日本 夏季五輪招致へ

January 15, 2016

東京五輪招致が成功したのはある企業が支払った協賛金のおかげ

2020年の東京五輪は、IAAFのスキャンダルに巻き込まれている。
現在、国際陸連IAAFの会長を務めているのは英国人のセバスチャン・コー。
コーの前にIAAF会長を務めていたのが、セネガル人のラミン・ディアク。
ディアクは、陸上界に蔓延していたドーピングを隠蔽していた疑惑があった。
これに対し、世界反ドーピング機構(WADA)会長でIOC委員をも務めるディック・パウンドは、WADAに独立委員会を設置、IAAFの組織的なドーピング証拠隠滅を調査していた。

【ミュンヘン(ドイツ)時事】世界反ドーピング機関(WADA)の独立委員会が14日に公表した報告書で、2020年夏季五輪招致に絡み、開催権を獲得した東京が国際陸連(IAAF)か陸上ダイヤモンドリーグに対して400万ドル(約4億7200万円)から500万ドル(約5億9000万円)の協賛金を支払ったと指摘した。 報告書では、IAAFのラミン・ディアク前会長の息子とトルコ関係者による複数の会話として言及された。20年五輪招致にイスタンブールが立候補したトルコは協賛金を支払わなかったためディアク氏の支援を得られず、支払った東京が開催権を勝ち取ったとした。 WADA独立委は「われわれの任務ではないので、これ以上の調査はしなかった」と記した。

五輪で実施されている競技の中で、最も人気が高く、IOCから最も高額の分配金を受けているのが陸上競技である。
そのため、IAAF会長が五輪招致活動において、100人以上いるIOC委員に影響力を行使することは、ある程度可能だ。
東京がIAAFに協賛金を支払ったというのは、果たして本当だろうか。

この件でキーワードになる企業がある。キヤノンだ。
2012年11月15日 新聞各紙に以下のような記事が載った。

Canon

ご存知のように、IAAF公式パートナー(スポンサー)の過半数は日本企業だ。
 adidas(独)
 SEIKO(日)
 SINOPEC(中)
 TDK(日)
 TOYOTA(日)
 VTB(露)
にCanonが加わったということ。
さらに独占放送権はTBSが持ち、仲介している電通とIAAFの契約は少なくとも2029年まで続く。

IAAFの2014年の収入は約5900万ドル。
この90%はテレビ放映権料とスポンサーからの協賛金。先述のように公式スポンサー7社のうち4社が日本企業。
IAAFの懐を支えているのは日本企業だ。

東日本大震災、福島原発事故が起きたのが2011年3月11日。
当初は復興第一で、「東京五輪招致などおかしい」という世論が高かった。
加えて日本の都市が五輪招致をしても、支持が低いところが常に致命傷になってきた。
が、2012年のロンドン五輪を経て、急速に招致支持が高くなっていく。
スポーツでの日本人選手の活躍が、震災で打ちひしがれた人たちの心の傷を癒す効果があるというのだ。
銀座での50万人パレードもあり、当局は、東京招致に手ごたえを感じたのだろう。
次の手を打ってきた。

それがIAAFのスポンサーにキヤノンが加わること。
2012年11月という時期、400万~500万ドルという金額もぴったりだ。

現在、東京五輪組織委員長に森喜朗元総理がついていることは知られている。
では、名誉委員長は誰か?
元経団連会長の御手洗冨士夫キヤノン会長である。

どうだ、これでつながっただろう。

Mitarai
2014年1月29日付 御手洗氏の名誉会長就任を伝える新聞

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December 24, 2015

1964年の東京五輪は当初予算の250倍の経費がかかった

私は正直なところ、近代五輪はその役目を果たしたのではないかと思うことがある。

2018年平昌
2020年東京
2022年北京

と極東アジアが3回連続して五輪開催予定だ。
東京の次の2024年五輪もボストンとハンブルグが一度は手を挙げたが、早々と降りてしまった。
大本命はパリだが、今回のテロのダメージは余りに大きい。
カネとテロのリスクが大きすぎるのだ。
今後、ヨーロッパで、積極的に五輪を開催したいという都市は出てこないのではないか。
そこにこんなニュースが入ってきた。

5年後の東京五輪開催の運営費を組織委員会が試算したところ、立候補段階では3000億円程度と見込まれていた額のおよそ6倍の1兆8000億円に上り、組織委員会の財源だけでは大幅に不足することが分かったという。

これは凄い話だ。少し2013年の招致の頃を思い出してみよう。
連日福島原発事故の汚染水のニュースが流れる中、東京はそれでもマドリードや、イスタンブールよりも安心して開催が任せられるとして、2020年五輪の開催地に選ばれた。

では、日本がこれまでに開催した3回の五輪は、いずれも招致段階の予算通りに行われた素晴らしい大会だったのだろうか。

ヨーロッパには著名な五輪研究家がおり、様々なデータを公開している。
その中のひとつオランダのSportgeschiedenisのデータを紹介しよう。
日本で開催された3回の五輪の予算と最終的な経費である。
『日本で開催された五輪は、あまりに高価なジョークだ』と辛辣なタイトルが付けられている。

Op 9 april 1964 meldde de Telegraaf dat de totale kosten ruim 10 miljard gulden zouden bedragen, waar in april 1962 over veertig miljoen werd gesproken.

Op 21 februari 1967 begon de stad heel bescheiden met een begroting van 56 miljoen gulden.
Na afloop van het evenement lag er een slotbedrag van 2,3 miljard gulden – wederom door hoge uitgaves voor de infrastructuur.

Het Financieele Dagblad van 25 februari 1998 noemde een eindbedrag van 22,4 miljard gulden, wat toch net iets meer was dan de 1,7 miljard waarmee het in 1991 allemaal begon.


オランダ語を訳してみるとどうやらこういうことらしい。


●1964年東京五輪
当初予算4000万nlg⇒最終経費100億nlg 250倍

●1972年札幌五輪
当初予算5600万nlg⇒最終経費23億nlg 41倍

●1998年長野五輪
当初予算17億nlg⇒最終経費224億nlg 13倍
 
これに比べれば2020年東京五輪の6倍の費用なんてまだ大したことはない。

nlgというのは、かつてオランダで使われていた通貨単位のことで、一般にはギルダーと呼ばれていた。
2002年1月1日に現金通貨としてのユーロが発足し、ギルダーもマルクやフランなどと同じように姿を消した。
日本で開催された3回の五輪の際にはギルダーがまだ健在で、オランダ人の研究家がギルダーに換算して資料を作ったようだ。

どこまで信憑性があるか判らないが、それにしても何とも甘い予算だ。
小さな予算を出して、莫大な経費を使う。これは日本のお家芸だ。

しかも、長野五輪は帳簿が焼却されており、最終経費の224億ギルダーも推測でしかないとある。
(そうだったか?焼却された帳簿は招致の際のものだったような気がするが…。)

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August 10, 2015

ロシアで行われていた世界水泳は、サッカー場の中にプールを作っていた

昨日までロシアのカザニで世界水泳選手権が開催されていた。
この大会で最も特徴的だったことは、サッカー競技場に作られた特設プールで競技が行われたことではないか。

ご存知のようにロシアは2018年のサッカーW杯の開催国だ。
カザニにはカザニアリーナというサッカー専用スタジアムがあり、その収容人数は45379人。
W杯の会場としては、平均的な大きさだろう。
だが、ここで水泳をするとなると話は違ってくる。
カザニアリーナは、観客席は屋根が覆っているが、ピッチの上には屋根がない。
ここに仮設の屋根を張り、ピッチの芝を傷めないように仮設のプールを設置した。
ゴールラインあたりに巨大な壁を作り、壁の向こうにウォームアップ用のプールを設置。
そして、ホームストレッチとバックストレッチの観客席をそのまま生かし、15000の観客席を確保した。

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▲カザニアリーナ 外観 W杯でも使用される。
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▲世界水泳では、ピッチ上にプールを設置した。

8月のカザニの平均気温は17.6度、明け方は13~4度、最も暑いときでも25度に達しない気候らしい。
連日真夏日が続いた東京からは、考えられないような涼しさだったようだ。
おまけに元々はサッカー場だから、屋根と観客席の隙間などから外気が流れ込んでくる。
午後になると気温が下がりだし選手は困ったようだ。

巨大な体育館に仮設のプールを設置して、選手権を行いことは過去にもある。
2001年の世界水泳を開催した福岡市は、マリンメッセにヤマハの仮設プールを設置していた。
2007年に開催したメルボルンは、なんと全豪オープンテニスのセンターコートとして使われているメルボルン・パークのロッド・レーバー・アリーナに仮設プールを設置していた。

福岡市が、2016年五輪の国内立候補都市を東京と争っていた際、競泳会場は福岡ドームに作る案が出ていた。
ドーム球場は、屋根があり、空調もかんびしており、実は様々な競技の会場にできる。

2020年の東京五輪の競泳会場は、新設のアクアティクスセンター(江東区)を予定している。
招致段階での建設費用は321億円だったが、現在は2倍以上の683億円に見積もられている。
しかもすぐ近くに、東京辰巳国際水泳場が既にあり、ポスト五輪の用途も問題だ。

いっそのこと、東京ドームに競泳会場を作っても良いのではないか。
 


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August 05, 2015

早稲田大学新記念会堂も 東京五輪で使えばいい 

2020年の東京五輪の競技施設の建設費用が、招致段階の3倍もかかることになり、何とか抑えようと必死になっている。

現在のような商業五輪がスタートしたのは、1984年のロサンゼルス五輪からだ。
五輪開催には莫大な費用を要し、引き受け手がほとんどい時代があった。
1976年大会に手を挙げたのは モントリオール、モスクワ、ロサンゼルス。
1980年は、モスクワ、ロサンゼルス。
1984年はついにロサンゼルスしか立候補しなかった。

ロサンゼルス市は立候補にあたって、市、カリフォルニア州、連邦政府からは1ドルも援助してもらわないで大会を運営することを約束。
使われた競技場は30近かったが、90%は既存の施設を利用した。
メーン競技場となったロサンゼルスメモリアルコロシアムは、1932年と1984年の2回の五輪のメーン会場という栄誉に預かった。

それでも、この大会のために新たに作られた競技場は2つあった。
一つはマクドナルドオリンピックスイムスタジアム。
南カリフォルリニア大学のキャンパス内に、屋外の長水路とダイビング用のプールが作られた。長水路のプールでは、競泳とシンクロナイズドスイミングが行われた。
世界的ハンバーガーチェーンのマクドナルドは、1983年から29年に渡ってプールの名前にマクドナルドの名前を冠することを条件に建設の費用を負担した。今でいうネーミングライツの走りのようなものだ。

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プールは2013年に閉鎖された。
改装工事のため800万ドルを寄付したUSCの卒業生フレッド・ウイテングスの名前を付けて2014年にウイテングス・アクアティックスセンターとしてリニューアルオープンした。
五輪期間中には仮設のスタンドに毎日16000人もの観衆が詰めかけたが、現在は2000人ほどの観客席しかない。もちろん、屋根のない屋外競技場のままだ。

もう一つ新設されたのは、自転車競技トラックの会場となったセブン-イレブン・ベロドローム。
こちらはカリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校のキャンパス内に作られた。
米国のセブンイレブンは、1991年に経営破綻しているが、1991年以降ベロドロームが何という名前だったかは判らない。が、ベロドロームは2003年まで使われ、現在は閉鎖となっている。

米国が凄いところは、各大学が驚くほどのスポーツ施設を持っていることで、十分に国際試合に対応できるということ。
先述のロサンゼルスメモリアルコロシアムも実はUSCの持つスタジアムである。
9万人以上のキャパシティを持つ競技場が大学の施設だなんて、日本の常識では考えられない。

1964年に行われた東京五輪の競技施設の中にも大学の施設が2つある。
ひとつは、東大検見川総合運動場で、近代五種のクロスカントリーが行われた。
もうひとつは早稲田大学記念会堂で、フェンシングが行われている。

東大の検見川総合運動場のことは全然知らないが、早稲田大学記念会堂のことはよく知っている。
早稲田の入学式も卒業式もここを使う。
この講堂は1957年に大学創立75周年を記念して造られた建物だ。
記念会堂の一角に銘板があり、フルーレ、エペ、サーブル各種目の金メダリストの名前が刻まれていた。
私の在学当時、この銘板は既にかなり古びており、東京五輪なんて大昔の出来事、という思いがあったが、誇らしくもあった。

この早稲田大学記念会堂が、建て直されることになった。
8月2日を持って、使用が打ち切られ、2019年に新たな記念会堂がオープンする。
新記念会堂の地下には、多目的スポーツアリーナが設けられるという。
観客席は1824席だが、式典使用時には6136人を収容できるという。
旧記念会堂の式典時の収容人数が5150人だったので、ひとまわり大きくなる。

とは言え、新記念会堂は残念ながら2020年の東京五輪とは何の関係もない。

そういえば東京五輪組織委員長も、文部科学大臣も早稲田大学の卒業生ではなかったか?

一から東京都が五輪のために新たな競技施設を造るのではなく、大学の体育館の新設、改築にタイアップする方法もあったのではないかと思う。

(リンク:早稲田大学記念会堂)



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July 27, 2015

もしも日本政府が 外国出身者の東京オリンピック参加を拒んだとしたら

ロンドン五輪の陸上男子10000mに優勝したモハメド・ファラー(英国)が、大会当時話題になった。
というのも、彼が8歳の時に移民してきたソマリア生まれのイスラム教徒であったからだ。
陸上の好きな方なら、英国代表にアフリカ系の選手がいることを不思議に思わないだろうが、ソマリア生まれという点では珍しかったかもしれない。

英国の大衆紙Daily Mailは、五輪開幕前に『Plastic Brits』なるキャンペーンを張った。
これは『チームUKなんて言うけれども、偽物の英国人ばっかりじゃないか』といった内容だ。
実際に調べてみると、英国代表選手542人の内1割以上の60人が外国生まれだった。

ただ、こうしたボーダレス化は、何も英国に限ったことではない。
ロンドン五輪の日本代表の中にも、室伏広治やディーン元気(ともに陸上競技)、酒井高徳(サッカー)など外国にルーツがある選手がいた。
この傾向はさらに強くなるだろう。

先の陸上世界ユース選手権の男子100m、200mの両種目で優勝したサニブラウン・ハキーム。
サニブラウンは、ガーナ人の父と、短距離で高校総体に出た日本人の母を持つハーフだ。
身長は187センチ。16歳にして既に室伏広治に並んだ。

陸上界にはほかにも
ケンブリッジ飛鳥、ウォルシュ・ジュリアン、ヘンプヒル恵など、リオデジャネイロから東京五輪をめざす有望な外国系の選手が何人もいる。
陸上だけではない。
バレーボール、サッカー、柔道 様々な競技で見られることだ。

以下の拙文は、外国にルーツを持つ選手が日本代表に入ることを良しと思わない人がいたら…。
という仮定の文章である。


東京五輪開幕を1年後に控えた2019年7月の暑い日、首相の加部晋二は次のように切り出した。

えー、一般に、いわばオリンピックというのは民族の祭典でございまして、いわば東京オリンピックというのは、まさに、日本民族という意味において、いわば日本民族の祭典であります。
一般に日本民族というのはすべからく日本人ということでありますが、日本民族として生まれなかった方であっても日本に帰化すること等によって、日本国籍になり得るということでございます。
基本的に日本国籍所有者は、いわば日本人となるとつまびらかに思われているかと思いますが、一般に日本民族といわれている方は、一般に日本国籍所有者といわれるものに含まれているわけで、いわば日本国籍所有者や、えー、いわゆる日本人と言われる方の中にも、まさに日本民族に該当しない方もいらっしゃいます。
東京オリンピックという民族の祭典という意味において、こうした方々を例外的に認める、というわけには行かない私は考える次第であるということでございます。

思い起こせば1940年、最初の東京オリンピックの開催が決まっていました。
西暦1940年、昭和で言えば昭和15年でありますが、最初の天皇陛下であられた神武天皇の即位から2600年目に当たりました。
当時日本政府はいわば「紀元二千六百年祝典」を準備いたしており、一般に東京オリンピックもその祝典の一つであったとかように思うところであります。
まさに2020年の東京オリンピックは、皇紀二千六百八十年の記念すべき年にえー、開催されると言うことですから、いわば日本民族の強さを世界に見せつけるまたとない機会であるとかように思うわけであります。

女子バレーボール全日本選手 劉智宜

私ですか?
私は横浜の中華街で生まれた3世ですが、日本でずっと生活していますので考えていることはほとんど日本人と一緒だと思います。
小学校までは、中華街の中にある大陸系、あっ中国系と台湾系とふたつの中華学校が横浜にはあるんですが、国籍が中国だったので大陸系の学校に行っていました。
両親も日本生まれの日本育ちでしたから、親との家での会話は日本語、祖父母との会話は中国語を使いましたが、あっ私は、中学校からF女学院に行きましたので、中国語は小学校までしか習っていなくて、難しいことは話せません。
小学校6年生の時には178センチあって、中学校に入ったらすぐにバレー部とバスケットボール部から入部を勧められました。今の身長ですか…公称は185センチになっていますけども187センチはあります。
父も190以上ありますし、ただバレーの中国代表はジュニアユースでも195センチなんて普通にいて、私の背ではとても代表に入れなかったと思います。
私たちは日本にいるときは、北区のNTCでほぼ一年中合宿を行っています。
その日は午前中の練習時間である9時頃に急にミーティングがあると言われて、練習着のままミーテンィグルームに行きました。
その日は、監督や、スタッフだけでなく協会の幹部の方々もいて、みなさん笑っていなくて「これはなにかあるな」って感じました。
会長のWさんや専務理事のMさんを見ると、私と視線を合わせないんです。副会長のYさんは小学校の頃から私のことをよく知っていてYさんだけが目を合わせてくれました。
Yさんが私に近寄ってきてそっと耳元で教えてくれました。

「東京オリンピックの日本代表選手は、外国出身者とその子孫を選ぶことはできないことになる。今週中に閣議決定される見込みだ。申し訳ない。ご両親の国を捨てて、日本国籍を採るように勧めたのはこの私だ。」

私は、バレー協会のYさんから日本に帰化しないかと勧められて、それが高1のときで、やっぱり一年くらい悩んで、それで東京オリンピックがあるというのが決め手になったと思います。18歳になったときに帰化しました。
女子バレーは、過去に何人か帰化した選手もいて活躍されていて、そういった話もYさんに聞いていて…。
ネット上でその話は何度も出ていて、そのたびに日本政府は否定していたのに。まさか、帰化した人は東京オリンピックには出られないなんて思ってもいませんでした。
最初は、海外からオリンピックの為に日本に帰化した人が対象なのかと思っていたんですが、わたしのような日本生まれもそうだって…。
政治のことはよく判りませんけども、加部首相が今回のオリンピックは本当の日本人だけで日本選手団を作りたいとか言っていましたけど。本当の日本人とは一体どういう意味でしょうか。私にはよく判りません。

全日本についてですか。
全日本では私がミドルブロッカーをしていましたので、私がいないと正直不安です。
オリンピックで日本が対戦するチームは、みんなミドルブロッカーの選手の背が高いんですね。190~2mの選手もざらにます。
日本の試合ですか、見に行くことはないと思います。はいテレビもです。見ちゃうと、ほんとは、あそこに自分もいたとか思っちゃうでしょうし…。もしチームメートに会っても名に話せばいいか判らないですし。
開会式ですか、実は開会式の入場券をMさんに頂いて、でも妹がヤフーオークションに出したら20万円で買ってくれた人がいて、会社から一時金も頂きましたので、ハワイにでも行こうかと思っています。
知っていますか。世界中から飛行機が東京に集まってきていますから、その飛行機が空で帰るともったいないらしくて、7月のハワイでもすごく安いんですよ。
今後ですか、バレーは多分やめちゃうと思います。アメリカで大学に行こうかと思っています。今21歳ですから、4年間大学行ってもまだ25歳ですし…。

開会式の模様を伝えるテレビ放送

2020年7月24日、東京千駄ヶ谷の国立競技場は夜の7時を回ったところです。こちらはNNB日本国営放送です。
東京オリンピックの開会式まであと1時間を切りました。
今から56年前に初めて聖火が国立競技場に灯った際、先輩のアナウンサーは、「日本中の青空を集めてきたような快晴」と実況しました。が、56年後の東京オリンピックの開会式はあいにくの雨です。

地球温暖化のせいでしょうか。このところ東京の気候は熱帯地方なみになりました。
特にここ1・2年は夏になると毎日スコールがありますが、今日の雨はかなり激しいです。
とは言え、新国立競技場は競技場全体が屋根に覆われています。競技場の中は空調が効いております。手許の温度計は28度、湿度は60%を指しております。また、雨の音は全く聞こえません。
この気象条件は56年前の10月に相当します。
開会式の中継のゲストをご紹介します。
内閣官房長官でいらっしゃいます須賀鋭意長官と、フェンシングで北京、ロンドンと二つの銀メダルを獲られた欧田凡介さんです。
欧田さんはね、東京オリンピック招致の際にも大活躍をされていますから、この日が来るのがまちどおしかったんじゃないんですか…。



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July 18, 2015

ラグビーワールドカップ 日産スタジアムが新国立競技場の代替であることはシナリオ通り

ザハ案による新国立競技場の建設が白紙撤回された。
2019年に開催されるラグビーW杯の開催競技場から新国立競技場が外れ、日産スタジアムがメインスタジアムになる。
今日は、一日このニュースが流れたが、『新国立から日産へ』の流れは、昨年の暮れには既に決まっていた。

ラグビーW杯の国内開催候補地の申請は、昨年10月末で締め切られている。
その際に立候補した自治体は14か所。
この中から10か所程度に絞られるとされていた。

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(朝日新聞2014年11月8日より)

ところが、今年3月になって組織委員会から公表されたW杯開催地12の中に、なぜか10月の時点で名前のなかった横浜市・日産スタジアムの名前があった。
新国立競技場がW杯に間に合わない可能性が高く、急きょ日産スタジアムが追加されたと見ることができる。

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(東京新聞2015年3月3日より)

ラグビーW杯のメイン競技場(決勝戦を行う競技場)は、過去に開催された大会において、概ね8万人以上の収容能力があった。
唯一の例外が、前回2011年のNZ大会。
決勝はオークランド市にあるエデンパーク。
通常5万人の収容スタジアムに仮設席を設け、6万を超える観客が埋まった。

日本国内において、過去の大会と伍するだけの収容能力がある競技場は、日産スタジアムと新国立競技場しかない。
しかし、日産スタジアムはラグビーの国際競技団体=ワールドラグビーの定めるグラウンドの広さに足りず、トラックを含めた改修費用がネックとなることから使用しない筈だった。
(現時点で、日産スタジアムに次ぐ規模の埼玉スタジアムは、球技専用競技場だが、サッカーを前提にしており、ラグビー場としては、日産よりもさらにグラウンドの広さが不足する。)

にも関わらず、公表された開催地には日産スタジアムの名前が入っているのだ。
そして、今年の5月29日の横浜市議会では、ラグビーW杯 開催都市分担金として7600万円の補正予算が計上されている。

開催分担金は、W杯開催地のすべてが負担するものだが、横浜市が補正予算としている点で、日産でのW杯開催が当初の予定外、新国立競技場が2019年に間に合わず、その代替とされたことと結びつくのだ。



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July 09, 2015

公約破りだらけの東京オリンピックが何を言う

菅官房長官が、新国立競技場について面白いことを言っている。

大会招致の最終プレゼンテーションで世界に発信し、東京開催を勝ち取った経緯があり、安易にデザインを変更することは国際的な信用を失墜しかねない。今後、できるだけ国民負担が生じないように、運営の民間委託など、さまざまな工夫を文部科学省で図っていくと報告を受けている
nhk.jp/N4K84Fs7

菅氏が言いたいことは、「IOC総会でプレゼンしたことは国際公約だから守らなければならない」ということだ

当時、
マドリードは経済危機の影響が不安視され、
イスタンブールは反政府デモや隣国シリアの内戦に伴う安全上の懸念があり、
福島第一原発事故を抱えるも、東京が3者の中では最も安心できると思われた。


東京は8~9割の競技場が8km圏内にあるというコンパクトな競技会場の配置、輸送計画、4000億円の大会積立金などの大会開催能力が高い評価を得ていた。
当然、メーン会場のザハ案の競技場となっていた訳だが、
総工費は現競技場の解体費抜きで、1300億円であると明確に書かれている。

そして「移動の負担が少ない選手本位の大会」と強調する。35競技会場のうち、28会場は選手村から8キロ圏内。15を既存施設でまかない、仮設が9、新設は11にとどめるとある。

菅氏の弁によればこのあたりもすべて国際公約であるので守らなければならないはずだが、

 バスケットボール
 セーリング
 7人制ラグビー
 バドミントン
 フェンシング
 レスリング
 テコンドー
 水球
 トライアスロン
などの競技の会場が、立候補ファイルの時点と異なっており、神奈川、埼玉、千葉の各県にも分散されている。

そして最も有名なアンダーコントロール
IOC総会における五輪招致最終スピーチで安倍首相自ら

「フクシマの汚染水はアンダーコントロールされている」

などと明言したことは、世界中で忘れられていない。


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June 30, 2015

ラグビーワールドカップで新国立競技場を使わなければ1年延びる?

下村博文文部科学相は、2020年東京五輪のメイン会場となる新国立競技場の整備費に充てるため、命名権(ネーミングライツ)の売却を検討する考えを示したという。
2520億円という前代未聞の総工費をかける新国立競技場の責任者は、なかなか独自の金銭感覚をお持ちのようだ。

シドニー五輪のメイン会場だったスタジアム・オーストラリア。
その総工費は日本円にして460億円~510億円だった。
2008年より、地元豪州の銀行、ANZ銀行が命名権を購入して、現在はANZスタジアムと呼ばれている。
その額が年間450万豪ドル。

一見とても大きな金額のように思えるが、現在のレートで4億2500万円に過ぎない。
下村大臣は、命名権等で200億円集めたい意向のようだが、道は果てしなく遠そうだ。

さて、このANZスタジアムことスタジアム・オーストラリアだが、シドニー五輪の際は11万人収容の陸上競技場だった。
が、陸上のトラックと一部の座席を撤去して、現在は多目的球技場となっている。
今年の1月に行われたサッカーのAFCアジアカップを覚えているだろうか。
日本代表がPK戦で敗れたUAE戦や、決勝の豪州対韓国などが、このスタジアム・オーストラリアで行われた。

また、2003年に行われたラグビーワールドカップのメイン競技場でもある。

日本でも東京五輪の前年、2019年に開催されるラグビーワールドカップのメイン競技場に新国立競技場が決まっている。

筆者の新国立競技場に対しての意見は、『五輪とラグビーを分けよ』だ。
ラグビーワールドカップに間に合わせるため、新国立の竣工は2019年5月。
ラグビーワールドカップのメイン競技場を、日産か埼玉に譲れば新国立竣工に1年間余裕が生まれる。

が、
森喜朗東京五輪競技大会組織委員会会長 早稲田大ラグビー部出身(Wikiによると4か月で退部)
遠藤正明五輪担当相 中央大ラグビー部出身
河野一郎独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長 東京医科歯科大学ラグビー部出身

の3人がいずれも強力なラグビー関係者で、ラグビーワールドカップから新国立を外すことを許しそうにないのだ。


●最近のラグビーワールドカップのメインスタジアム
1999年 ウェールズ大会 ミレニアムスタジアム
カーディフ市 収容74,500人 ラグビーウェールズ代表の聖地 

2003年 オーストラリア大会 テルストラスタジアム(スタジアム・オーストラリア)
シドニー五輪メインスタジアム 収容83,500人(五輪開催時は110,000人)
現在は命名権によりANZスタジアム

2007年 フランス大会 スタッド·ドゥ·フランス
1998年FIFAワールドカップメイン会場 収容81,338人

2011年 ニュージーランド大会 エデンパーク
オークランド市 収容50,000人
大会中は仮設スタンドを設け、決勝戦は61,079人を収容した。

2015年 イングランド大会 トゥイッケナム・スタジアム
ロンドン郊外のトゥイッケナムにあるラグビー専用競技場
収容82,000人
イングランドのサッカーの聖地 ウェンブリー ラグビーW杯でも使用。
グランドのラグビーの聖地 トゥイッケナム
なお、オリンピックスタジアムは3位決定戦ほか5試合が行われる。



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June 24, 2015

新国立競技場とどちらが凄い?当初の見込みから11倍の工事費がかかったモントリオール・オリンピックスタジアム

FIFA女子W杯がカナダで開催されている。
24か国が参加し、以下の6つの会場で熱戦が繰り広げられている。

バンクーバー(BCプレイス)
エドモントン(コモンウェルス・スタジアム)
ウィニペグ(ウィニペグ・スタジアム)
オタワ(フランク・クレア・スタジアム)
モントリオール(オリンピック・スタジアム)
モンクトン(モンクトン・スタジアム)

これらの競技場の中に、2つオリンピックのメインスタジアムだった競技場がある。
ひとつは、バンクーバーのBCプレイス、もう一つは、モントリオールのオリンピック・スタジアムだ。

モントリオールオリンピックの開催は1976年。
商業オリンピックとして、オリンピック開催が黒字になるようになるのは1984年のロサンゼルスオリンピックから。
モントリオールオリンピックの時代は、まだ国家の一大事業だった時代だ。

オリンピック・スタジアムは、カナダ初のドームスタジアムを造るとして1973年に工事が始まった。
その当時の予算は1.34億カナダドル。
ところが、ストライキや工事の遅延がこれらのコストを上昇させた。
スタジアムの竣工は1976年の7月17日。この日までに2.64億カナダドルを費やした。
7月17日というのは、モントリオールオリンピックの開会式の日。
自慢の屋根も、目玉だったタワーも未完成のまま、ぶっつけ本番で開会式を迎えたのだ。

大幅に予算を上回り、その投資を回収するために、ケベック州政府はオリンピック開幕前の1976年5月から特別たばこ税を導入することにした。
気の毒なケベック州の住民は、なんとオリンピック閉幕の30年後の2006年11月まで、8%上乗せされたたばこの代金を支払い続けた。
この時点で7.7億カナダドルの工費を要し、さらに2006年から現在までのスタジアムの総工費は、14.7億カナダドルにまで膨れ上がることになる
当初の予算の約11倍だ。
14.7億カナダドルは現在のレートに直すと約1477億円。

スタジアム自体は、オリンピックの翌年 1977年にMLBのモントリオール・エクスポスの本拠地として生まれ変わった。
1988年になって、簡易開閉式の屋根が設置され、オリンピックから12年経ってカナダ初のドームスタジアムとなったが、老朽化が進み、2004年にエクスポスはモントリオールを離れ、ワシントンDCに移り、ワシントンナショナルズとして再出発した。
ケベック州のたばこ特別税による借金返済は2006年まで続いていたわけだから、ケベック州の住民はエクスポスが移転してからも税金を支払い続けたことになる。

ちなみに23年のモントリオール・エクスポスの活動期間中、地区優勝が1回(1981年)あるだけで、Wシリーズ優勝はもちろん、リーグ優勝も一度もない。

ロンドンのウェンブリー・スタジアム、モントリオールのオリンピック・スタジアム、シンガポールのナショナルスタジアム
人類史上、この3つのスタジアムが最も工事費が掛かっているだろうと思われるが、わが新国立競技場はその2~3倍の総工費を見込んでいるのだ。

Montre1976
▲モントリオールオリンピックスタジアム 70年代にこんな競技場造ろうと思ったらそりゃ金がかかる。

Montre2
▲屋根を締めた状態


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June 10, 2015

近未来日記 平成32年7月24日 天気晴れ 気温37度 ときどきゲリラ豪雨

平成32年(西暦2020年)7月24日朝8時。
大門駅から都営大江戸線に乗り換える。
三田駅にもあったが、当然この駅の改札にも顔認証システムがあった。
顔認証システムの目的はテロ対策だ。
鉄道の改札、競技場の入り口だけでなく、競技中も観客の顔をシステムはグルグル回っているはずだ。
自分は過去に問題をおこしたことはないつもりだが、もしも自分の顔がどこかのテログループの人間と瓜二つなんてことがないかひやひやする。

僕の前を行くアメリカ人らしい4人の親子は、黒いサングラスを揃ってしている。
認証システムに気付いているかどうか。
パナソニックに努めている友人によると、サングラス程度では、顔認証システムを破ることは難しいそうだ。
一卵性双生児ですら95%の確率で見分けることができるそうだし、大学入学の際に、学生証用に提出した写真ともマッチングさせているという噂もある。

1964年の東京五輪の開会式は午後2時からだったという。
このとき開会式が行われたのは、かつて体育の日と呼ばれた10月10日。
最高気温も20度と絶好のコンディションだった。
前日の雨が上がり、抜けるような青空の秋晴れになったという話は、2回目の東京五輪の開催が決まってから、テレビでいやというほど聞かされた。

1964年当時は、プロ選手に門戸を開いていなかった五輪も、50年以上の時を経てほぼオープン化された。
欧州のサッカーリーグ、NBA、テニスの全米オープンに差し障りのないように夏季五輪は、8月31日までに閉幕するという決まりになった。

それにしても暑い。
アテネとか、気温だけなら東京よりも暑い五輪はあったが、日本特有の湿度がやはりつらい。
海外の選手は体調管理は大丈夫なのだろうか。

昨日の最高気温は35度。
今朝の最低気温も28度を超えた。
今日の予想最高気温は37度だ。
朝からテレビは、五輪観戦では熱中症に気を付けるよう再三訴えている。
IOCのスポンサーであるコカコーラ社の製品を、どのテレビ番組でも勧めている。
こうしたスポンサー優待放送に、最初は違和感があったが、もうすっかり洗脳されたようだ。
コンビニに行っても、ポ●リス▼ェットではなくアクエリアスを買ってしまう。

元々開会式は7月24日午後8時からを予定していた。
招致活動をしていた際に作った「立候補ファイル」の中にもそのように書かれている。
が、2年ほど前に急遽午前10時30分に始まると告げられた。
午前中の方が少しでも涼しいとの判断ではない。
巨額のテレビ放映権を払った米NBCテレビの意向らしい。

ニューヨークなど米国東海岸の木曜日の夜9時半に、開会式が始まるということだ。
米国人が、木曜日の夕食を済ませて一服していると五輪が始まる。

米国人の友人に聞くと、彼らは五輪を見るために夜更かしをするなんてことはしないという。
オンタイムで中継されている競技を見るか、録画放送を見ているらしい。

そうこうしているうちに、国立競技場駅に付いた。
地下鉄の改札口から直接競技場に入れるようになっているが、敢えて外へ出てみた。

人工地盤上に広場が作られ、大競技場がそびえている。

でかい。

人工地盤は照り返しが強く、朝のこの時間でも目玉焼きができそうだ。
首都高4号線側は旧国立競技場とほぼ同じ位置だ。
だが、高さが全然違う。この威圧感は圧倒的だ。
外苑西通りは、人工地盤に覆われるように、埋もれてしまっている。
タクシーの運転手さんにも好まれていた、あの有名なラーメン屋はまだあるのだろうか。
日本青年館も明治公園も、以前の場所にはもうなかった。

新国立競技場の収容人数は8万人。
開会式の日本国内向けに販売されたチケットは、4万5000枚。
2019年の7月から3回に分けて販売され、平均競争率は100倍を超えたと言う。
最も高価な席は15万円だったが、僕は最も安価な席を買った。
バックストレッチのかなり上の方だ。
 
入場ゲートで、JOCの五輪パートナーの銀行が発行しているオリンピックパスを出す。
これをかざすだけで入場はOKだ。
今日の開会式に限らず、前もって購入したすべての入場券がこのパスに記録されている。
会場内での支払いも、直接銀行口座から引き落とされるし、会場内での怪我や、盗難、破損などの保険もこのパス一枚で足りてしまう。

するとどうだろう。
係のひとに

「既にチェックインされていますからどうぞ」

と、いわれてしまった。
地下鉄の改札で、オリンピックパスをかざした際にチェックインがなされ、
顔認証ステムによって、チケットを購入した本人であることが確認されていたのだ。

スタンドの上の方の観客向けにエレベーターがあった。
高速で、一度に50人まで昇れるという。
最上階で降りて、スタンドに入ると、ポケットに入れたオリンピックパスに反応しているのだろう。
自分の座るべき席の一部が、蛍光色に光って知らせている。
これならトイレに立って、急いで戻ってきても自分の席がすぐに判る。

10時になった。
開会式まであと30分。

既に興奮した観客が、ウェーブをしている。
パナソニックの大きなモニターが、スタジアムに集った顔を映し出す。
自分の顔が映し出されると、座っている周辺がワアーッと湧く。

あと10分。
パナソニックのモニターは、過去の五輪名場面を流している。

あっ、ちょっと曇ってきた。

2000年代の後半頃からだろうか。
東京でも熱帯のスコールのような大雨が、突然降り出すようになった。
予測することが困難なため、ゲリラ豪雨と呼ばれているが、ここ数年は特に多い。

あっという間にすごい勢いで雨が降ってきた。
僕はしぶしぶ持ってきたリュックから、カッパを取り出して着ることにした。

思わず、声を出して呟いてしまった。
やっぱり、屋根のない競技場はだめだな。




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