陸上競技

May 08, 2017

陸上100mのはなし② レースに遅刻したアメリカ選手たち

2007年11月。元陸上選手のロバート・テイラーが59歳という若さで亡くなった。
このテイラーが出場したミュンヘンオリンピックの100メートルは、歴史に残る迷レースであった。
なんと、優勝候補と目されていたアメリカの2選手が、召集時間に遅刻をしたのだ。
一体彼らに何があったのか。事の顛末はこうだ。

100メートルの2次予選は、8月21日午後4時15分に始まる予定だった。ところが、競技時間が近づいても、アメリカチームはスタジアムにやってこない。
エントリーしていた選手は、ロバート・テイラー、エドワード・ハート、レイナード・ロビンソンの3人。
彼らのコーチ・スタンライトは、オリンピックの18ヵ月も前に作られたスケジュール表に書かれていた「2次予選・午後7時スタート」を選手に伝えていた。
その後、時間が変吏になったことなどつゆ知らず、4人はスタジアム行きのバスを、ABCテレビの本部の中で待っていたというわけである。
本部の中では、100メートルの競技会場の映橡が流れていた。これが彼らがこれから走るスタジアムだ。スタートラインには続々と選手たちがついていく。
彼らは4人とも、この様子を1次予選の録画だと思っていた。
ところが映像は録画ではなく、2次予選の生中継だとABCのスタッフから伝えられると、選手たちの顔が一斉に青ざめた。
1組目で走るレイナード・ロビンソンはまさに今、この映像の中でスタートラインについていなくてはならなかったのだ。
4人は大慌てでスタジアムに向かうものの、到着した時には、既に2組目のレースまで終わってしまっていた。
1組のロビンソンと2組のハートは、遅刻で失格となってしまった。
3組目のテイラーは急いで準備をし、スタートラインになんとか滑り込むことができた。
2次予選、準決勝をなんとか勝ち抜いたテイラーは、決勝で10秒24というタイムで銀メダルを獲得した。

1972
▲このレースの途中で走るのをやめた3コースのクロフォードは、4年後のモントリオール五輪でボルゾフに勝って金メダルを獲るのだが、詳しくは別の機会に。

この時優勝したのは、ソ連のヴァレリー・ボルゾフ。タイムは10秒14。
平凡なタイムのボルソフの金メダルは[タナボタ]などとアメリカのマスコミに郷楡された。
ところが、ボルソフは、続く200メートルで当時のシーズンベストである20秒00という好タイムで優勝し、マスコミを黙らせた。
さらに4年後の1976年モントリオールオリンピックでも100メートルで銅メダルを獲得し、「ソビエト最高の精密機械」、「研究室から生まれた金メダリスト」などと呼ばれた、陸上史に残る名ランナーだ。

PHOTO:上は 100m決勝の様子。
下は、夫人であるミュンヘン五輪女子体操個人総合金メダリストリュドミラ・ツリシュチョワと子供と写った写真。
夫妻はともにウクライナ人。
ボルゾフは初代ウクライナ五輪委員会の会長を務めた。
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April 26, 2017

陸上100mのはなし① ボブ・ヘイズとジム・ハインズ

昨年のリオデジャネイロ五輪 陸上男子400mリレーの銀メダリストで、1走を務めた山縣亮太が、右足首周辺に痛みが出たことから今月29日に出場を予定していた織田幹雄記念国際大会を欠場するという。
広島出身の山縣にとって、織田記念は思い入れがあるだろうから残念な気もするが、次回に期待したい。

山縣といえばセイコーホールディングスの所属で、プロ契約ではない一般社員だ。

日本の時計メーカー・セイコーは、東京、札幌、長野の日本で開催された3回の五輪でいずれも公式計時を担った。
特に1964年の東京五輪での功績は高い。
日本政府は当時、国産技術による「科学の五輪」というスローガンを掲げた。
セイコーの技術者たちは各競技のルールを学ぶところから始め、高精度のストップウオッチや、スターターピストルと連動した写真判定装置などを開発した。
東京五輪でボブ・ヘイズ(米国)が、陸上男子100mで金メダルを獲った際の写真判定は目にした方も多いのではないか。
検索してみれば、すぐに出てくるだろう。

ところが、2020年の東京五輪で公式計時を担うのはスイスのオメガ社だ。
IOCにはTOPと呼ばれる公式スポンサー制度があり、1つの分野には1社としか契約することができない。
時計はスイスのオメガ社との契約が継続されている。
現在のIOCとオメガ社との契約は2009年に結ばれたもので、2014、16、18、20年までの4回の五輪に製品を提供するというもの。
その総額は8000万ドルという巨額のものだ。

若い人は知らないかもしれないが、陸上競技のタイムの計測には、現在行われている電気計時のほかに手動計時があった。
手動計時とは、簡単に言えば、10分の1秒までしか計測できないストップウオッチで記録を計るものだ。

オメガは1932年のロサンゼルス五輪で、10分の1秒まで計れるストップウオッチを開発し、30個を組織委員会に提供した。
以後、五輪と深くかかわっていく。
1952年のヘルシンキ五輪では、100分の1秒まで計測できるストップウオッチも導入されているが、正式記録は10分の1秒までの手動計時による記録という時代が長く続いた。

東京五輪の陸上競技の記録測定については、諸説ある。
①手動計時による記録が正式なものだが、試験的に使った写真判定装置の電気計時が100分の1秒まで正確に計れることを実証したため、東京以後の五輪では電気計時が正式タイムとなった。
②写真判定装置の電気計時が初めて導入され100分の1秒まで計測された。が、正式記録は10分の1秒までとされた。電気計時の故障に備え、3人の手動計時の記録員がこれまでの五輪同様準備されていた。

東京五輪の100mに優勝したボブ・ヘイズは、『黒い弾丸』という異名をとり、第1レーンを滑走する姿は日本人に強烈な印象を残した。
このときの記録は世界タイの10秒0。
100分の1秒まで計測できる電気計時では10秒06。

この当時、1970年まで陸上競技の全自動電気計時のタイムは、スターターのピストル発射後0.05秒で時計が始動する取り決めがあり、10秒06から0秒05を引き10秒01。
競技規則の換算表によって10秒0と発表された。

3人の記録員の手動で計ったタイムは9秒8、9秒9、9秒9。
限りなく9秒9に近い10秒0であったといえる。
上記の2説の内、①が正しいのであればヘイズの公式記録は9秒9=世界新とされたはずだ。
だが、10秒0となっていることから②が正しいと推測される。

  金 ボブ・ヘイズ 米国 10秒0 (10.06)
  銀 エンリク・フィゲロラ キューバ 10秒2 (10.25)
  銅 ハリー・ジェローム カナダ 10秒2 (10.27)

ちなみにヘイズは1次予選から決勝まで4回100mを走っているが
  1次予選 10秒4 (10.41)
  2次予選 10秒3 (10.37)
  準決勝 9秒9 (9.91) (追い風5.8m参考記録)
  決勝  10秒0 (10.06) (世界タイ記録)

という記録が残っている。

100mで初めて10秒の壁を破ったのは、メキシコ五輪の100mを制するジム・ハインズ。
メキシコ五輪開催の年1968年の6月開催された全米選手権の準決勝だった。
記録は手動計時である。

  準決勝第1組 ①ジム・ハインズ 9秒9 ②ロニー・スミス 9秒9 
  準決勝第2組 ①チャーリー・グリーン 9秒9 

この日ハインズ、スミス、グリーンの3人が手動計時で9秒9の世界新記録を出したとされている。
その年の10月に開催されたメキシコ五輪でもハインズは優勝している。

  金 ジム•ハインズ 米国 9秒9 (9.95)
  銀 レノックス•ミラー ジャマイカ 10秒0 (10.04)
  銅 チャーリー•グリーン 米国 10秒0 (10.07)

1970年になり、全自動電気計時をスタートのピストル発射から0.05秒遅れて始動させる調整は廃止される。
そして1975年1月1日以降、400m以下のレースの世界記録は電気計時と手動計時の2本立てで公認されることになった。このときにジム・ハインズの9秒95が世界記録として公認された。
さらに、1976年8月からは、400m以下の記録は100分の1秒単位の電気計時しか公認されないことになっている。

話をボブ・ヘイズに戻そう。
東京五輪陸上男子100mで金メダルを獲ったボブ・ヘイズは、日本人に強烈な印象を残した。
が、その後の人生は日本ではあまり知られていない。
五輪後ヘイズはNFLのダラス・カウボーイズに入団し、俊足のワイドレシーバーとして活躍した。
東京五輪から7年後1971年28歳の時には、スーパーボウル優勝も経験している。
長い五輪史の中で、金メダルとSB・リングを獲得したのはボブ・ヘイズひとりしかいない。

*1984年ロサンゼルス五輪砲丸投げで銀メダルを獲ったマイケル•カーターは、同じ年SFフォーティナイナーズに入団。なんとその年のスーパーボウルで優勝した。
ボブ・ヘイズには及ばないが、五輪メダルとスーパーボウル優勝を同一年に成し遂げた唯一の選手である。
なおNFLのドラフトはロス五輪の直前にあった。

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January 26, 2017

北京五輪の陸上400mリレー ジャマイカが失格、日本が銀メダルに

国際オリンピック委員会(IOC)は25日、2008年北京五輪のドーピング再検査の結果、陸上男子短距離のネスタ・カーター(ジャマイカ)が禁止薬物に陽性反応を示したため、失格処分にしたと発表した。
カーターが1走を務めて400mリレーで優勝したジャマイカも失格となる。

北京五輪のジャマイカが失格し、下位の順位がひとつずつ繰り上がる。
日本チームが銅メダルは銀メダルになる。

ネスタ・カーターは、五輪ではもっぱらリレー要員だが、北京、ロンドンとジャマイカの2連覇に貢献した選手だ。
陽性反応は北京五輪だけで、ロンドン五輪のものは問題ないという。


2000年以降の五輪の陸上競技のリレーで、ドーピングが発覚して順位が変わった例が2回ある。
1回目は2000年のシドニー五輪。
100m(金)、200m(金)、4×400mリレー(金)、4×100mリレー(銅)、走り幅跳び(銅)の5つのメダルを獲ったマリオン・ジョーンズ(米国)が、2007年になって自らドーピングを告白し、2008年1月にすべてのメダルがはく奪された。

こうした場合、順位は元々下位だった選手が繰り上がるのだが、100mは、当初銀メダルだったエカテリーニ・タヌー(ギリシャ)もドーピングの疑いが濃く、金メダルは現在も空席のままになっている。
リレー2種目については、2008年4月にリレーの他メンバー7人についても一度はメダル剥奪処分が決められた。が、CAS(スポーツ仲裁裁判所)は、2010年7月に失格処分は無効と裁定、マリオン・ジョーンズを除く米国チームの7人についてはメダル剥奪は撤回された。

一方、5年前の年ロンドン五輪男子400mリレーでは、2位に入った米国チームのメンバーのタイソン・ゲイが、2013年7月にドーピング違反で資格停止となり、ロンドン五輪での米国チームは失格、全員の銀メダルがはく奪された。
これに伴い、5位だった日本が4位に繰り上がっている。

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▲北京五輪4×100mリレー決勝

日本のメンバーは塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治。

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January 13, 2017

Q:陸上男子の短距離において 100m9秒台の選手、200m19秒台の選手、400m43秒台の選手の数は、どれが最も多いでしょう。

答え:100m
100mの9秒台は102人、
200mの19秒台は61人
400mの43秒台14人しかいない。

昨年のリオデジャネイロ五輪で最も印象的だった金メダリストの一人が、南アフリカのウェード・ファンニーケルク。
400mであのマイケル・ジョンソンが持っていた世界記録43秒18を17年ぶりに更新、43秒03をマークした。
五輪前年の2015年の世界陸上北京大会でも、43秒48の世界歴代4位(当時)の好記録で優勝していた。
ファンニーケルクの何がすごいかというと、
100m、200m、400mの3種目ともに大台を破っているところだ。
これは人類史上初の快挙だ。

100 m 9.98 (2016年)
200 m 19.94 (2015年)
400 m 43.03 (リオ五輪2016年)

陸上競技では100mから400mまでが短距離として括られているが、専門化が進み、3種目ともにすごい記録を残している選手はほとんどいない。

400mの前の世界記録ホルダーとなってしまったマイケル・ジョンソンは、

100 m 10.09 (1994年)
200 m 19.32 (アトランタ五輪 1996年)
400 m 43.18 (セビリア世界陸上1999年)

200mと400mでは歴史に残る活躍をしたが、100mではアメリカの短距離選手としては平凡な10.09が自己ベストにとどまる。

一方、北京五輪から3大会連続3冠のウサイン・ボルトも400mでは45秒台の記録しか残していない

100m 9.58(ベルリン世界陸上2009年世界記録)
200m 19.19(ベルリン世界陸上2009年世界記録)
400m 45.28

なお、ボルトは今年の世界陸上ロンドン大会をもって引退することを表明している。

日本の100mの日本記録保持者の伊東浩司、200mの日本記録保持者の末續慎吾、400mの日本記録保持者の高野進の3氏の短距離3種目のベストは以下のようになる。
3種目すべてに日本記録に迫ることがいかに難しいか判る。

伊東浩司
100m 10.00(1998年日本記録)
200m 20.16(1998年)
400m 46.11(1996年)

末續慎吾
100m 10.03(2003年)
200m 20.03(2003年日本記録) 
400m 45.99(2002年)

高野進
100m 10.41
200m 20.74(1986年)
400m 44.78(1991年日本記録)

リオデジャネイロオ五輪男子4×100mリレーで日本チームが銀メダルを獲ったが、二走を走ったのが飯塚翔太。
飯塚は2010年の世界ジュニア選手権200mで金メダルを獲得(20.67)しているが、その時に4位だったのが、ファンニーケルクだった。

正月の東京新聞に飯塚翔太のインタビュー記事があった。
「彼(ファンニーケルク)とは世界ジュニアからよく話をしていて、刺激をもらいました。僕も20年までに100mで9秒台、200mで19秒台、あわよくば400mで日本記録(44秒78)。その3つを出したいんです」
100mの自己ベストは10秒22。400mでは、14年アジア大会の1600mリレーで3走を務め、金メダルの実績がある。20年までに、さらなる強化を図るつもりだ。
「18、19年は100か400をメイン種目でやりたい。年ごとに分けて記録を狙おうかなと思っています」

*

1970年~780年代代の短距離にピエトロ・メンエア(イタリア)という選手がいた。
1980年のモスクワ五輪の200mを制した選手で、彼が来日したときは国立競技場に見に行った。
この時のイタリアには、女子走り高跳びのシメオニとか結構好きな選手がいた。
メンネアは2013年に亡くなってしまったが、自己ベストはかなり凄い。

100m 10.01 1979年
200m 19.72 1979年
400m 45.87 1977年

但し、100m・200mの記録はメキシコユニバーシアードで出した記録で高地記録である。

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August 28, 2016

陸上競技でアジア大会を制し、2年後に五輪金メダリストになった選手たち

ハンマー投げ金メダリスト、タジキスタンのナザロフが14年の仁川アジア大会で優勝し、2年後の五輪で金メダルを獲ったという記事を前回書いた。
世界に比べてアジアのレベルが高くない陸上今日でも、同様のケースはいくつかある。

●1998年バンコクアジア大会-2000年シドニー五輪
*高橋尚子(日本)女子マラソン
アジア大会2:21:47、五輪2:23:14
*オルガ・シシギナ(KAZ)100m障害
アジア大会12秒63、五輪12秒65

●2002年釜山アジア大会-2004年アテネ五輪
*劉翔(中国)110m障害
アジア大会13秒27、五輪12秒91
*室伏広治(日本)ハンマー投げ
アジア大会78m72、五輪82m91

●2010年広州アジア大会-2012年ロンドン五輪
*オリガ・リパコワ(KAZ)女子三段跳び
アジア大会14.53m、五輪14.98m

そして今回の
●2014年仁川アジア大会-2016年リオデジャネイロ五輪
*王鎮(中国) 男子20㎞競歩
*劉虹(中国) 女子20㎞競歩
*ジルショド・ナザロフ(タジキスタン) 
アジア大会78m55、五輪78.68m


上記以外には男子マラソン黄永祚(韓国)が92年バルセロナ五輪-94年広島アジア大会ともに金メダル。
中国の灰色長距離ランナーの王軍霞が、94年アジア大会の10000m優勝-96年アトランタ五輪5000m金メダル、10000m銀メダルというケースもある。
ただし、王軍霞はほぼドーピングをしていたことは間違いないところで、彼女の持っていた10000mの世界記録は、リオ五輪でアルマズ・アヤナ(エチオピア)が29:17.45の記録で破るまで13年間不滅の記録として君臨していた。

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August 27, 2016

リオ五輪のハンマー投げは32年ぶりに80m超ならず

室伏広治氏が現役を引退し、リオ五輪のハンマー投げに日本人選手が一人も出場していなかったためうっかりしていたが、今回の男子ハンマー投げは80m以上投げた選手が一人も出なかった。
金メダリストは、タジキスタンの34歳ジルショド・ナザロフで記録は78m68。
金メダリストが80mを超えなかったのは、東側諸国がボイコットしたロサンゼルス五輪以来32年ぶりだった。

●ハンマー投げの金メダリスト 1984年以降
2016 ジルショド・ナザロフ(タジキスタン) 78m68
2012 クリスティアン・パルシュ(ハンガリー)80.59 80m以上1人
2008 プリモジュ・コズムス(スロベニア)82.02 80m以上5人
2004 室伏広治(日本)82.91 80m以上1人
2000 シモン・ジョルコフスキ(ポーランド)80.02 80m以上1人
1996 バラージュキス(ハンガリー)81.24 80m以上3人
1992 アンドレイ・アブドゥバリエフ(EUN)82.54 3人
1988 セルゲイ・リトビノフ(ソビエト)84.80  80m以上4人
1984 ユーハ・チアイネン(フィンランド)78.08


ジルショド・ナザロフは4回目の五輪で自身初どころか、タジキスタン初の金メダルとなった。
ナザロフは、実はアジア大会3連覇の偉業を継続中だ。

2002年の釜山大会に初出場し58.39mで9位になって以降、 2006年ドーハ大会74.43m優勝、2010年広州大会76.44m優勝、2014年仁川大会78.55m優勝とアジアでは敵はない。

引退した室伏広治も、2002年釜山のアジア大会に78m72で優勝すると、2年後のアテネ五輪に82m91で金メダルを獲った。
陸上競技において、アジア大会の優勝者が2年後の五輪で金メダリストになったケースは、ほかには女子マラソンの高橋尚子が1998年バンコクアジア大会優勝、2000年シドニー五輪金メダルなどほとんど例がない。

カタールの走り高跳びのムタズエサ・バルシムも、アジア大会は2010年広州(2m27)、2014年仁川(2m35)を制しているが、五輪は2012年銅メダル(2m29)、2016年銀メダル(2m36)と五輪を制するまでは至っていない。
その点からもナザロフは快挙であると言える。

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May 10, 2016

オリンピックで100mと110mハードルの両方を制したハリソン・ディラード

1990年代の陸上女子短距離界にゲイル・ディバース(米国)という選手がいた。
非常に珍しい100mと100mハードルの両方で成功した選手だ。
1991年に東京で開催された世界陸上の女子100mハードルで、リュドミラ・エンクイスト(当時ソビエトのちにスウェーデン)に次いで2位に入ったのと、バセドウ病の治療をしていたことが印象深い。

1992年のバルセロナオリンピックでは100m、100mハードルともに金メダルを獲るのではないかとの下馬評だった。
100 mの決勝では5位までが100分の6秒差という僅差の中で競い勝ち優勝。
より得意とされた100mハードルでは、ゴール直前まで2位以下を大きく突き放していたが、最終10台目のハードルに足を引っ掛けて、5位に終わった。

1996年アトランタオリンピックの100mは、マリーン・オッティとディバースが10秒94の同タイムで駆け抜けたが、写真判定の結果ディバースが金メダルを獲得。
しかし、100mハードルは4位に終わった。

とは言うものの、100mのオリンピック2連覇は、東京・メキシコを連覇したワイオミア・タイアスとゲイル・ディバースの二人しかいない快挙である。


一方男子には、100mと110mハードルの両方に金メダルを獲った選手が一人だけいる
少年時代にベルリンオリンピックの4冠王ジェシー・オーエンスに憧れていたというハリソン・ディラード(米国)だ。

元々はハードルの選手だったが、1948年のロンドンオリンピック選考会では110mハードルの出場を逃してしまう。
が、100mでは3位となり米国代表に滑り込んだ。
ロンドンオリンピックの100m決勝では、同じ米国のバーニー・ユーウェルと10秒3の同タイムでゴールするが、オリンピック史上初となる写真判定に持ち込まれ、1つめの金メダルを獲得した。
ロンドンオリンピックでは4×100mリレーでも3走を走り、40秒6で2つ目の金メダルを獲得した。

4年後のヘルシンキオリンピック、110mハードルでアメリカ代表の座を得たディラードは、13秒7のタイムで3つ目の金メダルを獲得。
さらに、4×100mリレーでは2走を走り4つめの金メダルを獲得した。

同一大会ではないが、100mと110mハードルに金メダルを獲った唯一の選手であり、今後も絶対に出ないだろう。
今年93歳になるが健在だという。

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March 24, 2016

東京五輪の走り高跳び金メダリスト ヨランダ・バラシュ 3月11日に逝く

先日、下記のような記事が朝日デジタルに載った。

ルーマニア陸上連盟は11日、女子走り高跳びで1960年ローマ、64年東京両五輪を連覇した同国のヨランダ・バラシュさんが死去したと発表した。79歳だった。
バラシュさんは世界記録を14度マーク。61年に出した1メートル91の世界記録は10年間破られなかった。67年に引退した後はルーマニア陸連の会長も務めた。(AFP時事)

朝日の紙面を確認したが、出ていない。
どうやらWEBのみの記事のようだ。
ヨランダ・バラシュ、陸上史に残る大選手なのに・・・。

男子の走り高跳びは第1回近代五輪の1896年から、女子も1928年から続いている種目だ。
この長い歴史の中で、五輪2連覇を果たした選手は一人しかいない。
それがヨランダ・バラシュである。
今は更地になってしまった東京の旧国立競技場の表彰台の真ん中に立った一人でもある。

この当時、多くの走り高跳びの選手は正面跳び(ロールオーバー)が多かった。
斜めから走ってバーに近い方の脚で踏み切り、身体をバーの上で横にして回転しながら越えるフォームだ。
正面跳びから派生したのがベリーロール。ロールオーバーのように踏み切った後、バーの上で腹を下にしてバーを越える。
今では、誰もがやっている背面跳びは、東京五輪の4年後、メキシコ五輪でディック・フォスベリーが初めて披露しており、東京五輪当時はだれも思いついていない。

ヨランダ・バラシュは長身で、185センチあった。
東京五輪当時、東洋の魔女の女子バレーチームの最長身が、葛西昌枝さんの173センチであることを考えれば、ヨランダ・バラシュの並外れた長身ぶりが判るだろう。

19歳で出場した1956年メルボルン五輪では1m75の世界記録保持者だったが、1m67で5位に終わった。
が、翌1957年から1967年にかけて五輪2連覇を含め150連勝、世界記録は1m75から1m91まで14回更新した。
ローマ五輪の翌年の1961年に出した1m91の世界記録は、その後10年間破られなかったという。

YOUTUBEにヨランダ・バラシュの動画あるので探してみてほしい。
ここまで完璧な正面跳びは見たことがない。
東京五輪で金メダルを決めた跳躍の動画もあるのだが、成功した瞬間、日本人の審判が皆うれしそうに笑みを浮かべる。

Iolanda_bala_1964b

ルーマニア五輪史上初めての女子金メダリストだった彼女は、引退後ルーマニア陸上競技の会長を1988年から2005年までの長きに渡って務めた。
1991年に開催された世界陸上東京大会にももちろん来日し、国立競技場の思い出の土を踏んでいる。

2013年9月、2020年の五輪が東京に決まったことを受けてのインタビューを見つけた。
但し、ルーマニア語だ。


五輪が欧州、南米を経てアジアに来ることは自然な流れだけど、日本にとって地震と津波のあとの手助けとなる決定だ。
日本は今の沈んだ気持ちを再び持ち上げるだけの国であると思う、とエールを送っている。
震災の日、3月11日に亡くなったのも縁かもしれない。

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January 25, 2016

ドーピングスキャンダルでアディダスに逃げられた国際陸連

BBCの伝えるところによると、ここ数ヶ月のIAAF(国際陸連)のドーピングスキャンダルを受けて、アディダスがIAAFのメインスポンサーを契約よりも4年早く終了するという。
 

IAAFのサイトを見に行くと公式スポンサーの中にadidasのロゴがまだある。
アディダスとしては正式に契約終了を公表した訳ではないようだが、撤回するとも思えない。
昨年まではこのスポンサーの一覧には

 アディダス 
 セイコー 
 TDK 
 トヨタ自動車 
 キヤノン 
 VTB 
 SINOPEC 

さらにはオフィシャル放送局としてTBSのロゴが並んでいた。
が、現在はVTBとSINOPECがなくなり、さらにアディダスがなくなると、日本企業のみになってしまう。
VTBはロシアの銀行グループ、SINOPECは中国の石油化学グループで、どちらも地元開催であった2013年の世界陸上モスクワ大会、2015年の同北京大会に合わせて協賛していた企業だ。
当初から契約には、2015年をもって終了とあり、早期に終了させたわけではない。
ただ、VTBというと今回のスキャンダルの渦中の国、ロシアの企業であるだけに、必要以上に何かあるのではと誰しもが思うだろう。

さて、アディダスだが、現在のIAAFとのスポンサー契約は2008年に結ばれたもので、2009年から2019年までの11年間の長期契約、1年あたり300万ドル、11年間で3300、万ドルと言われていた。
が、BBCの報道によるとアディダスから現金だけでなく製品の提供を含めて、1年あたり800万ドル相当が支払われている。
もし、報道通り4年早く契約が終了するとIAAFは3000万ドルの損失になると言う。

IAAFの2014年の収入は約5900万ドル。
五輪競技の中では華やかで、数多くのドラマを生んできた陸上競技であるが、その収入規模は中規模企業程度。
ドーピングとそれに伴う汚職が表沙汰なっては、新たなスポンサー探しは難航するのではないか。
今後の世界陸上は、2017年がロンドン、19年はカタール・ドーハ、21年はユージーン(米国)が決まっている。
やっぱりねらいはカタール航空とナイキだろうか。

Iaaf2016

セイコー、TDK、TBSの契約は2019年まで。
トヨタは2017年まで。
電通はスポンサーではないが、代理店として2029年まで契約している。

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November 11, 2015

陸上界激震 ロシア集団ドーピング発覚で五輪出場停止!?

今年の夏 北京で行われた世界陸上に見入っていた人ならアリシア・モンタノの名前を憶えているかもしれない。
モンタノは、昨年の6月の全米陸上に妊娠9ヶ月で、800mを走ったその人だ。
北京では予選で転んでしまい、結果は出なかったが、TBSの世界陸上の番宣?VTRには身重で走る映像が何度も使われたので、ああと思う人もいるだろう。

今、再びモンタノが注目されている。
というのもロシアの陸上界の組織的なドーピング問題が、にわかに騒がしくなってきた。
特にロンドン五輪女子800mの金メダリスト マリヤ・サビノワと銅メダリスト エカテリーナ・ポイストゴワ(ともにロシア)が失格となりそうなのだ。
2人分順位が繰り上がるかもしれない4位以降の選手はちょっとドキドキしているかもしれない。
その内のひとり、ロンドン五輪でこの種目5位だったのがアリシア・モンタノなのだ。
世界お中距離は層が厚く、モンタノも五輪のメダルは初めてとなる。

そして、世界中の陸上ファンが注目しているのは、あのキャスター・セメンヤ(南アフリカ)が銀メダルから金メダルに繰り上がるか?ということだ。
セメンヤは2009年のベルリン世界陸上の同種目の金メダリスト。
過去にいろいろあった選手なのだが、あまりセメンヤが金メダリストになることに複雑な陸上ファンも多いようだ。

●ロンドン五輪陸上女子800m決勝
①マリヤ・サビノワ (RUS) 1:56.19
②キャスター・セメンヤ(RSA) 1:57.23
③エカテリーナ・ポイストゴワ (RUS) 1:57.23

凄い数字をお見せしよう。
上記の3選手の800mのベスト記録とそれが世界歴代で何位であるかだ。

キャスター・セメンヤ 1:55.45 世界歴代13位
マリヤ・サビノワ 1:55.87 世界歴代22位
エカテリーナ・ポイストゴワ 1:56.67 世界歴代56位

世界記録はヤルミラ・クラトフビロバ(チェコスロバキア=当時)の1:53.28。
1983年の記録だ。
この当時のドーピングの凄さに比べれば、サビノワの1分56秒台なんてかわいいもんだ。

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