その他

February 02, 2015

カタール代表 世界ハンドボールで準優勝

アジアのスポーツに詳しい方なら、カタールが金に物を言わせて、世界中から選手を集め各競技のカタール代表を強化していることはご存じだろう。
日本ではほとんど報じられることはなかったが、昨日2月1日まで男子ハンドボールの世界選手権がカタールで開催されていた。
優勝は、ロンドン、北京と五輪2連覇中のフランス。
準優勝は開催国のカタールで、決勝は25-22の僅差だった。

ただ、ドイツ誌によると、カタール代表の17人中純粋なカタール人は4人のみ。
他の13選手は帰化及び二重国籍選手だという。 
例えばカタール代表のGKは、ダニエル・サリッチというFCバルセロナのハンドボールチームの不動のGKだ。
サリッチは、1977年に旧ユーゴスラビアのドボイで生まれた。

ハンドボールの代表歴は
セルビア・モンテネグロ(2004-2006)
 ↓
セルビア(2006-2007)
 ↓
ボスニア・ヘルツェゴビナ(2010-2011)
 ↓
カタール(2014-)
と4か国目になる。

世界的な選手とは言え、これまで五輪出場の経験はない。
が、このままいけば来年のリオ五輪は堅いところだ。
スポーツの代表については意見が様々ある。
カタールはルールを破っている訳ではない。
モラルや常識は、国や場所が変われば全く違うものだ。

ちなみにカタールの人口は220万人弱。
その内純粋なカタール人は50万人程度らしい。

かつて、アジアのハンドボールというと韓国が強かったが、現在はカタールが年代別のアジア選手権をほぼ制している。
近年のハンドボールカタール代表の戦績をまとめてみた。

A代表
2014年 アジア大会優勝 日本9位
2014年 アジア選手権優勝 日本9位
U20代表
2014年 アジアジュニア選手権優勝 日本3位
2012年 アジアジュニア選手権優勝 
2010年 アジアジュニア選手権優勝
U19代表
2014年 アジアユース選手権準優勝 日本3位
2012年 アジアユース選手権優勝 日本2位
2010年 アジアユース選手権優勝

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September 13, 2014

スコットランド独立? アンディ・マリーはどうなっちゃう

 ●アラン・ウェルズ モスクワ五輪陸上男子100m金メダリスト
 ●デビッド・ウィルキー モントリオール五輪男子200m平泳ぎ金メダリスト
 ●クリス・ホイ アテネ・北京・ロンドン五輪の自転車で金メダル6個
 ●アンディ・マリー ロンドン五輪テニス男子シングル金メダリスト
 ●アレックス・ファーガソン 前マンチェスター・ユナイテッド監督

上記の5人はいずれも英国を代表するスポーツ選手(指導者)だが、彼らに共通するのは何だ?

この問題に回答できるひとは相当な英国通だろう。
答えは、

スコットランド人

2014年9月18日 スコットランドの独立の是非を問う住民投票が実施される予定で、直近の世論調査ではその賛成反対は、ほぼ拮抗している。

英国は連合王国であり、4つの国から成り立つ。
が、その仕組みは日本人からは判りにくい。
英国選手と一様に見ていたアスリートが実はスコットランド人だったり、ウェールズ人だったりする。

ロンドン五輪のテーマは、その「多様性」だった。
英国発展の軌跡が壮大なスペクタクルとして世界に披露され、様々な出身の人々が協力して英国を作ってきたことが示された。

開会式で英国選手団の旗手を務めたのは自転車のクリス・ホイ。
アテネ・北京五輪で金メダルを4個獲った自転車界の英雄はスコットランド人。
長い英国の五輪史の中でイングランド人以外が旗手を務めたのは1972年以来40年ぶりだった。
自他ともに認める英国スポーツ界の顔だった。

アンディ・マリー。
地元開催の五輪では男子シングルで金メダルを、また、ローラ・ロブソンとのペアで出場した混合ダブルスでは銀メダルを獲得した。
そして、2013年にはウィンブルドンで、英国人選手として77年ぶりとなるシングルスのチャンピオンにもなっている。

英国はロンドン五輪で史上最多となる金メダル29個を含む65個のメダルを獲得した。

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▲ロンドン五輪英国選手団メダル内訳

が、英国選手団総勢541人には、スコットランド人選手が55人いた。
そして彼らはスコットランド史上最高の金メダル7個を含む12のメダルを獲った。

スコットランドは金メダルだけなら、日本選手団と同数だったのだ。

ついでに言うならば、ウェールズは金メダル3個を含む7個のメダルを。
北アイルランドは金メダルはなかったものの、5個のメダルを獲った。

ロンドン五輪は成功だった。
世界中に英国の現状を知らしめ、イングランド人以外の英国人は、五輪を機会に少し英国人としてのアイデンティティが強まった、と思われた。

だから、今回のスコットランド独立派の増加は予想外でもある。

もし、スコットランドが独立するならば、その時期は2016年3月。
この年に行われるリオデジャネイロ五輪には間に合わない。
冬季五輪に英国はほとんど選手を送り込まないから(英国カーリングチームは実はスコットランド代表だが)
2020年の東京五輪こそがスコットランド選手団のデビューになる。

現在英国代表を務めるスコットランド人選手は、英国かスコットランドを選択することになるだろう。
が、BOA英国五輪委員会やUKスポーツから援助を受けている選手、英国のナショナルスポーツセンターでトレーニングを続けてきた選手は、スコットランド代表を選びにくくなるのではないか。

面積こそ英国の1/3を占めるスコットランドだが、人口、GDPは英国の1/10しかない。
独立後のスコットランドが金メダル7個を維持できる環境にないことは明らかだ。

*注意 北アイルランドの場合
ベルファスト合意を受けて2001年に制定されたアイルランド共和国の国籍法の条項により、2005年以前に北アイルランドに産まれた全ての住民は、アイルランド共和国の市民権も自動的に与えられていた。
言わば、英国とアイルランド両国が北アイルランドの全ての住民にアイルランド人または英国人となる権利を与えられている。
上の表の北アイルランドのメダル数のうち、銅メダルの2個はアイルランド代表として選手が獲った銅メダルだが、この2人の選手は先に行われた英連邦大会(グラスゴー)には、北アイルランド代表として参加している。


追記
表題のアンディ・マリーは、独立問題などについて「自分の考えを公表することは避ける」とコメントしていたが、直近のインタビューでは 「独立すればスコットランドのためにプレーするだろう」と答えている。
が、投票はスコットランド内に住んでいる16歳以上の英国人(イングランド人もOK)が資格を得るが、マリーは現在スコットランドに住んでいないため、投票の資格がない。

 

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memo オリンピックの思い出

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June 03, 2014

バルセロナ五輪スペイン代表選手 フェリペ皇太子王位継承へ

スペインのラホイ首相は2日、「民主化の象徴」として国民的な人気を誇った国王フアン・カルロス1世(76)が退位し、フェリペ皇太子(46)が王位を継承すると発表した。スペイン国王の生前退位は異例。カルロス1世は近年、健康上の不安を抱えていたほか、次女クリスティーナ王女の夫の公金横領疑惑など不祥事も浮上。国民の支持も低迷し、退位を余儀なくされた。(時事)


2020年夏季五輪招致レースが活発だった昨年、マドリードはフェリペ皇太子を招致団の顔としていた。
それだけフェリペ皇太子は五輪と関係が深い。

夏季・冬季を問わずに五輪の開会式では、国家元首(に相当する人物)による開会宣言が行われる。
退位を表明したスペイン国王フアン・カルロス一世は、22年前の1992年のバルセロナ五輪では開会宣言をしたが、さらに遡ること20年前、ミュンヘン五輪にヨットのスペイン代表選手として出場している。(15位)

また、クリスティーナ王女はソウル五輪セーリングトーネード級に出場。(20位) 
クリスティーナ王女の夫君、ウルダンガリン氏はハンドボールのスペイン代表選手だった人物で、バルセロナ五輪の金メダリストである。

このバルセロナ五輪の開会式で、スペイン選手団の旗手を務めたのがフェリペ皇太子。
ヨット・ソリング級に出場、惜しくも6位に終わった。
とはいうものの、カタルーニャ人のパートナーと3年間一緒に練習し続け、選手村で一般選手と同じ生活をするなど、対立していたスペインとカタルーニャの融和に努めた活躍は、金メダル級と評価された。
190センチを超える長身、バルセロナ五輪の開会式ではスペイン選手団の旗手を務めた勇姿は、今もスペイン国民の誇りとして語り継がれている。
Feripe
バルセロナ五輪開会式でスペイン選手団旗手を務めるフェリペ皇太子

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January 20, 2013

ウクライナの血を引く大横綱大鵬幸喜逝く

大横綱大鵬が亡くなった。
色白の大鵬の父親がウクライナ人であったことは昭和の相撲ファンなら多く知るところだ。
日本人がウクライナのスポーツ選手としてまず思い浮かぶのはアンドレイ・シェフチェンコではないだろうか。

シェフチェンコは、ウクライナがポーランドと共催したUEFA EURO 2012を最後に現役から引退することを大会前に発表していた。
サッカー界から退いた後は、ゴルファーへ転向を果たす計画であり、ゴルフが112年ぶりに正式競技に復活した2016年のリオデジャネイロ五輪への出場を目指すという。

昭和を代表する大横綱大鵬幸喜は、樺太敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町で育っている。身長187センチ、この時代の力士の中では長身で色白だった。
史上最多の32回の優勝、45連勝、年6場所完全優勝2回など今も残る記録は多い。

近年旧ソ連出身の力士が目立が、彼らに先立つこと40年以上前、旧ソ連のウクライナ人を父に持っていたのが大鵬である。

1880年代にウクライナ東部のハリコフ州で生まれた大鵬の父のマルキャン・ボリシコ氏は、ロシア帝国による極東移住の呼びかけに応じた両親とともにサハリンに入植する。
やがて旧大泊(コルサコフ)へ移り、1928年、納谷キヨさんと結婚。1940年5月横綱大鵬が生まれている。

南樺太には日露戦争以来、ウクライナ系・ポーランド系の人が多くいたが、日本政府は彼らを外国人居留地に強制収用した。これによって大鵬は父親と生き別れとなったという。
後の資料によれば、大鵬新入幕の年、マルキャン・ボリシコ氏は亡くなっている。

トリノ五輪の女子フィギュアで荒川静香に次いで銀メダルを獲ったサーシャ・コーエン。
彼女の祖父は1970年代にウクライナからアメリカに渡ったウクライナ移民のユダヤ系アメリカ人だ。
サーシャとはウクライナ語の愛称で、本名はアレクサンドラ・ポーリン・コーエンという。

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November 30, 2011

シーズン中 息子の卒業式のためにアメリカに帰国したチャーリー・マニエル

米大リーグ、フィラデルフィア・フィリーズのチャーリー・マニエル監督(67)は28日、現役時代にプロ野球の近鉄でプレーしていた当時の監督だった西本幸雄さんが25日に死去したことについて、「彼のためにプレーするのは楽しかった。父のように尊敬していた」と球団を通じてコメントし、哀悼の意を表した。

阪急、近鉄(ともに現オリックス)の監督を務め、不全のため91歳で死去した西本幸雄さんの葬儀・告別式が29日、兵庫県西宮市の斎場で営まれ、近鉄時代の教え子である前日本ハム監督・梨田昌孝氏ら約650人が最後の別れを惜しんだが、西本さんに教えを受け、その訃報に悲しむ教え子はアメリカにもいた。

チャーリー・マニエル。
現在は、フィラデルフィア・フィリーズの監督を務める。
古い野球ファンには懐かしい名前だ。
大リーグでは実働6年、大きな活躍はしていないが日本では違った。
在籍していたのはヤクルトと近鉄(当時)。
地味な球団にいた割りに、その印象は強烈だ。
近鉄在籍の1980年には打率.325、48本塁打、129打点で本塁打・打点の2冠とMVPを獲得、チームをリーグ連覇に導いた。

ところが、この年の6月にこんなことがあった。
当時のパ・リーグは、前後期の2期制を採っていたのだが、近鉄が、ロッテ・日本ハムと前期優勝を争っていたこのとき、マニエルが西本幸雄監督のもとにこんなことを言ったのだ。

「長男の卒業式出席のためアメリカに帰国したい。
ふだん寂しい思いをさせているから卒業式には帰ると約束した。どうしてもだめだというなら野球をやめる。」

赤鬼との異名をとったマニエルのことばだ。
マニエルは1944年生まれでこのとき36歳。
卒業式を迎える息子は18歳の高校生だった。

そう、卒業式を迎える長男は、マニエルがまだ18歳の高校生のときに生まれた子供だった。
アメリカでは、高校を卒業した時点で大人として扱われるという。
マニエル自身が日本におり、父親としての役割を果たせていなかったから何としても卒業式に出たい、そんなニュアンスだったと思う。
日本人からはなかなか理解しがたい発想だが、西本監督はこれを受け入れた。
卒業式を終えて無事日本に戻ったマニエルは、近鉄のパ・リーグ制覇に大きく貢献した。

2008年 マニエル監督はナ・リーグ優勝決定シリーズの開幕直後に母ジューンさんを亡くした。
家族思いのマニエルだが、悲しみを乗り越えチームをワールドシリーズへと導いた。


*メジャー監督としてワールドシリーズに進出したのは、1986年にニューヨークメッツを優勝に導いた元巨人(1975~76年)のD・ジョンソン氏とマニエル氏だけ。
ほかにも、1989年カブスのD・ジマー氏(1966年東映)、2003、06年アスレチックスのK・モッカ氏(1982~1985年中日)、04年ドジャースのJ・トレーシー氏(1983~84年大洋)が監督としてプレーオフに進んだが、Wシリーズ出場はない。

1980年に高校を卒業した息子Charles jr氏は、現在49歳。
その後野球の選手にでもなったかと思ったが、調べても出てこなかった。

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September 09, 2005

鈴木桂治3階級制覇 世界柔道

アテネ五輪柔道100キロ超級金メダルの鈴木桂治は、今日のカイロでの世界柔道100キロ級で金メダルを獲得し、03年の大阪世界柔道の無差別級金メダルと合わせて、史上初の世界大会3階級制覇を成し遂げた。

これとは別に、五輪、世界選手権、全日本選手権の3つの柔道のタイトルを3冠と呼んでいる。
鈴木は04・05年の全日本選手権も制しており数少ない3冠達成者だ。
全日本選手権に挑めるのは日本人のみだから、この言い方は世界的ではない。
だが、東京五輪で柔道が五輪の正式種目となって以来40余年。3冠を獲得した選手は僅かしかいない。

例えば、小川直也は、全日本選手権は山下泰裕に次ぐ7回の優勝。世界選手権は明大1年の19歳で史上最年少で優勝して以来4回優勝。ところが、全盛期で迎えた1992年バルセロナ五輪95キロ超(当時)決勝でグルジアのハハレイシビリに敗れ銀メダル。96年アトランタ五輪では5位に終わっている。(金メダルはドイエ)。特にハハレイシビリとの一戦は内またと小外掛けの合わせ技に敗れた。
準決勝まで全く順調にきていただけに、あの小川の憮然とした顔は忘れられない。

1999年の世界選手権で100キロ超級と無差別級の2冠を果たした篠原信一は、00年シドニー五輪決勝でドイエに誤審とも思われる敗れ方をして銀メダルに終わったことは記憶に新しい。

井上康生はアテネ五輪では、メダルなしに終わったものの、シドニー五輪100キロ級金メダル。
世界選手権も同級で99、01、03と3連覇。さらに、全日本選手権は、01年から3連覇を果たした。

五輪は4年に1回、世界選手権は2年に1回、全日本選手権は毎年開催される。やはり、4年に1回の五輪で金メダルを獲得することは難しい。特に1988年のソウル五輪以降無差別級の廃止以降、最重量級の選手が1人しか出場できなくなり、さらに五輪で勝つことを難しくしている。
一方、全日本選手権は、体重無差別で行われているため、最重量級以外の選手の優勝は極めて少ない。
井上康生は数少ないその例であるが、ともにバルセロナ五輪金メダルの古賀稔彦、吉田秀彦が過去に準優勝したことがある。

●1977年以降の全日本選手権優勝者
山下泰裕9回(77年~85年)
小川直也7回(89年~93年・95・96年)
篠原信一3回(98年~00年)
井上康生3回(01~03年)
正木嘉美2回(86・87年)
金野潤 2回(94・97年)
鈴木桂治2回(04・05年)
斎藤仁 1回(88年)

●世界選手権での成績
小川直也
87年(エッセン) 無差別金
89年(ベオグラード)95キロ超金
91年(バルセロナ) 95キロ超銅 無差別金
93年(ハミルトン)無差別銅
95年(幕張) 95キロ超銅
篠原信一
95年(幕張)無差別銅
97年(パリ)無差別銀
99年(バーミンガム)100キロ超金 無差別金
01年(ミュンヘン)100キロ超銅
井上康生
99年(バーミンガム)100キロ金
01年(ミュンヘン)100キロ金
03年(大阪)100キロ金
鈴木桂治
03年(大阪)無差別級金
05年(カイロ)100キロ金

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