やっぱりサッカー

June 05, 2015

FIFAスキャンダルの真相は?

FIFAの不正を巡る件で、イギリスの文化・スポーツ相を務めるウィッティングデール氏は、2018年と2022年のW杯の開催地を選ぶ過程でも不正が確認されれば、「投票をやり直す理由になる」としたうえで、要請があればイングランドで開催を引き受ける用意があると述べた。

イングランドはサッカーの母国であるが、W杯の主催は1966年大会の1回のみ。このときは、地元優勝を果たしたが、世界一隆盛である言われるプレミアリーグを擁しながらも、2度目のW杯の開催とはなかなか縁がない。
度々立候補するも
 1990年はイタリアに敗れ
 1994年は米国に敗れ
 1998年はフランスに敗れ
 2006年はドイツに敗れ
 2018年はロシアに敗れた。

2010年大会は南アフリカで、2014年大会はブラジルで開催することになり、大陸ごとの持ち回りはなくなった。2018年のW杯の欧州開催が濃厚、イングランドにとっては、絶好のチャンスであったのだ。

投票が行われたのは、2010年12月。FIFAの本部のあるスイス・チューリッヒ。
このFIFAの理事会では、2018年だけでなく、22年の2大会の開催国を決めようとしていた。
2大会の開催国を一気に決めようとしたことに、ブラッター会長は「事務作業を減らすため」などと詭弁を吐いた。
18年大会に立候補していたのは、ロシア、イングランドのほか、スペイン・ポルトガルの共催、オランダ・ベルギーの共催の4候補だった。
各招致国に対し、FIFAの調査報告書の中で付けられた評価は、①イングランド ②スペイン・ポルトガル ③ロシア ④オランダ・ベルギーの順だった。
2018年W杯開催の最有力候補と自他ともに認められたイングランド。だが、落とし穴が待っていた。

英国メディアが、FIFAの役員を嵌めようとしたのだ。
W杯招致が、五輪招致と最も異なるところは、五輪が100人以上のIOC委員が投票するのに対し、W杯はFIFAの幹部役員20数名の投票によって決められるところだろう。
1票の重みがかなり異なる分、不正の温床になりやすいという指摘が以前からあった。

サンデー・タイムズは、英国の保守系高級紙タイムズの日曜版だが、この記者が、米国企業のロビイストを装ってFIFAの理事に近づいた。
引っ掛かったのはアモス・アダム理事(ナイジェリア)とレイナルド・テマリー副会長(タヒチ)。
アダム理事は米国が22年招致に絞る前の時点で、18年開催地の投票で米国を支持する見返りとして、母国ナイジェリアに人工芝ピッチをつくる費用80万ドルを要求。テマリー副会長はスポーツ学校開設の資金として300万ニュージーランドドル(約1億8000万円)を求めた。
サンデー・タイムズ紙の電子版には取引の様子を写した動画も掲載された。

FIFAはこれに対し、テマリー副会長(タヒチ)には資格停止1年、アダム理事(ナイジェリア)には資格停止3年の処分が下された。

サンデー・タイムズとしては「スポーツマフィアの鼻を空かした」というところだろうが、FIFAからしてみれば、「美味しい汁を吸えたのに余計なことをしてくれた」となる。
そんなイングランドに投票する役員などFIFAにはいない。
イングランドの獲得票はわずか2票に終わり、開催権はロシアへ渡った。

Fifa2018

イングランドにしてみれば、次にW杯を開催するチャンスはいつになるか判らない。
一方、クリミアを併合したロシアに米国は憤懣極まらない。
なんとか、ロシアに赤っ恥をかかせたい。
そんな米国とイングランドが謀ったのが、今回のFIFAスキャンダルなのではないか。



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August 13, 2014

マンチェスターシティとエティハド航空の世界戦略

8月5日の朝日新聞によると、MLBのニューヨークヤンキースの本拠地であるヤンキースタジアムで来季から米リーグサッカーMLSの試合が行われるという。
ヤンキースタジアムを本拠にするクラブは、新たにMLSに参入するニューヨークシティ(NYC)。
元スペイン代表FWビリャやイングランド代表MFランパードが入団するという。
NYCは、ヤンキースとイングランドプレミアリーグ昨年の覇者、マンチェスターシティー(マンC)が合弁で作ったチームだ。
昨シーズンのプレミアリーグを制したマンCは、世界戦略を進め、豪州では2009年に創設されたAリーグのメルボルン・シティFCの株式80%を取得、傘下に収めた。

そして2014年Jリーグの横浜Fマリノスの株式19.95%を取得、グループの一員に迎えた。
株式会社横浜Fマリノスの資本金が3100万円だから、マンCが出資した額は約620万円になる。
一方、マリノスの筆頭株主であり、親会社である日産自動車は、マンCのスポンサーになることを決定。
5年間で2000万ポンド(約34.4億円)の出資を決めている。

日産自動車は英国サンダーランドに従業員数は6000人規模の工場を持ち、2012年の年間生産台数は50万台を記録している。
過去10数年に渡り英国最大の自動車工場であり、作られた自動車は欧州各地に輸出されているのだ。

このブログでかつて
マンチェスターシティ(英プレミア)を買ったタイ元首相
という記事を書いたことがある。

タイの首相だったタクシン氏が、マンCを買収したという内容の記事だ。
これが2007年のこと、クラブは、翌年にはタクシン氏からUAEの投資グループの手に渡った。
現在、マンチェスターシティを傘下に持つ「CFGシティ・フットボール・グループ」の実態はAbu Dhabi United GroupというUAEの投資会社のことだ。

日産がマンCのスポンサーになって、ユニホームの胸にNISSANの文字が大きく踊ると思われる方も多いかもしれない。
が、マンCの胸のスポンサーはUAE、アブダビの航空会社エティハド航空が2009年から押さえている。
その額は10年でなんと6億4200万ドルだ。

マンCの海外戦略にエティハド航空はともに歩む。
メルボルン・シティFCのホームスタジアムのネーミングライツ(命名権)を取得し、NYCの所属するMLSの公式スポンサーの座も手に入れた。
近い将来Jリーグのスポンサーに名乗りを上げるかもしれない!?

今日、サッカー界で中東の航空会社の存在感は圧倒的だ。
エミレーツ航空はSONYやHYUNDAIなどとともに世界に6社しかないFIFAの公式パートナーだ。
チャンピオンズリーグの覇者リアルマドリードのほかアーセナル、ACミラン、パリ・サンジェルマン、ハンブルガーSVと欧州主要リーグの強豪とスポンサー契約を結んでいる。

一方、レアルのライバル、バルセロナの胸にはカタール航空のロゴがある。
なんと100年以上の歴史を持つこのクラブ史上初めて営利企業の名前が飾られているのだ。

英国の調査会社によると、世界の航空会社からスポーツ界への投資額は5億1500万ドル。
そのうちエミレーツとエティハドの2社で半分近くを占め、エミレーツだけでも1億8200万ドルに上る。
ドバイやアブダビは、世界の航空ハブにしなりたいと考えている。
地理的にも欧米とアジアとをつなぐ。欧米やアジアの潜在的な顧客を掘り起こすイメージ戦略だと思われる。

かつて、日本企業が欧州強豪クラブのスポンサーを務めていた時代があった。
マンチェスターユナイテッド SHARP
ASローマ MAZDA
アーセナル JVC
ユベントス SONY
アヤックス TDK
レッドスター TOYOTA
などいくつもあったが、今では随分少なくなった。

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▲サッカー仕様のヤンキースタジアム 朝日新聞より


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July 25, 2014

なぜ日本代表のキャンプ地はイトゥに決まったのか②

筆者は、6月に
サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(2) なぜキャンプ地はイトゥに決まったのか
との記事を書いたが、この度日本サッカー協会がこの件で記者会見を開いている。


日本サッカー協会の原博実専務理事は24日の記者会見で、日本代表がW杯ブラジル大会で1次リーグ敗退に終わった原因として、キャンプ地の選定、国内合宿のやり方を含め、大会直前の代表のコンディション調整に失敗したことを初めて認めた。

初戦のコートジボワール戦に「いいコンディションで入れなかったのは事実かなと思う」。原専務理事はこう語り、複数の要因を挙げた。日本がキャンプ地に選んだイトゥは涼しく疲労回復に適しているが、「(試合会場までの)移動が大変だった。飛行機に3時間乗って計5時間という影響もあったのかな」。

「(対戦相手や試合会場を決める昨年12月の)組み合わせ抽選会の前にキャンプ地を決めなければならなかった」と選定時の事情も説明したが、ドイツなど抽選会後に場所を変更した例もあり、再考の余地はあった。
(日本経済新聞7.22)

現役時代はヘディングが強く、アジアの核弾頭と呼ばれていた原博実専務理事だが、キャンプ地の選定の言い訳は少し苦しいかなと思わざるを得ない。

W杯組み合わせ抽選会は昨年の12月6日。

日本サッカー協会は19日に日本代表のベースキャンプ地を、サンパウロの北西約100キロにあるイトゥに決めたと発表。
が、この前日の18日にドイツは、そのイトゥに自前のキャンプ地を作ることを止めたと発表、結局ドイツは、同じサンパウロ州サント・アンドレに新たに施設を作った。


ブラジル大会で1次リーグ中最も移動したのは、日本ではなく米国。
イタリア、メキシコと続き日本は4番目だ。

 米国 メキシコはそれぞれグループ2位で決勝トーナメント進出。
 イタリアは3位で1次リーグ敗退。
 日本は4位で1次リーグ敗退したのはご承知の通り。

だから1次グループの移動距離が、結果と相関するかと言えば必ずしもそうでない。
もしくは、米国とメキシコが非常にポテンシャルが高かったということになる。

参考までに4年前の南アフリカ大会の1次リーグでは
①アルジェリア、②北朝鮮、③フランス、④セルビア
の順で移動距離が長かったが、4か国とも1次リーグの最下位で敗退しているのも事実だ。


今回の件で言えば、最大のスポンサーであるキリンの影響で、イトゥがキャンプ地に決まり、移動距離に懸念を抱いた関係者は多かったと思うが、誰も協会を動かすほどの苦言を呈することができなかった。
あるいは、日本代表チームが、メキシコ並みかそれ以上のポテンシャルを持っていると錯覚していたのではないだだろうか。

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July 15, 2014

幻の1986年ワールドカップ日本開催計画

戦後W杯を2回開催した国は3カ国しかない。
ブラジルは1950年と今回2014年、この間64年。
ドイツは1974年に西ドイツとして、2006年にドイツとして開催し、この間32年。
メキシコは1970年と1986年に2度開催しており、この間は16年。
決勝トーナメントの常連とはいえ、なぜメキシコは短い間に2回のW杯が開催できたのか。

1986年のW杯はコロンビア開催で決まっていたのだが、開催返上が余儀なくされた。
開催が決まったのは開催から遡ること12年前の1974年のFIFA総会だ。
当時の本大会出場国は16カ国、ところが市場の拡大をめざすFIFAは1982年のスペイン大会から出場国を24カ国に拡大することを決めた。

政治的にも、経済的にも不安定なコロンビアにこの地球規模のイベントは負担が大きすぎた。
1982年11月「24カ国でのW杯開催は不可能」と声明を出し、返上してしまった。(FIFAが誘導したとの説もある)
同じ米大陸の中という条件から、カナダ、メキシコ、アメリカが再立候補し、最終的に1983年5月メキシコでの2度目の開催が決まった。
このコロンビアの返上以降、初めて南米大陸で開かれたW杯が今回のブラジル大会だ。

この1986年大会だが、実は、日本開催で動いていたことがあった。
1970年のメキシコ大会に視察に来ていた日本サッカー協会幹部に スタンレー・ラウスFIFA会長(故人)が、16年後のW杯の日本開催を打診している。

1996年5月10日の朝日新聞に次のような記事がある。

「世界サッカー誘致を--16年先ねらい検討へ」。そんな文字が新聞各紙に躍ったのは、197082日のことだ。ワールドカップ(W杯)日本招致の構想は、今から26年も前に浮上した。同年のW杯メキシコ大会を訪れた当時の日本サッカー協会の野津謙会長が、国際サッカー連盟(FIFA)のスタンレー・ラウス会長(イギリス=イングランド)から打診を受けた。「日本は東京五輪を開いた。W杯を開催する気があるなら、86年にやってはどうか」それを受け、帰国した野津会長が日本体育協会で会見。「日本がもっと強くなければいけないし、資金などの難問がある。しかし目標をぐっと高く置き、86年のW杯を日本で開催したい」と語った。とはいえ、当時の日本にはW杯を開催する土壌は何もなかった。W杯の基準に見合う競技場はゼロ。練習場もない。サッカー人気も、実力も開催国にふさわしいとはいいがたかった。

野津謙は、1969年にFIFA理事に就任している。
2003年に小倉純二サッカー協会副会長がFIFA理事に当選するまで、長い空白があったことを考えれば、この時代にFIFAの要職に就いていた野津氏の政治力はかなりのものがあったと推測されよう。

しかし、1976年、同郷の長沼健氏(故人)らがクーデターを起こし野津は会長の座を追われてしまった。

1986年のW杯が日本で開催されていたら・・・
1986年メキシコW杯、6月22日、準々決勝のアルゼンチン対イングランド戦はW杯史上に残る。
マラドーナの「神の手ゴール」そしてその僅か4分後の「5人抜き」。
灼熱のアステカ・スタジアムの伝説は東京の国立競技場でも起こりえたのだろうか…。

小倉純二氏が定年によりFIFAを去り、現在日本人はFIFAの中枢にいない。
来年のAFC総会ではFIFA理事の改選が予定され、日本サッカー協会の田嶋幸三副会長が立候補を表明している。

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July 14, 2014

W杯優勝 ドイツ代表は多民族軍団だった

W杯ブラジル大会決勝はドイツ代表がアルゼンチン代表を1-0で破り、4度目の優勝を果たした。

02年準優勝、06年3位、10年3位、14年優勝と絶えず上位にあるかに見えるドイツだが、2000年のユーロ欧州選手権では1勝もできず、グループリーグで敗退した。
当時ドイツ代表には、けが人が出て急遽代表入りした39歳ローター・マテウスを始め、30歳以上の選手が何人もいた。
ドイツ生まれの白人選手で固めたチームが、もろくも崩れ去って行った姿はドイツの純血主義問題を浮き彫りにした。
これを受けてドイツサッカー協会は重い腰を上げて、開放政策を取り始める。

2000年1月より、ドイツは従来の血統主義に基づく移民法に変えて出生地法を採択した。
ドイツに永住意志のある外国人の両親を持つドイツで生まれた者は、出生と同時に両親の国籍と同時にドイツ国籍も自動的に付与される、というもの。

だが、親がEU域外の国籍を持つ場合、ドイツで生まれた人も23歳までに、いずれかの国籍を選ばなければならない。
例えば、ドイツ国内に住むトルコ系住民は計約295万人と移民のなかで最多だが、ドイツ国籍を得たのは半分以下の約135万人に過ぎない。

その結果外国にルーツを持つ選手がドイツ代表に入るケースが増え、今大会にも6人が名を連ねた。

●ポーランド系
ルーカス・ポドルスキ  
ミロスラフ・クローゼ  
●トルコ系
メスト・エジル
●ガーナ系
イェローム・ボアテンク
●アルバニア系
シュコドラン・ムスタフィ
●チュニジア系
サミ・ケディラ

何といってもすごいのは、イェローム・ボアテンクだろう。
彼の兄は、ケヴィン・ボアテング。
今大会にガーナ代表として出場した。
兄弟は、父親はガーナ人の同一人物だが、母親は別々のドイツ女性だという。
そして、ガーナとドイツは10年、14年と2大会続けてグループリーグで同組となり、兄弟はそれぞれ出場し、W杯では恐らく2度とない2大会連続「兄弟対戦」が実現した。

6人で驚いてはいけない。
4年前 南アフリカ大会のドイツ代表には11人の外国にルーツを持つ選手がいた。
大会中 トルコに住むエジルの祖母が亡くなるという不幸もあった。


日本代表の中にも酒井高徳は、ドイツ人の母親を持つドイツ系であることは知られている。
ほかにもイラン代表のアシュカン・デジャガとダビエル・ダーヴァリーがドイツの血を引いている。
デジャガはU21ドイツ代表で活躍していた選手だが、最終的にイランを選んだ。

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July 09, 2014

ドイツ7-1ブラジル でもW杯史上最多得点差は9点

ブラジルワールドカップ決勝トーナメント準決勝 ブラジル対ドイツは、FWトーマス・ミュラーが今大会5ゴール目となる先制点を挙げるなど、7-1でブラジルに大勝。
02年W杯以来の決勝進出を果たした。
6点差も凄いが、W杯史上最多得点差は9点で3試合ある。

1954年 ハンガリー9-0韓国
1974年 ユーゴスラビア(当時)9-0ザイール(現コンゴ民主共和国)
1982年 ハンガリー10-1エルサルバドル

ついで8点差も3試合。
2002年の札幌ドームで行われたドイツ対サウジアラビアは、まだ記憶に新しい。

1938年 スウェーデン8-0キューバ
1950年 ウルグアイ8-0ボリビア
2002年 ドイツ8-0サウジアラビア

そして7点差も3試合
1954年 トルコ7-0韓国
1954年 ウルグアイ7-0スコットランド
2010年 ポルトガル7-0北朝鮮

ちなみに対戦した2チームの得点の合計の最多試合は12点。
1954年 オーストリア7-5スイス

これに続く合計11点の試合には
先のハンガリー10-1エルサルバドル
1938年 ブラジル6-5ポーランド
1954年 ハンガリー8-3西ドイツ
などがある。

なお蛇足ながら、1954年にW杯初出場した韓国は1次リーグ2試合で計16点を奪われたことになる。

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June 24, 2014

サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(5) 世界一高額な放映権を払う日本

日本時間25日に行われる日本対コロンビア、コートジボワール対ギリシャの2試合は日本時間の午前5時からだ。
この時間ではそれほど高い視聴率は望めないだろう。
W杯において、グループリーグの3試合目は、2試合が同時に行われる。
そのためどんな理由があっても開始時刻を変えることはできない。

前々回のエントリーで、日本対コートジボワールの試合の開始時刻が当初の予定よりも遅くなったこと、その理由が日本が支払う巨額の放映権の所為だ、という記事を書いた。

恐らく同様の理由で試合開始時刻が変更された国がもうひとつある。

アメリカだ。

6月22日にマナウスで行われたアメリカ対ポルトガルは、当初15時試合開始(現地時間)だったが、18時に変更された。
そこから遡ること5日、17日に行われたアメリカ対ガーナは、当初の予定通り18時から行われた。

グループリーグの1試合目と2試合目が、同じ時刻に開始されたのはアメリカとフランスの2カ国しかない。
フランスは恐らくは偶然、アメリカはホスト局の都合に合わせたと見る。
というのもブラジルとアメリカの東部時間に時差はなく、アメリカの午後6時は、かなりテレビが見やすい時間なのだ。

アメリカはサッカー不毛じゃないのか?

決してそんなことはない。
1994年のW杯アメリカ大会は総観客数3,587,538人、1試合平均 68,991人という驚異的な数字を残した。
この数字はアメリカのヒスパニック系の住民が大挙してスタジアムに詰め掛けたためだといわれているが、近年、MLSが興行的にもうまくいき、サッカーがアメリカの英語を話す人たちにも随分受け入れられている。

その証拠にアメリカの支払ったW杯の放映権は、2010年、2014年大会合わせて4.25億ドルもの額になる。
(厳密にいうならば英語放送であるESPNが約1億ドル。スペイン語のネットワークUnivisionが3.25億ドル。)

ところが、日本が支払った放映権は2010年、2014年の2大会合わせると650億円。ブラジル大会だけで400億円。
FIFAとJC=ジャパンコンソーシアムの間に電通が入ることによって世界一の放映権になっている。
電通は、FIFAからがアジア16ヶ国の放映権まとめて購入し、日本がその大部分を負担するように配分している。
日本人の支払う金で他の国にサッカー見せてやってると言える。
欧州におけるEBU(欧州放送連合)の位置にJCが来てしまっている。


4年前の南アフリカ大会も莫大な放映権のため、日本代表はベスト16に進出し、日本国中を沸かせたが、放送権料の民放負担分と番組制作費の合計が広告収入を上回った。
W杯直前まで岡田JAPANが不振、不人気だったため、企業の関心が低く、広告販売に影響が出たこともある。

今大会も3試合で終わってしまうと大赤字になる!

Hoeiken

中国のサッカーは3大会連続でアジア予選を突破できず、出場しないにも拘らずこの巨額を支払っている。
仮に次回中国が出場できたら?あるいは将来、W杯中国開催にでもなったらFIFAはどんな額を吹っかけてくるか?恐ろしい気もする。

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June 18, 2014

サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(4) 監督の報酬1位はカペッロ ザッケローニは果たしていくらか

W杯ブラジル大会に参加している国の監督の報酬をランキングにしてみた。
この金額は、監督本業の金額であり、CMほかの契約を含んでいない。
また、人によっては勝利あるいはグループリーグ突破するとボーナスが支払われるといった契約だったり、為替の変動によって額は動くので参考程度で見てほしい。

監督報酬の1位はロシア代表カペッロ氏。
1124万ドルという驚くべき額だが、前回南アフリカ大会の際もで€8 800 000でトップだった。が、当時はイングランド代表監督。
ロシア代表監督として2018年のロシア大会まで契約しているので、3大会連続1位になるのは間違いないところだろう。

日本代表のザッケローニ氏は273万ドル。
4年前日本代表を率いた岡田武史氏は€800 000だったので随分と高額になったものだ。
ランキングは上位10人だが、韓国の洪明甫、イランのカルロス・ケイロス監督も入れた。

●W杯代表監督の報酬 上位10人
Kantoku


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June 16, 2014

サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(3) コートジボワール戦 本来は7時キックオフだった 試合の時間を変更する日本のTVマネー

15日にNHKで放送されたブラジルW杯日本対コートジボワール戦の平均視聴率が、関東地区で試合後半(午前10時59分~)に46・6%と高視聴率を記録したことが、ビデオリサーチの調べで分かった。
また試合前半(午前9時45分~)は42・6%とこちらも高い数字を記録した。

前回南アフリカ大会の日本代表初戦カメルーン戦(NHK)では試合前半に44・9%、試合後半に45・5%を記録しており、後半の視聴率では前回大会を上回る視聴率となった。

コートジボワール戦は、日曜の午前10時からという比較的テレビ観戦に向いた時間だったため、好視聴率が出た。
が、この試合現地では午後10時キックオフということになる。
試合終了は深夜12時を回るなんて、ブラジルといえどもあり得ない。

実はこの試合元々は現地時間の午後7時キックオフの予定だったが、日本側の要請で変更になった経緯がある。
下記がその証左となる2013年12月8日の朝日新聞の記事。

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国際サッカー連盟は7日、暑さなどを考慮して1次リーグ7試合の開始時間を変更し、日本―コートジボワール戦は現地6月14日午後7時から午後10時になった。とある。
午後7時も午後10時も、暑さという点では大きな違いはないだろう。
日本の視聴者ができるだけ見やすい時間にしたと見るべきだ。

同様の時間変更は、2006年のドイツW杯の際もあったのでおどろくべきことではないが、今大会の全世界のテレビ放映権2000億円のうち、日本が負担しているのは400億円であることはあえて書いておこう。

ちなみに米国は2010年大会と2014年大会と合わせて4.25億ドルを払っている。
英語放送であるESPNが役1億ドル。
そしてスペイン語のネットワークUnivisionが3.25億ドルだ。

●ワールドカップ日本向けの放映権料と日本戦のホスト局
1974年 西ドイツ大会 940万円 東京12ch(=当時)のみ負担
1990年 イタリア大会 6億円 NHKのみ負担
1994年 アメリカ大会 6億円 NHKのみ負担
1998年 フランス大会 6億円 NHKのみ負担
 日本対アルゼンチン、対クロアチア、対ジャマイカともにNHKの放送。
 アジアオセアニア放送連合に加盟していたTBS以外の民放はダイジェストの映像も使えなかった。
2002年 日韓大会 65億円
 日本 対ベルギー(NHK) 対ロシア(フジ) 対チュニジア(朝日) 対トルコ(NHK)
2006年 ドイツ大会 160億円
 日本対豪州(NHK) 対クロアチア(朝日) 対ブラジル(NHK)
2010年 南アフリカ大会 250億円
 日本対デンマーク(NTV) 対オランダ(朝日) 対カメルーン(NHK) 対パラグアイ(TBS)
2014年 ブラジル大会 400億円
 日本対コートジボワール(NHK) 対ギリシャ(NTV) 対コロンビア(朝日)
 

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June 12, 2014

サッカー日本代表を巡るおカネのはなし(2) なぜキャンプ地はイトゥに決まったのか

サッカーW杯、日本代表はサンパウロの北西100㎞にあるイトゥをキャンプ地にしている。
ところが、日本代表が3試合を行う都市まではイトゥから1200~2300㎞も離れている。

第1戦 対コートジボアール 試合会場:レシフェまで2144㎞
第2戦 対ギリシャ  試合会場:ナタルまで2324㎞
第3戦 対コロンビア  試合会場:クイアバまで1288㎞

2000㎞を超す距離ってわかりにくいだろうが、稚内と那覇を直線で結ぶと約2460㎞になる。
なんでこんなに移動をするの?

日本と同じC組の他国代表はどうか。
コートジボワールも随分遠くまで試合に行かなくてはならないが、ギリシャ、コロンビアは日本に比べればかなり試合会場から近いところをキャンプ地にしている。

ブラジルは国土が広大で、この時期の気候は様々だ。
イトゥは15~20度の過ごしやすい気候らしいが、試合をする3都市はいずれも25度を超す気温になる。
なぜわざわざ2000㎞も離れた気候も違う土地を選んだのか。

イトゥにキリンのブラジル法人の本社があるからだ。

日本サッカー協会とキリンが蜜月関係であることは、サッカーファンであればよく知っているだろう。
キリンカップ、キリンチャレンジなど国内の代表の試合にはキリンの名前が冠される。

現在のサッカー協会とキリンとのスポンサー契約は、年間15億円。
これは今年終了し、
2015年年4月1日~22年12月31日の7年9カ月は、年間25億円で総額約200億円の超大型契約を結んでいる。
男子のA代表だけでなく、女子のA代表、フットサル、ビーチサッカー、各年代別の代表も支援の対象となる。


日本にビールメーカーはキリン、サントリー、アサヒ、サッポロの4社があるが、キリンホールディングス(HD)
の売り上げは2兆円を超え、そのうち海外での売り上げが40%を占める。
その40%はブラジルと豪州の現地法人によるもの。

4beers

キリンHDは、2011年にブラジルでビールや清涼飲料事業を展開するスキンカリオール・グループを3000億円で買収、BRASIL KIRINとして傘下に収めた。
この本社と工場がサンパウロ州イトゥにあるのだ。

Itu
▲イトゥにあるBrasil Kirinの工場 キャンプ地であるスパ・スポーツ・リゾートの隣にある。

日本代表の強化にキリンには十分すぎるほどお世話になっている。
が、イトゥをキャンプ地に選んだことは納得仕切れない。
グループリーグが終わった時に後悔していなければいいのだが…。


●C組の他国のキャンプ地と試合会場までの距離
コートジボワール代表 キャンプ地 アグアスデリンドイア(サンパウロ州)
①レシフェ 2235㎞
②ブラジリア 930㎞
③フォルタレーザ 2455㎞

ギリシャ代表 キャンプ地 アラカジュ(セルジッペ州)
①ベロオリゾンテ 1219㎞
②ナタル 607㎞
③フォルタレーザ 824㎞

コロンビア代表 キャンプ地 コチア(サンパウロ州)
①ベロオリゾンテ 496㎞
②ブラジリア 851㎞
③クイアバ 1328㎞


参考記事
なぜ日本代表のキャンプ地はイトゥに決まったのか②

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より以前の記事一覧