アジア大会

June 27, 2018

8月のアジア大会男子陸上100mで日本人選手は果たして勝てるのか?

リオデジャネイロ五輪の陸上400リレーで銀メダルを獲った4人の内、アジア大会で金メダルを獲ったことがあるのは誰でしょう。

①山縣亮太
②飯塚翔太
③桐生祥秀
④ケンブリッジ飛鳥

全日本陸上選手権に先駆けてマドリードで開催された競技会の男子100mで、中国の蘇炳添が何と9.91の中国新記録をたたき出した。
この記録は、ナイジェリア国籍からカタール国籍に変更したフェミ・オグノデの持つアジア記録とタイ記録である。
この結果、桐生祥秀の9.98の日本記録は、アジア歴代8位となった。 

4年前のアジア大会は、韓国の仁川で開かれた。
この2年後のリオ五輪の400mリレーで銀メダルを獲る4人のうち、桐生とケンブリッジは出場を辞退。
アジア大会初出場だった山縣亮太は
100mは6位
400mリレーは2位。

同じく初出場だった飯塚翔太は
200mは4位
4100mリレーは2位
1600mリレーは金メダルを獲った。

答え:飯塚翔太


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2014年仁川アジア大会100m決勝 優勝オグノデ 3位高瀬(右) 6位山縣(左)

日本は、アジアの中では短距離王国であり、五輪や世界陸上でも活躍している。
確かにその通りだが、400mリレーで戦後初めて決勝に残ったのは、五輪では1992年のバルセロナ大会、世界陸上は1995年のイエテボリ大会だ。
それ以前は、健闘こそしても準決勝が精一杯だった。
もちろん100mで戦後、決勝に出た選手はない。
1932年のロサンゼルス五輪で吉岡隆徳さんが決勝に進出、6位になったのが今をもって最高記録だ。

アジア大会においても思いのほか100mの金メダルは獲っていない。
それでも、最も印象深いのは、伊東浩司さんが優勝した1998年バンコク大会だ。
準決勝では、今なお日本歴代2位の記録として残る10.00を出し、決勝では10.05で優勝した。
伊東さんはこの大会で100m、200m、400mリレーと3冠に輝くのだが、伊東さん以前にアジア大会の100mを制したのは、1970年大会の神野正英さんまで遡らなければならない。
神野さんのあとはなかなかタイ勢に勝てなかった。
カタールのタラル・マンスールのように1986年~94年まで3連覇した超人もいた。

北京五輪銀メダル(今年正式に繰り上がった)の4人に中でも塚原直貴氏が2006年大会で銀。
朝原宣治氏も2002年大会で銀に終わっている。
但し、200mで末続伸吾が2002年、2006年と2大会連続金メダルを獲っている。


下記のように男子は1998年以来20年間金メダルから遠ざかっている。
東京五輪を2年後に控え、日本人選手は金メダルに届くだろうか。

●アジア大会における100m優勝者と、日本人選手の最高順位
1966年 バンコク大会
男子)
①マニカヴァサガラン・ジェガセサン(MAS)10.49
②神野正英(日本)10.52
 
1970年 バンコク大会
男子)
①神野正英(日本)10.5
 
1974年 テヘラン大会
①アナト・ラタナポール (THA)10.42A
②神野正英 (JPN)10.55A

1978年 バンコク大会
①スチャート (THA)10.44

1982年 ニューデリー大会
①ラブアン・ピット (MAS)10.68

1986年 ソウル大会
①タラル・マンスール (QAT)10.30

1990年 北京大会
①タラル・マンスール (QAT)10.30

1994年 広島大会
①タラル・マンスール (QAT)10.18

1998年 バンコク大会
①伊東浩司 (日本)10.05

2002年 釜山大会
①ジャマル・アル=サファル(KSA) 10.24
②朝原宣治 (JPN)10.29

2006年 ドーハ大会
①ヤヒヤ・ハッサン・ハビーブ (KSA)10.32
②塚原直貴(JPN) 10.34

2010年 広州大会
①労義(CHN)10.24

2014年 仁川大会
①フェミ・オグノデ(QAT)9.93

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May 25, 2018

陸上男子4×100mリレー 日本歴代15傑とアジア大会結果

5月20日に、大阪市のヤンマースタジアム長居で行われたセイコーゴールデングランプリ陸上2018大阪、オープン種目として行われた男子400mリレーでは、リオデジャネイロ五輪で銀メダルを獲得した4選手(山県亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥)が日本Aとして出場。日本記録37秒60に0秒25差に迫る37秒85の日本歴代3位の大会新で優勝した。

日本歴代1・2位はいずれもリオ五輪の予選、決勝で出した記録。
20日の記録は、北京五輪銅メダル、ロンドン世界陸上(17年)銅メダルなどの記録をも超える快記録だった。

400
アジア大会は、今年8月ジャカルタで開催される。
日本チームは、伊東浩司さんが活躍した1998年バンコク大会以来優勝していない。

これまでの日本チーム メンバーは以下の通り
2014年 山縣亮太 飯塚 翔太 髙平 慎士 髙瀬慧
2010年 江里口匡史 髙平慎士 安孫子充裕 藤光 謙司
 この時の日本チームは痛恨のバトンミスをし47.14。13か国中10位で予選敗退した。
2006年 塚原直貴 末續慎吾 大前祐介 高平慎士
2002年 宮崎久 末續慎吾 土江寛裕 朝原宣治
1998年 大槻康勝 久保田信 土江寛裕 伊東浩司
1994年 中村哲也 伊藤喜剛 井上悟 伊東浩司

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May 16, 2018

ジャカルタアジア大会8月開催 政治色強く

TBSで今年開催のアジア大会の告知が始まっている。
アジア大会はジャカルタで開催される。が、これは前回仁川アジア大会の直前に決まったものだ。
というのも、開催予定だったベトナム・ハノイが開催を返上したからだ。
 
開催返上の理由は増大する開催経費だという。
ハノイは2003年に東南アジア大会を開催し、施設の80%がそのまま使えるため、1億5000万ドル(約153億円)の開催費用で済むことなどを優位として、対立候補のスラバヤ(インドネシア)に29-14で勝利した。
が、競技施設の整備などに費用が大幅に膨らむ見通しになり、計画の見直しを迫られていたが、最終的に返上する結論を選択した。

開催中の仁川大会の17の施設の建設費が1兆7200億ウォン(1720億円)、運営費を含めた開催費用は2兆2000億ウォン(2200億円)だというから、ハノイの見積もりはどう見ても安すぎだ。

Kaisaihiyo

アジア大会は、2006年のカタール・ドーハ大会では潤沢なオイルマネーが注がれ、その開催費用は2億8000万ドルに上った。
4年後の2010年、北京五輪の僅か2年後に開催され、中国の国威発揚の場になった2010年広州アジア大会では、史上最多の42競技が行われ、開催費用は1200億元。(当時のレートで1兆5000億円、中には20億ドルとしている資料もある。)
ロンドン五輪の開催費用が87億7000万ポンド(当時のレートで1兆1300億円)と言われているので、五輪を超えたアジア大会だったのだ。

次回のアジア大会は当初予定されていた2019年から2018年に変更された。
というのも2019年にインドネシアで大統領選挙があるからだ。
2015年に就任した1ジョコ・ウィドド大統領の任期は5年。

そしてアジア大会の開催地は、当初手を挙げていたスラバヤではなく首都のジャカルタ。
2018年にアジア大会を成功させて、19年の大統領選でジョコ氏が再選を果たす、そんな政治的なシナリオが既に用意されているようだ。

●アジア大会開催地 1951年~2018年
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October 04, 2014

実力か不正か? 1986年ソウルアジア大会のボクシングは12階級全てに韓国が金メダルを獲った

10月3日、仁川アジア大会ボクシングの男子ライトフライ級で韓国の申種勲が、バンタム級では咸相明が金メダルを獲得した。
ボクシングで韓国選手が金メダルを獲得したのは2002年の釜山大会以来12年ぶりとなる。

申種勲は、顔中にアザができる程パンチを食らい、相手のフィリピン選手の勝利か誰もが思われていたが、判定の結果は申種勲の勝利となった。
つい先日はインド対韓国の女子ボクシング試合の判定に不服だとしてインドの女子選手が銅メダル受け取り拒否をしたばかりだ。

この試合に対してフィリピン・ボクシング協会のリッキー・ヴァルガス会長は「韓国相手に勝つことは不可能だ」とコメントした。

韓国開催の大会の試合の判定での不明瞭さを、今回初めて目にする方もあるかもしれない。
が、この程度のことは毎回起こっている。
その始まりは1986年ソウルのアジア大会のボクシングだった。
韓国は全12階級全てで金メダルを獲った。
ナショナルチームが参加するボクシングの競技会で、一つの国が全階級制覇するなど常識的にあり得ない。

当時ももちろん、審判の買収が取り沙汰されていたが、今と違いネットなるものはない時代。一般の人が、映像を確認することまどできない。
新聞もソウル五輪を2年後に控えた韓国に遠慮がちな扱いをした。
メディアの沈黙が、こうした傾向を現在まで続かせている要因となっている。

下記の金メダリストの内、ひとりだけプロ転向後に世界王者になった選手がいる。バンタム級の文成吉だ。
WBA世界バンタム級およびWBC世界ジュニアバンタム級の2階級制覇を達成している。


1986

*1973年にスイスのローザンヌで開催された世界柔道選手権大会において、日本は全階級を制覇したことがある。が、この当時の世界柔道は、無差別級を含む6階級に各国2人の選手が出場できるシステムだった。

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October 01, 2014

ソビエト代表からキルギス代表になったイゴール・パクリン

仁川アジア大会の陸上競技は男子走り高跳びが行われ、23歳のムタズ・エサ・バルシム(QAT)が2m35を跳びアジア大会2連覇を果たした。
4年の世界ジュニアの王者で、そのときに銅メダルを獲ったのが仁川で5位に入った戸辺直人である。

タズ・エサ・バルシムは今年2m43を跳び、1984年に中国の朱建華が作ったアジア記録2m39を、26年目に破った。
朱建華はロサンゼルス五輪の銅メダリストとしてその名を知られている。
が、ロス五輪は西側に朱建華を上回る記録を持つ選手はおらず、金メダルの最右翼といわれながら銅メダルに終わった。
この当時の中国選手は、国際経験に乏しく、勝負弱い面もあったのだ。

ロス五輪から1年後、1985年に神戸でユニバーシアードが開催された。
ユニバーシアードは、五輪や世界選手権に比べればその規模は大きくなく、レベルも高いわけではない。
が、ソビエトから来た細身のジャンパーが、走り高跳びで2m41の当時の世界新記録を出した。
彼の名前はイゴール・パクリン。
この記録は現在なお
 ①ハビエル・ソトマイヨール (キューバ2m45)
 ②タズ・エサ・バルシム (カタール2m43)
 ③パトリック・ショーベリ (スウェーデン2m42)
 ④B・ボンダレンコ (ウクライナ2m42)
 ⑤イゴール・パクリン (ソ連2m41)
世界歴代5位にある。

このパクリンは、パトリック・ショーベリとは1987年のローマの世界陸上では死闘を演じ、同記録(2m38)ながら銀メダルに泣いた。
ソウル五輪では7位、東京世界陸上では10位となかなかタイトルを手に出来なかったが、このときまではソ連代表。
そして1991年にソ連が崩壊してしまい、どうしているかと思っていたら、1994年の広島アジア大会にキルギス代表として再び日本の地を踏んだ。

広島ビッグアーチの観客席からパクリンの姿を見つけ、ユニフォームにKirghizia(キルギスタン)と書かれていたのを見たときは、ちょっと感動した。

広島で優勝したのは吉田孝久で2m27。
全盛期を超えていたのと新しい母国の支援が足りなかったのだろうか、パクリンは4位に終わった。(記録は失念してしまった)
その後36歳になる1999年まで競技を続け、最後は生まれ故郷のビシュケク(キルギス)の競技会で2m25を跳び引退した。

パクリンは、世界記録を跳んだときはソ連だったため、その後アジアであるキルギス国籍になってもアジア記録に変更はされていない。

●アジア大会男子走り高跳びの優勝者(1978年以降)
1978 阪本孝男(JPN) 2m20
1982 朱建華(CHN) 2m33
1986 朱建華(CHN) 2m31
1990 周忠革(CHN) 2m26
1994 吉田孝久(JPN) 2m27
1998 李鎮宅(KOR) 2m27*
2002 李鎮宅(KOR) 2m23
2006 ジャンクロード・ラバト(LIB) 2m23
2010 ムタズ・エサ・バルシム(QAT) 2m27
2014 ムタズ・エサ・バルシム(QAT) 2m35

*この李鎮宅は、マラソンを除く韓国陸上史上最高の選手ではないか。
自己ベストは2m34。1999年のセビリア世界陸上では6位(2m29)になった。

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September 29, 2014

アジアに根を張る中国女子陸上の怪記録

仁川アジア大会も後半になり陸上競技が始まっている。
昨日の注目は男女の100m決勝。
2連覇を狙った福島千里は11秒49で、中国の韋永麗に0.01秒及ばず銀メダルに終わった。
福島千里は2010年の織田記念国際陸上(広島市)の女子100mで11秒21の自己ベストを出し、この記録は今も日本記録として残っている。
だが、今季の福島のベストは11秒44でアジアの中でも3位、トップはカザフスタンの選手、2位に中国の韋永麗が11秒40で着けていた。
それから考えれば、今の実力は充分出した銀メダルということだ。

近年、アジアの陸上女子短距離の選手で、最も実績を挙げた選手といえばスサンティカ・ジャヤシンゲだろう。
2000年シドニー五輪で、スリランカ人として1948年以来52年ぶりとなるメダル(銅メダル)を獲った選手だ。
その2004年のアテネ五輪、さらには2007年の大阪世界陸上の200mでも銀と銅メダルを獲っている。
200mを得意とし、100mでの実績はそれほど高くない。
が、100mの自己ベストは11秒04。
福島の日本記録を0.2秒近く上回る大変な記録だ。
ところが、ジャヤシンゲの11秒04はアジア記録ではない。
ジャヤシンゲが登場する以前に、100m10秒台という選手がアジアにも2人いたのだ。

一人は中国の李雪梅で10秒79、もう一人も中国の劉暁梅で10秒89。
この2つの記録は今から17年前の1997年に出されたものだ。
女子の100m世界記録は、フローレンス・ジョイナー(故人)の10秒49。1988年のソウル五輪の直前に出された記録だ。
女子の陸上では1980年代に出された世界記録がたくさん残っている。
当時隆盛を誇った東ドイツやソ連の組織的なドーピングの残滓であると見られている。

同様に女子のアジア記録は、1990年代に中国人選手によって出されたとんでもない不滅の記録がたくさんある。
中国には、日本の国体にあたる全国運動会(通称全運)が4年に一度開催される。
日本の国体と大きく違うのは、優勝者がほぼ五輪代表に選ばれること、そしてオモテにウラに報奨金と称する大金が動くことだ。
選手は出身の省(広東とか河北とか)、直轄市(北京とか上海)、自治区(内モンゴルとか新彊ウイグルとか)ごとに争い、勝ったときに支払われるその母体からの報奨金は、五輪のそれを上回ったり、家が贈られたりするともいわれている。

下記の女子アジア記録の表をみてほしい。
中国人によるアジア記録は、1993年と1997年に集中している。
1993年、1997年ともに全国運動会の開催された年だ。
1994年の広島アジア大会で中国競泳陣の大規模な組織的ドーピングが摘発された。
2年後の2000年のシドニー五輪の開会直前には、ドーピング発覚を恐れた中国選手団が、大幅な選手の入れ替えを行うといった事件を経て、中国のドーピングは表には出にくくなった。
が、実際にはドーピングは行われており、1993・1997年の全国運動会、特に陸上競技では、勝つためには手段は選ばなかった選手によって争われた、ということだろう。

*ジョイナーの10秒49を始めとする驚異的な世界記録は、ドーピングによるものではないかとの疑惑は誰しもが持っている。が、尿検体が既になく再検証することが出来ないため、記録を覆すことは出来ないでいる。


●陸上女子の主なアジア記録 トラック競技等
Chinaaa
400mH は2001年の広州全運で宋英蘭が同タイムの53.96を出している

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September 27, 2014

アジア大会 競泳最多金メダルは10個

仁川アジア大会の競泳は萩野公介の4冠達成に沸いたが、過去のアジア大会で多くの金メダルを獲った選手を挙げてみた。

(1)10個 西側よしみ
1974年、1978年大会に、女子100m、200m自由形、200m個人メドレー、400mリレー、400mメドレーリレーの5種目に出場し、すべて金メダルの合計10個の金メダルを獲得した。現在もアジア大会の最多金メダルの記録となっている。

(2)8個 山本貴志
1998年の100m、200mバタフライ、400mメドレーリレー 2002年の100m、200mバタフライ、400mメドレーリレー 2006年の100mバタフライ、400mメドレーリレーで金メダル。2006年の200mバタフライは吴鵬に敗れた。

(3)7個 北島康介
2002年、2006年大会に100m、200m平泳ぎ、400mメドレーリレーで合計6個の金メダルを獲得。
2010年は個人種目ではメダルを獲れなかったが、メドレーリレーの予選に出場し、通算7個目の金メダルを獲った。

(4)6個 入江陵介
2006年の200m背泳ぎ、2010年の100m、200m背泳ぎ、400mメドレーリレー 2014年の100m、200m背泳ぎで金メダル獲得。昨日のメドレーリレーは2位に終わった。

(5)5個 藤原勝教
まだ近大付属高校に在学中の1986年大会に100m、200m自由形、400mリレー、400mメドレーリレーの4冠を達成。1990年には800mリレーのメンバーとして5個目の金メダルを獲得。が、五輪には縁がなく現役を終えた。
2012年に43歳の若さで亡くなっている。

一大会で4個の金メダルを獲ったのは、今大会の萩野公介のほか、簗瀬かおり(1986年)、伊藤俊介(1998年)等がいる。

     *     *     *

●400mメドレーリレー アジア大会6連覇ならず
2014年仁川アジア大会
②入江陵介、小関也朱篤、池端宏文、塩浦慎理 3分31秒70

2010年広州アジア大会
①入江陵介、立石諒、藤井拓郎、原田蘭丸 3分43秒10

2006年ドーハアジア大会
①宮下純一、北島康介、山本貴志、細川大輔 3分36秒52

2002年釜山アジア大会
①錦織篤、北島康介、山本貴志、奥村大輔 3分37秒45日本新

1998年バンコクアジア大会
①錦織篤、林亨、山本貴志、伊藤俊介 3分41秒98

1994年広島アジア大会
①小嶺英司、林亨、糸井統、松下幸広 3分41秒70日本新

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September 25, 2014

空席が目立つアジア大会 なぜ仁川は大会を招致したのか

連日アジア大会の熱戦が繰り広げられている仁川だが、観客席は空席が目立つ。
報道によれば入場券の売れ残りも多いと言われるが、こうなるとなぜ仁川はこの大会を招致したのか疑問だ。
仁川市がアジア大会を招致しようとした最も大きな理由国際ハブ空港としての「仁川」の名前を売ること。
もう一つは膨大な経済的効果のためだ。

仁川が立候補した2006年に、韓国の対外経済政策研究院は、アジア大会の開催に伴う経済効果を下記のように発表している。
・生産誘発=韓国全体で13兆ウォン(仁川のみで10兆6000億ウォン)。
・付加価値誘発=韓国全体5兆6000億ウォン(仁川のみで4兆5000億ウォン)。
・雇用誘発=韓国全体27万人(仁川のみで20万人)。

さらに、韓国の国会で特別支援法が制定されることにより、道路、交通、通信などのインフラ設備が新たに構築されることを望んだようだ。


実際にアジア大会を開催するにあたって17の会場の建設費は合計で1兆7200億ウォン(1720億円)。
運営費を含めた開催費は2兆2000億ウォン(2300億円)に達する。
08年末に1兆5400億ウォンだった仁川市の負債は、昨年末で3兆1500億ウォンまで膨らみ、財政状況は国内自治体で最悪レベルに陥っている。
それでも予定通りの経済効果が得られれば、市としては成功となるのだろう。

先に書いたように会場はどこも空席が目立つ。
人口1000万人を超すソウルに隣接する街であればもっと観客が多くてもいい。

日本から近いため、応援ツアーが多く催行されているかと思いきや皆無。
日韓関係の悪化に伴ってツアーが組まれなかったのかは不明だが、スタンドで応援している邦人はほとんど個人手配で現地に行っていると思われる。


観客の少ない理由、一つ考えられるのは韓国で国際競技大会が頻繁に開かれすぎるのではないだろうか。

夏季五輪 ソウル1988年
アジア大会 ソウル1986年、釜山2002年、仁川2014年
ユニバーシアード 大邱2003年、光州2015年
世界陸上 大邱2011年
世界水泳 光州2019年
*冬季大会を除く。

1986年以降の8回のアジア大会のうち、韓国で3回、中国で2回、日本・タイ・カタールが各1回ずつ。
西アジアで開催されたのが1回のみであることを考えると東アジアに偏りすぎであるのは明らかだ。
しかも韓国はどうしてアジア大会の翌年にユニバーシアードを開くのだろうか。
しかも2002-03と2014-15の2回もだ。

実は韓国は1970年のアジア大会の開催が決まっていた。
「決まっていた」というのも開催を返上した不名誉な出来事があったのだ。
当時の大統領は朴正煕。現韓国大統領朴槿恵の実父である。

1968年1月に北朝鮮の特殊部隊によるソウル侵入事件(青瓦台襲撃未遂事件)が勃発。
大会の安全が図れないという理由で1968年4月に韓国政府は大会を返上。
前回1966年大会を開催したバンコクが代替開催した経緯があるのだ。

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September 21, 2014

アジア大会 萩野公介の200m自由形金メダルは16年ぶり

●アジア大会男子200m自由形優勝者
2014年
萩野公介(日本)1:45.23(日本新)
2010年
朴泰桓(韓国)1:44.80
2006年
朴泰桓(韓国)1:47.12
2002年
劉禹(中国) 1:49.29
1998年
市川洋介(中国)1:52.46
*200m自由形の日本人選手の金メダルは16年ぶり。
萩野公介の金メダルタイムは昨年の世界水泳でも銀メダル相当。

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●アジア大会男子100m背泳ぎ優勝者
2014年
入江陵介(日本) 52.34
2010年
入江陵介(日本) 53.61
2006年
宮下純一(日本) 54.67

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●アジア大会男子200mバタフライ優勝者
2014年
瀬戸大也(日本)1:54.08
2010年
松田丈志(日本)154.02
2006年
呉鵬(中国)1:54.91
 
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September 20, 2014

仁川アジア大会開会式

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▲1990年以降日本選手団の旗手は女性が務めている。

実は私は五輪の中で、開会式で五輪賛歌が流れる場面が最も好きだ。
例えば長野五輪(1998年)を思い出そう。
開会式で五輪賛歌が流れる中、五輪旗が入場する。

旗を持つのは笠谷幸生さん(ジャンプ)、金野昭次さん(ジャンプ)、猪谷千春さん(アルペン)、北沢欣浩さん(スピード)、橋本聖子さん(スピード)、長久保(旧姓高見沢)初枝さん(スピード)、山中(旧姓山本)宏美さん(スピード)、小林(旧姓大高)優子さん(リュージュ)。
この映像を見ると、今でも鳥肌が立つ。

そして、聖火は阿部、三ヶ田、河野のノルディック複合トリオから、伊藤みどりさんに渡る。
まさに日本のウィンタースポーツの歴史そのものが、僅かな時間に再現されたのだ。

五輪ならば五輪旗だが、アジア大会であればOCA(アジア五輪評議会)の旗が同じように開会式のクライマックス時に入場してくる。
このときは、開催国のスポーツの歴史絵巻を見るようで、自分にとっては至福のときだ。

仁川アジア大会でOCA旗は、韓国の往年の名選手の手によってスタジアムに入ってきた。
男性
河亨柱(柔道)、尹京信(ハンドボール)、朴柱奉(バドミントン)、呂洪哲(体操)
女性
Baek Ok-ja(陸上)、玄静和(卓球)、Shin Jung-hee(国際審判員?)、張美蘭(ウエイトリフティング)

そして聖火も
李承燁(野球)⇒朴仁妃(ゴルフ)⇒朴贊淑(バスケ)⇒李奎ヒョク(Sスケート)⇒李亨澤⇒(テニス)から最後は李英愛(女優イ・ヨンエ)の手に渡り点火された。

河亨柱なんてソウル五輪以来26年ぶり、朴贊淑も30年ぶりにその姿を見た気がする。
林春愛も大極旗入場の際にいた。

韓流スターには全く興味がないが、往年のスポーツ選手の姿は懐かしく見せてもらった。

Oca


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