水泳

February 13, 2019

ファイトだ 池江!19歳で白血病を発症、27歳で五輪競泳金メダリストになった男のはなし

マーテン・ファンデルバイデンは、2008年のオランダのスポーツマンオブザイヤーに選ばれた。
それは、2008年に開催された北京五輪のOWS(オープンウォータースイミング)で金メダルを獲得した最初の選手になっただけでなく、急性白血病に打ち勝ったひとりの人間であったからだ。

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▲表彰台の真ん中にいるのが白血病発症発症から8年目のマーテン・ファンデルバイデン

2mを超える長身。大男ぞろいのオランダでもなかなか2mの競泳選手ははいない。
この時期、世界の自由形の短距離の中心にいたピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドが193㎝。
3歳年下のファンデルバイデンの方が、10㎝近く高かった。

アテネ五輪の3年前、19歳の時にファンデルバイデンは複視と息切れを訴えた。
ただならぬ症状に病院に行くと急性白血病と診断された、2001年のことだ。

闘病は2年間に及んだ。その間に4回の化学療法と1回の幹細胞移植が施された。

発病する前、既に自由形の長距離と、OWSで名の知れた選手であったファンデルバイデンは、徐々にレースに復帰していく。
最初は筋肉の落ちた体の回復から始めたが、2005年にはいくつかの国際大会で勝てるようになり、2008年北京五輪のOWSオランダ代表に選ばれた。

先述のように、当時のオランダには男子にはピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド、女子にはインヘ・デブルーインという競泳界の大スターがいた。
闘病するファンデルバイデンにとって、母国のスターの2004年のアテネ五輪での活躍は大いに刺激になっていたのだろう。

特に30歳のピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドは、シドニー、アテネと100m自由形を制し、北京五輪での競泳同一種目3連覇が掛かっていた。
女子には下記の2人の選手が3連覇を達成していたが、男子にはいなかったのだ。
 1956-1964ドーン・フレーザー(豪洲) 競泳100m自由形
 1988-1996 クリスティーナ・エゲルセギ(ハンガリー) 競泳100m背泳ぎ

北京五輪では個人種目は100mの一種目に絞っていたピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド。
8月14日の100m自由形決勝、47.75秒のピーターは5位に終わり、3連覇の夢は絶たれた。
が、この47.75秒の記録は、彼のシドニー、アテネ両五輪の同種目の金メダルタイムを超える快記録でもあった。

OWSは競泳の最終日に行われる。
この日まで、オランダ水泳チームは、女子の4継リレーで金メダルを獲ってはいたが、男子はゼロ。
ファンデルバイデンに金メダルの期待が大きくのしかかっていた。
8月21日 北京郊外の順義オリンピック水上公園、カヌーやボートの競技会場だった施設だがこの日はOWSが行われる。
選手としての引退を決めていたピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドはオランダのテレビ局にゲストとして呼ばれていた。

OWSはいわば、外海を10㎞泳いで勝者を決める過酷な競技。
強靭な肉体とタフな精神が求められる。
出場したのは選りすぐりの25名。
どうぞ下記の動画をご覧ください。

金メダルはマーテン・ファンデルバイデン。
オランダの競泳ファンは、彼の勝利だけでなく、レースの終盤、コメンテーターから一人のファンになったピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドのことも今も忘れていない。


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February 08, 2019

平成のスポーツの記憶⑤ 北島康介20歳 初めての世界新

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北島康介はその競泳人生において、4個の五輪金メダルを獲り、5回の世界新記録を出した。
世界記録は100m平泳ぎが3回、200m平泳ぎが2回。
その初めての世界記録が2002年釜山アジア大会の200m平泳ぎ決勝だ。

1982年9月22日生まれだからこのとき20歳。
日本人による競泳の世界記録は、1972年のミュンヘン五輪で金メダルを獲った男子100m平泳ぎの田口信教氏、100mバタフライの青木まゆみ氏以来30年振りだった。

2002年当時の世界記録は、米国のマイク・バローマンが、バルセロナ五輪の決勝でマークした2分10秒16。
ちょうど10年間更新されず、最も古い世界記録だった。

●男子200m平泳ぎ決勝
①北島康介 (日体大) 2.09.97 世界新
②木村太輔 (近大)  2.13.60
③ラタポ  (タイ)  2.15.81

この年6月の日本選手権では、世界歴代3位の2分10秒64を出し、世界記録を視界に入れた。が、8月末に開催されたパンパシフィック選手権を右ひじ痛のため棄権。
挫折を経て成し遂げた世界記録だった。

この大会で北島は100 m平泳ぎ、200 m平泳ぎ、4×100mメドレーリレーの3つの金メダルを獲得。大会MVPに選ばれている。

ハンガリーのギュルタは、ロンドン五輪の200mを世界新記録で制したが、実はその8年前、アテネ五輪の同種目に、北島康介が金メダルを取ったレースでは若干15歳にして銀メダルを獲っている。
これは男子の競泳での最年少のメダリストだ。
ロンドン五輪では、ノルウェーのダーレ・オーエンが金メダルに最も近いと思われていたが、五輪の数カ月前に急死した。
ギュルタはオーエンの両親に金メダルのレプリカを贈っている。
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▲釜山アジア大会の競泳の会場

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February 05, 2019

平成のスポーツの記憶④ 誰も知らないロン・カーノウのはなし

平成1992

1992年バルセロナ五輪
27年も前の五輪である。
この大会の開会式は、随分と芸術にあふれた印象に残る開会式だった。

Wikipediaにはこうある。
文化的特徴に富み、美術、芸術面で著名な人物を輩出し続けるスペインらしく、開会式、閉会式ともに音楽監督でカタルーニャ生まれで世界的に人気の高いテノール歌手のホセ・カレーラスや、モンセラート・カバリェをはじめとする多くのスペイン人歌手の他にも多くのアーティストが参画し、近年でもまれに見る芸術性の高い開会式、閉会式であると絶賛された。

音楽監督は、「三大テノール」の1人であるホセ・カレーラスがを務めた。
当初は、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーが、カタルーニャ出身の女性歌手モンセラート・カバリェと「バルセロナ」をデュエットする予定だったが、前年の1991年HIV感染により死去、開会式では生前の歌声だけが響いた。

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また、坂本龍一は地中海の神話をモチーフに作曲したマスゲームの音楽「El Mar Mediterrani」を作曲、指揮をした。

この真夏の世の夢とでもいうべき祭典の途中、予想しなかった事故が起きた。

アメリカのロン・カーノウは競泳200m個人メドレーの優勝候補だった。
自由形、背泳、平泳ぎ、バタフライの4種類の泳法に挑んでいるときこそ、彼の人生で最も充実した時間だった。
カーノウの父親のピーターは、息子の活躍を見るために大西洋を渡ってバルセロナに来ていた。
もちろん、お祭り好きなアメリカ人だから開会式に間に合うようにスペインに着いた。
開会式でスタジアムを歩く息子の写真を撮るために、スタジアムの階段を登ったときに、61歳のピーターの心臓は致命的な発作を受け、そして停まってしまった。

こんな悲劇にもかかわらず、カーノウは4日後の200m個人メドレーを棄権することはなかった。予選を全体の2位で突破、しかし決勝に進出するも6位に終わった。
優勝したのはハンガリーのタマス・ダルニュイ。
1988年ソウル・92年バルセロナ両五輪の200m・400mの個人メドレーをともに制した競泳史に残る大スイマーだ。

『なぜオリンピック中だったんだ、なぜ開会式の最中だったんだ』
ロン・カーノウは、偶然訪れた父の最期が、なぜ開会式の最中だったのか、自らに問いただしてみたが答えは得られなかった。

『父親が開会式で倒れ亡くならなかったら、俺はダルニュイに勝てたのか?』答えは出るはずがない。

薬剤師をしていたカーノウは、ニューヨーク・ヤンキースのジョージ・スタインブレナーオーナーからの奨学金を受け、ニュージャージー医科歯科大学に入学、そして1997年に卒業した。

ところが、彼はやり残したことがあると言い出し、整形外科の卒後研修を延期した。
そう、再び五輪の舞台に立とうとしていたのだ。
博士号を持った31歳が、今更プールに立つ?彼の周囲は、彼の決定を愚かだと言った。
1998年 オーストラリアのパースで行われた世界水泳選手権、イアン・ソープの15歳での世界デビューとなる大会にカーノウは出場した。

200m個人メドレーでは3位になった。が、カーノウが目指していた2000年のシドニー五輪は、全米代表選考会で敗れ、再びオーストラリアの地を踏むことは出来なかった。

この後、カーノウがどんな人生を歩んでいったかは、筆者もよくは知らない。が、水泳をやめることはなく、マスターズの大会などに出場し、そして医師としても活躍していると聞いている。

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January 25, 2019

平成のスポーツの記憶② 代々木オリンピックプール最後の世界記録

平成1989

1964年の東京五輪のために建設され、2010年の東京五輪でも競技会場となる施設がいくつかある。
代々木競技場、日本武道館、東京体育館などがそうだ。

代々木競技場は、国立代々木競技場が正式な名称で、第一体育館と第二体育館からなる。
第一体育館は代々木体育館あるいは、代々木第一と呼ばれることが多い。が、かつてはオリンピックプールと呼ばれていた。
というのも1964年の東京五輪時は、水泳競技(競泳・飛込み)の会場だったのだ。

Yoyogi

当時から、プールだけでなく体育館しても使えるように設計されており、五輪後は、水泳と並んでフィギュアスケート、アイスホッケー、バレーボール、室内陸上、ボクシング等様々な競技が行われてきた。
また、コンサートの殿堂としても知られている。
最初に代々木を使ったアーチストは、1983年のチャゲ&飛鳥、外国人では1985年のブルース・スプリングスティーンだ。

平成元年 1989年8月21日、代々木のオリンピックプールで行われていた競泳のパンパシフィック選手権最終日、女子800m自由形でジャネット・エバンスが、自己記録を0秒90短縮する8分16分22の世界新記録を出した。
この前年のソウル五輪で3冠を達成したエバンスもこのときはまだ18歳、この記録がその後18年も生き残るとは思わなかっただろう。

バルセロナ五輪でこの種目に連覇したエバンスのタイムは8分25秒52。
そして、25歳で迎えたアトランタでは6位(8分38秒91)に終わった。

この種目、2004年のアテネ五輪では、柴田亜衣が金メダルを穫っているが、そのタイムは8分24秒54、エバンスの記録が、競泳の永遠に残る世界記録になりかけていた。

ところが、北京五輪で、イギリスのレベッカ・アドリントンが、8分14秒10で優勝、19年目の世界新記録となった。
ベッカ・アドリントンは、続く400mでも4分3秒22で優勝しており2冠となった。
女子競泳で、イギリス勢が金メダルを獲得するのは、1960年のローマ大会以来の快挙であり、4年後のロンドン五輪開催に向けての強化が実り始めていた。

このように代々木のオリンピックプールは、18年間もだれも超えられなかった世界記録を生んだプールだったのだ。
今でこそ、辰巳、習志野、横浜と国際規格のプールが首都圏に3つもあり、有明には五輪仕様のプールが建設されている。が、1989年当時は代々木にしかなかった。

ところが、水泳の競技施設としての代々木体育館は徐々に老朽化し、1997年頃にその役割を終えた。
それ以降オリンピックプールと呼ばれることはない。

体育館の設計は丹下健三の手によるもので、丹下の代表的作品とされる。
第一体育館・第二体育館とも、吊り橋と同様の吊り構造の技術を用いており、第一体育館は2本、第二体育館は1本の主柱から、屋根全体が吊り下げられている。
その形状の美しさは、1964年当時五輪のために来日した関係者にも強烈な印象を残したと言う。

現在、代々木第一体育館は、2020年の東京五輪のハンドボール会場として迎えるべく改装工事をしている。

●競泳女子800m世界歴代ランキング 1989年のエバンスの記録が堂々6位にランクされている。
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August 25, 2018

メドレーリレーの銀メダルの日本チームに伸び代はどこまであるのか

昨夜のメドレーリレーの銀メダルの日本チームの年齢とタイム

入江 28歳(52.53)
小関 26歳(58.45)
小堀 24歳(51.06)
塩浦 26歳(47.99)

金メダルの中国チームの年齢とタイム

徐嘉余 23歳(52.60)
閻子貝 22歳(58.86)
李朱濠 19歳(50.61)
余賀新 22歳(47.92)

2020年を考えた時に日本に伸び代はどのくらいあるのか?

一方の金メダルを獲った女子

酒井夏海 17歳(59.42)
鈴木聡美 27歳(1:05.43)
池江璃花子 18歳(55.80)
青木智美 23歳(54.08)

なんといっても8継も泳げる酒井(背泳ぎ)が出てきたことは大きい。

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August 24, 2018

池江璃花子6冠なるか、孫楊は9冠に挑戦

男子100m自由形で塩浦慎理が48秒71のタイムで金メダルを獲得。
この種目の日本勢の優勝は1998年バンコク大会の伊藤俊介氏以来。
伊藤俊介氏は双子のスイマーとして知られ、弟の伊藤秀介氏もバンコクの100mでは銀メダルを獲っている。
また、伊藤俊介氏はこの大会で100m自由形のほかに、4×100mリレー、4×200mリレー、4×100mメドレーリレーでも金メダルを獲り、4冠を達成している。

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もうひとりの5冠
1990年北京大会の100m自由形を制した沈堅強(中国)は、ほかにも50 m自由形、100mバタフライ、4×100mリレー、4×100mメドレーリレーデモ金メダルを獲り5冠。
さらにはこの4年前のソウル大会の4×100mリレーでも金メダルをとっており、通算で6個の金、2個の銀、1個の銅を獲っている。
ただし、この時代のアジアの競泳は世界水準とは言えず、五輪での活躍はない。

孫楊は通算9冠なるか?
中国の孫楊は、今大会200m、400m、800m自由形に優勝しており、今日の1500mに勝てば4冠。
これまでに広州大会で2個、仁川大会で3個の金メダルを得ており、通算9冠になる。
なお、4年後のアジア大会は孫楊の出身の杭州での開催が決まっており、現在26歳の去就も注目されている。

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April 20, 2017

入江陵介 日本選手権11連覇ならず

先に終了した競泳の日本選手権だが、あまり大きく報道されなかったが実は大きな事件があった。
男子200m背泳ぎで10連覇中だった入江陵介が、萩野公介に敗れ2位、11連覇はならなかったのだ。

高校3年で200mに初めて優勝してから26歳まで10連覇とは、とにかく凄い。
30歳で迎える東京五輪までは競技を続けるのだろうか?

前回のエントリーで、内村航平が体操の全日本で10連覇達成と併せて各競技の全日本での連覇を紹介したが、改めて下記のように加筆する。

10連覇(2007~2016年)
入江陵介 200m背泳ぎ
ロンドン五輪200m背泳ぎ銀、100m背泳ぎ銅メダリスト

9連覇(1957~1965年)
田中聡子 200m背泳ぎ
ローマ五輪女子200m背泳ぎ銅メダリスト

8連覇(1980~1987年)
長崎宏子 200m平泳ぎ

7連覇(1929~1936年)
前畑秀子 200m平泳ぎ
ベルリン五輪200m金メダリスト

●入江陵介 日本選手権200m背泳ぎ10連覇の歩み
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○数字は優勝以外の順位。100m背泳ぎは今年も含めて4連覇中。

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March 29, 2017

派遣標準から見る池江璃花子

日本水連は、競泳の日本選手権(4月13~16日・名古屋市ガイシプラザ)のエントリーを公開した。
今年の日本選手権は、世界選手権(7月・ブダペスト)の代表選考会を兼ねているほか、萩野公介、瀬戸大也は大学を卒業し新たな所属で、東京五輪に向けてのスタートとなる。
また、高校2年になる池江璃花子の泳ぎも注目される。

池江璃花子を初めて見たのは2年前の日本選手権だった。
当時は14歳の中学3年生。
最初の種目の100mバタフライでは予選敗退。
200m自由形では、1分58秒77の中学新記録で3位だったが、4位までがリレーの派遣標準を切り、ロシアのカザンで行われた世界水泳の800mリレーの代表に選ばれた。

50m自由形は3位 25秒28=中学新
100m自由形も3位 54秒76=中学新
50mバタフライでは26秒49で優勝(予選で26秒41の中学新)するも、いずれも派遣標準を超えることはできず、世界水泳7大会ぶりの中学生代表はリレーのみだった。

昨年の日本選手権に池江は、
50m自由形、100m自由形、200m自由形
100mバラフライに出場。
100m自由形は内田美希に次いでの2位だったが、他の3種目は優勝する。
しかし、リオ五輪派遣標準を突破したのは100mバタフライのみだった。

昨年の日本選手権で、男女の自由形の50mから1500m(女子は800m)の5種目で、派遣標準記録を破ったのは、男子200mの萩野公介のただ一人。
日本水連が五輪に際し、派遣標準記録を設定するようになって以来、女子の自由形で一人も破れなかったのは初めてだった。

が、現実にはリオ五輪で50m、100m、200m自由形のいずれにも池江璃花子は出場した。
ところが、その3種目共に日本選手権で自らが出した記録を超えることなく敗退。
リオデジャネイロ五輪で、自己ベストを出したのは100mバタフライのみに終わった。
*下記グラフ参照

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ここから見えてくるのは、
派遣標準記録を突破していないにもかかわらず、自由形に出場させたのは間違っていた。
もしくは、特に自由形に関しては派遣標準記録が厳し過ぎたのではないのか。

現在、池江は50mバタフライを含めて、長水路で5種目の日本記録を持つ。
一度に5種目の日本記録を持つのは、先に亡くなった山中毅氏と緒方茂生氏についで史上3人目の快挙だ。
特に、リオ五輪で失敗した自由形3種目は、いずれも五輪後に書き換えた。
しかも、その記録は、リオ五輪でも決勝進出相当、悪くても準決勝進出相当の記録である。
これだけのポテンシャルのある選手は、なかなか出て来ないだろう。
東京五輪に向けて、派遣標準記録をどう考えるべきだろうか。

スポーツライターの生島淳氏が以下のようなことを言ったそうだ。
選考会で2位ながらオリンピックで金メダルを獲得した岩崎恭子は、もし当時、派遣標準記録が定められていたら代表に選ばれなかっただろう。中高校生は数か月で飛躍的に記録を伸ばす可能性がある為、派遣標準記録を重視する姿勢はそういった可能性の芽を摘んでしまっている。(中略)
競泳全体の強化という視点から見れば、完璧なシステムには思えない、もっと柔軟な対応をしてもいいのではないか。

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January 30, 2017

日本人スイマーが出した世界新記録

早大2年の渡辺一平(19)が29日、東京辰巳国際水泳場で行われた東京都選手権の200m平泳ぎで、2分6秒67の世界新記録を樹立した。2012年に山口観弘(東洋大)が高校生当時に岐阜国体で出した2分7秒01を更新し、初めて2分6秒台をマークした。
渡辺はリオ五輪にも出場。200m平泳ぎ決勝は6位だったが、準決勝では2分7秒22の五輪記録を出していた。

さて、東京五輪の金メダル候補が彗星のように現れたが、日本人が競泳で世界新を出したことは何回あるか?

戦前は、水泳NIPPONの名前を欲しいままにしていたが、戦後は一時期低迷していた時期もある。
また、五輪金メダリストが実は世界記録からは縁遠かったり、世界記録を何度も出した選手が、五輪メダルには縁がなかったり、様々なドラマがある。
第二次大戦後に競泳で世界記録を出した選手を追ってみた。

●自由形

200m 
山中毅 2分00秒4 (1961.8.20) 4回更新
山中はこの種目世界記録を4回更新したが、この種目ではメダルを獲っていない。

400m 
古橋広之進 4分33秒3 (1949.8.18) 2回更新 未公認記録3回
ご存知フジヤマのトビウオこと古橋広之進氏。
日本が招待されなかった1948年のロンドン五輪に対抗して行われた全日本水上選手権で、ロンドン五輪の金メダルタイムを大幅に上回っていた。
古橋が、障害唯一出場したヘルシンキ五輪では、400mで8位に終わっている。
未公認記録3回とは、日本が国際水泳連盟(FINA)を脱退中に日本人選手の出した記録は、世界記録として公認されなかったという不運もある。

山中毅  4分16秒6 (1959.7.26)
メルボルン、ローマ五輪のこの種目の銀メダリスト。
両大会共に金メダルはマレー・ローズ(豪州)。

1500m 
橋爪四郎 18分35秒7 (1949.8.16) 
古橋氏のよきライバルだった選手。ヘルシンキ五輪では400mで銀メダルを獲得した。

古橋広之進 18分19秒0 (1949.8.16) 2回更新 未公認1回

●平泳ぎ

100m 
古川勝 1分08秒2 (1955.10.1)

田口信教 1分04秒94 (1972.8.30)

北島康介 58秒91 (2008.8.11) 2回更新
田口氏、北島の両選手は五輪決勝で世界新記録を出して金メダルを獲得するという快挙を演じた。

200m
田中守 2分35秒2 (1954.9.17)

古川勝 2分31秒0 (1955.10.1) 4回更新
古川氏はメルボルン五輪で2分34秒7を出し金メダルを獲得した。
なお、この時代100m平泳ぎは五輪で実施されていない。(1968年から)

北島康介 2分07秒51 (2008.6.8) 3回更新
さすがの北島も北京五輪決勝では世界新記録には届かず、五輪新に留まった。

山口観弘 2分07秒01 (2012.9.15)
高校3年で世界新を出すも、大学の4年間で更新できなかった。

●バタフライ

100m 
石本隆 1分00秒1 (1958.6.29)

200m 
石本隆 2分20秒8 (1955.10.1)
長沢二郎 2分19秒3 (1956.4.14)

100m 
青木まゆみ 1分03秒34 (1972.9.1) 2回更新
田口さんと同じくミュンヘン五輪決勝で世界新記録を出して金メダルを獲得した。
なお、ミュンヘン五輪はマークスピッツが7冠を達成したが、リレー種目を含め全て世界記録というおまけが付いている。

●背泳ぎ

200m 
田中聡子 2分18秒2 (1963.8.4) 11回更新
11回もの世界記録を更新した田中だが、当時200mは五輪種目ではなく、100m背泳ぎでローマ五輪銅メダル、東京五輪4位に入った。

他にも男子100×4リレーでは日本代表チームが1回、男子200×4リレーでは日本代表チームが3回、東京クラブが2回世界記録を出している。
また男子メドレーリレーでも日本代表として3回、日大、早大の単独チームがそれぞれ1度世界記録を出している。

なお、意外と思われるかもしれないが、バルセロナ五輪200m平泳ぎ金メダリストの岩崎恭子、ソウル五輪100m背泳ぎ金メダリストの鈴木大地、アテネ五輪800m自由形金メダリストの柴田亜衣の3選手は、一度も世界記録を出したことはない。


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August 13, 2016

アンソニー・アービン 35歳で16年振り2度目の50m自由形を制す

今日行われた男子50m自由形は歴史的なレースである。
米国のアンソニー・アービンは、2000年のシドニー五輪の同種目に優勝しているが、16年後今大会の50m自由形を21.40で泳ぎ、再度金メダルを獲った。

2000年のアンソニーは19歳、今大会の彼は35歳、競泳の金メダリストの最高齢を更新した。
アンソニー・アービンは2003年に一度水泳界を離れるが、2012年に現役復帰する。
ロンドン五輪の50m自由形は21.78。
シドニーの自身の金メダルタイムを上回ったが、5位に終わっている。

●2000年シドニー五輪 男子50m自由形
1.アンソニー・アービン(米) 21.98 19歳
1.ゲイリー・ホールjr(米) 21.98

●2016年リオデジャネイロ五輪 男子50m自由形
1.アンソニー・アービン(米) 21.40 35歳
2.フローラン・マナドゥ(フランス) 21.41

シドニー五輪 男子50m自由形。
アンソニー・アービンは、同じ米国のゲイリー・ホールjrと競い合って同じ21.98でゴールした。
電気計時の場合、小数点以下はいくらでも細かく計測は可能だが、競泳は1/100秒まで同タイムの場合は同着とすることが決められている。

というのも、まだ電気計時が始まったばかりの1972年ミュンヘン五輪の男子400m個人メドレーで、1位と2位の差がわずかに2/1000秒差だったことがある。
この場合、1位と2位の選手の差は、3ミリ程度でしかない。
同着のルールはこれが契機となった。

五輪の水泳決勝で金メダルが同着となったことが3回ある。

1度目は、1984年ロサンゼルス五輪の女子100m自由形
1.ナンシー・ホグスヘッド (米)55.92
1.キャリー・スタインサイファー (米)55.92

2度目が2000年シドニー五輪の男子50m自由形。

そして、3度目が今大会女子100m自由形。
1.シモーン・マニュエル(米) 52.70
1.ペニー・オレクシアク(カナダ) 52.70

リオ五輪の競泳は同着が相次いだ。
マイケル・フェルプスの2種目目の4連覇が掛かっていた100mバタフライは、シンガポールのジョセフ・スクーリング50.39で、同国初の金メダルを獲った。
が、マイケル・フェルプス(米国)、チャド・レクロー(南アフリカ)、ラースロ・チェー(ハンガリー)の3人が51.14で2位に入った。
競泳で銀メダリストが同着3人は史上初のこと。

また、女子100m背泳ぎでは、カイリー・マッセ(カナダ)と傅園慧(中国)が同着で3位に入った。
メダリストが同着となるレースが1大会に3レースあったのは初だ。

なお、陸上女子走り高跳びに、ウルリケ・マイフェルト(西ドイツ当時)が1972年16歳と1984年28歳の2回、12年の間をおいて獲っているが、アンソニー・アービンの16年振りの金メダルは、この記録を上回ることになる。

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