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April 27, 2015

内村航平 日本選手権8連覇、室伏広治はハンマー投げで20連覇中

体操の全日本選手権が、東京・国立代々木競技場で行われ、男子個人総合は内村航平が8連覇を飾り、自身の記録を更新した。
内村が、全日本選手権を初めて制したのは2008年の19歳のとき。
この年は北京五輪の開催されたあと11月に全日本が行われ、五輪銀メダリストの実力見せつけての勝利だった。
その後内村は、ロンドン五輪と4回の世界選手権の個人総合を制している。
体操競技における他の選手による全日本連覇は、アテネ五輪団体金メダルのメンバーである塚原直也が1996年~2000年まで5連覇、同じく冨田洋之が2001年~2007年までに4連覇を含む6回の優勝をしている。

体操以外の競技で、日本選手権を長い間連覇した選手には、どんな選手がいるのだろうか。

(陸上)
他の競技を見ると、何といっても陸上男子ハンマー投の室伏広治が際立っている。
1995年から昨年2014年まで20連覇中である。
室伏の妹である室伏由佳は、円盤投げで2002年から2011年まで10連覇、父である重信氏はハンマー投げで1974年~1983年まで10連覇を果たしている。
室伏由佳はハンマー投げでも5回の優勝があり、室伏親子としては実に49回目の日本選手権優勝(重信12回、広治20回、由佳17回)を誇る。
こういう陸上一家は、おそらく二度と出てこないだろう。

ほかには、2009年ベルリン世界陸上銅メダリストの村上幸史が、やり投げに2000年~2011年に12連覇を果たしている。 現役の金丸祐三は、400mに2005年から2014年までに10連覇している。

(レスリング)
五輪3連覇中の吉田沙保里は、女子55キロ級に2002年~11年に10連覇を達成。ロンドン五輪のあった2012年は不出場だったが、2013年から53キロ級で2連覇中だ。
同一階級ではないが森山泰年は、グレコローマン82キロ級と90キロ級で、1982〜95年にかけて14年連続で優勝している。 

(柔道)
谷亮子は、女子48キロ級に1991年~2001年に11連覇をしている。 
ロス五輪無差別級金メダリストの山下康裕は、1977年~1985年にかけて9連覇を果たした。
アテネ五輪女子78キロ級金メダリストの阿武教子は、1993年~96年に72キロ超級で4連覇、1994年~2004年までは72キロで8連覇している。

(フィギュアスケート)
浅田真央や小塚崇彦のコーチとして知られる佐藤信夫は、男子シングルに1957年~66年にかけて10連覇した。

(スピードスケート)
現在参議院の橋本聖子は、500m、3000m、1500m、5000mの4種目総合で競う全日本選手権で、1982年~90年にかけて10連覇した。

(競泳)
ローマ五輪女子100m背泳ぎ銅メダリストの田中聡子は、200m背泳ぎで1957年~65年に9連覇した。
1980年に、小学校6年生で200m平泳ぎを制した長崎宏子は、1980~87年に8連覇をした。
ベルリン五輪200m金メダリストの前畑秀子は、同種目で1929~36年に7連覇をしている。


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February 02, 2015

カタール代表 世界ハンドボールで準優勝

アジアのスポーツに詳しい方なら、カタールが金に物を言わせて、世界中から選手を集め各競技のカタール代表を強化していることはご存じだろう。
日本ではほとんど報じられることはなかったが、昨日2月1日まで男子ハンドボールの世界選手権がカタールで開催されていた。
優勝は、ロンドン、北京と五輪2連覇中のフランス。
準優勝は開催国のカタールで、決勝は25-22の僅差だった。

ただ、ドイツ誌によると、カタール代表の17人中純粋なカタール人は4人のみ。
他の13選手は帰化及び二重国籍選手だという。 
例えばカタール代表のGKは、ダニエル・サリッチというFCバルセロナのハンドボールチームの不動のGKだ。
サリッチは、1977年に旧ユーゴスラビアのドボイで生まれた。

ハンドボールの代表歴は
セルビア・モンテネグロ(2004-2006)
 ↓
セルビア(2006-2007)
 ↓
ボスニア・ヘルツェゴビナ(2010-2011)
 ↓
カタール(2014-)
と4か国目になる。

世界的な選手とは言え、これまで五輪出場の経験はない。
が、このままいけば来年のリオ五輪は堅いところだ。
スポーツの代表については意見が様々ある。
カタールはルールを破っている訳ではない。
モラルや常識は、国や場所が変われば全く違うものだ。

ちなみにカタールの人口は220万人弱。
その内純粋なカタール人は50万人程度らしい。

かつて、アジアのハンドボールというと韓国が強かったが、現在はカタールが年代別のアジア選手権をほぼ制している。
近年のハンドボールカタール代表の戦績をまとめてみた。

A代表
2014年 アジア大会優勝 日本9位
2014年 アジア選手権優勝 日本9位
U20代表
2014年 アジアジュニア選手権優勝 日本3位
2012年 アジアジュニア選手権優勝 
2010年 アジアジュニア選手権優勝
U19代表
2014年 アジアユース選手権準優勝 日本3位
2012年 アジアユース選手権優勝 日本2位
2010年 アジアユース選手権優勝

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September 13, 2014

スコットランド独立? アンディ・マリーはどうなっちゃう

 ●アラン・ウェルズ モスクワ五輪陸上男子100m金メダリスト
 ●デビッド・ウィルキー モントリオール五輪男子200m平泳ぎ金メダリスト
 ●クリス・ホイ アテネ・北京・ロンドン五輪の自転車で金メダル6個
 ●アンディ・マリー ロンドン五輪テニス男子シングル金メダリスト
 ●アレックス・ファーガソン 前マンチェスター・ユナイテッド監督

上記の5人はいずれも英国を代表するスポーツ選手(指導者)だが、彼らに共通するのは何だ?

この問題に回答できるひとは相当な英国通だろう。
答えは、

スコットランド人

2014年9月18日 スコットランドの独立の是非を問う住民投票が実施される予定で、直近の世論調査ではその賛成反対は、ほぼ拮抗している。

英国は連合王国であり、4つの国から成り立つ。
が、その仕組みは日本人からは判りにくい。
英国選手と一様に見ていたアスリートが実はスコットランド人だったり、ウェールズ人だったりする。

ロンドン五輪のテーマは、その「多様性」だった。
英国発展の軌跡が壮大なスペクタクルとして世界に披露され、様々な出身の人々が協力して英国を作ってきたことが示された。

開会式で英国選手団の旗手を務めたのは自転車のクリス・ホイ。
アテネ・北京五輪で金メダルを4個獲った自転車界の英雄はスコットランド人。
長い英国の五輪史の中でイングランド人以外が旗手を務めたのは1972年以来40年ぶりだった。
自他ともに認める英国スポーツ界の顔だった。

アンディ・マリー。
地元開催の五輪では男子シングルで金メダルを、また、ローラ・ロブソンとのペアで出場した混合ダブルスでは銀メダルを獲得した。
そして、2013年にはウィンブルドンで、英国人選手として77年ぶりとなるシングルスのチャンピオンにもなっている。

英国はロンドン五輪で史上最多となる金メダル29個を含む65個のメダルを獲得した。

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▲ロンドン五輪英国選手団メダル内訳

が、英国選手団総勢541人には、スコットランド人選手が55人いた。
そして彼らはスコットランド史上最高の金メダル7個を含む12のメダルを獲った。

スコットランドは金メダルだけなら、日本選手団と同数だったのだ。

ついでに言うならば、ウェールズは金メダル3個を含む7個のメダルを。
北アイルランドは金メダルはなかったものの、5個のメダルを獲った。

ロンドン五輪は成功だった。
世界中に英国の現状を知らしめ、イングランド人以外の英国人は、五輪を機会に少し英国人としてのアイデンティティが強まった、と思われた。

だから、今回のスコットランド独立派の増加は予想外でもある。

もし、スコットランドが独立するならば、その時期は2016年3月。
この年に行われるリオデジャネイロ五輪には間に合わない。
冬季五輪に英国はほとんど選手を送り込まないから(英国カーリングチームは実はスコットランド代表だが)
2020年の東京五輪こそがスコットランド選手団のデビューになる。

現在英国代表を務めるスコットランド人選手は、英国かスコットランドを選択することになるだろう。
が、BOA英国五輪委員会やUKスポーツから援助を受けている選手、英国のナショナルスポーツセンターでトレーニングを続けてきた選手は、スコットランド代表を選びにくくなるのではないか。

面積こそ英国の1/3を占めるスコットランドだが、人口、GDPは英国の1/10しかない。
独立後のスコットランドが金メダル7個を維持できる環境にないことは明らかだ。

*注意 北アイルランドの場合
ベルファスト合意を受けて2001年に制定されたアイルランド共和国の国籍法の条項により、2005年以前に北アイルランドに産まれた全ての住民は、アイルランド共和国の市民権も自動的に与えられていた。
言わば、英国とアイルランド両国が北アイルランドの全ての住民にアイルランド人または英国人となる権利を与えられている。
上の表の北アイルランドのメダル数のうち、銅メダルの2個はアイルランド代表として選手が獲った銅メダルだが、この2人の選手は先に行われた英連邦大会(グラスゴー)には、北アイルランド代表として参加している。


追記
表題のアンディ・マリーは、独立問題などについて「自分の考えを公表することは避ける」とコメントしていたが、直近のインタビューでは 「独立すればスコットランドのためにプレーするだろう」と答えている。
が、投票はスコットランド内に住んでいる16歳以上の英国人(イングランド人もOK)が資格を得るが、マリーは現在スコットランドに住んでいないため、投票の資格がない。

 

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June 03, 2014

バルセロナ五輪スペイン代表選手 フェリペ皇太子王位継承へ

スペインのラホイ首相は2日、「民主化の象徴」として国民的な人気を誇った国王フアン・カルロス1世(76)が退位し、フェリペ皇太子(46)が王位を継承すると発表した。スペイン国王の生前退位は異例。カルロス1世は近年、健康上の不安を抱えていたほか、次女クリスティーナ王女の夫の公金横領疑惑など不祥事も浮上。国民の支持も低迷し、退位を余儀なくされた。(時事)


2020年夏季五輪招致レースが活発だった昨年、マドリードはフェリペ皇太子を招致団の顔としていた。
それだけフェリペ皇太子は五輪と関係が深い。

夏季・冬季を問わずに五輪の開会式では、国家元首(に相当する人物)による開会宣言が行われる。
退位を表明したスペイン国王フアン・カルロス一世は、22年前の1992年のバルセロナ五輪では開会宣言をしたが、さらに遡ること20年前、ミュンヘン五輪にヨットのスペイン代表選手として出場している。(15位)

また、クリスティーナ王女はソウル五輪セーリングトーネード級に出場。(20位) 
クリスティーナ王女の夫君、ウルダンガリン氏はハンドボールのスペイン代表選手だった人物で、バルセロナ五輪の金メダリストである。

このバルセロナ五輪の開会式で、スペイン選手団の旗手を務めたのがフェリペ皇太子。
ヨット・ソリング級に出場、惜しくも6位に終わった。
とはいうものの、カタルーニャ人のパートナーと3年間一緒に練習し続け、選手村で一般選手と同じ生活をするなど、対立していたスペインとカタルーニャの融和に努めた活躍は、金メダル級と評価された。
190センチを超える長身、バルセロナ五輪の開会式ではスペイン選手団の旗手を務めた勇姿は、今もスペイン国民の誇りとして語り継がれている。
Feripe
バルセロナ五輪開会式でスペイン選手団旗手を務めるフェリペ皇太子

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November 30, 2011

シーズン中 息子の卒業式のためにアメリカに帰国したチャーリー・マニエル

米大リーグ、フィラデルフィア・フィリーズのチャーリー・マニエル監督(67)は28日、現役時代にプロ野球の近鉄でプレーしていた当時の監督だった西本幸雄さんが25日に死去したことについて、「彼のためにプレーするのは楽しかった。父のように尊敬していた」と球団を通じてコメントし、哀悼の意を表した。

阪急、近鉄(ともに現オリックス)の監督を務め、不全のため91歳で死去した西本幸雄さんの葬儀・告別式が29日、兵庫県西宮市の斎場で営まれ、近鉄時代の教え子である前日本ハム監督・梨田昌孝氏ら約650人が最後の別れを惜しんだが、西本さんに教えを受け、その訃報に悲しむ教え子はアメリカにもいた。

チャーリー・マニエル。
現在は、フィラデルフィア・フィリーズの監督を務める。
古い野球ファンには懐かしい名前だ。
大リーグでは実働6年、大きな活躍はしていないが日本では違った。
在籍していたのはヤクルトと近鉄(当時)。
地味な球団にいた割りに、その印象は強烈だ。
近鉄在籍の1980年には打率.325、48本塁打、129打点で本塁打・打点の2冠とMVPを獲得、チームをリーグ連覇に導いた。

ところが、この年の6月にこんなことがあった。
当時のパ・リーグは、前後期の2期制を採っていたのだが、近鉄が、ロッテ・日本ハムと前期優勝を争っていたこのとき、マニエルが西本幸雄監督のもとにこんなことを言ったのだ。

「長男の卒業式出席のためアメリカに帰国したい。
ふだん寂しい思いをさせているから卒業式には帰ると約束した。どうしてもだめだというなら野球をやめる。」

赤鬼との異名をとったマニエルのことばだ。
マニエルは1944年生まれでこのとき36歳。
卒業式を迎える息子は18歳の高校生だった。

そう、卒業式を迎える長男は、マニエルがまだ18歳の高校生のときに生まれた子供だった。
アメリカでは、高校を卒業した時点で大人として扱われるという。
マニエル自身が日本におり、父親としての役割を果たせていなかったから何としても卒業式に出たい、そんなニュアンスだったと思う。
日本人からはなかなか理解しがたい発想だが、西本監督はこれを受け入れた。
卒業式を終えて無事日本に戻ったマニエルは、近鉄のパ・リーグ制覇に大きく貢献した。

2008年 マニエル監督はナ・リーグ優勝決定シリーズの開幕直後に母ジューンさんを亡くした。
家族思いのマニエルだが、悲しみを乗り越えチームをワールドシリーズへと導いた。


*メジャー監督としてワールドシリーズに進出したのは、1986年にニューヨークメッツを優勝に導いた元巨人(1975~76年)のD・ジョンソン氏とマニエル氏だけ。
ほかにも、1989年カブスのD・ジマー氏(1966年東映)、2003、06年アスレチックスのK・モッカ氏(1982~1985年中日)、04年ドジャースのJ・トレーシー氏(1983~84年大洋)が監督としてプレーオフに進んだが、Wシリーズ出場はない。

1980年に高校を卒業した息子Charles jr氏は、現在49歳。
その後野球の選手にでもなったかと思ったが、調べても出てこなかった。

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