ウインタースポーツ

December 04, 2017

世界歴代2位、3位、5位 小平奈緒、高木美帆W杯で連勝中

スピードスケートのW杯カルガリー大会が12月1~3日、カナダ・カルガリーであり、小平奈緒は女子500mで、高木美帆は、女子1500m、3000mでともに日本新記録を出し優勝した。

小平の500mは世界歴代2位、高木の1500mは歴代3位、3000mは歴代5位の好記録である。
カルガリーでは転倒したが、小平の1000mの持ちタイムも世界歴代3位。
女子のチームパシュートは、2戦連続世界新達成、おそらく史上最強チームで平昌五輪に向かうことになるだろう。

Screenshot_20171204170611


小平のメダルを占う上でやはり気になるのが、韓国の李相愛。
ご存知、バンクーバー、ソチと500m2連覇中の女王だが、ここ数年は小平に及んでいなかった。
が、カルガリーの500mでは小平の36秒53に次いで36秒86を出し2位に入っている。

そろそろ本番モードに入ってきたか?
次週のW杯はソルトレークシティ。
また、好記録の出るリンクだ。
 
Screenshot_20171204172753


|

November 20, 2017

クラウディア・ペヒシュタイン45歳 7度目の五輪へ

山本宏美さんというスピードスケートの選手がいた。
1994年のリレハンメル五輪女子5000mで銅メダルを獲った選手だ。
男女を通じて日本人の長距離で唯一のメダリストだが、当時23歳。
このとき金メダルを獲ったのが、この2年前のアルベールビル五輪では銅メダルを獲ったドイツのクラウディア・ペヒシュタイン、当時21歳。

山本宏美さんが1995年に現役を引退したのとは対照的に、ペヒシュタインが凄かったのはここからだ。
25歳の長野五輪の5000mで金メダル、30歳のソルトレークシティ五輪5000mでも金メダルを獲得。

33歳で迎えたトリノ五輪では冬季五輪初の、そして女子選手初の同一種目4連覇がかかっていた。
ところが、2連覇を目指した12日の3000mは5位に終わっていた。16日新種目の女子パシュートでドイツの優勝に貢献し、5度目の五輪で4大会連続となる通算5個目の金メダルを獲得。
しかし、22日の1500mは気候変化で持病のぜん息が悪化し欠場を余儀なくされた。 

4連覇をかけた女子5000m 最終組でクララ・ヒューズと同走。
前半はリードしていたが徐々に詰められ、最後の2周で逆転され、2位に終わった。

37歳で迎えようとしていたバンクーバー五輪の前年、2009年2月のノルウェーで行われた世界選手権の後、ISU(国際スケート連盟)は、ペフシュタインにドーピング違反を認め、2年間すべての大会への出場停止処分を下した。

網状赤血球のレベルが異常な値を示していたため、薬物違反を疑われたもので、本人は先天的な問題でドーピングによるものではないと主張し、出場停止と断固として戦った。
このケースは、状況証拠のみに基づくドーピング違反の最初のケースであったが、その後の、彼女に対して行われたドーピング検査で、禁止された物質が見つかったことはない。

40歳を前にしての、出場停止処分であり、誰もがこのまま引退するものと思っていたが、2011年2月に競技へ復帰。
41歳で迎えた2014年ソチ五輪では、1500mに19位に終わったものの、3000m4位、5000m5位に入った。
1500mの19位は、6回目の五輪で初めての入賞圏外だった。

そして2017年11月19日、ノルウェーのスタバンゲルで行われたW杯の女子5000mを6分56秒60で制し、自身7回目の五輪となる45歳での平昌冬季五輪出場を確定させた。

ペヒシュタインは8位以内に入れば平昌出場の資格を得る状況だったが、優勝、W杯通算33勝目とした。
五輪出場が確定するには、ドイツオリンピックスポーツ連盟(DOSB)による推薦が必要だが、これはあくまで形式的なものとなっているという。

生年月日を調べると 1972年2月22日生まれ。
なんと、札幌五輪画が閉幕した直後に当時の東ベルリンで生まれている。
8回目の五輪を目指す葛西紀明は、1972年6月6日生まれで同い歳ということになる。

Screenshot_20171120153838_1


|

October 26, 2017

平昌オリンピックまで100日余り スピードスケートの国内最高記録とはなんだ?

平昌冬季五輪を迎えるウィンタースポーツのシーズンが始まった。
スピードスケートの今季国内開幕戦の20~22日が長野市のエムウェーブであり、以下の3種目で国内最高記録が生まれた。

500m (1)小平奈緒(相沢病院) 37秒25=国内最高
1000m (1)高木美帆(日体大助手) 1分14秒89=国内最高
1500m (1)高木美帆(日体大助手) 1分55秒44=国内最高

陸上競技や競泳などタイムを競う競技はほかにもあるが、「国内最高記録」という分け方をするのは、スピードスケートだけではないか?
なぜ、そういった区分けがされるのだろうか。

今でこそ、スピードスケートは室内リンクで行うのが当たり前の競技になったが、五輪で室内リンクが初めて使われたのは1988年のカルガリー五輪だ。
それまで、天候に泣かされてきたスピードスケートにとって革命的なリンクであった。
好記録が出やすい点と、天候によるスケジュール変更があり得ない点が、テレビ放映に歓迎された。

例えば、1984年のサラエボ五輪。
男子500mの当日、リンクには吹雪が舞い、何と競技開始時間が6時間も遅れている。
日本のエースでメダル候補だった黒岩彰は、その6時間中多くのマスコミを引き連れ、すっかり精神状態を乱し、10位と惨敗した。

1988年のカルガリー五輪以降1992年を除いて、スピードスケートは、全て室内リンクで行われている。
が、ある要素によってタイムが大きく影響を受ける。

それは、標高。
高地にあるリンクの方が明らかに良い記録が出るのだ。

女子500mの世界歴代10傑を見てほしい。
カルガリーで出された記録が3。
ソルトレークシティで出された記録が7。

Screenshot_20171026171404

陸上競技と同様に、スピードスケートも、高地であれば空気抵抗が少なく好記録が出やすい。
ソルトレークシティのリンクは標高1425m、カルガリーのリンクは1034m。
この30年近くの間、世界記録はほぼこのどちらかのリンクで生まれてきた。

小平奈緒の500mの自己ベストは、昨年カルガリーで出された36秒75。
世界歴代3位の堂々たる記録であり、今回エムウェーブで出された国内最高記録37秒25よりも0.50秒も早い。
37秒25の国内最高記録は、世界歴代67位。

長野五輪の会場だったエムウェーブは標高342m。
4年前のソチ五輪の室内リンクは標高5mでしかなかった。

●1988年以降のスピードスケートが行われたリンクと標高
1988年 Olympic Oval 1034m
1992年 Stade de Patinage Olympique 331m(屋外リンク)
1994年 Stampesletta Idrettsplass 237m
1998年 エムウェーブ 342m
2002年 Utah Olympic Oval 1423m
2006年 Oval Lingotto 205m
2010年 Richmond Olympic Oval 4m
2014年 Adler Arena 5m
2018年 江陵オーバル 41m

来年2月開催、平昌五輪のスピードスケートの会場である江陵オーバルの標高は41mしかない。

昨年テストイベントとして、世界距離別選手権が開催されたこのリンクは、8000人の収容能力を誇り、その建設費は1260億ウォン(117億円)に上る。

女子500mで日本人女子として同選手権初の優勝となった小平奈緒。
優勝タイムの37秒13は、当時の自身の日本記録を0秒16縮める日本新記録だった。

江陵オーバルは、カルガリーやソルトレークよりは標高は低い。
が、リンクに沿って風が舞い、常に追い風にあるという。
コーナーでもスピードが落ちずに選手にも好評であると聞く。

なかなか好条件のようだ。

平昌五輪からは男女のマススタートも正式種目になり、楽しみである。


|

February 25, 2017

平昌オリンピックをめざす韓国のアイスホッケー

札幌市と帯広市で開催されている冬季アジア大会、男子のアイスホッケーの日韓戦は4-1で韓国が勝利した。
冬季アジア大会が1986年に始まって以来8回目の歴史の中で、アイスホッケー日本男子代表が韓国に負けたのはこれが初めてだ。

●冬季アジア大会における男子アイスホッケー日韓戦の結果
2017年札幌大会
日本1-4韓国

2011年アスタナ/アルマトイ大会
日本6-1韓国

2007長春大会
日本3-0韓国

2003青森大会
日本11-2韓国

1999江原道大会
日本13-1韓国

1996ハルビン大会
日本6 –1韓国

1993年札幌大会
日本11 –7韓国

1986年札幌大会
日本20 –1韓国

元々韓国でアイスホッケーは盛んではなく、五輪開催国でありながら出場出来ない可能性もあった。
アジア大会でも日本にとっては、好敵手というには程遠い存在だった。
ところが、特に男子は急速に実力を付け、男女ともに開催国枠での韓国の出場が決まった。

短期間にアイスホッケーの強化を図るにはどうしたら良いか。
彼等がモデルとするのはもちろん日本である。

1960年から6大会連続五輪出場を果たしてきた日本代表も、1980年を最後に五輪の舞台に立てなくなり、1991年に長野五輪開催が決定した当時、その競争力は落ちていた。
地元の五輪で恥ずかしくない成績を求める声に、日系カナダ人を呼び、帰化してもらい、代表チームを強化することを実践した。

ライアン•藤田、ダスティ妹尾、マシュー•樺山、ライアン•桑原、スティーブ辻占、クリス•ユールといった日本にルーツを持つカナダ人が日本代表に加わり、日本は長野五輪で1勝(オーストリア戦)を挙げ、14か国中13位となった。

韓国でも代表チームの強化のために、外国人選手の帰化を進めることを決めた。
韓国では最近、特別帰化制度とよばれる制度が始まっている。

◆特別帰化=特定分野で優秀な能力を保持しており韓国の国益に寄与するものと認められる場合、特に国籍を付与する制度。一般帰化とは違い、既存の国籍を放棄しなくても良い。

この制度により5人のカナダ人と1人の米国人のアイスホッケー選手が韓国籍を取得した。
元々の国籍を放棄することなく二重国籍。
以下の6名である。

エリック・リーガン(カナダ)
マイケル・スイフト(カナダ)
マット・ダルトン(カナダ)
ブライアン・ヤング(カナダ)
ブロック・ラダンスキー(カナダ)
マイク・テストウィード(米国)

現在開催中の札幌冬季アジア大会には、ブロック・ラダンスキーを除く5名が韓国代表に名を連ねている。

しかし、アイスホッケーは代表チーム同士の実力差があまりにも大きく、先述の長野五輪の日本以外にも、2006年トリノ五輪を開催したイタリアは、11人も帰化選手を獲得した。
1992年のアルベールビル五輪にもフランス系カナダ人がメンバーにいたはずだ。

平昌五輪を控える韓国代表が、少し違うのは、韓国系カナダ人ではない、「白人」のカナダ人をメンバーに入れていること。
来年、平昌五輪本番で初めてアイスホッケーを見る韓国人は、違和感を感じないだろうか。

欧米のメディアも「青い目の韓国代表」には興味があるらしく、ニューヨークタイムスはマイク・テストウィードにインタビューしている。

「今はまだ私は正しい選択をしたのか疑問を感じる時があるが、韓国選手としてプレーすることは、大きな責任感が続くことであり、巨大なプレッシャーを感じている。韓国人たちは、平昌で、私たちが戦う相手を知らない。彼らは、帰化選手を連れて来たので、カナダとも対等に戦えると思っている。」と話している。

ニューヨークタイムスの記事は、韓国の帰化選手たちはアイデンティティの混乱に加えてアイスホッケーへの無関心、またそれとは正反対の過度な期待と戦っていると付け加えている。


●参考記事
平昌の真実Ⅳ 韓国のアイスホッケーは地元開催のオリンピックに出場できるか?

|

February 14, 2017

小平奈緒 五輪本番のリンクで500m平地世界最高記録

先日、スピードスケート世界距離別選手権が開催された江陵オーバルは、来年の平昌五輪のスピードスケート競技の会場だ。
8000人が収容でき、その建設費は1260億ウォン(117億円)に上る。

女子500mで日本人女子として同選手権初の優勝となった小平奈緒。
優勝タイムの37秒13は、自身の日本記録を0秒16縮める日本新記録だった。

今でこそ、スピードスケートは室内リンクで行うのが当たり前の競技になったが、五輪で室内リンクが初めて使われたのは1988年のカルガリー五輪だ。
それまで、天候に泣かされてきたスピードスケートにとって革命的なリンクであった。
好記録が出やすい点と、天候によるスケジュール変更があり得ない点が、テレビ放映に歓迎された。

先の小平奈緒の日本新記録は、世界歴代9位タイの好記録だ。
歴代10傑の中に小平の記録を含めてソルトレイクシティで出された記録が8つ。
カルガリーで出された記録が1つ。

Joshi500

陸上競技と同様に、スピードスケートも、高地であれば空気抵抗が少なく好記録が出やすい。
ソルトレークシティのリンクは標高1425m、カルガリーのリンクは1034m。
この30年近くの間、世界記録はほぼこのどちらかのリンクで生まれてきた。

では、江陵オーバルの標高は何mか?
41mしかない。

ちなみに長野五輪の会場だったMウェーブは標高342m、
ソチ五輪の室内リンクは標高5mでしかなかった。

が、江陵オーバルは、リンクに沿って風が舞い、常に追い風にあるという。
コーナーでもスピードが落ちずに選手にも好評であると聞く。

言うなれば、今回の小平の日本新記録は平地での世界最高記録である。
五輪3連覇を狙う李相花にも今季は一度も負けていない。

平昌五輪からは男女のマススタートも正式種目になった。
高木姉妹も調子が良さそうで、一年後が楽しみである。


|

January 06, 2017

アルペンワールドカップで韓国のチョン・ドンヒョンが14位

平昌冬季五輪まで1年。
韓国のアルペンスキーの選手が、FISワールドカップで初めてポイントを獲った。

選手の名前はチョン・ドンヒョン29歳。
1月6日未明 クロアチアのザグレブで行われた男子回転で14位に入った。
回転競技は2本滑り、その合計で順位が付く。
ザグレブでは、75人が出場、チョン・ドンヒョンは1本目に17位に入り、上位30選手で争われる2本目に進み、合計タイムは14位の2分02秒62。
優勝したマンフレッド・モデルエルグとは2秒59の差だった。

韓国と言えば、ショートトラックそしてスピードスケート(ロングトラック)であり、金妍兒の引退後はフィギュアスケートにも有望な選手はいない。

が、ポテンシャルの高い人材を発掘し、少数精鋭で鍛え上げるのは得意とするところで、ボブスレー、リュージュ、スケルトンといったソリ系種目でも有望な選手が出ており、五輪本番では上位に入る可能性がある。

その一方で、スキー系、特にアルペンを強化することは簡単ではなく、一朝一夕でメダル争いをするような選手を排出することは不可能だ。

このチョン・ドンヒョンもポットと現れた訳ではなく、2010年のバンクーバー五輪から出場しており、平昌が3回目の五輪出場になる。
ただし、過去2回の五輪では、ソチ五輪の大回転で41位が最高だ。

韓国における世界的なアルペン選手は、事実上この選手一人。
一人の選手を、韓国人の監督とコーチ、オーストリア人のコーチ、ワックスマン、さらには理学療法士の5人によるチームが支えている。

このザグレブの回転には、日本から河野恭介と湯浅直樹も出場した。
河野は1本目にコースアウト、湯浅は18位だった。

2006年のトリノ五輪には男子5、女子3の8選手が参加した日本アルペン陣だが、バンクーバー五輪では佐々木明と皆川賢太郎、ソチ五輪では佐々木明と湯浅直樹の2名ずつしか参加していない。
今季の回転で10位、8位、18位と好調の湯浅だが、既に33歳。

有望な若手選手はなかなか出て来ない。

|

December 26, 2016

22歳になった高木美帆

スピードスケートは五輪で男子、女子ともに5種目ずつ実施されている。
男子は1976年に1000mが追加され、女子は1988年に5000mが追加されて5種目になっている。
もっとも女子のスピードスケートは1960年から始まり、1924年から正式種目である男子よりも歴史は短い。

近年、種目の専門化が進み、短距離と長距離の両方こなす選手はいなくなった。
1980年、レークプラッシド五輪で500mから10000mまですべて金メダルを獲ったのはエリック・ハイデン。
実は、最近まで全種目制覇は五輪史上ハイデンが唯一、と思っていたが、もう一人いた。
1964年のリディア・スコブリコーワ(旧ソ連)である。
この時代はの女子は5000mが未実施であったため、4冠王ということになる。

▼4冠王スコブリコーワ 
スコブリコーワは、冬季五輪史上女子のスピードスケートが最初に採用された1960年のスコーバレー五輪の1500mと3000mで金メダルを獲った。
元々は中長距離が得意だったようだ。

1964年のインスブルック五輪の前年、1963年に軽井沢で開催された世界選手権で500m、1000m、1500m、3000mの4種目制覇をやってのけると、インスブルック五輪での4冠の期待が膨らみ始めた。
五輪初日に苦手な500mで同僚のエゴロワに0.4秒差で圧勝すると、4冠達成はいとも簡単に成し遂げられた。
スコーバレー五輪での2個の金メダルと合わせ、冬季五輪6個の金メダルは今も最多タイとして記録に残る。
このインスブルック五輪3000mでHan Pil-Hwa(韓弼花)という選手が銀メダルを獲っている。
この選手は北朝鮮の選手で、五輪のスピードスケート史上アジアで最初にメダルを獲った選手である。

▼22歳になった高木美帆
2010年のバンクーバー五輪に15歳で日本代表に選ばれたのが高木美帆。
1000mが35位(最下位)、1500mが23位と振るわなかったが、当時は中学3年生、史上最年少の日本代表選手と騒がれた。

順調に成長するかと思われたが、19歳で迎えた2014年のソチ五輪は代表落選。
が、日体大4年になった現在は、オールラウンダーとしてスケート界の中心にいる。

先に行われた全日本選手権で全4種目で優勝の完全優勝で、田畑真紀以来14年ぶり史上7人目の快挙を達成した。
全日本選手権女子は500m、3000m、1500m、5000mの4種目で、五輪で行われる3000mは実施しない。

●全日本選手権で全4種目で優勝の完全優勝を達成した選手
江島八重子
渡辺公子
高見澤初枝
鷹野靖子
橋本聖子
田畑真紀
高木美帆

|

November 16, 2016

今季も中心は44歳葛西紀明

ウィンタースポーツの季節になった。
男子のスキー・ジャンプは、今年も葛西紀明が中心である。

葛西紀明は1972年6月6日生まれの44歳。
1972年というのは、札幌五輪の開催された年だから、如何に長くこの競技を続けているかが判る。
1994年のリレハンメル五輪ジャンプ団体の銀メダリストの一人であるが、そこから20年経った昨年のソチ五輪の個人LHで銀、団体で銅メダルを獲った。

W杯に初めて参戦したのは、東海大四高校(現東海大札幌)1年時の1988/89シーズン、札幌大会に16歳6ヶ月の史上最年少(当時)で出場した。
それから27年、世界の第一線で飛び続けている。
この葛西の例は、ジャンプ以外のあらゆる競技を含めても異例であり、国内外からレジェンドと尊敬を集め称されている。

跳び続けたW杯の502戦は、もちろんギネス世界記録。
2位はフィンランドのヤンネ・アホネンの399戦、3位はスイスのシモン・アマンの357戦だが、100戦以上の差がある。

●ジャンプW杯出場試合数
①葛西紀明 502戦 17勝
②ヤンネ・アホネン 399戦 36勝
③シモン・アマン 358戦 23勝
④ウルフギャング・ロイツル 356戦 4勝
⑤ロアル・ヨケルソイ 350戦 11勝

 マルティン・シュミット 292戦 28勝
 マッチ・ハウタマキ 289戦 16勝
 アンドレアス・ゴルドベルガ― 288戦 20勝
 トーマス・モルゲンシュテルン 245戦 23勝
 アダム・マリシュ 261戦 39勝
 グレゴア・シュリーレンツァウアー 215戦 53勝
 伊東大貴 241戦 4勝
 船木和貴 238戦 15勝
 原田雅彦 211戦 9勝
 岡部孝信 215戦 5勝
 宮平秀治 181戦 1勝
 イェンス・バイスフロク 191戦 33勝
 マッチ・ニッカネン 143戦 46勝

葛西は、2014年11月には通算17勝目を挙げ、W杯最年長勝利を42歳5か月に更新した。
2015年3月の昨季第25戦では3位に入り、最年長表彰台記録をも43歳8カ月に塗り替えた。
ほかにも通算勝利17勝は15位。
通算表彰台61回は9位。
10位以内に入った試合数は205回の2位など数々の記録を持っている。

恐らくは桁外れのプロ意識の持ち主なのだろうが、日本人選手で葛西に次ぐのが伊東大貴の241戦 4勝であり、その伊東も30歳を超えた。
葛西を超える選手が出て来ないことも長く活躍している要因のひとつだろう。

|

February 08, 2016

スキーのW杯 日本人最多勝利は高梨沙羅の41勝 続くのは荻原健司の19勝

W杯を冠したスキーの競技会は多く存在する。
アルペンスキーが最も古く、1966年~67年のシーズンに始まった。
他種目に比べても随分と古い。

当時アルペンスキー界は4年に一度の冬季五輪、2年に一度の世界選手権、そして3大クラシックといわれるアールベルク・カンダハー、ラウバーホルン、ハーネンカムの競技会があった。
この3大クラシックを含めて、アルペンスキーのシーズンの王者を決めようとW杯が始まった。
そのモデルとなったのは自転車のツールドフランスだったといわれている。

その後、他種目でも生まれたウィンタースポーツのW杯は、いずれもシーズンを通してチャンピオンを決めようとするもので、ジャンプが1980年から、クロスカントリーが1982年から、ノルディック複合が1983年のシーズンから始まった。

日本勢のW杯初勝利は1980年1月、札幌・大倉山で開かれたジャンプ90m級(LH)の八木弘和氏で、ひと月後のレークプラシッド五輪70m級(NH)で銀メダルに輝いた。

競技別にみると、ジャンプの103勝がトップ。複合が29勝、モーグルが12勝。
世界の壁が立ちはだかるクロスカントリーとアルペンは未勝利。(スノーボードも10勝以上勝っているが詳細不明。)

日本人選手の最多勝はジャンプ女子の高梨沙羅の41勝。(2016年2月6日現在)
続いて複合の荻原健司が92~96年の4シーズンで挙げた19勝。
43歳のジャンプの葛西紀明が17勝、長野五輪金メダリスト船木和喜が15勝と続く。

モーグルでは五輪で金、銅メダルを獲った里谷多英が2勝であるのに対し、五輪では4位が最高順位の上村愛子が10勝を挙げている。

ちなみにジャンプの最多勝はグレゴア・シュリーレンツァウアー(オーストリア)の52勝、不倒の勝利数と言われたマッチ・ニッカネン(フィンランド)は46勝。
高梨がこの調子で行くと、今季中にニッカネンを超える可能性がある。
 
ノルディック複合では、ハンヌ・マンニネン(フィンランド)が48勝、かつて最多勝利だった19勝の荻原健司は9位まで落ちている。

ちなみにアルペン界での最多勝はインゲマル・ステンマルク(スウェーデン)の86勝。
これを超える選手は出てこないだろうと思っていたが、リンゼイ・ボン(米国)が76勝で背中が見えて来た。

●スキーW杯日本人勝利数
Fiswc


|

November 17, 2015

ロシア選手がスピードスケートで世界新もドーピングの影がつきまとう

11月15日にカナダ・カルガリーで行われたスピードスケートのW杯男子500mで、パベル・クリズニコフ(ロシア21歳)が34.00の世界新記録を出した。
これまでの記録は、カナダのジェレミー・ウォザースプーンが2007年に出した34.03。
この記録をを8年ぶりに更新した。

ロシア、世界新と聞くといやな気分になる人も多いだろう。
陸上競技でドーピング疑惑に揺れるロシア。
陸上以外の競技の選手も当然白い目で見られている。

加えてパベル・クリズニコフは、2012年に帯広で行われた世界ジュニア選手権で、1000mに優勝、500mも3位に入ったが、レース後にメチルヘキサナミンに陽性となり、2年間の資格停止処分となった。
この2年の間には、地元開催のソチ五輪があったことは言うまでもない。

クリズニコフが陽性となったメチルヘキサナミンは、鼻づまり治療のための鼻孔充血抑制薬として用いられていた薬だが、興奮剤としてWADAによって禁止薬物に加えられた。
クリズニコフは、陽性発覚後、風邪のための鼻スプレーの薬物として用いたと主張した。が、当然通らなかった。

ドーピングによる資格停止が解けて、今年2月、オランダ・ヘーレンフェインで行われた世界距離別選手権に出場したパベル・クリズニコフは、①34.38、②34.54の驚異的な記録をそろえて初制覇をしており、現役最強のスプリンターであることは誰しもが認めること。

ご存知のように、ソチ五輪の男子のスピードスケートはオランダが圧勝し、日本もロシアも惨敗だった。
クリズニコフもどこかで唇をかみしめていたのかもしれない。

とはいうものの、今回のロシアのように大掛かりなドーピングが発覚すると、その国の他競技にまで影響が及ぼされるいい例だ。

500ranking


|

より以前の記事一覧