アジア大会

August 30, 2018

アジア大会20年ぶりの優勝をめざせ 4×100mリレー

ジャカルタアジア大会 陸上の男子400mリレー予選は日本が38.20の1組1着で30日の決勝に進出した。
この日のオーダーは、山県亮太、多田修平、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥。
1998年バンコク大会以来、20年ぶりの優勝を目指す。
3連覇を狙う中国も38.88の1組2着で順当に決勝に進んだ

ジャカルタの予選の38.20は、今季の日本チームとして3位、日本歴代9位の記録だ。
今季1位は、5月20日に、大阪市のヤンマースタジアム長居で行われたセイコーゴールデングランプリ陸上2018大阪で、山県亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥のメンバーで出した記録。
日本記録37秒60に0秒25差に迫る37秒85の日本歴代3位の好記録だ。

今季2位の記録は、7月22日のダイヤモンドリーグ・ロンドン大会で出した38.09。
昨日のアジア大会200mに優勝した小池祐貴が一走、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥のメンバーだった。

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日本チーム メンバー
2014年  山縣亮太 飯塚 翔太 髙平 慎士 髙瀬慧
2010年  江里口匡史 髙平慎士 安孫子充裕 藤光 謙司
 この時の日本チームは痛恨のバトンミスをし47.14。13か国中10位で予選敗退した。
2006年  塚原直貴 末續慎吾 大前祐介 高平慎士
2002年  宮崎久 末續慎吾 土江寛裕 朝原宣治
1998年  大槻康勝 久保田信 土江寛裕 伊東浩司
1994年  中村哲也 伊藤喜剛 井上悟 伊東浩司

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August 29, 2018

アジア大会の記憶⑥ 陸上男子110m障害に3連覇した劉翔

ジャカルタアジア大会は28日、陸上男子110m障害が行われ、中国の謝文駿が13.34で金メダル、日本の高山峻野が13.48で銅メダルを獲得した。
この種目は、1982年のニューデリー大会で藤森良文氏が金メダルを獲ったのを最後に、7大会に渡って中国が勝ち続けている。
何といっても2002年~2010年に3連覇した劉翔の印象が強い。

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劉翔は、2001年に北京で開催されたユニバーシアードを若干18歳で制した。
この年に2008年の五輪開催地に北京が決定し、以後「アジアの昇り龍」として躍進する中国の象徴的な存在だった。

2004年のアテネ五輪決勝では12.91の世界タイ記録で優勝し、金メダルを獲得した。
この時がわずかに21歳。
若すぎた金メダルだったのだろう。

2008年、自国開催となった北京五輪では、連覇が期待されたものの、一度はスタートラインに立つが、右アキレス腱の怪我の影響から一度も走ることなく鳥の巣を後にした。

一方で、アジア大会とは相性が良かったのだろう。
2002年13.27、2006年13.15、2010年13.09と他を寄せ付けない圧倒的な強さだった。

2010年のアジア大会の開催地は中国・広州。
北京五輪の屈辱の後、アメリカでアキレス腱の手術をし、ほとんど大きなレースには出ていない。
限界説も出ていた中、一次予選は平凡な13秒48。
それでも「劉翔の復活を見たい」決勝には7万人の観衆が集まった。
80元のチケットが20倍の1600元になったという中で、13.09で優勝。
この年世界ランクでも3位に入る好記録だったが、復活もここまでだった。

2012年、29歳で迎えたロンドン五輪では、一次予選、1台目のハードルに左足をぶつけ転倒、右アキレス腱を断裂し再び棄権した。

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August 25, 2018

アジア大会陸上100mのはなし

ジャカルタアジア大会も後半戦、陸上競技が始まった。
中国だけでなくアジアの陸上競技は進歩しており、おそらく日本勢は苦戦するだろう。

有望なのは男子短距離だが、アジア大会において、100mの金メダルを意外と獲っていない。
それでも、最も印象深いのは、伊東浩司さんが優勝した1998年バンコク大会だ。
昨年桐生祥秀が9.98の日本新記録を出したが、伊東さんがバンコク大会準決勝で出した10.00が、随分と長い間日本記録として残っていた。
(決勝では10.05で金メダルを獲得している。)

伊東さんはこの大会で100m、200m、400mリレーと3冠に輝いたのだが、伊東さん以前にアジア大会の100mを制したのは、1970年大会の神野正英さんまで遡らなければならない。
また、伊東さんの以後も金メダルを獲った選手はいない。
70年代はなかなかタイ勢に勝てなかった。
カタールのタラル・マンスールは、1986年~94年まで3連覇し日本勢の前に立ちはだかった。

女子は、2010年の広州大会で福島千里が100m、200m、400mリレーの3冠を達成。
が、福島以前に、アジア大会の100mで金メダルを獲ったのは、1966年大会の佐藤美保さん。
表彰台と言っても大迫夕起子さんが銀メダルを獲った1978年まで遡る。

●アジア大会における100m優勝者と、日本人選手の最高順位
1966年 バンコク大会
男子)
①マニカヴァサガラン・ジェガセサン(MAS)10.49
②神野正英(日本)10.52
女子)
①佐藤美保(日本)12.3

1970年 バンコク大会
男子)
①神野正英(日本)10.5
女子)
①紀政(台湾)11.6←メキシコ五輪銅メダリスト
②山田恵子(日本)12.6

1974年 テヘラン大会
男子)
①アナト・ラタナポール (THA)10.42A6←アジアの超特急の異名を持っていた
②神野正英 (日本)10.55A
女子)
①ロチエスター・ロット(ISR)11.90A
③山田恵子(日本)12.42

1978年 バンコク大会
男子)
①スチャート (THA)10.44
女子)
①Ying Yaping(中国)12.20
②大迫夕起子(日本)12.21

1982年 ニューデリー大会
男子)
①ラブアン・ピット(MAS)10.68
女子)
①リディア・デ・ベガ(PHI)11.76

1986年 ソウル大会
男子)
①タラル・マンスール (QAT)10.30
②不破弘樹(日本)
女子)
①リディア・デ・ベガ(PHI)11.53

1990年 北京大会
男子)
①タラル・マンスール (QAT)10.30
女子)
①田玉梅(中国)11.80

1994年 広島大会
男子)
①タラル・マンスール (QAT)10.18
女子)
①劉暁梅(中国)11.27
④北田敏恵(日本)11.58

1998年 バンコク大会
男子)
①伊東浩司 (日本)10.05
女子)
①李雪梅(中国)11.05w
⑤新井初佳(日本)11.59

2002年 釜山大会
男子)
①ジャマル・アル=サファル(KSA) 10.24
②朝原宣治 (日本)10.29
女子)
①スサンティカ・ジャヤシンゲ (SRI)11.15→シドニー五輪銀メダリスト

2006年 ドーハ大会
男子)
①ヤヒヤ・ハッサン・ハビーブ(KSA)10.32
②塚原直貴(日本)10.34
女子)
①グゼル・フビエワ(UZB)11.27
⑥高橋萌木子(日本)11.85

2010年広州大会
男子)
①労義(中国)10.24
日本人選手は決勝に残れず。
女子)
①福島千里(日本)11.33

2014年仁川大会
男子)
①フェミ・オグノデ(QAT)9.93
③高瀬慧(日本)10.15
女子)
①韋永麗(中国)11.48
②福島千里(日本)11.49

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メドレーリレーの銀メダルの日本チームに伸び代はどこまであるのか

昨夜のメドレーリレーの銀メダルの日本チームの年齢とタイム

入江 28歳(52.53)
小関 26歳(58.45)
小堀 24歳(51.06)
塩浦 26歳(47.99)

金メダルの中国チームの年齢とタイム

徐嘉余 23歳(52.60)
閻子貝 22歳(58.86)
李朱濠 19歳(50.61)
余賀新 22歳(47.92)

2020年を考えた時に日本に伸び代はどのくらいあるのか?

一方の金メダルを獲った女子

酒井夏海 17歳(59.42)
鈴木聡美 27歳(1:05.43)
池江璃花子 18歳(55.80)
青木智美 23歳(54.08)

なんといっても8継も泳げる酒井(背泳ぎ)が出てきたことは大きい。

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August 24, 2018

池江璃花子6冠なるか、孫楊は9冠に挑戦

男子100m自由形で塩浦慎理が48秒71のタイムで金メダルを獲得。
この種目の日本勢の優勝は1998年バンコク大会の伊藤俊介氏以来。
伊藤俊介氏は双子のスイマーとして知られ、弟の伊藤秀介氏もバンコクの100mでは銀メダルを獲っている。
また、伊藤俊介氏はこの大会で100m自由形のほかに、4×100mリレー、4×200mリレー、4×100mメドレーリレーでも金メダルを獲り、4冠を達成している。

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もうひとりの5冠
1990年北京大会の100m自由形を制した沈堅強(中国)は、ほかにも50 m自由形、100mバタフライ、4×100mリレー、4×100mメドレーリレーデモ金メダルを獲り5冠。
さらにはこの4年前のソウル大会の4×100mリレーでも金メダルをとっており、通算で6個の金、2個の銀、1個の銅を獲っている。
ただし、この時代のアジアの競泳は世界水準とは言えず、五輪での活躍はない。

孫楊は通算9冠なるか?
中国の孫楊は、今大会200m、400m、800m自由形に優勝しており、今日の1500mに勝てば4冠。
これまでに広州大会で2個、仁川大会で3個の金メダルを得ており、通算9冠になる。
なお、4年後のアジア大会は孫楊の出身の杭州での開催が決まっており、現在26歳の去就も注目されている。

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August 22, 2018

アジア大会にとって特別な競技バドミントン

熱戦が繰り広げられているジャカルタアジア大会。
8月18日の開会式をご覧になっただろうか。
最終聖火ランナーはスシ・スサンティ。
1992年のバルセロナ五輪バドミントン女子シングルスに優勝。インドネシアに初の金メダルをもたらした人物だ。

このときのことはよく覚えている。
インドネシアの新聞の一面をスサンティが飾ったのはもちろんだが、マレーシア、シンガポール、タイでもトップニュースは「スサンティ金メダル」だった。

バドミントンは、卓球と並んで日本のお家芸になりそうな勢いで急速に競技力を高めている。日本でも最もポピュラーな競技のひとつだが、五輪で正式種目になったのは、このバルセロナ大会から。
意外と最近なのだ。

バドミントンが正式種目になってどう変わったか?
インドネシア、マレーシア、タイといった東南アジアの国が五輪でメダルが獲得できるようになった。

それまで東南アジア諸国にとって、五輪とは手の届かない、あまりに日常生活からかけ離れた存在だったが、バドミントンの採用によって身近な大会に変わった。
バドミントン最強国の中国、強化の進むインドを含めれば世界の人口の過半数の国(TBS流にいえば45億人)で人気種目であるこの競技を正式種目にしたことの意味は大きかった。
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一方、アジア大会のバドミントンは、1962年から正式種目だ。
日本も昔からバドミントン強国のひとつだったが、これまでの50年以上の大会の歴史の中で、男子は金メダルゼロ。
女子もシングルスに3回、団体に2回金メダルがあるのみ。

昨日、日本はインドネシアに1-3で敗れて初の決勝進出を逃したが、1970年大会以来48年ぶりの銅メダルが決まった。
女子は、女子の日本はインドネシアに3-1で勝ち、3大会ぶりの決勝進出。48年ぶりの金メダルを懸けて、中国と対戦する。

1998年の金メダリスト米倉加奈子
日本代表選手で、直近のアジア大会金メダリストは米倉加奈子さん。
当時22歳。
銅の先述のスシ・スサンティ(インドネシア)やアトランタ五輪金メダルの方銖賢(韓国)が引退した直後だった。
大学卒業後、就職先に実業団を選ばず、地元の自動車販売会社に就職し、常総学院高時代から指導を受けていたコーチに加え、元中国代表コーチを専属で招いて実力を付けたと言われている。(その後所属はヨネックス→ダイドードリンコ)

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August 20, 2018

池江璃花子はどこまで迫れるか?アジア大会 競泳最多金メダルは10個

競泳の池江璃花子は今大会8種目にエントリーし、昨夜4×100mリレーで最初の金メダルを獲った。
過去、最多獲得の金メダルは10個。
果たして池江はどこまで迫れるか?

(1)10個 西側よしみ
1974年:100m、200m自由形、200m個人メドレー、400mリレー、400mメドレーリレー
1978年:100m、200m自由形、200m個人メドレー、400mリレー、400mメドレーリレー
2大会の10種目に出場しすべてに金メダルを獲得した。
現在もアジア大会の最多金メダルの記録となっている。

(2)8個 山本貴志
1998年:100m、200mバタフライ、400mメドレーリレー 
2002年:100m、200mバタフライ、400mメドレーリレー 
2006年:100mバタフライ、400mメドレーリレーで金メダルを獲得。2006年の200mバタフライは吴鵬に敗れた。

(3)7個 北島康介
2002年:100m、200m平泳ぎ、400mメドレーリレー
2006年:100m、200m平泳ぎ、400mメドレーリレー
ここまでで合計6個の金メダルを獲得。
2010年大会は、個人種目ではメダルを獲れなかったが、メドレーリレーの予選に出場し、通算7個目の金メダルを獲った。決勝のメンバーは入江亮介、立石諒、藤井拓郎、原田蘭丸。

(4)6個 入江陵介
2006年:200m背泳ぎ、
2010年:100m、200m背泳ぎ、400mメドレーリレー 
2014年:100m、200m背泳ぎで金メダル獲得。
2018年はまだ金メダルが獲れていない。

(5)5個 藤原勝教
まだ近大付属高校に在学中の1986年大会に100m、200m自由形、400mリレー、400mメドレーリレーの4冠を達成。1990年には800mリレーのメンバーとして5個目の金メダルを獲得。が、五輪には縁がなく現役を終えた。
2012年に43歳の若さで亡くなっている。

一大会で4個の金メダルを獲った選手には、2014年大会の萩野公介、簗瀬かおり(1986年)、伊藤俊介(1998年)等がいる。

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August 16, 2018

アジア大会の記憶④ 北島康介初の世界記録と大会MVP

北島康介はその競泳人生において、4個の五輪金メダルと5回の世界新記録を出した。
世界記録は100m平泳ぎが3回、200m平泳ぎが2回。
その初めての世界記録が2002年釜山アジア大会の200m平泳ぎ決勝だ。

1982年9月22日生まれだからこのとき20歳。
日本人による競泳の世界記録は、1972年のミュンヘン五輪で金メダルを獲った男子100m平泳ぎの田口信教氏、100mバタフライの青木まゆみ氏以来30年振りだった。

2002年当時の世界記録は、米国のマイク・バローマンが、バルセロナ五輪の決勝でマークした2分10秒16。
ちょうど10年間更新されず、最も古い世界記録だった。

●男子200m平泳ぎ決勝
①北島康介 (日体大) 2.09.97 世界新
②木村太輔 (近大)  2.13.60
③ラタポ  (タイ)  2.15.81

この年6月の日本選手権では、世界歴代3位の2分10秒64を出し、世界記録を視界に入れた。が、8月末に開催されたパンパシフィック選手権を右ひじ痛のため棄権。
挫折を経て成し遂げた世界記録だった。

この大会で北島は100 m平泳ぎ、200 m平泳ぎ、4×100mメドレーリレーの3つの金メダルを獲得。大会MVPに選ばれている。

ハンガリーのギュルタは、ロンドン五輪の200mを世界新記録で制したが、実はその8年前、アテネ五輪の同種目に、北島康介が金メダルを取ったレースでは若干15歳にして銀メダルを獲っている。
これは男子の競泳での最年少のメダリストだ。
ロンドン五輪では、ノルウェーのダーレ・オーエンが金メダルに最も近いと思われていたが、五輪の数カ月前に急死した。
ギュルタはオーエンの両親に金メダルのレプリカを贈っている。
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August 09, 2018

アジア大会の記憶③ 中国から帰化した小山ちれ 鄧亜萍を下し初のアジア女王に

1994年10月13日夜、広島アジア大会卓球女子シングルスの決勝が行われた。
中国から帰化した小山ちれ(中国名:何智麗30歳)が日本代表として出場、中国のエース・鄧亜萍(21歳)とで対戦した 。
鄧亜萍は、この2年前のバルセロナ五輪、この2年後アトランタ五輪の女子シングル、ダブルスのいずれも金メダルを獲った実力NO.1。
小山もかつて、中国籍時代の1987年、ニューデリー世界選手権での優勝の経験があるとはいえ、既に峠を越えた選手と見られていた。
そのため、広島の多くの観客は、鄧亜萍の勝利を疑わなかった。
試合が始まると、鄧亜萍は圧倒的な勢いで第1セットを先取。

しかし、このときの小山は、技術面だけではなく、メンタル面でもずば抜けていた。
落ち着いて応戦し、2セット目を取り返し、続いて、勢いに乗ると2セットを連取し、セットカウント3-1で鄧亜萍を下し、金メダルを手にした。
ただし、残念なことに鄧亜萍の金メダルを確信していたNHKは生中継をしていなかったのが惜しまれる。

実は、中国籍時代の1986年、ソウルアジア大会に出場した経験を持つが、シングル、ダブルス、団体といずれも銀メダルに終わっており、初のアジア大会金メダルだった。

前述のように中国籍時代の小山は、1987年世界選手権でシングルの優勝経験があったが、不透明な選考があり、ソウル五輪の中国代表から漏れた経緯がある。
もしも、そのまま中国代表でソウル五輪に出場していたら、来日、日本への帰化はなかったかもしれない。

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August 08, 2018

アジア大会の記憶② 室伏広治 アジア大会、五輪を続けて制す

ハンマー投げの1964年東京五輪以降のアジア大会とその2年後の五輪の優勝者を並べてみた。
アジア大会におけるハンマー投げは、室伏重信、広治さん親子が合計7回優勝している。
重信氏は66年大会では菅原武男氏(メキシコ五輪4位)に次いで2位に入っており、6回出場して5回連続金メダルという前人未到の記録を持つ。
4連覇したニューデリー大会ではOCAから特別表彰もされた
広治氏は1994年の広島アジア大会では、中国の畢忠に及ばず2位だったものの1998年、2002年と2連覇、さらに2004年のアテネ五輪でも金メダルを獲った。

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前回のエントリーで、高橋尚子氏が、1998年のバンコクアジア大会、2000年シドニー五輪の両方を制したことを紹介したが、体格で劣るアジアの選手が、投擲競技でアジア大会と2年後の五輪の両方に金メダルを獲るとはまさに快挙であった。
ところが、2006年広州アジア大会から同種目に3連覇していたナザロフ(タジキスタン)が仁川アジア大会とリオデジャネイロ五輪の両大会を制した。
リオでのナザロフの記録は78.68mと32年ぶりに80mに届かなかったが、室伏広治氏に続く快挙だ。
ドーピング検査が厳しくなり、疑惑の選手が出場できなくなったことも快挙の理由にあると見られている。
現在36歳のナザロフは現役で、ジャカルタアジア大会では同種目4連覇に挑むことになる。


陸上競技でアジア大会を制し、2年後に五輪金メダリストになった選手たちが少しずつ出ている。
世界に比べてアジアのレベルが高くないと陸上競技ではされていたが、ソ連崩壊後、中央アジアの選手がアジアから参加していること、中国の台頭などが背景にある。

●1998年バンコクアジア大会-2000年シドニー五輪
*高橋尚子(日本)女子マラソン
アジア大会2:21:47、五輪2:23:14
*オルガ・シシギナ(カザフスタン)100m障害
アジア大会12秒63、五輪12秒65

●2002年釜山アジア大会-2004年アテネ五輪
*劉翔(中国)110m障害
アジア大会13秒27、五輪12秒91
*室伏広治(日本)ハンマー投げ
アジア大会78m72、五輪82m91

●2010年広州アジア大会-2012年ロンドン五輪
*オリガ・リパコワ(カザフスタン)女子三段跳び
アジア大会14.53m、五輪14.98m

●2014年仁川アジア大会-2016年リオデジャネイロ五輪
*王鎮(中国) 男子20㎞競歩
*劉虹(中国) 女子20㎞競歩
*ジルショド・ナザロフ(タジキスタン) ハンマー投げ
アジア大会78m55、五輪78.68m

上記以外に、男子マラソンの黄永祚(韓国)が、1992年バルセロナ五輪-94年広島アジア大会ともに金メダルという逆のケースもある。

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