December 10, 2009

米国オリンピック委員会の資金は なぜ潤沢なのか

国庫補助金縮減? 危機感を抱くスポーツ界の続き。

2010年のバンクーバー五輪を目前に控えて、米国オリンピック委員会(USOC)は、4年前のトリノ五輪を大幅に上回る強化費を競技団体に割り当てているという。
米国発の長引く不況の中、USOCはなぜ、こんなことが可能なのか。

USOCの2009年の予算は1億3550万ドル(約127億円)で、JOC(86億円)の約1・5倍。
バンクーバー五輪に対する強化費は、2009年の1650万ドル(約15億円)を含むこの4年間で5820万ドル(約54億円)を計上している。
ちなみにトリノ五輪時は、それぞれ1110万ドル(約10億円)、3750万ドル(約35億円)だった。

先のエントリーにあるように、JOCの年間選手強化費用は27億円。
ただし、この額は夏季競技、冬季競技を合計したものだ。
また米国の夏冬合わせた強化費は年間164億円。

実は、米国にはこんな「埋蔵金」があるのだ。

2016年夏季五輪の開催地の決まったコペンハーゲンでのIOC総会、ロゲ会長は、わざわざこんな話をして見せた。
関係者なら当然知っている話なのだが、わざわざ招致関連でIOC総会が注目されている中切り出した。
IOC 収入の各国の国内オリンピック委員会への配分に関してUSOCが極端に優遇されている。米国がIOCに支払う米国向けテレビ放送権料の12・75%、IOCの最高位のスポンサープログラム「TOP」収入の20%がUSOCに配分されている

米NBC放送が契約した2010・12年五輪の米国向け放送権料は22億ドル。
09~12年のTOP 収入は約8億8300万ドルに上り、USOCは09年から4年間で約4億5710万ドルもの莫大な金額をIOCから手にしている。
TOP企業からの収入のうち、米国以外の204カ国・地域へも同額の20%が配分されていることになっているのだが、JOCの収支を見てもどれがこれに該当するのか、よく判らない。
それだけ微々たる額に過ぎないということだ。

欧州のIOC議員を中心に、米国偏重への嫌悪感が高まっている。
その証拠は、2016年夏季五輪招致で、有力と見られていたシカゴが、最初の投票で消えたことでも判る。

Joc
▲JOCのHPより

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November 13, 2009

朝日新聞の都知事インタビューを読んで

11月12日の朝日新聞オピニオン欄に石原慎太郎都知事のインタビューが掲載されていた。
内容はもちろん「東京五輪再挑戦のわけ」だ。
共鳴する部分もあるし、一方「?」と思う部分もある。
例えば以下の知事の発言を見て欲しい。

非常に情報が欠けていたね。こちらは一種の処女体験ですよ。JOCも非常に情報に欠けていた。例えば首相や大統領が各国の代表を食事に招いて手形を切るのは違反じゃないんだって。そんなこと、終わってから初めて知った。

IOC内部の情報が取れなかった。2月に日本で500人を対象に支持率調査をやったらしいが、これも後になって聞かされた。IOCに食い込んでいたら、いつ、どういう形でやるかわかるはず。(一部抜粋)

JOCの世界のスポーツ界で影響力が予想以上になく、また、日本はIOCに副会長を出していたにも関わらず、IOC内部の情報が得られていないのは、招致レースを見ていて良く判った。

ひとつ疑問として思うのは、「じゃあ、コンサルタントは何のために雇ったの?」
五輪招致に今や「コンサルタント」と呼ばれる人たちの存在は欠かせない。
2002年のソルトレークシティ五輪招致の買収疑惑が発覚し、99年以降IOC委員の立候補都市訪問が禁止となり、かつてのような「接待付け」が出来なくなった。
そこでIOC委員の家族構成や趣味にまで精通し、水面下でコンタクトを取れるコンサルタントの需要が増している。

2012年五輪招致に成功したロンドンは30人、今回の東京も20人のコンサルタントを雇ったという。
では、知事の言葉の中の
「例えば首相や大統領が各国の代表を食事に招いて手形を切るのは違反じゃない」
ことをその20人のコンサルタントは、一人も知らなかったわけ?

また、結局致命的な数字だった支持率も、「IOCに食いこんでいたら事前に判った」とあるが、「IOCに食い込むのがコンサルタントじゃないの?」
ならば、東京が雇ったコンサルタントは無能だ。
2020年を目指すのなら、別のコンサルタントを雇わないと勝てっこない。

●参考記事
五輪招致の水面下で活躍するコンサルタント

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November 04, 2009

過去に「平和五輪」を掲げて立候補した都市はどうなったか

東京が2016年夏季五輪招致に失敗してすぐ、広島市と長崎市による平和五輪構想が持ち上がった。
被爆都市である両市による五輪開催、崇高な理念ではあるが、果たして実現は可能だろうか。

「平和」を標榜した五輪構想は、何も広島・長崎に限ったことではない。
過去にどんな都市が平和五輪を掲げただろうか。

2008年 ベルリン五輪構想
東西冷戦時代、ドイツ同様に、その首都だったベルリンも東西に分割されていたことはご承知だろう。
東西を隔てていた壁は、1989年11月9日、東ドイツ政府により東西ベルリンの境界線が解放され、崩壊した。
1990年10月3日に東西ドイツが統一し、1991年にはベルリンが東西統一ドイツの首都と定められた。
ベルリンの統一を記念して、同市で1936年以来の五輪を平和裏に開催をしようという動きは当然の流れだったかもしれない。
ただ、欧州においてナチス政権下に行われたベルリン五輪の記憶は、60余年経っても生々しく、好ましく思われていなかったのはドイツにとっての誤算である。

そのため、ベルリン招致に向けて多額の資金が投入された。
主に税金を財源とし、8600万マルク(約63億円)が使われたとされている。
IOC委員を招いての連日のパーティーやゴルフツアー、人間ドックまでが接待に使われた。
この時代はIOCスキャンダルの発覚する前であり、同様のことはどの立候補都市でもやっていたことは事実であるが。
そして開催地を決める1993年モナコで開かれたIOC総会は、シドニーと北京が壮絶な争いを展開した一方、ベルリンはわずか9票しか得られず、見事に惨敗した。
IOC総会後、ベルリンの招致に際し広告宣伝費とされた額に、使途不明金が出るなどスキャンダルが続出した。
べルリン市議会は1995年になって使途不明金の調査に乗り出したが、接待内容を示す書類の大半はなくなっていた。
まるで、20億円を超す招致書類の帳簿が焼却された長野と同様の状況にあったのである。

2012年 ライプチヒ五輪構想
ドイツ国内で、1972年のミュンヘン五輪から40年目にあたる2012年の夏季五輪を招致しようという動きになった。
ドイツ五輪委員会(NOK)は、ドイツ国内で立候補を表明したデュッセルドルフ、フランクフルト、ハンブルク、ライプチヒ、シュトゥットガルトの5都市の中から、投票によっ立候補都市を選出した。
各都市に与えられた15分間のプレゼンテーションを聞き、NOKはもちろん、ドイツスポーツ連盟会長、各競技連盟会長、五輪メダリスト等を始めとしたスポーツ関連に携わる投票権を持った137名が投票し、決まった立候補都市はライプチヒであった。

ライプチヒは、旧東ドイツに位置し、東西ドイツが統一する契機となった市民デモが起きた街だ。
冷戦終結の生誕地である意義を盛り込んだ「平和五輪構想」を存分に計画に盛り込み、2012年夏季五輪に挑んだが、同じ欧州からロンドン、パリ、マドリード、モスクワといった各国の大首都も立候補した。
そのため、人口僅かに50万。ホテルが不足し、競技会場の後利用が懸念されたライプチヒは1次の書類選考で落選してしまった。

2010年 平昌冬季五輪構想
冬季五輪招致にも「平和五輪」構想を掲げて立候補したまちがある。
韓国の平昌だ。
2010年の冬季五輪を目指した平昌は、ウィンタースポーツの世界では、全く無名だった。
が、IOC総会でのプレゼンは抜群に質が高く、さらに南北分断問題に絡めて、
「平昌を擁する江原道は、朝鮮半島で唯一南北に断された道。南北の鉄条網を取り去るのが夢」
と息子と生き別れになった老母に焦点を当てた招致PRビデオは、IOC委員の感動を誘った。

そのため、15票程度と見られていた平昌の最初の投票で獲得した票は、最終的に開催地に決まったバンクーバー(40票)を上回る51票。
韓国の招致活動の旨さも然ることながら、PRビデオだけでIOC委員の10票は平昌に寝返ったと言われた。

平昌は続く2014年冬季五輪招致でもソチに惜敗。
2018年冬季五輪に向けて3度目の立候補をしている。

広島・長崎は理念は素晴らしいが、ホテルの絶対的不足、インフラ整備ができたとしても、五輪招致は生易しくない。
JOCの世界のスポーツ界での発言力・影響力を高くし、日本の顔となる人物(できればIOC関係者)が世界中を飛び回ることが出来なければ、勝ち目はない。
もちろん、高い市民の支持率はいうまでもない。

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October 29, 2009

ヌズマンの記事があったのでアップします

ヌズマンによると他都市の招致は古い時代の招致だそうです。
こういう言い方はなんですが、日本のIOC委員も新しい人に代わって頂いたほうが良いのでは?

Nuz


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October 28, 2009

冬季五輪の記憶(5) 戦後唯一 オリンピックを返上したまち

東京が、1964年に次ぐ2回目の五輪開催に至らなかったのは、まだ記憶にあたらしいところだが、アルプスのふもとインスブルック(オーストリア)は冬季五輪を二度開催したまちだ。
しかも、東京五輪の年の1964年と1976年の2回。
なぜ12年という短い間に2回開催することができたのか?

デンバーを擁するコロラド州は、アメリカ独立から100年目の1876年に誕生した州であり、Centenial Stateというニックネームを持っている。
コロラド州の100年祭に、同時に大きなイベントを開こうと考えていた州政府は、1976年の冬季五輪招致を思い立った。
1970年 アムステルダムで開催されたIOC総会で、シオン(スイス)、タンペレ(フィンランド)、バンクーバー(カナダ)を破り、デンバーが1976年冬季五輪開催地に決まった。
ところが、地元コロラド州の負担金は500万ドル(当時)と莫大、環境問題さらには冬の観光旅行に対する否定的な影響が懸念されるようになり、市民グループの大会中止を求める運動は盛んになっていった。
パレスチナゲリラによるテロのあった1972年ミュンへン五輪の影響も返上に追い討ちをかけた。

1972年11月、ニクソン再選の大統領選とともに五輪返上が住民投票にかけられた。
結果は52万票対35万票で返上派が勝利、開催を返上が決まった。
これに対し、IOCは1973年2月 1964年の冬季大会開催地のインスブルック(オーストリア)を代替開催地とした。
冬季五輪は、その競技施設の建設に莫大な費用がかかる。
そのため、競技施設の整っている近年の開催地から選ばれたのだ。

アメリカの恐ろしいところは、このとき、既に1980年の冬季五輪にレークプラシッドが立候補していたことだ。
1974年10月、レークプラシッドの対立候補だったバンクーバーが立候補を取り下げ、レークプラシッドは無投票で1980年冬季五輪開催地に決まった。

今でこそ、五輪は世界中で開催の希望があり、1大会に多くの都市が名乗りを挙げる。
ところが、商業主義確立されていなかった70年代は最もその開催が苦しかった時期である。
同じ1976年の夏季五輪を開催したモントリオールは、10億ドルの赤字を残し、モントリオール市民は、21世紀になるまでこの赤字を解消すべく税金を払い続けると揶揄された。
事実、モントリオール市民がタバコ税として赤字を埋め続け、返し終わったのは大会から30年後の2006年だった。

アメリカで五輪は本当によく開催される。ここ30年余を振り返っても
1976年冬季 デンバー→ただし返上 
1980年冬季 レークプラシッド
1984年夏季 ロサンゼルス
1996年夏季 アトランタ
2002年冬季 ソルトレークシティ
6回も開催権を獲得し、5回も開催した。
こんな国はほかにはない。


1960年以降のアメリカが招致に関わった五輪 

冬季五輪開催都市

夏季五輪開催都市

米国の立候補都市

日本の立候補都市

1960

スコーバレー

ローマ

冬)スコーバレー

夏)デトロイト

夏)東京

1964

インスブルック

東京

夏)デトロイト

夏)東京

1968

グルノーブル

メキシコシティ

夏)デトロイト

夏)札幌

1972

札幌

ミュンヘン

冬)ソルトレークシティ

冬)札幌

1976

デンバー→

インスブルック

モントリオール

冬)デンバー

夏)ロサンゼルス

1980

レークプラシッド

モスクワ

夏)ロサンゼルス

1984

サラエボ

ロサンゼルス

夏)ロサンゼルス

冬)札幌

1988

カルガリー

ソウル

夏)名古屋

1992

アルベールビル

バルセロナ

冬)アンカレッジ

1994

リレハンメル

アンカレッジ

1996

アトランタ

アトランタ

1998

長野

ソルトレークシティ

長野

2000

シドニー

2002

ソルトレークシティ

ソルトレークシティ

2004

アテネ

2006

トリノ

2008

北京

大阪

2010

バンクーバー

2012

ロンドン

ニューヨーク

2014

ソチ

2016

リオ

シカゴ

東京

1960年以前の五輪は、ひとつの国から複数の立候補都市が出ることも認められていたため省略)

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October 22, 2009

古い資料を見ていたら、興味深い調査結果が出てきたぞ

古い資料を見ていたら、興味深い数字が出てきた。
長野五輪当時(1998年)の電通の調査結果だ。

長野五輪開幕前
「五輪を楽しみにしている」
首都圏 17・5%
長野  45・0%

長野五輪閉会後
「面白かった」
首都圏 67・5%
長野  75・0%

Q.「競技をテレビで見たか」
A.「毎日何度も見た」+「毎日一度は見た」
首都圏 84・8%
長野  89・0%

「もらい泣きをした」
首都圏 40%以上
長野  40%以上

長野五輪開幕前は、盛り上がりに欠け、冷ややかに見ていた人が多かったが、いざ始まると、日本人選手の活躍で非常に盛り上がったという証左だ。

東京の2016年夏季五輪の招致レース中は、支持が低く悩まされた。
けれども、もし東京で開催されたなら大いに盛り上がっただろう。
良くも悪くも、これが現代の日本人の気質だ。

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October 19, 2009

選手も変わる・組織も変わる ロンドン五輪効果の英国がうらやましい

ロンドンで行われていた世界体操選手権が閉幕した。
男子の個人総合で内村航平が優勝、女子の個人総合で鶴見虹子が2位、さらに男女とも種目別で銀メダルが出た。

が、なんといっても驚いたことは男子の個人総合で、地元英国の選手が2位になったことだ。
日本では、優勝した内村航平の陰に隠れてしまっているが、ダニエル・キーティングという19歳の選手だ。
キーティングは、昨年の北京五輪にも出場しているが、芽が出たのは今年になってから。
今年の欧州選手権の個人総合でもファンビューへンに次いで2位に入っている。
これまでの英国の男子個人総合の最高順位は、1994年ブリスベーンの世界体操での16位だったというから、その快挙振りがわかるだろう。

英国の女子体操界にはエリザベス・トウェドルという世界的な選手がいる。
南アフリカのヨハネスブルグ生まれのトウェドルは、2006年の世界体操の段違い平行棒で優勝し、北京五輪でも同種目に4位に入った選手だ。

現在24歳のトウェドルは、「ロンドン五輪は現役かわからないけど、今年の世界体操まではがんばりたい」。と話していた。
トウェドルは段違い平行棒のスペシャリスト、ロンドン世界体操でも、段違い平行棒の金メダルを狙っていた。

ところが、

予選で自らの名前のついた「トウェドル」という技で落下してしまう。
種目別決勝に進める8人に残れなかった(18位)。
しかし、もう一つの得意種目床運動では4位で決勝に駒を進め、12000人のO2アリーナの観衆の興奮が最高潮に達する中、金メダルを手にした。

そうするとメディアからは、3年後のロンドン五輪にも期待する声が上がってきている。
2012年、27歳のトウェドルが、再びO2アリーナに現れるか、興味は尽きない。

こういった、これまで不毛と言っても良いくらいの競技でも、世界に通用する選手が出てくる。
これこそがロンドン五輪効果だ。
もちろん、金銭を掛けての強化も進んでいるのだろう。
でも、それ以上に大きな目標に向けて、英国のスポーツが活気付いているのだ。
選手の環境も変わる、競技団体の組織も体質も変わる、選手・役員の意識も変わる、五輪が来るとはこういうことなのだ。

●参考記事
ロンドン五輪効果か?英国女子選手 体操で史上初の金メダル

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October 14, 2009

五輪招致の記憶(7) 広島アジア大会の場合

1994年10月 広島アジア大会が始まった。
過去最大の42の国と地域から約7000人の選手、役員が集った。
特に1991年に崩壊した旧ソ連から独立した中央アジア5カ国 カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、ウズベキスタンにとっては、初めての国際総合競技大会となった。

広島市のアジア大会招致は、大会の開催された15年前の1979年に遡る。
アジア大会開幕の4ヶ月前に亡くなった当時の荒木武市長は、
「被爆地から世界に平和を発信したい」
1990年の広島開催の意義を切々と訴えた。

ところが、1982年、北京が90年アジア大会に突如立候補を決める。
アジアのNOCを総括する組織・アジアオリンピック評議会(OCA)は、オイルマネーを背景にクウェートに本部を置いた組織だ。
実は日本も日本主導でも別の組織を作ろうとしたのだが、アラブ圏の結束と潤沢な資金に適わなかった経緯がある。
このとき既に、アジアの中においても日本の発言力は低下しており、OCA総会で決選投票になれば、北京が確実に勝つと見られた。

シェイク・ファハド会長らOCA調査団が1984年6月、広島を訪れた。
ヘリコプターで会場予定地を視察したファハド会長は、整備された道路と周囲の濃い緑に驚いたとされる。
広島平和記念資料館では展示品に言葉を失い、資料館に設置されたノートには、
「世界で最も悲惨な体験をした都市が美しく復興している姿に感銘を受けた」
と記した。

荒木市長はひそかにファハド氏が宿泊するホテルを訪ね、こう切り出した。
「90年大会を北京、94年大会を広島に同時に決定できませんか」。

1984年9月、ソウルでOCA総会が始まった。
メインは1990年のアジア大会開催地決定投票である。
ところが、
「1990年のアジア大会は北京、1994年は広島での開催を提案したい」。
ファハド会長の唐突な提案は、OCAの憲章違反ではないかともめた。
だが、ファハド氏は「最高の決定機関は総会」と押し切り、94年アジア大会の広島開催が決定した。

大会合計の投資額は会場など施設整備に2000億円、会場へのアクセスとなる新交通システム「アストラムライン」に1200億円、新空港に1200億円、山陽自動車道に6000億円など計1兆6000億円に上った。

広島空港は、日本の主要都市にある空港の中でも、指折りの立地の悪い空港と言われている

広島市の中心部から東へ約48.5㎞ 車で53分の丘陵地帯にある。
旧広島空港の3.4倍に当たる167ヘクタールの敷地、旧空港では1800mだった滑走路は3000mある。(開業当時は2500m)
当時「将来は、ロサンゼルス、シドニーとも結ばれる」と言われたものの、
現在の国際路線は、台北、ソウル、大連、上海などに留まっている。

なんといっても交通の便が悪いことがその理由だ。
利用者は広島県内の人に限られ、山口県や岡山県の人がこの空港を使うことはない。

1998年に冬季五輪を開催した長野市。
今から思うと、よく空港のない町に五輪が招致できたと思う。
直近の松本空港から長野駅まで77.3㎞ 車で1時間20分かかった。
海外選手は、関空から松本を経由して、バスで長野入りした。

この広島市が長崎市と組んで、2020年の五輪招致に名乗りを挙げた。
「広島に五輪が来るなら、もっと広島市街地に近いところに新空港を」
といった声も出るかも知れない。
でも、数千億の費用と、五輪後の後利用を考えたら、前原国土交通相が「YES」と言うわけがない。

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October 09, 2009

2016東京招致失敗の原因を考える(3) IOC選手委員選挙に見る日本の地位低下

東京の招致失敗でも見えるように、世界のスポーツ界において日本の地位・発言力は下落したままだ。
北京五輪を成功させ、年々その地位を挙げる中国と、巧みな選挙術で重要なポジションを固める韓国。
その狭間にあって年々その地位を下げているのが日本だ。

先のIOC総会では、招致に立候補している各都市に付けられる番号のくじ引ききがあった。
東京は「8」、リオは「7」になったのだが、このくじの際にムンと呼ばれる長身の東洋人が、アシスタントをしたのをご覧になった方もいるのではないだろうか。

この男の名前は文大成、韓国人であり、アテネ五輪テコンドー80㎏+級の金メダリストだ。
その文氏がなぜあの場にいたのか?
彼がIOC委員だからだ。

IOC委員というと、世の中の表裏を見尽くしてきたような老人を思い浮かべるかもしれないが、こんな若い人もいるのだ。
文大成は、正確にはIOC選手委員で、通常のIOC委員同様に立候補都市を決める投票にも参加できる。
通常のIOC委員と異なるのは、任期が8年と決まっていることだろうか。
IOC選手委員は、若くしてIOCの中枢に学び、将来は世界のスポーツ界のリーダーになる人材と言えるだろう。

IOC選手委員は、選手とIOCの橋渡し役として1981年に創設された。
同年のバーデンバーデンのIOC総会で、選手委員に選ばれた、あのセバスチャン・コーが、前年のモスクワ五輪ボイコットに対し、大演説をぶったのは有名なはなしだ。(日本では誰も知らないが)

1999年に発覚したIOCスキャンダル以降、選手の立場から強力に意見具申するために、IOC委員を兼ねるようになった。
夏季・冬季五輪開催中に、参加した選手の投票によって当選者が決められる。
が、新制度になってから日本人選手で当選した者はない。


●過去のIOC選手委員選挙結果 2008.08.22(北京五輪)
4人当選 任期8年
①文大成(韓国・テコンドー 3220票)
②アレックス・ポポフIOC委員(ロシア・水泳 1903票)再選
③クラウディア・ボケル(ドイツ・フェンシング女子 1836票)
④ユミルカ・ルイス(キューバ・女子バレー 1571票)
の4名が当選した。
日本から満を持して立候補したのは室伏広治だったが、
15位 室伏広治 (落選) 
立候補は29人

選手委員といっても、現役選手が当選するのはやはりきついものがある。
このとき、地元中国からは、劉翔が立候補したが、9位で敗れている。
韓国の文大成は、既に現役は引退していたが、テコンドーという(失礼ながら)超マイナー競技出身者で当選した。
今更ながら、韓国の選挙の上手さが判るだろう。

2006.02.23(トリノ五輪)
15人立候補 2人当選
①のベッキー・スコット(カナダ・スキー距離女子 449票)
②サク・コイブ(フィンランド・アイスホッケー 412票)
③落選 荻原健司(ノルディック複合 392票)

この4年前、ソルトレークシティ五輪の際にも荻原氏は立候補している。
このときはまだ現役選手で、力の入れ方がこのときとはまるで違った、はずだったが、
落選。
世界の荻原と呼ばれた人間が周到に準備をした積りでいても、選手委員になれないのが、日本のスポーツ界の実力だ。

ご存知のように、荻原氏のノルディック複合でもジャンプでも、度々日本に不利なルール改正が行われ、トリノ五輪での日本選手団の不振の一因になったことはいうまでもない。
日本の発言力を高めるために、そして2016年以降の夏季五輪招致の顔となるべく、荻原氏には期待したが、届かなかった。

ちなみに荻原氏の2002年の結果はこうだ。

●2002年IOC選手委員選挙結果
4人当選
①ペニッラ・ビーベリ(スウェーデン・アルペンスキー 640票)
②マヌエラ・ディチェンタ(イタリア・クロスカントリー 593票)(以上任期8年)
③ヤリ・クリ(フィンランド・アイスホッケー 579票)
④オドネ・センデロール(ノルウェー・スピードスケー 427票ト)(以上任期4年)
  中 略
⑦荻原健司(落選 360票) 
立候補は10人

2000年にはテニスの松岡修三氏も立候補したが、完敗している。

●2004年IOC選手委員選挙結果
4人当選
①フランク・フレデリクス(ナミビア・陸上男子短距離)
②ヤン・ゼレズニー(チェコ・やり投げ)
③ヒヒャム・エルゲルージ(モロッコ・陸上中距離)
④ラニア・エルワニ(エジプト競泳)
日本人の立候補なし

●2000年IOC選手委員選挙結果
8人当選
①セルゲイ・ブブカ(ウクライナ、陸上男子)
②アレクサンドル・ポポフ(ロシア、競泳男子)
③スーザン・オニール(豪、競泳女子)
④ロバート・ストブルトリック(米、バレーボール男子)
⑤ヤン・ゼレズニー(チェコ、陸上男子)
⑥シャーメーン・クルックス(カナダ、陸上女子)
⑦ロラント・バール(独、ボート男子)
⑧マヌエル・エスティアルテ(スペイン、水球男子)
23位 松岡修造(落選)

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October 07, 2009

日本の五輪招致2連敗は大したことない スペインは8連敗中、スウェーデンは7連敗中

2016年リオ五輪決定の翌日、新聞各紙には日本の「五輪招致3連敗」の文字が躍った。
1988年名古屋、2008年大阪、2016年東京で3連敗だというのだ。
実際には1998年の長野が、招致成功しているため、2連敗だと思うんだが…

今回同じくリオに敗れたマドリードは、ご存知のように2012年に続いての連敗となった。
が、これで驚いてはいけない。
スペインとして見ると

1998年冬季 ハカ
2002年冬季 ハカ*
2004年夏季 セビリア
2008年夏季 セビリア*
2010年冬季 ハカ*
2012年夏季 マドリード
2014年冬季 ハカ*
2016年夏季 マドリード
と、なんと8連敗中なのだ。

同様に凄いのがスウェーデン

1984年冬季 イエテボリ
1988年冬季 ファルン
1992年冬季 ファルン
1994年冬季 エステルスンド
1998年冬季 エステルスンド
2002年冬季 エステルスンド
2004年夏季 ストックホルム
7連敗中

フランスも凄い

1992年夏季 パリ
2004年夏季 リール*
2008年夏季 パリ
2012年夏季 パリ
4連敗中

ドイツ

1992年冬季 ベルヒテスガーデン
2000年夏季 ベルリン
2012年夏季 ライプチヒ*
3連敗中

そして招致には滅法強い印象のある、アメリカと韓国も

2016年夏季 シカゴ
2012年夏季 ニューヨーク

2010年冬季 平昌
2014年冬季 平昌
2連敗中なのだ。

日本の五輪招致は通算4勝6敗。
負け越しているけれども、決して負け続けている訳ではない。

*の都市は、1次の書類選考で落選し、最終立候補都市にはなれなかった都市。

3回目にして大願を果たしたリオの招致ロゴの変遷をご覧頂こう。


Rio2004l


Lg2012bj2


Lg2016rd

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