陸上競技

September 15, 2017

東京オリンピックは本当に開催されるのか?

東京に続く2024年、28年の二つの夏季五輪開催地が、パリとロサンゼルスに決定した。

カネのかかりすぎる五輪開催に意欲的な都市が激減したことを踏まえ、IOCが2大会の開催地を一度に決めたのだ。

ところが、IOCの中心的メンバーだった人物が、リオデジャネイロ、東京の招致運動の前後に、高額の時計や宝石を購入していたという調査結果が出ており、買収目的の資金が渡った可能性があるとの結論を出したことが分かった。英紙ガーディアンが14日報じた。

前国際陸連IAAF会長のラミーヌ・ディアク(セネガル)は、急死したプリモ・ネビオロ(イタリア)の後を受けてIAAFの会長に就き16年(1999年11月から2015年)に渡って務めた。

2020年夏季五輪の開催地が東京に決まったブエノスアイレスでIOC総会が行われた2013年、10人の陸上競技出身のIOC委員がいた。
ラミーヌ・ディアクにとって彼らを束ねることは多分難しくなかったのだろう。

東京五輪招致の裏金の問題のそもそもの発端は、女子マラソンのリリア・ショブホワ(ロシア)のドーピングが発覚した際に、彼女がロシア陸連に7000万円を払ったことに始まる。
その際に使われたのがシンガポールにあるBLACK TIDINGSの口座だった。

東京と2020年五輪の開催地を争ったのが、トルコのイスタンブール。
陸上競技は、サッカーを除けば、世界的にも最も人気の高い競技だ。
だが、IAAFの財政を支えているのは日本企業だ。
TBSがIAAFの各選手権の独占放送権を持っているほか、IAAF公式パートナー4社(トヨタ、TDK、セイコー、キアシックス)は、いずいれも日本企業だ。
ラミーヌ・ディアクが東京招致に協力するのは明らかかと思われていた。

これに対し、イスタンブールもIAAFに近づいていった。
トルコはそれまでIAAFの公式競技会を開催したことがなかったが、イスタンブールは2012年春に世界室内陸上選手権を開催した。
そして、同じ年に行われたロンドン五輪の陸上女子1500mでは、トルコのアスリ・カキルアルプテキンが金メダル、同じくガムゼ・ブルトが銀メダルを獲った。
トルコにとって陸上競技での金メダルは史上初の快挙だった。

ところが、ロンドン五輪の翌年、アスリ・カキルアルプテキンのドーピングが発覚し、やがて金メダルははく奪されることになる。
その時の経緯はこうだ

IAAFのラミン・ディアク前会長の息子でIAAFコンサルタントだったパパ・マッサタ・ディアクが、ロンドン五輪陸上女子1500mで優勝したアスリ・カキルアルプテキン(トルコ)のドーピング違反をもみ消す見返りに3万5000ユーロ(約450万円)の賄賂を受け取った。
カキルアルプテキンは違反が発覚して昨年(2015年)8月に8年間の資格停止処分と金メダル剥奪が確定した。(毎日新聞16年1月15日)

パパ・マッサタ・ディアクが、ロシア選手だけでなくトルコの選手をも餌にして私腹を肥やそうとしていたのだ。
IAAFは、毎年ダイヤモンドリーグという陸上競技のシリーズを開催している。
五輪や世界陸上とは別に、シーズン中に世界各地を転戦し年間総合王者を決めるというもの。
高額な賞金を売りものとし、スキーのW杯に似た形式だと思っていただければいい。

ダイヤモンドリーグは、その発足当初からスポンサーのサムスンの名を冠していたが、2011年の世界陸上大邱大会が終わると、サムスンは世界陸上とダイヤモンドリーグの両方のスポンサーを降りることになった。

IAAFのラミン・ディアクは、サムスンの後釜となるスポンサー企業を探した。
カネのにおいに敏感な彼は、五輪招致レースをしていたトルコと日本に、「IOC総会での票に繋がるから企業を紹介してほしい」と声を掛けた。

トルコからは世界室内陸上でも協賛した携帯会社のTURKCELL、バスケットボールの欧州チャンピオンズリーグの冠スポンサーであるTURKISH AIRLINESに打診したようだが契約には至らず、日本のキヤノンがIAAFのスポンサーに新たに加わった。

この時のことは英国の高級紙THE GUARDIANにも記事がある。
https://www.theguardian.com/sport/2016/jan/14/bidding-2020-tokyo-olympics-IAAF-scandal
(日本語訳)イスタンブールは、世界陸上か、ダイヤモンドリーグに400万ドル~500万ドルのスポンサーマネーを払わなかったため、トルコはラミン・ディアクのサポートを失った。トランスクリプトによると、日本はこれを支払った。

2012年11月15日 日本の新聞各紙にも以下のような記事が載っている。
キヤノンは14日、来年(2013年)から4年間、世界選手権など国際陸連が主催する15の大会に協賛することを発表した。カメラ、レンズのメンテナンスなどを通じて報道関係者を支援すると同時に、同社の印刷機器などが大会で使用される。

世界陸上はその最初に行われた1983年から、日本企業の協賛を得てきた。が、いずれも長期に渡っておりキヤノンの4年間、しかも2013年~16年の4年間という短期は例がない。
キヤノンが「IAAFの依頼を受けて協賛した」というのは海外メディアも書いている。

2013年6月 地中海競技大会がトルコのメルシンで開催された。
大会中、トルコの陸上選手団に30名の大量ドーピング疑惑が浮上し、トルコ陸連の会長は8月に入り責任をとって辞任に追い込まれていく。

トルコの陸上選手のドーピング騒動が、IAAFの協賛を断ったから明るみに出たのか、それとも表に出るのが必然だったのか、それは判らない。
五輪開催地が決まるIOC総会が9月9日に開かれることを鑑みれば、直前の立候補国のドーピング大量摘発は、招致決定に何らかの影響があっただろうことは想像に難くない。

敢えて書くならば、この時期東京側は、東京からわずか250キロしか離れていない福島第一原発事故由来の汚染水問題が連日テレビを賑わしていた。
その中で、招致を争う国の不祥事は東京側にとって有り難かったのは間違いない。

経緯を時系列にしてみた。

2012年3月
世界室内陸上選手権トルコ・イスタンブールで開催

2012年7月
ロンドン五輪開催
女子1500mで、アスリ・カキルアルプテキン(トルコ)が金メダル

2012年11月
キヤノンがIAAFの公式スポンサーに決定

2013年6月
地中海競技大会がトルコのメルシンで開催
トルコ陸上選手団は30名の大量ドーピング違反

2013年7月
東京 1回目のブラック・タイディングス社へ1億円の送金

2013年8月
地中海競技大会のドーピング違反の責任を取り、トルコ陸連会長が辞任

2013年8月
ロンドン五輪女子1500m金メダルのアスリ・カキルアルプテキンドーピング発覚

2013年9月
パパ・マッサタ・ディアクがパリで高級時計などを爆買い

2013年9月
ブエノスアイレスでIOC総会 五輪東京開催決定

2013年10月
東京 2回目のブラック・タイディングス社へ1.3億円送金
フランス当局の捜査にもとづいて、検察局は2013年9月8日に、ブラック・タイディングス社は、シンガポールのスタンダード・チャータード銀行の口座から8万5000ユーロをパリのある会社宛てに送金し、それがマッサタ・ディアクが宝石店で購入した高額商品の支払いに充てられたことを明らかにした。

2014年1月 
キヤノン会長御手洗冨士夫氏の東京五輪組織委員会名誉会長就任

2014年9月
IAAF 電通との代理店契約を2029年まで延長

2015年8月
ラミン・ディアクIAAF会長を退任

2015年11月
ラミン・ディアクIAAF前会長 ドーピング絡みの収賄発覚

2016年5月
フランス検察
「2020年東京五輪招致」の名目で、ブラック・タイディングス社の口座に2.3億円が支払われていたと公表。

2016年12月
キヤノンIAAFスポンサーを降板

2017年9月
ブラジル司法当局が、東京五輪招致の不正疑惑を巡り、招致委員会から当時IOC委員会で国際陸連会長を父に持つディアク氏に対し多額の金銭が渡った可能性があると結論付けた。

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September 11, 2017

桐生祥秀の9秒98はアジア歴代4位

9月9日に福井市で行われたインカレで、桐生祥秀が100mに9秒98の日本記録を出した。
この記録は世界歴代99位。
アジア歴代では4位になる。

●男子100mのアジアランキング
①9.91 フェミ・オグノデ (ナイジェリア→カタール)
②9.93 ケマーリー・ブラウン (ジャマイカ→バーレーン)
③9.94 アンドリュー・フィッシャー (ジャマイカ→バーレーン)
④9.98 桐生祥秀 (日本)
⑤9.99 サミュエル・フランシス (ナイジェリア→カタール)
⑤9.99 蘇炳添 (中国)

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2014年仁川アジア大会100m決勝 優勝オグノデ 3位高瀬(右) 6位山縣(左)


アジア国籍の選手で9秒台を出したことのある選手はこの6人しかいない。
が、バーレーンの2人は元ジャマイカ国籍で9秒台を出した時もジャマイカ国籍。
バーレーンに国籍を移してからは、9秒台は出ていない。

オグノデは仁川アジア大会の100m、200mを制した。
100mの優勝タイムはセカンドベストの9秒93。
この記録はかなり将来に渡って大会記録として残りそうだが、サミュエル・フランシスともども元はナイジェリア人。
モンゴロイドで9秒台を出したのは、桐生祥秀と蘇炳添の2人しかいない。

桐生祥秀の9秒98はモンゴロイドとしてのベスト記録。
コーカソイド(欧州系白人)の最高記録はポーランドのマリアン・ヴォロニンが1984年に出した10秒00が長い間破られなかった。
このときの記録は9秒992から切り上げられて10秒00と発表されているのだが、現在もこのような切り上げ方をしているかは不明だ。

現在のコーカソイドの最高記録保持者はフランスのクリストファー・ルメートル。
2010年20歳のときに9秒97、翌年21歳のときに9秒92を出すが、その後は9秒台は出ていない。
全盛期は過ぎたとの声もあるが、昨年のリオデジャネイロ五輪の200mで銅メダルを獲った。
ほかにロンドン五輪の4継リレーの銅メダルも持つ、フランスを代表する陸上界のスター。

コーカソイドのスプリンターというとトルコのラミル・グリエフが記憶に新しい。
先のロンドン世界陸上で200mに20秒09で優勝したあの選手・・・。

もともとはアゼルバイジャン国籍だったが現在はトルコ国籍。
100mの自己ベストは9秒97、この記録はトルコ歴代2位だが、トルコ記録はジャマイカから帰化したジャック・ハーベイの9秒92。(ハーベイはコーカソイドではない。)
200mの自己ベストは19秒88。


インカレで桐生に次いで2位だったのが多田修平。
大阪桐蔭高時代のベストが10秒50だったというが、関学4年のインカレで10秒07。
一方の桐生祥秀は、洛南高時代に既に10秒01の日本歴代2位で走っていた。
東洋大4年のインカレで9秒98。
4年間に0秒43縮めた多田、0秒03縮めた桐生。
多田はが、朝原宣治さんが同志社大時代の24年前に出した関西学生記録、10秒19を超えたのも今年だ。

同い年のライバルがいるのはいいことだ。
2028年のロサンゼルス五輪くらいまで競い合うのではないだろうか。

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August 23, 2017

アトランタ五輪の日本記録から21年、かつては世界に近かったマイルリレー

是非見て頂きたい動画がある。
2014年仁川アジア大会の陸上男子1600m(マイル)リレーだ。
日本チームは4大会ぶりの金メダルだったが、タイムは3分1秒88。

このときのメンバーが( 金丸祐三、藤光謙司、飯塚翔太、加藤修也)の4名。
先のロンドン世界陸上の4継銅メダルのメンバーのうち藤光、飯塚が入っているのだ。

200mのスペシャリストとして知られる飯塚は、この仁川のレースの40分前に4継の決勝も走った。
こちらは38秒49で、中国に次いで2位に入っている。

●2014年仁川アジア大会
マイルリレー
予選(金丸、藤光、高平、加藤)3分5秒53
決勝1位(金丸、藤光、飯塚、加藤)3分1秒88
4継リレー
予選(山県、飯塚、高平、原)39秒18
決勝2位(山県、飯塚、高平、高瀬)38秒49

このマイルリレーの3分1秒88だが、日本歴代9位の記録でしかない。
日本記録は21年前のアトランタ五輪5位入賞の際の3分00秒76。
歴代2位は、2004年アテネ五輪4位入賞の際の3分00秒99。
この時代は、4継よりもマイルの方が世界に近かったのだ。

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まだ記憶にも新しいロンドン世界陸上のマイルリレーは歴史的惨敗といってもいいだろう。
準決勝2組で3分07秒29。
1人平均46秒8
転倒したボツワナにも負けただけでなく、金丸祐三が持つ日本高校記録45秒47からも遠い。

アトランタ五輪のメンバーの本来の専門は
苅部俊二 400ハードル
伊東浩司 100、200m
小坂田淳 400m
大森盛一 400m
であり、400mが本職だったのは2名のみ。
ちなみに大森盛一さんというのは、サニブラウンの少年時代のコーチをされていた方だ。
サニブラウンも飯塚翔太も400mに向いていると思うのだが、マイルリレーも走って欲しい。

日本歴代3分01秒26は、1991年の東京世界陸上の予選で出したもの。
予選1組4位、全体でも9位で決勝には進めなかった。
この記録がマイルリレーの国内最高記録として現在も残っている。
破る可能性があるのは2020年の東京五輪だろうが、果たして誰がメンバーだろうか。

(追記)
もう随分昔の話だが、1984年のロサンゼルス五輪での日本チームのマイルリレーはこんなメンバーだった。

大森重宜、高野進、不破弘樹、吉田良一

本職の400mの選手は高野さんのみ。
大森、吉田は400ハードル、不破は100mの選手だ。

当時は予選、準決勝、決勝と3回走ったのだ。
それでも日本チームは準決勝までいった。が、3分10秒73という歴史に残る記録を作った。
不破弘樹は50秒かかって走り、「運動会みたいだ」といわれた。

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August 14, 2017

ドーピングだけじゃない 陸上界を惑わす国籍変更選手

世界陸上ロンドン大会が閉幕した。
終盤になって、日本チームは男子4継リレーや男子競歩が活躍したが、多くの選手は予選突破さえままならぬ状況で、世界のトップクラスとの差を痛感した大会でもあった。

次回は2年後、2019年カタールのドーハ、2006年のアジア大会のメイン競技場だったハリーファ国際スタジアムで、2019年9月28日から10月6日に開催される。

カタールのスポーツ界の顔と言えば、ムタズ・エサ・バルシム。
世界陸上ロンドン大会の走り高跳びでも金メダル(2m35)を獲った。

バるシムは、2010年の世界ジュニア選手権で2m30を跳び優勝し、その名を世界に轟かせた。
余談だが、この大会の200mの金メダリストが日本の飯塚翔太で、3位に入ったのがカナダのアーロン・ブラウン。
飯塚とブラウンはロンドン世界陸上の男子 200m予選7組で同走した。
ブラウンが、飯塚に先着していたが、コースオーバーのため失格となり、飯塚が繰り上がった。

ムタズ・エサ・バルシムは、長身痩躯の小顔という見るからに走り幅跳びの選手と言う風情。
度々、アフリカからの帰化選手と間違えられるが、父親もカタール人、ただ、母親がスーダン人で、やはりアフリカの血が流れている。

カタールと言えば、世界中から優秀なアスリートを招き、カタール代表に仕立てて活躍させるという国家戦略を持つ。
リオ五輪にも出場したハンドボールは顕著な例で、さながら世界選抜軍団、純粋なカタール人は一人しかいなかった。

このカタール型選手選抜方式は、ロンドン大会でも見られた。
男子400mで銅メダルを獲ったアブダレラ・ハルーンは、元々はスーダン人。
ほかにも男子400mハードルで7位に入ったA・サンバはモーリタニア人である。

ところが、カタール以上に海外選手を青田買いした国があった。
ペルシャ湾を挟んで北西に位置するバーレーンだ。

バーレーンは、女子マラソンでローズ・チェリモが金メダル、ユニス・ジェプキルイ・キルワが6位入賞したが、2人ともケニア出身。
日常生活もほぼケニアで行い、表彰などでしかバーレーンに行かないという。

女子3000mでロンドンでは5位だったが、リオデジャネイロ五輪金メダリストのルース・ジェベットもケニア出身。
この人のリオ五輪金メダルには、500万米ドルが支払われているとの報道もあった。

ほかにも男子100mで準決勝敗退したAndrew Fischerはジャマイカ出身。
男子1500m 19位の Benson Kiplagat Seurei
男子5000m 28位のAlbert Kibichii Rop
男子10000m 12位のAbraham Neibei Cheroben の3人はいずれもケニア出身。

女子400m 銀メダルのサルワ・エイド・ナセル
女子200m で準決勝まで行ったEdidiong Ofonime Odiongはいずれもナイジェリア出身といった具合だ。

この2カ国ほどではないが、陸上選手の国籍変更は様々な国で起こっている。
業を煮やした国際陸連は、今年2月の理事会で選手の国籍変更を一時凍結。
今後は新たなルールの下に行われることになりそうだが、現時点で国籍を変更している選手はそのままということになりそうだ。

ドーピングとともに悩ましい問題である。

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August 08, 2017

ドーピングで1年間出場停止だった呂会会 女子やり投げメダルに挑む

世界陸上ロンドン大会5日目。
今日注目の種目は女子のやり投げ決勝だ。
日本から参加した海老原有希、斉藤真理菜、宮下梨沙の3選手の予選突破はならなかったが、注目の選手が一人いる。

中国の呂会会(Huihui Lyu)28歳だ。
呂会会は、今大会の予選でアジア新記録となる67.59mを投げ、1位で通過した。
2015年の北京世界陸上2位(66.13m)、リオ五輪7位(64.04m)など実績も十分、確実にメダルに絡んでくると思われる。

この選手の年別のベスト記録を見てみよう。

2017年 28歳 67.59m 世界陸上予選アジア新記録
2016年 27歳 64.04m リオ五輪7位
2015年 26歳 66.13m 北京世界陸上2位
2014年 25歳 なし
2013年 24歳 64.48m 
2012年 23歳 64.95m ロンドン五輪は63.70mで5位
2011年 22歳 58.72m
2010年 21歳 55.35m

22歳まで平凡な記録の選手だったのが、23歳の2012年に自己ベストを6m以上伸ばしている。
一方、2014年には競技会に出場していない。
果たして何があったのか?

2013年4月27日に、ヒドロクロロチアジドに陽性であると認められ、2013年5月24日から2014年5月23日まで1年間の出場停止処分を受けていたのだ。

ヒドロクロロチアジドはそれ自体が性能向上薬ではないが、性能向上薬の使用を隠すために使用され、「特定物質」として世界アンチ・ドーピング機関に分類されている。

恐らくは呂会会の場合、何らかの禁止薬物を使用し、それを隠すためにヒドロクロロチアジドを服用していたということのようだ。

今、陸上界はドーピング違反者に厳しい目が向けられている。
先日、ウサイン・ボルトに勝ったジャスティン・ガトリンが過去にドーピング違反をし、出場停止となった経験があることから、優勝しても祝福されないと伝えられている。
セバスチャン・コーを生んだ国だからか?
英国の陸上ファンは、特にドーピングに厳しいという。

元10種競技日本王者の武井壮氏がこんなツイートをしている。

呂会会はこのケースに該当するではないか。

呂会会がメダルを獲った時、ロンドンの陸上ファンはどう反応するのだろうか。


追記
●2017年8月8日 呂会会は銅メダルだった。
1位 バルボラ・シュポタコバ(チェコ) 66.76m
2位 李玲蔚(中国) 66.25mPB
3位 呂会会(中国) 65.26m

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August 07, 2017

陸上女子100m世界歴代ランキング

陸上女子の100m世界歴代ランキングを作ってみた。

青字は、今朝の世界陸上ロンドン大会のメダリストの自己ベスト。
赤字は1980年代に出された記録。

London2017


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August 04, 2017

胸と背中に輝くTDK 世界陸上

今週末からロンドンで世界陸上が始まる。
舞台は「ロンドン・スタジアム」。
2012年のロンドン五輪のメイン会場だったスタジアムだ。
五輪当時は8万人の収容を誇ったが、改修を経て現在は6万人収容に変わっている。

現在では、五輪を除くスポーツの大会に出場する選手のゼッケンに企業ロゴが入ることは当たり前のことだ。
ロゴの企業はつまりはスポンサー企業。
スポンサーからの協賛金が、主催者に支払われている。
世界陸上では、第1回のヘルシンキ大会からこの制度が取られれている。
スポーツとビジネスとが蜜月になっていく分岐点が1984年のロサンゼルス五輪といわれるが、その1年前のことになる。

そのゼッケンスポンサーに名乗りを挙げたのはTDK。
当時からカセットテープ、ビデオテープの日本におけるトップ企業だったが、世界的知名度は、現在と比較すると低く、ヨーロッパで人気の高い陸上競技に目を付けた。
以後、世界陸上は今年のロンドン大会で16回目となるが、男子選手の胸と背中にはTDKのロゴが必ずある。

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▲三田工業がスポンサー時代の世界陸上の様子

一方、女子は第1回大会こそTDKだったが2回目以降は様々な企業が、(といっても日本企業がほとんどなのだが、)務めてきた。
中でも異色なのは1987年・97年・99年にゼッケンスポンサーを務めた三田工業。
業務用の複写機、印刷機の製造販売を手掛け、日本国内よりも海外で高いシェアを誇っていた企業だが、粉飾決算事件の影響で1998年に会社更生法を申請し倒産した。

IAAFとの契約は別法人の海外子会社を通じて結んでおり、倒産後は債権者への配慮もあり、打ち切る方針を一度は決めた。
が、契約を途中で打ち切っても残金の支払い義務があることや、社員の士気を高める効果などを考慮し、99年大会までゼッケンスポンサーを続けたという経緯がある。
三田工業は2000年に京セラグループ入りし、現在は、京セラミタと社名を変更している。

また、余談だが『僕って何』で芥川賞を受賞した三田誠広氏は旧三田工業の経営陣の親戚にあたる。

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July 27, 2017

陸上競技のなかなか破ることのできなかった日本記録

戦前の日本陸上界に南部忠平さんという大選手がいた。
札幌の円山競技場で毎年行われている南部忠平記念陸上競技大会は、南部さん(以下敬称略)の出身である札幌市で、彼の業績を記念したものだ。

南部は、1932年のロサンゼルス五輪の三段跳びで金メダルを獲ったことは広く知られている、が、同じ大会の走り幅跳びでも7m45で銅メダルを獲っている。

この前の年(1931年)10月27日、後に国立競技場が建つ地にあった神宮競技場で行われた競技会で、世界新記録となる7m98を跳んでいた。
ちなみに同日の三段跳びでは、アムステルダム五輪金メダリスト織田幹雄が15 m58の世界新記録を出している。

南部の世界記録は、ベルリン五輪の4冠王ジェシー・オーエンスが、1935年5月25日ミシガン州アンアーバーでの競技会で、8m03を跳ぶまで、4年近く世界記録だったが、日本国内で、この南部の7m98を超える選手はなかなか現れず、1970年6月7日、山田宏臣(故人)が8m01を跳ぶまで38年7カ月破られることがなかった。
(そして、この種目の現在の日本記録は森長正樹の8m25だが、1992年5月5日の記録であり、25年間破られていない。)

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同じく38年間破られなかった日本記録が円盤投げだ。
1979年4月22日に川崎清貴が投げた60m22の日本記録は、今年7月22日堤雄司が国士舘大で開催された国士舘大競技会で60m37を投げ、38年3か月破られなかった日本記録を超えた。

来月ロンドンで開催される世界陸上にIAAF からのInvitationにより追加で出場することになった、新井涼平のやり投げも長い間日本記録が破られていない。
日本記録は溝口和洋が1989年5月27日サンノゼの競技会で投げた87m60。
当時世界歴代2位という大記録だったが、リオ五輪でも銅メダル相当、ロンドン五輪なら金メダルが獲れた記録だ。
この記録が28年以上破られていない。
新井涼平の自己ベストは86m83、2009年のベルリン世界陸上で銅メダルを獲った村上幸史の自己ベストが85m96だ。

室伏広治の持つハンマー投げの日本記録84m86は、2003年5月10日のプラハ国際で出された記録だ。
既に記録達成から14年が経つが、日本国内にこの記録を脅かす選手は皆無。
恐らくはあと15年くらいは誰も届かないのではないだろうか。

女子についてはそのうち書きます。

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July 19, 2017

100mの手動日本記録保持者石沢隆夫さんが亡くなる

陸上100mの手動日本記録、10秒1の保持者のひとりだった石沢隆夫さんが亡くなった。
ご冥福をお祈りします。

●男子100m手動による日本記録推移と1999年までの電気計時
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別表のように10秒1の日本記録を持っていた選手は7人(たぶん)。
石沢隆夫さんは、1973年の第1回アジア陸上競技選手権(マニラ)で3位になった際に、10秒1を出した。
1ただし、0秒6だったという説もある。

このとき優勝したのが、アジアの『超特急』ラタナポール(タイ)。
ラタナポールは、1974年のテヘランアジア大会では、100m、200mの2冠に輝くが、この大会の200mで2位になったのが石沢隆夫さんだった。

先述のマニラで2位だったのが、同じくタイのスチュアート。
この人は1978年のバンコクアジア大会の100m金メダリストでもある。

この当時日本の短距離は、なかなかタイに勝てなかった。

陸上競技のタイムの計測には、現在行われている電気計時のほかに手動計時があった。
手動計時とは、簡単に言えば、10分の1秒までしか計測できないストップウオッチで記録を計るものだ。

1975年1月1日以降、400m以下のレースの世界記録は電気計時と手動計時の2本立てで公認されることになったが、翌年、1976年8月からは、400m以下の記録は100分の1秒単位の電気計時しか公認されないことになっている。

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July 11, 2017

世界陸上開幕直前 アジアのやり投げは格段に進歩している

南部記念陸上は、札幌市三段跳び五輪金メダリスト南部忠平さんを記念した陸上競技大会で、出身の札幌市の厚別公園競技場で毎年開かれている。
今年は、同時期に開催されていたアジア選手権とともに世界陸上ロンドン大会の選考を兼ねていた。
リオ五輪のやり投げ11位の新井涼平は78m45に終わり、世界陸上参加標準記録83.00 mに及ばなかった。

新井は、先の日本選手権で、82.13mを投げており、83m突破も十分あると思われていた。

やり投げと言えば、比較的日本人選手が世界で活躍し得る種目であると思われるが、世界、あるいはアジアは物凄い勢いで動いている。

南部記念と同時期に行われていたアジア選手権のやり投げの結果である。

1.ニラジュ・チョプラ(インド・19歳)85.23m
2.アフメド・バデル・マゴール(カタール・21歳) 83.70m
3.デイビンダー・シンカン(インド) 83.29m

世界U20チャンピオンで同世界記録保持者のニラジュ・チョプラが85.23mで優勝。
カタールのマゴールが83.70mで2位。
なんと、チョプラは19歳、マゴールは21歳だと言う。

今年4月にアジア歴代4位86m92のビッグスロー見せた台湾の23歳・鄭兆村が80.03mで6位に入った。

新井涼平は、国士舘大を卒業してから急速に距離を延ばした選手だから、若いイメージがあるが、1991年6月生まれの26歳。
世界は(アジアは?)、一気に若返っている。

ロンドン世界陸上のやり投げに日本人選手が出場しないとなると、2003年のパリ大会以来となる。
この大会を覚えているだろうか。
そう、末續慎吾さんが200mで銅メダルを獲ったあの大会だ。

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*吉田雅美さん、2000年に亡くなられましたけど懐かしいですね。

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