北京2022

February 25, 2022

アメリカにおいて進むオリンピック離れ フィギュアスケート(2022年版)

私はこれまでも、米国において五輪離れが起きていると指摘してきた。

 北京冬季五輪のゴールデンタイムの報道は、NBCのテレビプラットフォーム全体で平均1,070万人の視聴者であり、テレビ以外のプラットフォームのストリーミング視聴者数を含めて1,140万人だった。

これは、夏季・冬季の五輪のゴールデンタイムの報道の中で最も低い数字だ。

これまでの最小値は、昨年の東京五輪の1560万人であり、平昌、東京、北京と3大会連続してワーストが続いている。

20220225-174400-4
冬季五輪だけ見ても北京は平昌(1980万人)から42%、平昌も2014年のソチ(2130万人)から46%減少した。現在、世界的に見たら判らないが、米国内での視聴者数は減少は続いている。

20220225-174400-3

フィギュアスケートは、冬季五輪の華であり、どの大会でも高い視聴率を稼いできた。

特にナンシー・ケリガンとトーニャ・ハーディングの米国人選手が争った1994年のリレハンメル五輪の女子フィギュアは、米国テレビ史に残る高視聴率を上げている。

私も現場にいた長野五輪の女子フリーは、当時16歳だった荒川静香が13位。米国のタラ・リピンスキーの金メダルが決まったのが日付の変わる少し前の2330分。1998年2月20日金曜日のことだ。

これは米国東海岸の朝9時30分にあたり、米国の熱心なフィギュアファンは金曜日の朝にリピンスキーを応援し、15.8%のまずますの視聴率を取っている。

長野五輪では、同じく米国のミシェル・クワンも銀メダルを獲ったが、この大会以降、米国女子はメダル争いに絡めなくなり、視聴率も芳しくなくなる。

そこで、4年前の平昌五輪は、米国の視聴者に合わせ、韓国時間の昼に行われた。そういえば、羽生結弦やザギトワの演技を、昼休みを延長して観たという人も多いのではないか。

今回の北京五輪は、男子フリーは米国時間に合わせて行われたが、女子は中国の視聴者に合わせた時刻に行われた。

とはいうものの、ドーピング検査で陽性となり、女子シングル4位に終わったフィギュアスケートのカミラ・ワリエワ(ROC)が、世界的な話題となり、視聴率に好影響をもたらすとの見方もあったが、結果は低い数字だった。

北京五輪の放映権は、NBCユニバーサルが2014年に6大会一括で契約した最初の大会だった。

総額は77.5億ドル、つまり1大会あたり13億ドルと言う巨額になり、2032年のブリスベーン夏季五輪まで契約は続く。

が、巨額を支払うNBCは、強気を崩さない。

NBCオリンピックのメディアパートナーは数百万人に達したと胸を張る。

FacebookTwitterInstagramTikTokNBCオリンピックのコンテンツは10億回以上のインプレッションがあり、平昌五輪と比べて、すべてのソーシャルプラットフォームでの動画再生回数は、69%増加した。

 

特に、北京から開始されたTikTokでは、22950万回の動画が再生され、五輪期間中にTikTokNBC五輪アカウントは、37万人以上の新規フォロワーがあったという。

|

February 05, 2022

スポーツマフィアに食いつく中国 ANTAのジャケットを着るIOCバッハ会長

下記の画像は20年前の長野五輪の閉会式の模様だ。
サマランチIOC会長(当時・故人)の着ているジャケットの胸には「MIZUNO」のロゴが見える。

ミズノは1995年から2012年までIOCの公式サプライヤーを務めた。
そのため、主に冬季五輪においてIOC委員に防寒のジャケットが必要な際は、必ずミズノのジャケットが用いられた。

Embed from Getty Images

東京の2020年の夏季五輪の招致運動中に、招致委員会の中に、活動の中核を担うNPO法人格の理事会を発足させた。
竹田恒和JOC会長が理事長に、事務総長をミズノの会長だった水野正人氏が務めることになった。

このとき、ミズノとIOCの関係が余りに密であったため、敢えて水野正人氏は、ミズノの会長を退任、ミズノもIOCの公式サプライヤーの座を降りることになった。

ご承知の通り、2013年9月のブエノスアイレスのIOC総会で、東京がイスタンブールとマドリードを破り、2020年五輪招致を決めたが、水野正人氏は五輪招致成功の〝陰の立て役者〟と言われている。

 

Mizunovancouverbegeistertjacquesr_2  
▲2010年バンクーバー五輪のロゲ会長 MIZUNOを着ている。

一方、ミズノが退いたあとの公式サプライヤーは2013~2016年までNIKEが務めた。
画像はソチ五輪のバッハ会長。

Sochi

2018年2月、平昌五輪の開会式で、バッハ会長。

見慣れないロゴのジャケットを着ている。

Anta

よく見ると、ANTAとある。

ANTA(安踏)は1991年に創業された中国のスポーツウエアメーカーだ。
中国のスポーツウエアメーカーといえば李寧(Lining)や361°などが知られているが、このブランドのことはあまり知られていない。
が、売り上げ規模でNike、adidasに次いで世界3位にあると言う。

平昌五輪では、次の冬季五輪開催国ながら、ほとんど存在感を示せなかった中国。
だが、裏方ではしっかりと世界のスポーツマフィアに食い込んでいたということらしい。
2019年にIOCと公式サプライヤーの契約をし、2022年まで続くと言う。

一方、世界35か国200団体が支援する世界最大のウイグル人権支援団体が、新疆綿を使用し続けると宣言したANTAの北京五輪公式ウェアについて強制労働の関与が無かったか、IOCへ調査依頼をした。
これに対して、バッハ会長率いるIOCは「強制労働は無かった」と回答。
この言葉を信じる人がどれだけいるのだろうか。

 

 

 

 

|

January 07, 2022

小林陵侑 ジャンプ週間総合優勝

ジャンプ週間というスキージャンプのシリーズをご存知だろうか。
年末年始の1週間にドイツとオーストリアで4戦して「世界最強のジャンパー」を決めるシリーズである。
W杯創設前から開催されている伝統を誇る大会で、既に半世紀以上に渡って行われている。
欧州の選手、観客にとってはシーズン最高のイベントであり、1週間で20万人を超える観客を集め、五輪とはまた別の「最高のステータス」を持つ。

この最高のステータスを掴んだのが25歳の小林陵侑
オーベルストドルフ、ガルミッシュパルテンキルヘン、インスブルックとジャンプ週間で4戦3勝。
2度目の総合優勝を果たした。

ジャンプ週間は、1953年1月、ドイツとオーストリアの対抗戦から始まり、第2回大会(53~54年)から、年末年始を挟んで行うようになり、79 ~80年大会からは、各4戦がW杯を兼ねるようになった。

4戦4勝した選手が過去に3人いる。
2001–02年 スヴェン・ハンナワルド(ドイツ)
2017–18年 カミル・ストッフ(ポーランド)
2018-19年 小林陵侑(日本) 

ジャンプの五輪金メダリストは、4年ごとに確実に現れるが、ジャンプ週間の4勝は今後出ないかもしれないくらいの価値がある。

特にカミル・ストッフは、ソチ五輪でNH,LHの2冠。
平昌五輪でもLH金、団体で銅メダルを獲った、歴代最高のジャンパーの一人だ。

間もなく北京冬季五輪。

4戦の内3勝して冬季五輪を迎えた日本人が2人いる。


一人は札幌五輪の金メダリスト笠谷幸生氏である。
札幌五輪を28歳という円熟期に迎えた笠谷は、1971年~72年のジャンプ週間に3勝を挙げるという離れ業をやってのけた。
史上初の4戦4勝に欧州中が期待する中、笠谷は、「札幌五輪のための調整」を理由に帰国。
4戦目のビショフスホーフェンを飛ばなかった。

3戦のみでの帰国は当初の予定通りだったそうだが、SAJ(全日本スキー連盟)や笠谷自身のジャンプ週間に対する認識は、現在とはかなり異なっていたと思われる。
笠谷帰国後のジャンプ週間は、ノルウェーのモルクが総合優勝となるが、モルクは札幌五輪でメダルに届くことはなかった。
札幌五輪での笠谷は、70m級(現NH)で金メダル。日本勢日の丸飛行隊によるメダル独占はあまりにも有名だが、90m級は7位に終わっている。

2人目は、97~98年のシーズン、そう長野五輪直前の船木和喜だ。

1997-98年 ジャンプ週間
第1戦 12/29 オーベルストドルフ(ドイツ)
①船木和喜
②斎藤浩哉
③A・ニッコラ(フィンランド)

第2戦 1/1 ガルミッシュ・パルテンキルヘン(ドイツ)
①船木和喜
②原田雅彦
③斎藤浩哉

第3戦 1/4 インスブルック(オーストリア)
①船木和喜
②S・ハンナバルト(ドイツ)
③J・アホネン(フィンランド)

第4戦 1/ 6 ビショフスホーフェン(オーストリア)
①S・ハンナバルト(ドイツ)
②H・イェックル(ドイツ)
③J・アホネン(フィンランド)
⑧船木和喜

◆総合成績
①船木和喜 
②スベン・ハンナバルト(ドイツ)
③ヤンネ・アホネン(フィンランド)
 
地元の五輪開催年のジャンプ週間で3戦3勝と、笠谷幸生と同じ結果を出してきた船木だったが、4戦目、ビショフスホーフェンでは、緩やかでダラダラと続くアプローチにスピードに乗れず8位に終わった。
笠谷氏が、4戦目のビショフスホーフェンを飛ばずに帰国したことは前述の通りだが、このことに腹を立てたジャンプの神様が、以後日本人選手をこのジャンプ台で勝てなくしたという話が、小林が4戦4勝するまでは、まことしやかにされていた。

 

しかし、4戦の総合成績では、ハンナバルト、ゴルトベルガーを抑え、圧倒的な勝利だった。
この時点で長野では船木には勝てないと誰しもが思った。
長野五輪での日本勢は、NHで船木が銀メダル。LHで船木が金、原田が銅、団体で日本チーム(岡部、斎藤、原田、船木)が金メダルを獲っている。

冬季五輪の年のジャンプ週間に、ビショッフスホーフェンを除く3戦に勝った3人目の男。
五輪金メダルの最右翼にいる。

 

|

August 18, 2016

個人種目5大会連続金メダルのイレイン・ブスト & オリンピックで4連覇及び3連覇した選手(2022年版)

 

2月7日のスピードスケート女子1500mで金メダルを獲得したイレイン・ブスト(Ireen Wüst・オランダ)は、個人種目5大会連続金メダル獲得となった。
これは、同一種目ではないが、カール・ルイス、マイケル・フェルプス等の持つ4大会連続金メダルを上回る史上初の快挙だ。

20220208-170548


改めてこれまでに4連覇及び3連覇を達成した選手を紹介する。

4連覇
1948-1960 パウル・エルブストローム(デンマーク) セーリング男子フィン級
 *1948年のみファイアフライ級だがファイアフライ級はこの大会のみ。52年から一人乗りのディンギーはフィン級になる。
1956-1968 アル・オーター(アメリカ) 陸上男子円盤投げ
1984-1996 カール・ルイス(アメリカ) 陸上男子走幅跳
2000-2012 ベン・エインズリー(イギリス) セーリングレーザー級、フィン級
2004-2016 マイケル・フェルプス(アメリカ) 競泳男子200m個人メドレー 
2004-2016 伊調馨(日本) レスリング58キロ級  *2004-2012までは63キロ級、2016年のみ58キロ級
2008-2021 ミハイン・ロペスヌネス(キューバ)レスリンググレコローマン130キロ級 NEW 東京五輪で達成

 

3連覇(夏季)男子
1948-1956 ゲルト・フレドリクソン(スウェーデン) カヌー男子カヤックシングル1000m
1956-1964 ヴィアチェスラフ・イワノフ(ソ連) ボート男子シングルスカル
1968-1976 クラウス・ディビアシ(イタリア) 男子10m高飛び込み
1972-1980 テオフィロ・ステベンソン(キューバ) ボクシング男子ヘビー級
1976-1984 ペルッティ・カルピネン(フィンランド) ボート男子シングルスカル
 *モスクワ・ロサンゼルスを連覇した3人のうちの1人
1988-1996 ナイム・スレイマノグル(トルコ) 重量挙げ男子60㎏級
1988-1996 アレクサンドル・カレリン(ロシア) レスリング男子グレコローマン130kg級
 *霊長類最強と言われたカレリンもシドニー五輪では銀メダルに終わった。
1992-2000 ピロス・ディマス(ギリシャ) 重量挙げ男子85㎏級
1992-2000 フェリックス・サボン(キューバ) ボクシング男子ヘビー級
1992-2000 ヤン・ゼレズニー(チェコ) 陸上男子やり投げ
1996-2004 野村忠宏(日本) 柔道男子60kg級
2004-2012 マイケル・フェルプス(アメリカ) 競泳男子100mバタフライ  *リオ五輪で100mバタフライはスクーリング(シンガポール)に敗れ銀メダルだった。

2008-2016 ミハイン・ロペスヌネス(キューバ)レスリンググレコローマン130キロ級 
2008-2016 秦鍾午(韓国) 射撃50mピストル 東京五輪で4連覇に挑むも予選敗退
2008-2016 ウサイン・ボルト(ジャマイカ) 陸上100m 
2008-2016 ウサイン・ボルト(ジャマイカ) 陸上200m

3連覇(夏季)女子
1956-1964 ラリサ・ラチニナ(ソ連) 体操女子種目別床
1956-1964ドーン・フレーザー(豪洲) 競泳100m自由形
1988-1996 クリスティーナ・エゲルセギ(ハンガリー) 競泳100m背泳ぎ
2000-2008 アンキー・ヴァン・グルンスヴェン(オランダ) 馬場馬術個人
2000-2008 バレンチナ・ベッツァーリ(イタリア) フェンシング女子個人フルーレ
2004-2012 吉田沙保里(日本)レスリング53キロ級
 *2004-2012までは55キロ級、2016年のみ53キロ級

 

冬季オリンピック

3連覇男子

1920-1928 ギリス・グラフストローム(スウェーデン) フィギュアスケート男子シングル
1972-1980 ウルリヒ・ベーリンク(東ドイツ) ノルディック複合男子個人
1992-1998 ゲオルク・ハックル(ドイツ) リュージュ男子1人乗り
2010-2018 スベン・クラマー(オランダ) スピードスケート男子1500m 4連覇を目指すも、北京では9位に終わった。 

3連覇女子

1928-1936 ソニア・ヘニー(ノルウェー) フィギュアスケート女子シングル
1972-1980 イリーナ・ロドニナ(ソ連) フィギュアスケートペア
1988-1994 ボニー・ブレア(アメリカ) スピードスケート女子500m
1994-2002 クラウディア・ペヒシュタイン(ドイツ) スピードスケート女子5000m 北京五輪出場
2014-2022 ナタリー・ガイゼンベルガー(ドイツ)リュージュ女子1人乗り NEW 北京五輪で2/8に達成

 

|