大阪世界陸上2007

October 16, 2007

朝原宣治現役続行 北京めざす

陸上男子短距離の第一人者・朝原宣治(35)が、来季も現役を続行すると表明した。
朝原は「体が動く状態なのに、やめてしまうと後で後悔すると考えた」と述べた。地元開催となった今夏の世界選手権を「競技生活の集大成と位置づけている」と話したこともあり、去就が注目されていたが、北京五輪でまた勇姿が観られそうだ。

世界陸上直後は100mで決勝を目指すことはない、とリレーでの北京出場を示唆していたが、このあたりについては語られなかった。

●朝原宣治100m年別ベスト記録
2007年 10.14
2006年 10.37
2005年 10.29
2004年 10.09
2003年 10.23
2002年 10.05
2001年 10.02 日本歴代2位
2000年 10.28
1999年 10.27
1998年 10.51 この年故障する
1997年 10.08 *日本記録(当時)

朝原はかつては短距離とともに走り幅跳びの選手でもあり、日本歴代4位の8m13の記録も持つ。

●男子100m 日本記録の変遷 所属は当時
(10.34 飯島秀雄 (茨城県庁) 1968年) ←なかなか公認されなかった幻の日本記録
10.48 神野正英(新日鉄八幡)1975年
10.40 清水禎宏(松江四中教)1982年
10.34 不破弘樹(東農大二高)1984年
10.33 不破弘樹(法大)   1987年
10.28 青戸慎司(中京大)  1988年
10.27 宮田英明(東農大二高)1990年
10.20 井上 悟(日大)   1991年
10.19 朝原宣治(同大)   1993年
10.14 朝原宣治(大阪ガス) 1996年
10.08 朝原宣治(大阪ガス) 1997年
10.00 伊東浩司(富士通) 1998年

追記:通信社の配信した朝原の一問一答をみると次のようにある。
―個人種目で代表をめざすのか
個人でも戦える状態で北京を目指す

●参考記事
朝原宣治 100mでもう一度決勝進出をねらう気持ちはない

朝原宣治4度目の準決勝へ

こっちの方が金メダルに近い 男子メドレーリレー

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September 10, 2007

室伏広治、劉翔と北京で対決

アテネ五輪陸上男子ハンマー投げ金メダリストの室伏広治が、JOCの要請を受けてIOCの選手委員会委員に立候補することが正式に決まった。
来年の北京五輪開催期間に投票が行われる。

IOCの選手委員というのはソルトレークシティ冬季五輪開催地招致スキャンダルが表面化して以降計られているIOC改革の一環で、より選手側の声が五輪運営に反映できるようにとの思惑がある。
五輪期間中に選手による投票で選ばれ、8年間の任期でIOC委員も務める。
選手委員会は19人で構成され、夏季五輪代表8人、冬季五輪代表4人のほか、地域性も考慮して会長推薦で他のメンバーが選出される。

このIOC選手委員は、通常のIOC委員と同様に東京が立候補している2016年夏季五輪招致選挙で1票を持つ。
トリノ五輪、ソルトレークシティ五輪の際には荻原健司氏が立候補したが、落選。
国際スポーツ界での日本の発言力低下の象徴といわれた。

五輪中最大のメジャー競技、しかも金メダリストの室伏であれば余裕で当選、かと思いきや、そうは行かない。
中国から劉翔が立候補するらしい。
劉翔はアテネ五輪110m障害金メダリストで世界記録保持者、先の大阪世界陸上でも優勝した。一競技からひとりしか当選しないため、室伏と劉翔の一騎打ちとなりそうだ。

続けて室伏関連のニュースを。

大阪世界陸上では6位に終わった室伏だが、イタリア・リエティで行われたGPで優勝した。室伏の1投目78m79で3位。5投目の80m46で首位に立ったが、すぐにティホンが82m61を記録して逆転。6投目に室伏がさらに記録を伸ばし、1㎝差でティホンを抑えた。

1.室伏広治(日本)①78.79 ②79.76 ③79.67 ④x⑤80.46⑥82.62
2.イワン・ティホン(ベラルーシ)①78.98②80.05③77.75④80.27⑤82.61⑥81.30

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September 03, 2007

アリソン・フェリックスは不滅の世界記録を破るかも知れない

大阪世界陸上が終わってしまった。

この大会の主役だったのはタイソン・ゲイか、1500mと5000mの2冠バーナード・ラガトか、個人的にはアリソン・フェリックスを挙げたい。

とにかくアリソン・フェリックスには改めて驚かされた。
168cm・57kg 体格は日本人ともさほど変わらない。マイルリレーで優勝したアメリカチームの4人の中でも最も小柄だ。
が、脚は一番長いかもしれない。とにかくカモシカのようだ。

アリソンの特筆すべきところは4×100リレーと4×400リレーの両方で金メダルを獲ったこと。
昨夜の番組中継内で織田裕二も言っていたが、リレー2冠は過去には1983年ヘルシンキ世界陸上のマリタ・コッホ以来という歴史的快挙だ。

マリタ・コッホについてはドーピングの噂もないわけではないが、80年代というよりも20世紀最高のスプリンターであり、東ドイツスポーツ科学が作り出した最高傑作である。

1983年の世界陸上の結果を見てみよう

100m
1.マルリース・ゲール 東ドイツ 10.97
2.マリタ・コッホ 東ドイツ 11.02
3.Williams Diane アメリカ 11.06
200m
1.マリタ・コッホ 東ドイツ 22.13
2.マリン・オッティー ジャマイカ 22.19 ←この人はまだ現役
3.Smallwood-Cook Kathy イギリス 22.37

4×100mリレー
1.東ドイツ 41.76

4×400mリレー
1.東ドイツ 3:19.73

金メダル3個、銀メダル1個と大阪のアリソン・フェリックスを上回る結果を残している。

コッホが最も得意としていた種目は400mなのだが、この年はチェコスロバキア(当時)の怪物ヤルミラ・クラトフビロバが急速にタイムを伸ばしていたため、出場を見合わせた。
ちょうど1988年のソウル五輪に合わせてジョイナーが急に強くなったのと似た状況だ。
そして、クラトフビロバは世界陸上で400m、800mで世界新を出すのだが、1984年以降陸上界から姿を消した。
その容貌は男子選手そのもので、ドーピングによる後遺症と噂されたものだ。

1985年にマリタ・コッホはクラトフビロバの400mの世界記録を破ったもののその後誰も越せない。800mは24年後の今もだれも届かない大記録である。

さて、200mを最も得意としているアリソン・フェリックスだが、世界記録更新は可能か。

●女子200m世界歴代記録
21.34 F・G・ジョイナー 米国 ソウル五輪 29 09 1988
21.62 M・ジョーンズ 米国 Johannesburg 11 09 1998
21.64 M・オッティー JAM Bruxelles 13 09 1991
21.71 M・コッホ 東独 Karl-Marx-Stadt 10 06 1979
21.71 H・ドレクスラー 東独 Jena 29 06 1986
21.72 G・ジャクソン JAM ソウル五輪 29 09 1988
21.72 G・トーレンス 米国 バルセロナ五輪 05 08 1992
21.74 M・ゲール 東独 Erfurt 03 06 1984
21.74 S・グラディッシュ 東独 ローマ世界陸上 03 09 1987
21.75 J・カスバート JAM バルセロナ五輪 05 08 1992
21.77 I・ミラー 米国 セビリア世界陸上 27 08 1999
21.81 V・B・フックス 米国 ロス五輪 09 08 1984
21.81 アリソン・フェリックス 米国 大阪世界陸上 31 08 2007
21.83 E・アシュフォード 米国 Montréal 24 08 1979

大阪でアリソン・フェリックスが出した記録はなんと世界歴代13位。
2位に0.5秒もの大差を付けた圧勝の記録の上にまだ12人もいるのだ!
ただし、記録の変遷を見ると

2007年 21.81 大阪世界陸上 31 08 2007
2006年 22.11 シュツットガルト 09 09 2006
2005年 22.13 Carson 26 06 2005
2004年 22.18 アテネ五輪 25 08 2004
2003年 22.11(高地記録) メキシコ市 03 05 2003
2002年 22.83 Norwalk 01 06 2002
2001年 23.31 WALNUT 21 04 2001

この1年で0.3秒も自己記録を縮めている。
ひょっとすると(北京の大気汚染が奇跡的に改善され、競技運営がスムーズにいけば)来年の今頃世界新が出ているかもしれない。

●参考記事
陸上女子の永遠に破ることのできない世界記録

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August 31, 2007

関係者一同ホッとした 4×100リレー3位で決勝進出

<速報>大阪世界陸上第7日 男子4×100メートルリレー予選(31日・長居陸上競技場) 塚原、末続、高平、朝原のメンバーで臨んだ日本は38秒21の日本新記録をマークするとともにアジア記録を更新し2組3位に入り、全体記録でも3位で第8日の決勝に進んだ。


世界陸上男子4×100mリレーのはなし


今日の世界陸上は男子の4×100リレーが楽しみだ。
日本チームは塚原、末続、高平、朝原。
出場する国は13カ国 準決勝ふた組の3着までとタイム順に2カ国が決勝に進む。

出場13カ国のNR(国別最高記録)を並べると次のようになる。②とは日本が出場する第2組のこと。
日本は全体で9位、2組では6番目の記録だ(一番遅いじゃないか)。
因みに今季のタイムなら日本は2組の3位になるが、どちらもメンバーが違うから参考にならない。

アメリカ② 37.40
イギリス 37.73
カナダ 37.69
ブラジル 37.90
ナイジェリア② 37.94
オーストラリア② 38.17
ジャマイカ② 38.20
ドイツ② 38.30
日本② 38.31
ポーランド 38.33
イタリア 38.37
ロシア 38.46
南アフリカ 38.47

日本チームは過去10回の世界陸上の4×100リレーに8回出場し、決勝進出を果たしたのは4回。
最初に決勝進出したのは1995年、2001年からは3大会連続決勝進出している。
決勝進出した4回はいずれも準決勝で38秒5前後を出すものの、決勝ではタイムを落とし上位に入れていない。
大阪でも38秒の前半が出ないと決勝は難しいだろう。

●世界陸上での4×100リレー
2005年 決勝8位 38.77
末續慎吾、高平慎士、吉野達郎、朝原宣治
準決勝 38.46 
朝原宣治、高平慎士、吉野達郎、末續慎吾

2003年 決勝6位 39.05
土江、宮崎、松田、朝原
準決勝 38.58
土江、宮崎、松田、朝原

2001年 決勝5位 38.96
松田、末続、藤本、朝原
準決勝 38.54
松田、末続、藤本、朝原

1999年 出場せず←朝原の故障のため

1997年 5位 38.31(準決勝 日本記録)
井上 悟、伊東浩司、土江寛裕、朝原宣治

1995年 決勝5位 39.33
鈴木、伊東、井上、伊藤
準決勝 38.67
鈴木、伊東、井上、伊藤

1993年 7位 39.01(準決勝)
小野原、杉本、井上、伊東

1991年 6位 39.19(準決勝)
井上、杉本、奥山、山下

1987年 5位 39.71(準決勝)
松原、大田、名倉、不破

1983年 エントリーせず

4×100リレーの現在の日本記録は38秒31。
1997年のアテネで行われた世界選手権準決勝とシドニー五輪の準決勝で出ている。
世界陸上のときは、準決勝2組で5位ながら出した記録である。
陸上競技は競泳と異なり、タイム順に次の段階に進むタイムスレースではなく、順位によって決められる。準決勝から決勝に進む際は、ふた組のそれぞれ4位までが決勝に進むわけだ。
そのため、日本は全体の順位では7位だったものの、決勝進出を果たせなかった。

シドニー五輪のときは、準決勝で日本新を出し、決勝に進むも、準決勝で好走を見せた1走の川畑が準決勝で右太もも肉離れ寸前の状態になり、急遽小島茂之に交代をする。そして3走の末續は2走の伊東からバトンを受け、わずか20メートルで肉離れを起こしてしまうが、そのまま走りきる。4走の朝原が懸命に走るも、日本記録の更新はならず、順位も6位に終わった。

●4×100リレー日本記録 38秒31
1997年8月9日 世界陸上選手権アテネ大会準決勝5位
井上 悟、伊東浩司、土江寛裕、朝原宣治

2000年9月29日 シドニー五輪準決勝2組3位
川畑伸吾、伊東浩司、末續慎吾、朝原宣治

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August 30, 2007

イシンバエワの表彰式で久しぶりにソビエト国歌を聴いた

昨日29日、その前日の行われた世界陸上女子棒高跳びと女子幅跳びの表彰式の模様がテレビでも流れた。
棒高跳びはエレーナ・イシンバエワが優勝、カテリナ・バドゥロバが2位、スベトラーナ・フェオファノワが3位に入った。
走り幅跳びはタチアナ・レベデワが優勝、リュドミラ・コルチャノワが2位、タチアナ・コトワが3位になった。

この表彰台に昇った6人の内カテリナ・バドゥロバ(チェコ)を除く5人がロシア、しかも皆美人だ。
シャラポワ始めロシアのアスリートには美人が多いが、これだけ揃うと圧巻だ。

ロシアが2枚とチェコの国旗が掲揚され始めると 耳に馴染んだメロディーが流れ始める。
実はロシア国歌は旧ソビエト国歌なのだ。
70年代後半~80年代まで五輪ばっかり見ていた人間(筆者)にとって、旧ソビエト国歌、旧東ドイツ国歌というのは口ずさむことができるくらい馴染んだメロディーだ。
モントリオール五輪でソ連が獲った金メダルは49、東ドイツは40。モスクワ五輪に至ってはソ連80、東ドイツ47にもなる。

近年の五輪中継では、日本人選手がメダル授与される場面は中継されるも、外国の選手がメダル授与される場面が中継されることはほとんどなくなった。

ソビエト連邦をぶっ潰し、先に独立したバルト3国と、ロシアをはじめとする12の国に分けた故ボリス・エリツィンは、ロシアの脱ソ連化を推し進め、ミハイル・グリンカ作曲の「愛国歌」をロシア国歌に定めた。が、この曲には歌詞が無くメロディーのみが演奏されたため、一向に定着することがなかった。
ロシアに残っていた共産党は、ロシアの誇りを呼び興す事が出来るとして「ソビエト連邦国歌」の復活を要求、エリツィンにかわって大統領となったウラジーミル・プーチンは、共産党への懐柔を狙い、2000年末にソ連国歌のメロディを復活させる国歌法を制定した。
こうしてソビエト連邦国歌はロシア連邦国歌として生まれ変わったのだ。

だから、イシンバエワの金メダル授与にソビエト連邦国歌が流れたという訳だ。
ソビエト国歌は、第二次大戦勝利、大国の栄光、宇宙開発の成功、そして五輪金メダルを象徴する曲であり、プーチンの企む「ロシアの栄光の復活」を後押しする曲だ。
2014年冬季五輪もソチになったし、スポーツ大国ロシアは健在だ。

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空席の気になる世界陸上大阪

大阪長居陸上競技場はいわずと知れた2002年FIFAワールドカップ 日本対チュニジアが行われた競技場だ。
このときは森島と中田のゴールで2-0で日本が勝利した。この日の観客は45,213人。

今週の長居は閑古鳥が鳴いている。
まるで大阪球場だ。

世界陸上大阪大会、テレビで見ていても空席が気になる。
開幕前にチケットが売れていないとは聞いていたが。

以下公表されている観客数だ。

25日 開会式ほか 27000人
26日 男子100mほか 35000人
26日 男子ハンマー投げ 24000人

9日間の大会であるからW杯とは比べられないかもしれないが、少ない。
1991年の東京大会のときも確かに空席はあった。が、スポンサーがクライアントにチケットを大量に撒き、結局会場に来なかったための空席がほとんどだった。

開会式・閉会式の最も高い席は17000円もする。
TBSの都合だろう、男女100m決勝の開始時刻は22時20分。
これでは小学生に50000枚撒いたチケットの効果もない。
日本人選手の不振、猛暑、理由はいくつも考えられる。

過去にも空席の気になった大会はある。
1988年ソウル五輪 陸上は全く観客がいなかった。
1997年世界陸上アテネ大会 前半はガラガラだったが、ギリシア選手の活躍で後半は満員。

今週後半のチケットも10%~30%しか売れていない。
大阪の空席が改善される要素はない。
きっと海外の陸上ファンからは笑われているに違いない。

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August 29, 2007

なぜ世界陸上で世界新記録が出ないのか

1991年の東京大会に通って見ていた人間にとって、カールルイスの100mの9.86、マイクパウエルの走り幅跳びの9m95の二つの世界新記録の印象は今でも非常に深い。

今回の大阪大会のキャッチコピーは「大阪」発世界新記録
ところが昨日までに世界新はゼロ。
果たして世界新は出るのだろうか。

昨夜のイシンバエワの勝った女子棒高跳びは世界記録の出る最有力種目だったが、5m02の世界新への挑戦はあったものの、世界新が出るには至らなかった。
2001年以降3大会で出た世界記録をまとめてみた。

●2001年エドモントン大会
なし

●2003年パリ大会
男子20km競歩 ペレス(エクアドル) 1時間17分21秒
男子50km競歩 コジェニョフスキ(ポーランド) 3時間36分03秒

●2005年ヘルシンキ大会
女子棒高跳 イシンバエワ(ロシア) 5m01
女子やり投 メネンデス(キューバ) 71m70
女子20km競歩  イワノワ(ロシア) 1時間25分41秒

極めて少ないのである。
ロード競技である競歩や、女子棒高跳のような歴史の浅い種目が目立つ。
女子棒高跳は1999年から始まり、イシンバエワは3大会でメダルを獲っている。

1983年に始まった世界陸上は五輪と並び、文字通り世界一決定戦であった。
4年に一度の開催であり、その大会価値は今よりも高かった。

1991年の東京大会以降2年おきの開催になり、五輪の前年、後年に世界陸上が開催されることになった。
3年続けての世界大会は選手にとってもきつい。
五輪で活躍したベテランを中心に五輪翌年の世界陸上に参加しないケースが目立ってきたのだ。

これに対し国際陸連IAAFはワイルドカードを導入し、前大会の優勝者は無条件で(国内予選を経ないで)出場できること、さらに1995年からは賞金制度が導入された。
とはいうもののゴールデンリーグのようにさらに高額賞金の大会もあり、世界陸上の魅力を高くしているかは疑問だ。

男子100mのようにカールルイスの東京大会以降も4回世界記録の更新された種目もあるが、これは例外的な種目。
大多数の種目の世界記録は停滞」していると言ってよい。

これにはかつて陸上世界記録を作ってきたソビエト、東ドイツが崩壊してしまったこと。
これに関連してドーピング検査が厳しくなったことも挙げられよう。
さらには、国際大会が増えて、選手の負担が増え記録よりも勝負重視になったことなどが挙げられる。

このあと110m障害に劉翔、400mにジェレミー・ウォリナーが出場するが、このあたりが個人種目としては最後の世界記録のチャンスかもしれない。

●参考記事
やり投げの破ることのできない世界記録保持者ゼレズニーが引退

ハンマー投げの永遠に破ることのできない世界記録

陸上女子の永遠に破ることのできない世界記録

陸上女子の永遠に破ることのできない世界記録 (中国人選手編)

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August 28, 2007

6位 室伏広治の賞金は69万円

昨日 ハンマー投げの室伏広治が6位に終わった。
とはいえ、これにより室伏には国際陸連IAAFより賞金6000ドル 約69.6万円が贈られる。

五輪は昔も今も賞金はもちろんない。が、各競技の世界選手権で賞金がでることは普通のことだ。
世界陸上におけるその金額は
優勝:60,000ドル
2位:30,000ドル
3位:20,000ドル
4位:15,000ドル
5位:10,000ドル
6位:6,000ドル
7位:5,000ドル
8位:4,000ドル
と破格(?)の条件だ。

室伏はJOCのシンボリアスリートを辞退しており、自分の肖像権は自分で使える。
かつては日清食品、現在でもオロナミンC、FEDEX、さらには所属のミズノのCMに出演中だ。
室伏クラスになると1本あたりの契約金は4~5000万円だからおそらく年収は1.5億円くらいだろう。
中京大の大学院にも籍を置き、今年は博士論文も書き上げた。
来年の北京五輪でIOC選手委員に選ばれる可能性も大きい。

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金丸祐三は肉離れ 4×400リレーに為末大を使え

昨日頼みの室伏広治が6位に終わり、日本勢のメダルはゼロ。
トリノ五輪の再現の様相を呈してきた。

本日28日 男子400mに出場した19歳のホープ金丸祐三は肉離れを起こし棄権。
この調子じゃ他の選手にも過度の期待はしないほうがよい。

さて金丸不在でマイルリレー(4×400)が組めるのか?

今回400mにエントリーしたのは金丸祐三と山口有希、ほかにリレー要員として3名がいる。
ここで提案、400障害で予選敗退した為末大を使ってはどうか。
為末の400の自己ベストは45秒94、ちなみに成迫健児は46秒02。
為末のモチベーションがあれば面白いと思う。
(ただし為末のベストは高校生のときでは?)

もう随分昔の話だが、1984年のロサンゼルス五輪での日本チームのマイルリレーはこんなメンバーだった。

大森 重宜、高野 進、不破 弘樹、吉田 良一

本職の400の選手は高野さんのみ。
大森、吉田は400障害、不破は100mの選手だ。

それでも準決勝までいった(3分10秒73)のだが、不破弘樹は50秒かかって走り、「運動会みたいだ」といわれた。

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August 27, 2007

朝原宣治 100mでもう一度決勝進出をねらう気持ちはない

昨日の100m準決勝で敗退後、涙を見せた朝原に感極まった。
テレビを通しても、頭に白いものが見える。
35歳、日本代表13年は短距離では例がない息の長さだ。

毎日新聞によると、来季意向の現役続行について半々ぐらいと態度を保留したそうだ。
ただし、五輪や世界選手権をはじめとする国際大会で「100mでもう一度決勝進出をねらう気持ちはない」との発言をした。

リレー要員であればまだ走ることもあるという含みなのだろう。
末続を除けば、自分のところまで追い上げてきた若手がいないジレンマもあるだろう。
大阪の4×100リレーでメダル獲得は十分可能だ。
そうしたらゆっくり休んで欲しい。

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