サッカー

June 09, 2016

オリンピックのサッカーの影を薄くするEURO

面白い資料がある。
AP通信による2004年のスポーツ10大ニュースだ。

オリンピックイヤーのこの年、1位になったのは「サッカーEURO2004 ギリシャ初制覇」である。
もちろん、アテネオリンピック関連も2位、5位、6位、8位と4項目が入っているのだが、1位はEUROだった。
EUROとは、サッカーの欧州選手権のことで、4年に一度夏季オリンピックと同じ年に開催されている。
いわば、サッカーW杯のヨーロッパ版で、1960年に第1回大会がフランスで開かれた。
当初参加国は4カ国だったが、8カ国さらには16カ国と拡大し、今年から24か国に拡大される。

その注目度もW杯に劣らず、内容はW杯をも凌ぐとも言われている。
1984年頃までは、日本ではサッカー専門誌では取り上げられるものの、一般紙にはほとんど登場しなかったが、徐々に注目を集めるようになり、2004年からは地上波での放送も開始され、すっかりおなじみになった。

2004年はポルトガルで開催され、決勝はギリシャが地元ポルトガルを下し、初制覇を遂げた。
大会前ギリシャの優勝なんて誰も想像しなかった。これが、6月のこと。
ギリシャはすっかり盛り上がってしまった。
言わばギリシャ国民は満腹状態で8月のオリンピックを迎えることになった。
そのためオリンピックを上の空で見ていた人も多かった。

特にサッカーはガラガラ、最終日を前に、平均1万人強の観客しか集まらず「すべてのギリシャのサッカーファンは、これから行われる試合を見に来ないといけない」
ギリシャサッカー協会のガガツィス会長が3位決定戦と決勝戦を前に、こんな異例の呼びかけをしたほどだ。

ヨーロッパの人は、オリンピックのサッカーにはあまり関心がない。
最近6大会のサッカー1試合当たりの平均観客数は以下のようになる。

1992年 バルセロナ五輪 14571人
1996年 アトランタ五輪 38242人
2000年 シドニー五輪 32018人
2004年 アテネ五輪 12544人
2008年 北京五輪 43883人
2012年 ロンドン五輪 48785人

ヨーロッパで開催されたバルセロナ、アテネ大会はアトランタやシドニー大会の半分から3分の1程度でしかない。
ただし、バルセロナオリンピックは地元スペインが3-2でポーランドを下し優勝した。
舞台はカンプノウスタジアム、ファンカルロス国王、ソフィア女王、アントニオ・サマランチIOC会長も詰め掛け95,000人の大観衆とともに金メダルに酔った。

 ●AP通信(米)による10大ニュース●

① サッカーEURO2004:ギリシャ初制覇
② アテネオリンピック開催
③ ツール・ド・フランス:アームストロング(米)が史上初の6連覇。
④ F1シューマッハー(独)が圧倒的な強さで年間総合優勝
⑤ アテネオリンピック過去最多のドーピング違反
⑥ アテネオリンピック水泳のフェルプス(米)が金6個を含む8メダル
⑦ 女子テニス全仏はミスキナ、全英はシャラポワ、 全米はクズネツォワとロシア勢が3勝
⑧ アテネオリンピック 中国が米国に次ぐ32個の金メダルを獲得する躍進
⑨ 男子テニスフェデラー(スイス)が四大大会のうち3大会を制覇
⑩ サッカー英プレミアリーグアーセナルが無敗でリーグ制覇

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April 15, 2016

ベルリン五輪以来!日本サッカー80年ぶりスウェーデンと対戦

リオデジャネイロ五輪の男子サッカー日本代表は、1次リーグでナイジェリア、コロンビア、スウェーデンと対戦する。五輪でスェーデンとの対戦するのは1936年のベルリン五輪以来80年ぶりだ。
日本とスウェーデンの間にはこんな因縁がある。


まだ戦争が終わったばかりの1949年、日本初のノーベル賞が湯川秀樹博士に贈られた。
受賞のためストックホルムを訪れた湯川秀樹博士の記者会見の際、スウェーデンの記者が博士にサッカーのボールを手渡した。
博士はそれをヘディングする格好をして拍手を浴びたという。
スウェーデン人にとって、日本についての最も鮮明な記憶は、1936年のベルリン五輪でのサッカーの試合であることのエピソードである。

 
「ヤパネー、ヤパネー、ヤパネー、日本人が飛んでくる…」

スウェーデンでは、「日本」の国名を3度重ねた言葉が生きている。

日本人のニュースを伝える時や、予想もしなかった出来事が起きた時に語られる言葉だという。
1936年のベルリン五輪で生まれた言葉だ。


1ベルリン五輪は、ナチス政権下でドイツの国威発揚に利用された大会として、今尚ヨーロッパの人に語り継がれている大会だが、スウェーデン人にとっては、忘れられない思い出もあるようだ。

1912年にストックホルム五輪を開催し、北欧のスポーツ大国を自認していたスウェーデン。
1924年のパリ五輪のサッカーでは銅メダルを獲得し、ベルリン五輪でも優勝候補の一角に挙げられていた。
まさか、極東からシベリア鉄道で2週間かけて渡欧して来た日本人に負けるとは、誰も思わなかったのだ。

前半、圧倒的にスウェーデンに攻められる日本。24分、37分に、ゴールを許し、前半終了。
後半、2点のリードに安心したかのようなスウェーデンから日本は3点を挙げ、歴史に残る逆転劇を演じてみせた。
(まるでリオ五輪予選の日韓戦のような内容だ)

当時、ベルリンの新聞には

「日本はこの試合でサッカーの醍醐味を味わわせてくれた。高い技術的プレーを知っているはずのベルリン市民も、日本チームが示した極めて細かいプレーに感嘆した。
加茂兄弟は見事な左翼を形成し、CF川本の技巧は惚れ惚れするほどだった。スウェーデンと日本の攻撃を比べると、遥かに日本の方が近代的で優勢だった」

と評された。

日本のサッカーの恩人といわれるデットマル・クラマー氏(故人)も1960年の初来日のとき、少年のときに、ベルリン五輪の逆転劇を聞いたのが日本への強い興味を持つきっかけだと語ったこともある。
スウェーデンではこの敗戦は語り継がれているようで、若い人にも随分むかし、日本に負けたことがあるという事実は多く知られている。

2002年のW杯開催前に、テストマッチが日本・スウェーデン間で行なわれ、スウェーデンが先制するも、中田のゴールで日本が追いつき引き分けた。
W杯の本番、決勝トーナメント1回戦で日本がトルコに敗れず、スウェーデンがセネガルに敗れなければ、日本対スウェーデンの対決が66年振りに実現するはずだった。

五輪におけるスウェーデン代表は過去に9回出場し、金メダル1(1948年)、銅メダル2(1924・52年)の実績を持つ強豪だが、1992年のバルセロナ五輪を最後に五輪出場は遠ざかっていた。
しかし、昨年開催されたU-21欧州選手権で優勝し五輪の舞台に戻って来た。
 
80年ぶりの日本対スウェーデンは、アジア王者対欧州王者の対決でもある。


●1936年ベルリン五輪 ベスト8

日本 3-2 スウェーデン
日本 0―8 イタリア
日本代表GK:佐野理平、FB:堀江忠男、竹内悌三、HB:立原元夫、種田孝一、金容植、FW:松永行、右近徳太郎、川本泰三、加茂健、加茂正五

FBの堀江忠男さんは当時早大在学中、卒業後は朝日新聞勤務ののち早稲田大学政治経済学部の教授に就任。早稲田大学サッカー部監督を務め、釜本邦茂氏、森孝慈氏(政経学部卒)、西野朗氏、岡田武史氏(政経学部卒)らを育てた。

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June 24, 2015

新国立競技場とどちらが凄い?当初の見込みから11倍の工事費がかかったモントリオール・オリンピックスタジアム

FIFA女子W杯がカナダで開催されている。
24か国が参加し、以下の6つの会場で熱戦が繰り広げられている。

バンクーバー(BCプレイス)
エドモントン(コモンウェルス・スタジアム)
ウィニペグ(ウィニペグ・スタジアム)
オタワ(フランク・クレア・スタジアム)
モントリオール(オリンピック・スタジアム)
モンクトン(モンクトン・スタジアム)

これらの競技場の中に、2つオリンピックのメインスタジアムだった競技場がある。
ひとつは、バンクーバーのBCプレイス、もう一つは、モントリオールのオリンピック・スタジアムだ。

モントリオールオリンピックの開催は1976年。
商業オリンピックとして、オリンピック開催が黒字になるようになるのは1984年のロサンゼルスオリンピックから。
モントリオールオリンピックの時代は、まだ国家の一大事業だった時代だ。

オリンピック・スタジアムは、カナダ初のドームスタジアムを造るとして1973年に工事が始まった。
その当時の予算は1.34億カナダドル。
ところが、ストライキや工事の遅延がこれらのコストを上昇させた。
スタジアムの竣工は1976年の7月17日。この日までに2.64億カナダドルを費やした。
7月17日というのは、モントリオールオリンピックの開会式の日。
自慢の屋根も、目玉だったタワーも未完成のまま、ぶっつけ本番で開会式を迎えたのだ。

大幅に予算を上回り、その投資を回収するために、ケベック州政府はオリンピック開幕前の1976年5月から特別たばこ税を導入することにした。
気の毒なケベック州の住民は、なんとオリンピック閉幕の30年後の2006年11月まで、8%上乗せされたたばこの代金を支払い続けた。
この時点で7.7億カナダドルの工費を要し、さらに2006年から現在までのスタジアムの総工費は、14.7億カナダドルにまで膨れ上がることになる
当初の予算の約11倍だ。
14.7億カナダドルは現在のレートに直すと約1477億円。

スタジアム自体は、オリンピックの翌年 1977年にMLBのモントリオール・エクスポスの本拠地として生まれ変わった。
1988年になって、簡易開閉式の屋根が設置され、オリンピックから12年経ってカナダ初のドームスタジアムとなったが、老朽化が進み、2004年にエクスポスはモントリオールを離れ、ワシントンDCに移り、ワシントンナショナルズとして再出発した。
ケベック州のたばこ特別税による借金返済は2006年まで続いていたわけだから、ケベック州の住民はエクスポスが移転してからも税金を支払い続けたことになる。

ちなみに23年のモントリオール・エクスポスの活動期間中、地区優勝が1回(1981年)あるだけで、Wシリーズ優勝はもちろん、リーグ優勝も一度もない。

ロンドンのウェンブリー・スタジアム、モントリオールのオリンピック・スタジアム、シンガポールのナショナルスタジアム
人類史上、この3つのスタジアムが最も工事費が掛かっているだろうと思われるが、わが新国立競技場はその2~3倍の総工費を見込んでいるのだ。

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▲モントリオールオリンピックスタジアム 70年代にこんな競技場造ろうと思ったらそりゃ金がかかる。

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▲屋根を締めた状態


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August 13, 2014

マンチェスターシティとエティハド航空の世界戦略

8月5日の朝日新聞によると、MLBのニューヨークヤンキースの本拠地であるヤンキースタジアムで来季から米リーグサッカーMLSの試合が行われるという。
ヤンキースタジアムを本拠にするクラブは、新たにMLSに参入するニューヨークシティ(NYC)。
元スペイン代表FWビリャやイングランド代表MFランパードが入団するという。
NYCは、ヤンキースとイングランドプレミアリーグ昨年の覇者、マンチェスターシティー(マンC)が合弁で作ったチームだ。
昨シーズンのプレミアリーグを制したマンCは、世界戦略を進め、豪州では2009年に創設されたAリーグのメルボルン・シティFCの株式80%を取得、傘下に収めた。

そして2014年Jリーグの横浜Fマリノスの株式19.95%を取得、グループの一員に迎えた。
株式会社横浜Fマリノスの資本金が3100万円だから、マンCが出資した額は約620万円になる。
一方、マリノスの筆頭株主であり、親会社である日産自動車は、マンCのスポンサーになることを決定。
5年間で2000万ポンド(約34.4億円)の出資を決めている。

日産自動車は英国サンダーランドに従業員数は6000人規模の工場を持ち、2012年の年間生産台数は50万台を記録している。
過去10数年に渡り英国最大の自動車工場であり、作られた自動車は欧州各地に輸出されているのだ。

このブログでかつて
マンチェスターシティ(英プレミア)を買ったタイ元首相
という記事を書いたことがある。

タイの首相だったタクシン氏が、マンCを買収したという内容の記事だ。
これが2007年のこと、クラブは、翌年にはタクシン氏からUAEの投資グループの手に渡った。
現在、マンチェスターシティを傘下に持つ「CFGシティ・フットボール・グループ」の実態はAbu Dhabi United GroupというUAEの投資会社のことだ。

日産がマンCのスポンサーになって、ユニホームの胸にNISSANの文字が大きく踊ると思われる方も多いかもしれない。
が、マンCの胸のスポンサーはUAE、アブダビの航空会社エティハド航空が2009年から押さえている。
その額は10年でなんと6億4200万ドルだ。

マンCの海外戦略にエティハド航空はともに歩む。
メルボルン・シティFCのホームスタジアムのネーミングライツ(命名権)を取得し、NYCの所属するMLSの公式スポンサーの座も手に入れた。
近い将来Jリーグのスポンサーに名乗りを上げるかもしれない!?

今日、サッカー界で中東の航空会社の存在感は圧倒的だ。
エミレーツ航空はSONYやHYUNDAIなどとともに世界に6社しかないFIFAの公式パートナーだ。
チャンピオンズリーグの覇者リアルマドリードのほかアーセナル、ACミラン、パリ・サンジェルマン、ハンブルガーSVと欧州主要リーグの強豪とスポンサー契約を結んでいる。

一方、レアルのライバル、バルセロナの胸にはカタール航空のロゴがある。
なんと100年以上の歴史を持つこのクラブ史上初めて営利企業の名前が飾られているのだ。

英国の調査会社によると、世界の航空会社からスポーツ界への投資額は5億1500万ドル。
そのうちエミレーツとエティハドの2社で半分近くを占め、エミレーツだけでも1億8200万ドルに上る。
ドバイやアブダビは、世界の航空ハブにしなりたいと考えている。
地理的にも欧米とアジアとをつなぐ。欧米やアジアの潜在的な顧客を掘り起こすイメージ戦略だと思われる。

かつて、日本企業が欧州強豪クラブのスポンサーを務めていた時代があった。
マンチェスターユナイテッド SHARP
ASローマ MAZDA
アーセナル JVC
ユベントス SONY
アヤックス TDK
レッドスター TOYOTA
などいくつもあったが、今では随分少なくなった。

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▲サッカー仕様のヤンキースタジアム 朝日新聞より


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July 15, 2014

幻の1986年ワールドカップ日本開催計画

戦後W杯を2回開催した国は3カ国しかない。
ブラジルは1950年と今回2014年、この間64年。
ドイツは1974年に西ドイツとして、2006年にドイツとして開催し、この間32年。
メキシコは1970年と1986年に2度開催しており、この間は16年。
決勝トーナメントの常連とはいえ、なぜメキシコは短い間に2回のW杯が開催できたのか。

1986年のW杯はコロンビア開催で決まっていたのだが、開催返上が余儀なくされた。
開催が決まったのは開催から遡ること12年前の1974年のFIFA総会だ。
当時の本大会出場国は16カ国、ところが市場の拡大をめざすFIFAは1982年のスペイン大会から出場国を24カ国に拡大することを決めた。

政治的にも、経済的にも不安定なコロンビアにこの地球規模のイベントは負担が大きすぎた。
1982年11月「24カ国でのW杯開催は不可能」と声明を出し、返上してしまった。(FIFAが誘導したとの説もある)
同じ米大陸の中という条件から、カナダ、メキシコ、アメリカが再立候補し、最終的に1983年5月メキシコでの2度目の開催が決まった。
このコロンビアの返上以降、初めて南米大陸で開かれたW杯が今回のブラジル大会だ。

この1986年大会だが、実は、日本開催で動いていたことがあった。
1970年のメキシコ大会に視察に来ていた日本サッカー協会幹部に スタンレー・ラウスFIFA会長(故人)が、16年後のW杯の日本開催を打診している。

1996年5月10日の朝日新聞に次のような記事がある。

「世界サッカー誘致を--16年先ねらい検討へ」。そんな文字が新聞各紙に躍ったのは、197082日のことだ。ワールドカップ(W杯)日本招致の構想は、今から26年も前に浮上した。同年のW杯メキシコ大会を訪れた当時の日本サッカー協会の野津謙会長が、国際サッカー連盟(FIFA)のスタンレー・ラウス会長(イギリス=イングランド)から打診を受けた。「日本は東京五輪を開いた。W杯を開催する気があるなら、86年にやってはどうか」それを受け、帰国した野津会長が日本体育協会で会見。「日本がもっと強くなければいけないし、資金などの難問がある。しかし目標をぐっと高く置き、86年のW杯を日本で開催したい」と語った。とはいえ、当時の日本にはW杯を開催する土壌は何もなかった。W杯の基準に見合う競技場はゼロ。練習場もない。サッカー人気も、実力も開催国にふさわしいとはいいがたかった。

野津謙は、1969年にFIFA理事に就任している。
2003年に小倉純二サッカー協会副会長がFIFA理事に当選するまで、長い空白があったことを考えれば、この時代にFIFAの要職に就いていた野津氏の政治力はかなりのものがあったと推測されよう。

しかし、1976年、同郷の長沼健氏(故人)らがクーデターを起こし野津は会長の座を追われてしまった。

1986年のW杯が日本で開催されていたら・・・
1986年メキシコW杯、6月22日、準々決勝のアルゼンチン対イングランド戦はW杯史上に残る。
マラドーナの「神の手ゴール」そしてその僅か4分後の「5人抜き」。
灼熱のアステカ・スタジアムの伝説は東京の国立競技場でも起こりえたのだろうか…。

小倉純二氏が定年によりFIFAを去り、現在日本人はFIFAの中枢にいない。
来年のAFC総会ではFIFA理事の改選が予定され、日本サッカー協会の田嶋幸三副会長が立候補を表明している。

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July 14, 2014

W杯優勝 ドイツ代表は多民族軍団だった

W杯ブラジル大会決勝はドイツ代表がアルゼンチン代表を1-0で破り、4度目の優勝を果たした。

02年準優勝、06年3位、10年3位、14年優勝と絶えず上位にあるかに見えるドイツだが、2000年のユーロ欧州選手権では1勝もできず、グループリーグで敗退した。
当時ドイツ代表には、けが人が出て急遽代表入りした39歳ローター・マテウスを始め、30歳以上の選手が何人もいた。
ドイツ生まれの白人選手で固めたチームが、もろくも崩れ去って行った姿はドイツの純血主義問題を浮き彫りにした。
これを受けてドイツサッカー協会は重い腰を上げて、開放政策を取り始める。

2000年1月より、ドイツは従来の血統主義に基づく移民法に変えて出生地法を採択した。
ドイツに永住意志のある外国人の両親を持つドイツで生まれた者は、出生と同時に両親の国籍と同時にドイツ国籍も自動的に付与される、というもの。

だが、親がEU域外の国籍を持つ場合、ドイツで生まれた人も23歳までに、いずれかの国籍を選ばなければならない。
例えば、ドイツ国内に住むトルコ系住民は計約295万人と移民のなかで最多だが、ドイツ国籍を得たのは半分以下の約135万人に過ぎない。

その結果外国にルーツを持つ選手がドイツ代表に入るケースが増え、今大会にも6人が名を連ねた。

●ポーランド系
ルーカス・ポドルスキ  
ミロスラフ・クローゼ  
●トルコ系
メスト・エジル
●ガーナ系
イェローム・ボアテンク
●アルバニア系
シュコドラン・ムスタフィ
●チュニジア系
サミ・ケディラ

何といってもすごいのは、イェローム・ボアテンクだろう。
彼の兄は、ケヴィン・ボアテング。
今大会にガーナ代表として出場した。
兄弟は、父親はガーナ人の同一人物だが、母親は別々のドイツ女性だという。
そして、ガーナとドイツは10年、14年と2大会続けてグループリーグで同組となり、兄弟はそれぞれ出場し、W杯では恐らく2度とない2大会連続「兄弟対戦」が実現した。

6人で驚いてはいけない。
4年前 南アフリカ大会のドイツ代表には11人の外国にルーツを持つ選手がいた。
大会中 トルコに住むエジルの祖母が亡くなるという不幸もあった。


日本代表の中にも酒井高徳は、ドイツ人の母親を持つドイツ系であることは知られている。
ほかにもイラン代表のアシュカン・デジャガとダビエル・ダーヴァリーがドイツの血を引いている。
デジャガはU21ドイツ代表で活躍していた選手だが、最終的にイランを選んだ。

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July 09, 2014

ドイツ7-1ブラジル でもW杯史上最多得点差は9点

ブラジルワールドカップ決勝トーナメント準決勝 ブラジル対ドイツは、FWトーマス・ミュラーが今大会5ゴール目となる先制点を挙げるなど、7-1でブラジルに大勝。
02年W杯以来の決勝進出を果たした。
6点差も凄いが、W杯史上最多得点差は9点で3試合ある。

1954年 ハンガリー9-0韓国
1974年 ユーゴスラビア(当時)9-0ザイール(現コンゴ民主共和国)
1982年 ハンガリー10-1エルサルバドル

ついで8点差も3試合。
2002年の札幌ドームで行われたドイツ対サウジアラビアは、まだ記憶に新しい。

1938年 スウェーデン8-0キューバ
1950年 ウルグアイ8-0ボリビア
2002年 ドイツ8-0サウジアラビア

そして7点差も3試合
1954年 トルコ7-0韓国
1954年 ウルグアイ7-0スコットランド
2010年 ポルトガル7-0北朝鮮

ちなみに対戦した2チームの得点の合計の最多試合は12点。
1954年 オーストリア7-5スイス

これに続く合計11点の試合には
先のハンガリー10-1エルサルバドル
1938年 ブラジル6-5ポーランド
1954年 ハンガリー8-3西ドイツ
などがある。

なお蛇足ながら、1954年にW杯初出場した韓国は1次リーグ2試合で計16点を奪われたことになる。

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June 24, 2014

サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(5) 世界一高額な放映権を払う日本

日本時間25日に行われる日本対コロンビア、コートジボワール対ギリシャの2試合は日本時間の午前5時からだ。
この時間ではそれほど高い視聴率は望めないだろう。
W杯において、グループリーグの3試合目は、2試合が同時に行われる。
そのためどんな理由があっても開始時刻を変えることはできない。

前々回のエントリーで、日本対コートジボワールの試合の開始時刻が当初の予定よりも遅くなったこと、その理由が日本が支払う巨額の放映権の所為だ、という記事を書いた。

恐らく同様の理由で試合開始時刻が変更された国がもうひとつある。

アメリカだ。

6月22日にマナウスで行われたアメリカ対ポルトガルは、当初15時試合開始(現地時間)だったが、18時に変更された。
そこから遡ること5日、17日に行われたアメリカ対ガーナは、当初の予定通り18時から行われた。

グループリーグの1試合目と2試合目が、同じ時刻に開始されたのはアメリカとフランスの2カ国しかない。
フランスは恐らくは偶然、アメリカはホスト局の都合に合わせたと見る。
というのもブラジルとアメリカの東部時間に時差はなく、アメリカの午後6時は、かなりテレビが見やすい時間なのだ。

アメリカはサッカー不毛じゃないのか?

決してそんなことはない。
1994年のW杯アメリカ大会は総観客数3,587,538人、1試合平均 68,991人という驚異的な数字を残した。
この数字はアメリカのヒスパニック系の住民が大挙してスタジアムに詰め掛けたためだといわれているが、近年、MLSが興行的にもうまくいき、サッカーがアメリカの英語を話す人たちにも随分受け入れられている。

その証拠にアメリカの支払ったW杯の放映権は、2010年、2014年大会合わせて4.25億ドルもの額になる。
(厳密にいうならば英語放送であるESPNが約1億ドル。スペイン語のネットワークUnivisionが3.25億ドル。)

ところが、日本が支払った放映権は2010年、2014年の2大会合わせると650億円。ブラジル大会だけで400億円。
FIFAとJC=ジャパンコンソーシアムの間に電通が入ることによって世界一の放映権になっている。
電通は、FIFAからがアジア16ヶ国の放映権まとめて購入し、日本がその大部分を負担するように配分している。
日本人の支払う金で他の国にサッカー見せてやってると言える。
欧州におけるEBU(欧州放送連合)の位置にJCが来てしまっている。


4年前の南アフリカ大会も莫大な放映権のため、日本代表はベスト16に進出し、日本国中を沸かせたが、放送権料の民放負担分と番組制作費の合計が広告収入を上回った。
W杯直前まで岡田JAPANが不振、不人気だったため、企業の関心が低く、広告販売に影響が出たこともある。

今大会も3試合で終わってしまうと大赤字になる!

Hoeiken

中国のサッカーは3大会連続でアジア予選を突破できず、出場しないにも拘らずこの巨額を支払っている。
仮に次回中国が出場できたら?あるいは将来、W杯中国開催にでもなったらFIFAはどんな額を吹っかけてくるか?恐ろしい気もする。

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June 18, 2014

サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(4) 監督の報酬1位はカペッロ ザッケローニは果たしていくらか

W杯ブラジル大会に参加している国の監督の報酬をランキングにしてみた。
この金額は、監督本業の金額であり、CMほかの契約を含んでいない。
また、人によっては勝利あるいはグループリーグ突破するとボーナスが支払われるといった契約だったり、為替の変動によって額は動くので参考程度で見てほしい。

監督報酬の1位はロシア代表カペッロ氏。
1124万ドルという驚くべき額だが、前回南アフリカ大会の際もで€8 800 000でトップだった。が、当時はイングランド代表監督。
ロシア代表監督として2018年のロシア大会まで契約しているので、3大会連続1位になるのは間違いないところだろう。

日本代表のザッケローニ氏は273万ドル。
4年前日本代表を率いた岡田武史氏は€800 000だったので随分と高額になったものだ。
ランキングは上位10人だが、韓国の洪明甫、イランのカルロス・ケイロス監督も入れた。

●W杯代表監督の報酬 上位10人
Kantoku


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June 16, 2014

サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(3) コートジボワール戦 本来は7時キックオフだった 試合の時間を変更する日本のTVマネー

15日にNHKで放送されたブラジルW杯日本対コートジボワール戦の平均視聴率が、関東地区で試合後半(午前10時59分~)に46・6%と高視聴率を記録したことが、ビデオリサーチの調べで分かった。
また試合前半(午前9時45分~)は42・6%とこちらも高い数字を記録した。

前回南アフリカ大会の日本代表初戦カメルーン戦(NHK)では試合前半に44・9%、試合後半に45・5%を記録しており、後半の視聴率では前回大会を上回る視聴率となった。

コートジボワール戦は、日曜の午前10時からという比較的テレビ観戦に向いた時間だったため、好視聴率が出た。
が、この試合現地では午後10時キックオフということになる。
試合終了は深夜12時を回るなんて、ブラジルといえどもあり得ない。

実はこの試合元々は現地時間の午後7時キックオフの予定だったが、日本側の要請で変更になった経緯がある。
下記がその証左となる2013年12月8日の朝日新聞の記事。

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国際サッカー連盟は7日、暑さなどを考慮して1次リーグ7試合の開始時間を変更し、日本―コートジボワール戦は現地6月14日午後7時から午後10時になった。とある。
午後7時も午後10時も、暑さという点では大きな違いはないだろう。
日本の視聴者ができるだけ見やすい時間にしたと見るべきだ。

同様の時間変更は、2006年のドイツW杯の際もあったのでおどろくべきことではないが、今大会の全世界のテレビ放映権2000億円のうち、日本が負担しているのは400億円であることはあえて書いておこう。

ちなみに米国は2010年大会と2014年大会と合わせて4.25億ドルを払っている。
英語放送であるESPNが役1億ドル。
そしてスペイン語のネットワークUnivisionが3.25億ドルだ。

●ワールドカップ日本向けの放映権料と日本戦のホスト局
1974年 西ドイツ大会 940万円 東京12ch(=当時)のみ負担
1990年 イタリア大会 6億円 NHKのみ負担
1994年 アメリカ大会 6億円 NHKのみ負担
1998年 フランス大会 6億円 NHKのみ負担
 日本対アルゼンチン、対クロアチア、対ジャマイカともにNHKの放送。
 アジアオセアニア放送連合に加盟していたTBS以外の民放はダイジェストの映像も使えなかった。
2002年 日韓大会 65億円
 日本 対ベルギー(NHK) 対ロシア(フジ) 対チュニジア(朝日) 対トルコ(NHK)
2006年 ドイツ大会 160億円
 日本対豪州(NHK) 対クロアチア(朝日) 対ブラジル(NHK)
2010年 南アフリカ大会 250億円
 日本対デンマーク(NTV) 対オランダ(朝日) 対カメルーン(NHK) 対パラグアイ(TBS)
2014年 ブラジル大会 400億円
 日本対コートジボワール(NHK) 対ギリシャ(NTV) 対コロンビア(朝日)
 

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