21歳で迎えたモントリオール五輪では、コマネチやネリー・キムの影に隠れるかたちになったがソ連の団体金メダルに貢献、種目別平均台では銀メダルを獲得し、翌年現役を引退。
1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに米国に移住、2000年に帰化している。

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November 02, 2015

各世界選手権で日本代表選手が獲ったメダルは、金17個を含む42個

体操の世界選手権最終日は、鉄棒は内村航平がG難度の離れ技「カッシーナ」を決めるなど15・833点で初優勝した。史上最多6連覇の個人総合、団体総合と合わせて今大会3個目の金メダル。日本チームは昨日の床で白井健三が金メダル、あん馬で萱和磨が銅メダルを獲得し、合計5個のメダルを獲った。

2015年に開催された五輪正式競技の世界選手権で、日本代表が獲得したメダルを纏めてみた。
今年はリオ五輪の前年であり、各競技ともリオ五輪を占う上で、世界選手権の結果は重要になる。

各世界選手権で日本代表選手は、金メダルは17個含む42個のメダルを獲った。
この数字はアテネ五輪の合計37個(金16、銀9、銅12)、ロンドン五輪の38個(金7、銀14、銅17)を上回るものだ。

ただし、世界選手権と五輪とでは、参加する選手数が異なる(五輪の方がより少数精鋭になる)、種目数が異なるなど単純比較はできないので念のため。

●2015年に行われた世界選手権において日本代表が獲得したメダル数
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世界柔道では団体戦が行われ、日本は男女ともメダルを獲ったが、五輪正式種目ではないため、表には含まれていない。


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October 25, 2015

ハンドボール女子日本代表 リオ五輪への道

▼初めての五輪正式種目 1976年

ハンドボールは、1936年のベルリン五輪で男子のみ正式種目に採用されたが、戦後は長い間五輪では行われず、1972年に復帰となる。そして、その4年後1976年モントリオール五輪で、女子も正式種目となった。
このとき女子のハンドボールに出場した国は僅かに6カ国、日本はアジア代表として参加するも5位に終わった。
この大会以降本大会出場がない。

このモントリオール五輪のアジア予選は、日本で開催された。 しかも対戦相手がイスラエルであったため、複雑な中東情勢によるテロを配慮して、試合は会場も公表されない「無観客試合」で行われた。

この話はときどきメディアに顔を出す。
30年以上昔の話であり、多くの記録が残っていない試合であるためか、誤って伝えられている。
実際には、五輪予選ではなく、1975年に旧ソ連で行われた世界戦手権のアジア予選だった。
西アジア代表がイスラエル、東アジア代表が日本で、その内の1カ国が世界選手権へ、ということだったようだが、イスラエルはアラブ諸国から対戦を拒否され、何もしないで西アジア代表になった。
一方の日本も、今でこそハンドボール強国の韓国も当時はあまりに弱く、予選に参加することはなかった。
中国は未だIOCに復帰しておらず、ほかに東アジアで予選に出てくる国はなく、日本とイスラエルが出場権を争ったのだという。

2試合行われた日本対イスラエルの試合は、19-4、22-8で日本がともに勝利し、世界選手権の切符を手にした。
世界選手権では、上位4カ国 東ドイツ、ソビエト、ハンガリー、ルーマニアが五輪出場権を手にし、10位に終わった日本は、米国・ミルウォーキーで行われた世界最終予選にコマを進むことになる。
世界最終予選は、アメリカ(米大陸)、チュニジア(アフリカ)、日本(アジア)の3カ国から1カ国のみが五輪出場権を得るというシステムで、地力に勝る日本が、アメリカ、チュニジアを下し、最後の五輪出場権を手にした。

モントリオールの五輪本番で日本は、開催国のカナダに15-14と1点差で辛勝し5位、最下位を免れた。
ちなみにこの大会の日本女子の球技は、女子バレーが金メダル(8カ国参加)、女子バスケットが5位(6カ国参加)。
さらにいうならば、カナダ女子はバレー8位、ハンドボール6位、バスケット6位と実施された3種目のいずれも最下位というおまけが付いた。

▼中東の笛に振り回される 2008年

『中東の笛』を覚えているだろうか。
ハンドボールの国際試合で、審判が露骨なまでに中東諸国有利に笛を吹き、思うがままに勝敗を決めていた事象とをいう。
2007年8月にアルマトイで行われた女子の北京五輪アジア予選は、①カザフスタン②韓国③日本の順になり、カザフスタンが五輪出場権を得た。
ところが、この後『中東の笛』が問題になり、国際ハンドボール連盟は再試合を決定、2008年1月に東京で日韓が争い、34-21で韓国が勝利し、五輪出場権を手にしたかに見えた。
が、スポーツ仲裁裁判所はこの試合を無効と認定、五輪出場権は、カザフスタンの手に戻ってしまった。

2008年3月に行われた最終予選は、12カ国が参加、4カ国ずつ3組に分かれ、各組上位2カ国が五輪出場権を得る。
日本はルーマニアに負け、ポーランドに勝ち、ハンガリーに負け32年ぶりの五輪出場はならなかった。
一方、同じく最終予選に回っていた韓国はコンゴに勝ち、フランスに引き分け、アイボリーコーストに勝ち7大会連続の五輪出場を果たした。

▼リオ五輪予選

リオ五輪の予選は、日韓が25日に対戦、勝てば五輪切符を手にし、負ければ世界最終予選に回る。
ハンドボール女子の五輪での実績は韓国が圧倒的にリードしている。
日本が40年間五輪出場を果たしていないのに対して、韓国は88年、92年に金メダル、84年、96年に銀メダルロンドン五輪も4位に入った。
2015年9月に行われたアジア選手権決勝でも日本は22-36と完敗した。

現在の女子日本代表のゴールキーパーに、明らかに白人系の選手がいる。
亀谷さくら28歳。

Sakura

ノルウェーの強豪バイパークリスチャンセンで正GKとして活躍中
Sakura Haugeとしてノルウェーでは知られているプロ選手だ。
父はノルウェー人、母は日本人。

日本国籍所持を知った栗山監督が直接口説き落としたらしい。
スポーツ紙では日本代表の秘密兵器と書かれている存在だ。
果たして「さくら」は韓国戦で日本のゴールを守りきれるだろうか。


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