陸上競技

August 14, 2017

ドーピングだけじゃない 陸上界を惑わす国籍変更選手

世界陸上ロンドン大会が閉幕した。
終盤になって、日本チームは男子4継リレーや男子競歩が活躍したが、多くの選手は予選突破さえままならぬ状況で、世界のトップクラスとの差を痛感した大会でもあった。

次回は2年後、2019年カタールのドーハ、2006年のアジア大会のメイン競技場だったハリーファ国際スタジアムで、2019年9月28日から10月6日に開催される。

カタールのスポーツ界の顔と言えば、ムタズ・エサ・バルシム。
世界陸上ロンドン大会の走り高跳びでも金メダル(2m35)を獲った。

バるシムは、2010年の世界ジュニア選手権で2m30を跳び優勝し、その名を世界に轟かせた。
余談だが、この大会の200mの金メダリストが日本の飯塚翔太で、3位に入ったのがカナダのアーロン・ブラウン。
飯塚とブラウンはロンドン世界陸上の男子 200m予選7組で同走した。
ブラウンが、飯塚に先着していたが、コースオーバーのため失格となり、飯塚が繰り上がった。

ムタズ・エサ・バルシムは、長身痩躯の小顔という見るからに走り幅跳びの選手と言う風情。
度々、アフリカからの帰化選手と間違えられるが、父親もカタール人、ただ、母親がスーダン人で、やはりアフリカの血が流れている。

カタールと言えば、世界中から優秀なアスリートを招き、カタール代表に仕立てて活躍させるという国家戦略を持つ。
リオ五輪にも出場したハンドボールは顕著な例で、さながら世界選抜軍団、純粋なカタール人は一人しかいなかった。

このカタール型選手選抜方式は、ロンドン大会でも見られた。
男子400mで銅メダルを獲ったアブダレラ・ハルーンは、元々はスーダン人。
ほかにも男子400mハードルで7位に入ったA・サンバはモーリタニア人である。

ところが、カタール以上に海外選手を青田買いした国があった。
ペルシャ湾を挟んで北西に位置するバーレーンだ。

バーレーンは、女子マラソンでローズ・チェリモが金メダル、ユニス・ジェプキルイ・キルワが6位入賞したが、2人ともケニア出身。
日常生活もほぼケニアで行い、表彰などでしかバーレーンに行かないという。

女子3000mでロンドンでは5位だったが、リオデジャネイロ五輪金メダリストのルース・ジェベットもケニア出身。
この人のリオ五輪金メダルには、500万米ドルが支払われているとの報道もあった。

ほかにも男子100mで準決勝敗退したAndrew Fischerはジャマイカ出身。
男子1500m 19位の Benson Kiplagat Seurei
男子5000m 28位のAlbert Kibichii Rop
男子10000m 12位のAbraham Neibei Cheroben の3人はいずれもケニア出身。

女子400m 銀メダルのサルワ・エイド・ナセル
女子200m で準決勝まで行ったEdidiong Ofonime Odiongはいずれもナイジェリア出身といった具合だ。

この2カ国ほどではないが、陸上選手の国籍変更は様々な国で起こっている。
業を煮やした国際陸連は、今年2月の理事会で選手の国籍変更を一時凍結。
今後は新たなルールの下に行われることになりそうだが、現時点で国籍を変更している選手はそのままということになりそうだ。

ドーピングとともに悩ましい問題である。

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August 08, 2017

ドーピングで1年間出場停止だった呂会会 女子やり投げメダルに挑む

世界陸上ロンドン大会5日目。
今日注目の種目は女子のやり投げ決勝だ。
日本から参加した海老原有希、斉藤真理菜、宮下梨沙の3選手の予選突破はならなかったが、注目の選手が一人いる。

中国の呂会会(Huihui Lyu)28歳だ。
呂会会は、今大会の予選でアジア新記録となる67.59mを投げ、1位で通過した。
2015年の北京世界陸上2位(66.13m)、リオ五輪7位(64.04m)など実績も十分、確実にメダルに絡んでくると思われる。

この選手の年別のベスト記録を見てみよう。

2017年 28歳 67.59m 世界陸上予選アジア新記録
2016年 27歳 64.04m リオ五輪7位
2015年 26歳 66.13m 北京世界陸上2位
2014年 25歳 なし
2013年 24歳 64.48m 
2012年 23歳 64.95m ロンドン五輪は63.70mで5位
2011年 22歳 58.72m
2010年 21歳 55.35m

22歳まで平凡な記録の選手だったのが、23歳の2012年に自己ベストを6m以上伸ばしている。
一方、2014年には競技会に出場していない。
果たして何があったのか?

2013年4月27日に、ヒドロクロロチアジドに陽性であると認められ、2013年5月24日から2014年5月23日まで1年間の出場停止処分を受けていたのだ。

ヒドロクロロチアジドはそれ自体が性能向上薬ではないが、性能向上薬の使用を隠すために使用され、「特定物質」として世界アンチ・ドーピング機関に分類されている。

恐らくは呂会会の場合、何らかの禁止薬物を使用し、それを隠すためにヒドロクロロチアジドを服用していたということのようだ。

今、陸上界はドーピング違反者に厳しい目が向けられている。
先日、ウサイン・ボルトに勝ったジャスティン・ガトリンが過去にドーピング違反をし、出場停止となった経験があることから、優勝しても祝福されないと伝えられている。
セバスチャン・コーを生んだ国だからか?
英国の陸上ファンは、特にドーピングに厳しいという。

元10種競技日本王者の武井壮氏がこんなツイートをしている。

呂会会はこのケースに該当するではないか。

呂会会がメダルを獲った時、ロンドンの陸上ファンはどう反応するのだろうか。


追記
●2017年8月8日 呂会会は銅メダルだった。
1位 バルボラ・シュポタコバ(チェコ) 66.76m
2位 李玲蔚(中国) 66.25mPB
3位 呂会会(中国) 65.26m

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August 07, 2017

陸上女子100m世界歴代ランキング

陸上女子の100m世界歴代ランキングを作ってみた。

青字は、今朝の世界陸上ロンドン大会のメダリストの自己ベスト。
赤字は1980年代に出された記録。

London2017


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August 04, 2017

胸と背中に輝くTDK 世界陸上

今週末からロンドンで世界陸上が始まる。
舞台は「ロンドン・スタジアム」。
2012年のロンドン五輪のメイン会場だったスタジアムだ。
五輪当時は8万人の収容を誇ったが、改修を経て現在は6万人収容に変わっている。

現在では、五輪を除くスポーツの大会に出場する選手のゼッケンに企業ロゴが入ることは当たり前のことだ。
ロゴの企業はつまりはスポンサー企業。
スポンサーからの協賛金が、主催者に支払われている。
世界陸上では、第1回のヘルシンキ大会からこの制度が取られれている。
スポーツとビジネスとが蜜月になっていく分岐点が1984年のロサンゼルス五輪といわれるが、その1年前のことになる。

そのゼッケンスポンサーに名乗りを挙げたのはTDK。
当時からカセットテープ、ビデオテープの日本におけるトップ企業だったが、世界的知名度は、現在と比較すると低く、ヨーロッパで人気の高い陸上競技に目を付けた。
以後、世界陸上は今年のロンドン大会で16回目となるが、男子選手の胸と背中にはTDKのロゴが必ずある。

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▲三田工業がスポンサー時代の世界陸上の様子

一方、女子は第1回大会こそTDKだったが2回目以降は様々な企業が、(といっても日本企業がほとんどなのだが、)務めてきた。
中でも異色なのは1987年・97年・99年にゼッケンスポンサーを務めた三田工業。
業務用の複写機、印刷機の製造販売を手掛け、日本国内よりも海外で高いシェアを誇っていた企業だが、粉飾決算事件の影響で1998年に会社更生法を申請し倒産した。

IAAFとの契約は別法人の海外子会社を通じて結んでおり、倒産後は債権者への配慮もあり、打ち切る方針を一度は決めた。
が、契約を途中で打ち切っても残金の支払い義務があることや、社員の士気を高める効果などを考慮し、99年大会までゼッケンスポンサーを続けたという経緯がある。
三田工業は2000年に京セラグループ入りし、現在は、京セラミタと社名を変更している。

また、余談だが『僕って何』で芥川賞を受賞した三田誠広氏は旧三田工業の経営陣の親戚にあたる。

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July 27, 2017

陸上競技のなかなか破ることのできなかった日本記録

戦前の日本陸上界に南部忠平さんという大選手がいた。
札幌の円山競技場で毎年行われている南部忠平記念陸上競技大会は、南部さん(以下敬称略)の出身である札幌市で、彼の業績を記念したものだ。

南部は、1932年のロサンゼルス五輪の三段跳びで金メダルを獲ったことは広く知られている、が、同じ大会の走り幅跳びでも7m45で銅メダルを獲っている。

この前の年(1931年)10月27日、後に国立競技場が建つ地にあった神宮競技場で行われた競技会で、世界新記録となる7m98を跳んでいた。
ちなみに同日の三段跳びでは、アムステルダム五輪金メダリスト織田幹雄が15 m58の世界新記録を出している。

南部の世界記録は、ベルリン五輪の4冠王ジェシー・オーエンスが、1935年5月25日ミシガン州アンアーバーでの競技会で、8m03を跳ぶまで、4年近く世界記録だったが、日本国内で、この南部の7m98を超える選手はなかなか現れず、1970年6月7日、山田宏臣(故人)が8m01を跳ぶまで38年7カ月破られることがなかった。
(そして、この種目の現在の日本記録は森長正樹の8m25だが、1992年5月5日の記録であり、25年間破られていない。)

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同じく38年間破られなかった日本記録が円盤投げだ。
1979年4月22日に川崎清貴が投げた60m22の日本記録は、今年7月22日堤雄司が国士舘大で開催された国士舘大競技会で60m37を投げ、38年3か月破られなかった日本記録を超えた。

来月ロンドンで開催される世界陸上にIAAF からのInvitationにより追加で出場することになった、新井涼平のやり投げも長い間日本記録が破られていない。
日本記録は溝口和洋が1989年5月27日サンノゼの競技会で投げた87m60。
当時世界歴代2位という大記録だったが、リオ五輪でも銅メダル相当、ロンドン五輪なら金メダルが獲れた記録だ。
この記録が28年以上破られていない。
新井涼平の自己ベストは86m83、2009年のベルリン世界陸上で銅メダルを獲った村上幸史の自己ベストが85m96だ。

室伏広治の持つハンマー投げの日本記録84m86は、2003年5月10日のプラハ国際で出された記録だ。
既に記録達成から14年が経つが、日本国内にこの記録を脅かす選手は皆無。
恐らくはあと15年くらいは誰も届かないのではないだろうか。

女子についてはそのうち書きます。

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July 19, 2017

100mの手動日本記録保持者石沢隆夫さんが亡くなる

陸上100mの手動日本記録、10秒1の保持者のひとりだった石沢隆夫さんが亡くなった。
ご冥福をお祈りします。

●男子100m手動による日本記録推移と1999年までの電気計時
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別表のように10秒1の日本記録を持っていた選手は7人(たぶん)。
石沢隆夫さんは、1973年の第1回アジア陸上競技選手権(マニラ)で3位になった際に、10秒1を出した。
1ただし、0秒6だったという説もある。

このとき優勝したのが、アジアの『超特急』ラタナポール(タイ)。
ラタナポールは、1974年のテヘランアジア大会では、100m、200mの2冠に輝くが、この大会の200mで2位になったのが石沢隆夫さんだった。

先述のマニラで2位だったのが、同じくタイのスチュアート。
この人は1978年のバンコクアジア大会の100m金メダリストでもある。

この当時日本の短距離は、なかなかタイに勝てなかった。

陸上競技のタイムの計測には、現在行われている電気計時のほかに手動計時があった。
手動計時とは、簡単に言えば、10分の1秒までしか計測できないストップウオッチで記録を計るものだ。

1975年1月1日以降、400m以下のレースの世界記録は電気計時と手動計時の2本立てで公認されることになったが、翌年、1976年8月からは、400m以下の記録は100分の1秒単位の電気計時しか公認されないことになっている。

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July 11, 2017

世界陸上開幕直前 アジアのやり投げは格段に進歩している

南部記念陸上は、札幌市三段跳び五輪金メダリスト南部忠平さんを記念した陸上競技大会で、出身の札幌市の厚別公園競技場で毎年開かれている。
今年は、同時期に開催されていたアジア選手権とともに世界陸上ロンドン大会の選考を兼ねていた。
リオ五輪のやり投げ11位の新井涼平は78m45に終わり、世界陸上参加標準記録83.00 mに及ばなかった。

新井は、先の日本選手権で、82.13mを投げており、83m突破も十分あると思われていた。

やり投げと言えば、比較的日本人選手が世界で活躍し得る種目であると思われるが、世界、あるいはアジアは物凄い勢いで動いている。

南部記念と同時期に行われていたアジア選手権のやり投げの結果である。

1.ニラジュ・チョプラ(インド・19歳)85.23m
2.アフメド・バデル・マゴール(カタール・21歳) 83.70m
3.デイビンダー・シンカン(インド) 83.29m

世界U20チャンピオンで同世界記録保持者のニラジュ・チョプラが85.23mで優勝。
カタールのマゴールが83.70mで2位。
なんと、チョプラは19歳、マゴールは21歳だと言う。

今年4月にアジア歴代4位86m92のビッグスロー見せた台湾の23歳・鄭兆村が80.03mで6位に入った。

新井涼平は、国士舘大を卒業してから急速に距離を延ばした選手だから、若いイメージがあるが、1991年6月生まれの26歳。
世界は(アジアは?)、一気に若返っている。

ロンドン世界陸上のやり投げに日本人選手が出場しないとなると、2003年のパリ大会以来となる。
この大会を覚えているだろうか。
そう、末續慎吾さんが200mで銅メダルを獲ったあの大会だ。

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*吉田雅美さん、2000年に亡くなられましたけど懐かしいですね。

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May 08, 2017

陸上100mのはなし② レースに遅刻したアメリカ選手たち

2007年11月。元陸上選手のロバート・テイラーが59歳という若さで亡くなった。
このテイラーが出場したミュンヘンオリンピックの100メートルは、歴史に残る迷レースであった。
なんと、優勝候補と目されていたアメリカの2選手が、召集時間に遅刻をしたのだ。
一体彼らに何があったのか。事の顛末はこうだ。

100メートルの2次予選は、8月21日午後4時15分に始まる予定だった。ところが、競技時間が近づいても、アメリカチームはスタジアムにやってこない。
エントリーしていた選手は、ロバート・テイラー、エドワード・ハート、レイナード・ロビンソンの3人。
彼らのコーチ・スタンライトは、オリンピックの18ヵ月も前に作られたスケジュール表に書かれていた「2次予選・午後7時スタート」を選手に伝えていた。
その後、時間が変吏になったことなどつゆ知らず、4人はスタジアム行きのバスを、ABCテレビの本部の中で待っていたというわけである。
本部の中では、100メートルの競技会場の映橡が流れていた。これが彼らがこれから走るスタジアムだ。スタートラインには続々と選手たちがついていく。
彼らは4人とも、この様子を1次予選の録画だと思っていた。
ところが映像は録画ではなく、2次予選の生中継だとABCのスタッフから伝えられると、選手たちの顔が一斉に青ざめた。
1組目で走るレイナード・ロビンソンはまさに今、この映像の中でスタートラインについていなくてはならなかったのだ。
4人は大慌てでスタジアムに向かうものの、到着した時には、既に2組目のレースまで終わってしまっていた。
1組のロビンソンと2組のハートは、遅刻で失格となってしまった。
3組目のテイラーは急いで準備をし、スタートラインになんとか滑り込むことができた。
2次予選、準決勝をなんとか勝ち抜いたテイラーは、決勝で10秒24というタイムで銀メダルを獲得した。

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▲このレースの途中で走るのをやめた3コースのクロフォードは、4年後のモントリオール五輪でボルゾフに勝って金メダルを獲るのだが、詳しくは別の機会に。

この時優勝したのは、ソ連のヴァレリー・ボルゾフ。タイムは10秒14。
平凡なタイムのボルソフの金メダルは[タナボタ]などとアメリカのマスコミに郷楡された。
ところが、ボルソフは、続く200メートルで当時のシーズンベストである20秒00という好タイムで優勝し、マスコミを黙らせた。
さらに4年後の1976年モントリオールオリンピックでも100メートルで銅メダルを獲得し、「ソビエト最高の精密機械」、「研究室から生まれた金メダリスト」などと呼ばれた、陸上史に残る名ランナーだ。

PHOTO:上は 100m決勝の様子。
下は、夫人であるミュンヘン五輪女子体操個人総合金メダリストリュドミラ・ツリシュチョワと子供と写った写真。
夫妻はともにウクライナ人。
ボルゾフは初代ウクライナ五輪委員会の会長を務めた。
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April 26, 2017

陸上100mのはなし① ボブ・ヘイズとジム・ハインズ

昨年のリオデジャネイロ五輪 陸上男子400mリレーの銀メダリストで、1走を務めた山縣亮太が、右足首周辺に痛みが出たことから今月29日に出場を予定していた織田幹雄記念国際大会を欠場するという。
広島出身の山縣にとって、織田記念は思い入れがあるだろうから残念な気もするが、次回に期待したい。

山縣といえばセイコーホールディングスの所属で、プロ契約ではない一般社員だ。

日本の時計メーカー・セイコーは、東京、札幌、長野の日本で開催された3回の五輪でいずれも公式計時を担った。
特に1964年の東京五輪での功績は高い。
日本政府は当時、国産技術による「科学の五輪」というスローガンを掲げた。
セイコーの技術者たちは各競技のルールを学ぶところから始め、高精度のストップウオッチや、スターターピストルと連動した写真判定装置などを開発した。
東京五輪でボブ・ヘイズ(米国)が、陸上男子100mで金メダルを獲った際の写真判定は目にした方も多いのではないか。
検索してみれば、すぐに出てくるだろう。

ところが、2020年の東京五輪で公式計時を担うのはスイスのオメガ社だ。
IOCにはTOPと呼ばれる公式スポンサー制度があり、1つの分野には1社としか契約することができない。
時計はスイスのオメガ社との契約が継続されている。
現在のIOCとオメガ社との契約は2009年に結ばれたもので、2014、16、18、20年までの4回の五輪に製品を提供するというもの。
その総額は8000万ドルという巨額のものだ。

若い人は知らないかもしれないが、陸上競技のタイムの計測には、現在行われている電気計時のほかに手動計時があった。
手動計時とは、簡単に言えば、10分の1秒までしか計測できないストップウオッチで記録を計るものだ。

オメガは1932年のロサンゼルス五輪で、10分の1秒まで計れるストップウオッチを開発し、30個を組織委員会に提供した。
以後、五輪と深くかかわっていく。
1952年のヘルシンキ五輪では、100分の1秒まで計測できるストップウオッチも導入されているが、正式記録は10分の1秒までの手動計時による記録という時代が長く続いた。

東京五輪の陸上競技の記録測定については、諸説ある。
①手動計時による記録が正式なものだが、試験的に使った写真判定装置の電気計時が100分の1秒まで正確に計れることを実証したため、東京以後の五輪では電気計時が正式タイムとなった。
②写真判定装置の電気計時が初めて導入され100分の1秒まで計測された。が、正式記録は10分の1秒までとされた。電気計時の故障に備え、3人の手動計時の記録員がこれまでの五輪同様準備されていた。

東京五輪の100mに優勝したボブ・ヘイズは、『黒い弾丸』という異名をとり、第1レーンを滑走する姿は日本人に強烈な印象を残した。
このときの記録は世界タイの10秒0。
100分の1秒まで計測できる電気計時では10秒06。

この当時、1970年まで陸上競技の全自動電気計時のタイムは、スターターのピストル発射後0.05秒で時計が始動する取り決めがあり、10秒06から0秒05を引き10秒01。
競技規則の換算表によって10秒0と発表された。

3人の記録員の手動で計ったタイムは9秒8、9秒9、9秒9。
限りなく9秒9に近い10秒0であったといえる。
上記の2説の内、①が正しいのであればヘイズの公式記録は9秒9=世界新とされたはずだ。
だが、10秒0となっていることから②が正しいと推測される。

  金 ボブ・ヘイズ 米国 10秒0 (10.06)
  銀 エンリク・フィゲロラ キューバ 10秒2 (10.25)
  銅 ハリー・ジェローム カナダ 10秒2 (10.27)

ちなみにヘイズは1次予選から決勝まで4回100mを走っているが
  1次予選 10秒4 (10.41)
  2次予選 10秒3 (10.37)
  準決勝 9秒9 (9.91) (追い風5.8m参考記録)
  決勝  10秒0 (10.06) (世界タイ記録)

という記録が残っている。

100mで初めて10秒の壁を破ったのは、メキシコ五輪の100mを制するジム・ハインズ。
メキシコ五輪開催の年1968年の6月開催された全米選手権の準決勝だった。
記録は手動計時である。

  準決勝第1組 ①ジム・ハインズ 9秒9 ②ロニー・スミス 9秒9 
  準決勝第2組 ①チャーリー・グリーン 9秒9 

この日ハインズ、スミス、グリーンの3人が手動計時で9秒9の世界新記録を出したとされている。
その年の10月に開催されたメキシコ五輪でもハインズは優勝している。

  金 ジム•ハインズ 米国 9秒9 (9.95)
  銀 レノックス•ミラー ジャマイカ 10秒0 (10.04)
  銅 チャーリー•グリーン 米国 10秒0 (10.07)

1970年になり、全自動電気計時をスタートのピストル発射から0.05秒遅れて始動させる調整は廃止される。
そして1975年1月1日以降、400m以下のレースの世界記録は電気計時と手動計時の2本立てで公認されることになった。このときにジム・ハインズの9秒95が世界記録として公認された。
さらに、1976年8月からは、400m以下の記録は100分の1秒単位の電気計時しか公認されないことになっている。

話をボブ・ヘイズに戻そう。
東京五輪陸上男子100mで金メダルを獲ったボブ・ヘイズは、日本人に強烈な印象を残した。
が、その後の人生は日本ではあまり知られていない。
五輪後ヘイズはNFLのダラス・カウボーイズに入団し、俊足のワイドレシーバーとして活躍した。
東京五輪から7年後1971年28歳の時には、スーパーボウル優勝も経験している。
長い五輪史の中で、金メダルとSB・リングを獲得したのはボブ・ヘイズひとりしかいない。

*1984年ロサンゼルス五輪砲丸投げで銀メダルを獲ったマイケル•カーターは、同じ年SFフォーティナイナーズに入団。なんとその年のスーパーボウルで優勝した。
ボブ・ヘイズには及ばないが、五輪メダルとスーパーボウル優勝を同一年に成し遂げた唯一の選手である。
なおNFLのドラフトはロス五輪の直前にあった。

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January 26, 2017

北京五輪の陸上400mリレー ジャマイカが失格、日本が銀メダルに

国際オリンピック委員会(IOC)は25日、2008年北京五輪のドーピング再検査の結果、陸上男子短距離のネスタ・カーター(ジャマイカ)が禁止薬物に陽性反応を示したため、失格処分にしたと発表した。
カーターが1走を務めて400mリレーで優勝したジャマイカも失格となる。

北京五輪のジャマイカが失格し、下位の順位がひとつずつ繰り上がる。
日本チームが銅メダルは銀メダルになる。

ネスタ・カーターは、五輪ではもっぱらリレー要員だが、北京、ロンドンとジャマイカの2連覇に貢献した選手だ。
陽性反応は北京五輪だけで、ロンドン五輪のものは問題ないという。


2000年以降の五輪の陸上競技のリレーで、ドーピングが発覚して順位が変わった例が2回ある。
1回目は2000年のシドニー五輪。
100m(金)、200m(金)、4×400mリレー(金)、4×100mリレー(銅)、走り幅跳び(銅)の5つのメダルを獲ったマリオン・ジョーンズ(米国)が、2007年になって自らドーピングを告白し、2008年1月にすべてのメダルがはく奪された。

こうした場合、順位は元々下位だった選手が繰り上がるのだが、100mは、当初銀メダルだったエカテリーニ・タヌー(ギリシャ)もドーピングの疑いが濃く、金メダルは現在も空席のままになっている。
リレー2種目については、2008年4月にリレーの他メンバー7人についても一度はメダル剥奪処分が決められた。が、CAS(スポーツ仲裁裁判所)は、2010年7月に失格処分は無効と裁定、マリオン・ジョーンズを除く米国チームの7人についてはメダル剥奪は撤回された。

一方、5年前の年ロンドン五輪男子400mリレーでは、2位に入った米国チームのメンバーのタイソン・ゲイが、2013年7月にドーピング違反で資格停止となり、ロンドン五輪での米国チームは失格、全員の銀メダルがはく奪された。
これに伴い、5位だった日本が4位に繰り上がっている。

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▲北京五輪4×100mリレー決勝

日本のメンバーは塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治。

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