柔道・レスリング・ボクシング

August 08, 2012

メダルをめざすボクシング

五輪のボクシング(男子)は1904年セントルイスオリンピックから実施されている。
現在はライトフライ級からスーパーヘビー級までの10階級に分かれているほか、17歳から34歳までという年齢制限も存在する。

2分間のラウンドを4ラウンドまで戦う形式で、ヘッドガードを着用するなど、厳格なルールが適用されており、有効打によるポイントで勝敗が決する。

今年はアマチュアボクシング界にとって、稀に見るいい年のようだ。
7月16日に世界ボクシング評議会(WBC)王座に就いた五十嵐俊幸は、8年前はアテネ五輪のリンクに立っていた。

アテネ五輪の際、出場権をかけた最終予選で日本はすべての階級で出場枠の与えられる決勝戦に進むことができず、1928年アムステルダム大会から続いていた出場記録は途絶えかけた。
ところが、ライトフライ級の代表となったパキスタンの選手が故障のため五輪出場を辞退。
急遽代替出場したのが五十嵐俊幸だった。
アテネ五輪に出場した日本人ボクサーは五十嵐ひとり。
その五十嵐も初戦で敗退した。

北京五輪にはライトウエルター級に川内将嗣が日本人として唯一出場したが、2回戦で敗退、川内は今年のロンドン五輪もめざしたが適わなかった。

ロンドン五輪に出場した日本人選手は4名。

フライ級 須佐勝明
バンタム級 清水聡
ウエルター級 鈴木康弘
ミドル級 村田諒太

4選手の出場は、1996年のアトランタ五輪以降では、最も多い。
その中で清水聡、村田諒太の2選手が準決勝に進出。
ボクシングには3位決定戦がないため、既にメダルを決めている。

五輪でメダルを獲った日本人選手は、ローマ五輪でフライ級の田辺清氏が銅メダル、東京五輪の桜井孝雄さん(故人)がバンタム級で金メダル、さらにメキシコ五輪の森岡栄治さん(故人 バンタム級)銅メダルの3選手しかいなかったというのに、44年ぶりにしかも2選手のメダリストが決まった。

2選手の今後の日程は下記のようになる。

8月10日
22:00 男子バンタム56kg級 準決勝 清水 聡
23:00 男子ミドル75kg級 準決勝 村田 諒太

8月11日 2選手が決勝に進出したらのこ日程
4:45 男子バンタム56kg級 決勝
5:45 男子ミドル75kg級 決勝


 
Medalist_3


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October 04, 2011

世界アマチュアボクシング選手権開催中

ツイッターにも書いたように、アゼルバイジャンで開催中の世界アマチュアボクシング選手権では、各階級ベスト8と決勝進出者に敗れたベスト16の2人 合計10人が、ロンドン五輪の出場権を手にすることができる。

五輪のボクシングは1904年セントルイス大会から実施され、現在はライトフライ級からスーパーヘビー級までの11階級に分かれている。
が、ロンドン五輪では女子の3階級が正式種目になるのに伴い、男子のフェザー級が廃止、10階級となる。
そして17歳から34歳までという年齢制限も存在するのも特徴だ。

これまでのところ日本は、参加した五輪の全てにボクシングの選手を送り込んできたが、実はアテネ五輪はやばかった。
最終予選で日本人選手はすべての階級で出場枠の与えられる決勝戦に進むことができず、1928年アムステルダム大会から続いていた出場記録は途絶えた、と関係者すべてが思った。
ところが、ライトフライ級の代表となったパキスタンの選手が故障のため五輪出場を辞退。
代替出場として同級の五十嵐俊幸が出場権を得、幸運にも1人参加することができた経緯がある。

五輪でメダルを獲った日本人選手は、ローマ五輪でフライ級の田辺清氏が銅メダル、東京五輪の桜井孝雄氏がバンタム級で金メダル、メキシコ五輪の森岡栄治さん(故人 バンタム級)の銅メダルの3選手がいる。

ところが1992年のバルセロナ五輪以降は、五輪出場権もなかなか獲れず、苦戦が続いている。
そんな中、およそボクシングには似つかわしくない中国が、北京五輪では地の利を生かして金2銀1銅1のメダルを獲得。
あっという間に日本が80年かけて獲得したメダルの総数を上回ってしまった。


●近年のボクシング五輪代表選手
▼バルセロナ大会(1992年)12階級中4選手
ライトフライ級 佐々木 忠広 2回戦敗退
ライト級 土橋 茂之 2回戦敗退
ウエルター級 川上 雅史 1回戦敗退
ライトミドル級 長島 浩 1回戦敗退

▼アトランタ大会(1996年)12階級中3選手
フライ級 辻本和正 1回戦敗退
ライトウエルター級 仁多見 史隆 1回戦敗退
ミドル級 本 博国 2回戦敗退

▼シドニー大会(2000年)12階級中2選手
バンタム(54kg)級 辻本 和正 2回戦敗退
フェザー(57kg)級 塚本 秀彦 1回戦敗退

▼アテネ大会(2004年)11階級中1選手
五十嵐 俊幸 1回戦敗退

▼北京大会(2008年)11階級中2選手
フェザー57kg級 清水 聡 ラウンド16
ライトウェルター64kg級 川内 将嗣 ラウンド16敗退

▼ロンドン大会(2012年)10階級中?

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May 16, 2011

テコンドー大国はイラン?

オランダのロッテルダムで開催されていた世界卓球選手権は、中国が実施された全ての種目(男子シングル、女子シングル、男子ダブルス、女子ダブルス、混合ダブルス)で優勝した。
中国の全種目制覇は4大会連続となる。
ひとつの国が圧倒的にメダルを独占するのは見ていても興ざめなところもある。
まして卓球の場合、中国勢に挑むのは国籍を変えた中国人選手であることが多いから、なおさらだ

一つの国が圧倒的に強い競技のひとつにテコンドーがあった。
発祥の国である韓国が圧倒的に強かった競技だ。
ところが、近年急速にその地位が低下している。
昨年中国・広州で開催されたアジア大会 韓国男子は金メダル2個に留まり、3個のイランを下回った。
1986年のソウルアジア大会でテコンドーが初めて正式種目になって以来初めてのことだった。

それから約半年、韓国はホスト国として世界選手権を慶州で開いた(5月1日~6日)。
が、金メダルが獲れたのは男子63キロ級、87キロ超級、女子46キロ級の3個のみ。
テコンドーは、獲得したメダルで国別のランキングを出すらしいのだが、韓国女子は(金1、銀2、銅3、総合点58点)は中国(金2、銀2、55点)をかろうじて抑えて1位だったが、韓国男子(金2、銀2、61点)はイラン(金3、銀1、銅2、74点)を大きく下回って2位に終わった。
1973年に世界テコンドーが始まって以来、初めての出来事だそうだ。

ソウルの中心部にテヘラン路という通りがあり、イランの首都テヘランにはソウル通りという幹線道路がある。
1970年代に韓国の建設会社が多くイランに進出し、この頃友好の証として設けられたという。
テコンドーのイランと韓国の歴史はそれより少しあとの1985年、韓国がテコンドーの師範をイランに派遣したことが始まりだ。
徐々にブームになり、現在ではイラン全土に3500の道場があり、高いレベルのリーグ戦を行ってるという。
一方の韓国には8000以上の道場があるというが、競技としてよりも健康志向の子どもたちが通っているらしい。

柔道の本家日本も、競技人口では随分前からフランスにその首位を譲っているが、テコンドーも柔道同様国際スポーツになって来たということだろうか。

Tecon

●参考記事
テコンドーはどうしてオリンピック種目に残ったのか

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November 15, 2010

白鵬 63連勝で止まる

大相撲九州場所2カ目は15日、福岡市の福岡国際センターであり、横綱白鵬が平幕稀勢の里に苦杯を喫し、今年の初場所14日目から続いていた連勝が63で止まり、双葉山の69連勝を超えることはできなかった。

双葉山や千代の富士、大鵬の連勝記録は良く知られている。
が、大相撲は江戸時代から正確な記録が残っており、江戸時代から明治時代にかけても歴史にその名を残す大横綱が、千代の富士を上回る連勝記録を残している。

江戸時代はもちろん、双葉山の時代まで1年2場所制だったため単純比較はできないが、いずれも超人的な記録であることに間違いは無い。

明治の大横綱 太刀山を知っているご老人と話をしたことがあるが、生で見た中では太刀山が最も強いと話してくれた。


●大相撲における連勝記録と生年
69連勝 双葉山 定次 1912年2月9日~1968年12月16日
63連勝 谷風梶之助 1750年9月8日~1795年2月27日
63連勝 白鵬 翔 1985年3月11日~
58連勝 梅ヶ谷藤太郎 1845年3月16日~1928年6月15日
56連勝 太刀山 峯右エ門 1877年8月15日~1941年4月3日
53連勝 千代の富士貢1955年6月1日~
45連勝 大鵬 幸喜 1940年5月29日~
44連勝 雷電為右エ門 1767年~1825年4月9日

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September 13, 2010

日本柔道が強いのは日本製の畳のせいか?

柔道が正式種目になった東京五輪が開催された1964年時点で、国際柔道連盟IJFに加盟していた国は僅かに20数カ国だった。
現在の加盟国は、約10倍の199か国。
柔道の国際化は著しい一方、日本の柔道人口は減少し、現在全柔連に登録している競技者の人口は20万人といわれる。
世界最大の柔道人口を誇るフランスは60万人、ドイツが35万人、ブラジルが25万人と続く。恐らく日本の柔道人口は世界4位か?(但し、日本では2012年4月から全国の中学校で武道の授業の必修化が決まっている)
今回の世界柔道で、12日までにメダルを獲った国は22カ国に上り、東京五輪当時のIJF加盟国数を上回っている。

さて、今回の世界柔道の畳はミズノによるものだ。
ミズノの畳は、外国製に比べほど良い硬さだそうで、滑りにくい。
条件は、外国選手と一緒だが、やはり日本製の畳は、間違いなく日本の追い風になっている。
意外なことに五輪や世界柔道で使われる畳は日本製でないことが多い。
昨年の世界柔道は、オランダ・ロッテルダムでの開催だったが、このときはオランダ製のなんとオレンジ色の畳が使われた。
W杯でお馴染みのように、オレンジ色はオランダのはナショナルカラーである。

北京五輪の畳はまずまずの評判だったが、このときは中国製。
プレ大会では、滑りやすいと不評だったが、本番ではかなり改善されていた。
史上最高の男女合わせて8個の金メダルを獲得したアテネ五輪はミズノ。
篠原信一(現日本代表監督)が誤審に泣いたシドニー五輪もミズノの畳だったが、東京五輪はもちろん日本製の畳が使われたが、1972年のミュンヘン五輪から1996年のアトランタ五輪まで、日本製の畳は使われていない。
(1968年メキシコ五輪は柔道は未実施)

●主な国際大会の畳
2010 東京世界柔道 ミズノ
2009 ロッテルダム世界柔道 オランダ製
2008 北京五輪 中国製
2004 アテネ五輪 ミズノ
2003 大阪世界柔道 ミズノ
2000 シドニー五輪 ミズノ
1996 アトランタ五輪 ベルギー製
1992 バルセロナ五輪 フランス製
    
1964 東京五輪 日本製

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September 08, 2010

Q.柔道が初めて五輪正式種目に採用されたのはいつの大会でしょう

1.ベルリン大会
2.ロンドン大会
3.東京大会

柔道が五輪の正式種目として始めて行なわれたのは、1964年の東京五輪。
これは有名な話だ。
40余年を経てその規模は随分と大きくなった。

東京五輪で行なわれた柔道は男子のみの4階級。
軽量級(68キロ以下)、中量級(80キロ以下)重量級(80キロ以下)、無差別級の4階級である。
東京五輪以前にも世界柔道選手権は3回開催されたが、いずれも体重による階級分けは無く、全日本柔道選手権のように優勝者はひとりしかいない。

1961年、パリの世界選手権の優勝者は、オランダの先頃亡くなられたアントン・ヘーシンク氏。
3年後の東京五輪でもヘーシンクには敵わないと、関係者は感じていたようだ。
当初、柔道は東京五輪のみに実施される予定であり、1968年のメキシコ五輪では実施されなかった。
が、1972年のミュンヘン五輪では6階級に増やされ、復活している。
1984年のロサンゼルス大会で8階級になり、1988年のソウル五輪から無差別級が廃止される一方、女子柔道が公開競技として行なわれている。

そして1992年バルセロナ五輪、女子柔道も正式競技に加えられた。
選手の体格の向上に合わせて、2000年シドニー五輪以降、男女とも7階級は変わらずに、体重の上限が大きくなっている。

総合格闘技でも活躍した吉田秀彦は、金メダルを獲得したバルセロナ五輪では78キロ級、5位に終わったアトランタ五輪では86キロ級、敗者復活棄権のシドニー五輪では90キロと3階級に渡って五輪に出場し、現役最後は100キロ級まで出場した珍しい選手である。(ちなみに身長は180センチ)
また、女子でもアトランタ五輪決勝で田村亮子を破って有名になった北朝鮮のケー・スンヒは、アトランタ五輪48キロ級(金)、シドニー五輪52キロ級(銅)、アテネ五輪には57キロ級(銀)、北京五輪は57キロ(15位タイ)という結果が残っている。

かつて世界柔道選手権は、五輪の前年と後年に2年おきに行なわれていたが、現在は毎年開催されている。
世界選手権では五輪で廃止になった無差別級も男女とも実施されている。
五輪の前年に行なわれた世界選手権での優勝者は、研究されすぎるため、五輪本番では勝てないとも言われている。
1999年バーミンガムの世界柔道。日本の篠原信一(現日本男子監督)は、無差別級と100キロ超級の2階級で金メダルを獲得した。
そのとき、フランスのドイエは、怪我で大会を欠場し、シドニー五輪本番もぎりぎりまで出場を明言していなかった。

●オリンピックと世界柔道選手権の日本人選手獲得メダル数 (2001年以前の世界柔道は五輪前年のみ)
(男子)
年  大会 金 銀 銅  開催地
2009世界 0 1 1 ロッテルダム
2008五輪 2 0 0
2007世界 1 0 1 リオデジャネイロ
2005世界 2 2 2 カイロ
2004五輪 5 1 0
2003世界 3 0 1 大阪
2000五輪 3 0 1
1999世界 4 1 0 バーミンガム
1996五輪 2 2 0
1995世界 2 2 4 幕張
1992五輪 2 1 2
1991世界 4 1 2 バルセロナ
1988五輪 1 0 3
1987世界 4 1 2 エッセン
1984五輪 4 0 1
1983世界 4 1 2 モスクワ
1979世界 4 0 3 パリ
1976五輪 3 1 1
1975世界 4 4 3 ウィーン
1972五輪 2 2 1
1971世界 5 4 2 ルードビスハーフェン
1976年以前は6階級 その当時世界柔道は1階級に1国2名エントリーできた。←今回と同じ

(女子)世界柔道の開催都市は男子と同じ
2009世界 3 0 2
2008五輪 2 1 2
2007世界 2 2 3
2005世界 1 3 1
2004五輪 5 1 0
2003世界 3 1 1
2000五輪 1 1 2
1999世界 4 1 1
1996五輪 1 2 1
1995世界 1 0 1
1992五輪 0 3 2
1991世界 0 1 3


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April 19, 2010

塚田真希9連覇達成 ライバルの佟文はドーピング発覚

4月18日全日本女子柔道選手権が行われ、アテネ五輪金78㎏超級メダリストの塚田真希が、決勝で杉本美香に一本勝ちし9連覇を達成した。
最初の優勝は20歳のときで、現在28歳。
9連覇は男子の山下泰裕と並ぶ前人未到の快挙である。
ちなみに女子で塚田に続く記録には、田辺陽子の6連覇がある。

各階級2枠がある今年9月に東京で開催される世界柔道選手権に、塚田は78㎏超級にまず決定、無差別級は塚田、杉本美香、田知本愛の3人から2人を試合直前に選ぶことになった。

塚田といえば、北京五輪での佟文との決勝を思い出す。
有効を取ってリードしながら、終了間際に逆転負けを喫したあの試合だ。
金メダルを決めた、あの佟文の勝ち誇った笑みはなかなか忘れられない。


その佟文だが、昨年のロッテルダムで行われた世界柔道で78㎏超級3連覇を果たしていたが、このほど同選手権のドーピング検査で陽性反応を示し、国際柔道連盟(IJF)が世界選手権優勝タイトルの剥奪と出場停止2年間の処分を下す方針を決めた。
禁止薬物の詳細は明らかになっていないが、佟文は事情聴取に対し、「中国で食べた豚肉に禁止薬物が入っていた」などと反論しているという。

佟文のドーピング疑惑は以前から噂されていた。
中国では、4年に一度、五輪の翌年に中華人民共和国全国運動会が開催されている。日本の国体と言う人もいるが、その盛り上がりは国体の比ではない。
高額の報奨金が舞い、薬物、買収、不正はなんでもありともいわれるスポーツの祭典だ。
中国代表の選手の中には、世界選手権よりも全国運動会を優先する選手も多い。

であるにも拘らず、佟文は昨年のこの大会(2009年10月開催)では78㎏超級の試合当日にケガをしたとして、救急車で運ばれ、試合会場に現れなかった。
ドーピング違反が発覚することを恐れ、逃げたと思われる。
この大会以降、試合に出場していなかった。
仮に中国国内でドーピングが発覚していたら、選手生命は絶たれ、おそらくそれ以上の目に遭っていただろう。
問題は、北京五輪の際に既に薬物に染まっていたかだ。

Tsukadamaki


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April 06, 2010

ロイ・ジョーンズJr(41歳) バーナード・ホプキンス(45歳)に敗れる

何とも懐かしいボクサーの名前がニュースの中にあった。

彼の名はロイ・ジョンーンズJr

ミドル級出身ながらヘビー級の王座を獲得した2人目のボクサーであり、ミドル級、スーパーミドル級、ライトヘビー級、ヘビー級の4階級を制覇した往年の大選手である。
が、このサイトにおいては、むしろ1988年ソウル五輪ライトミドル級決勝で、地元韓国の朴時憲を圧倒的に攻めながら 不可解な判定で銀メダルに泣いたボクサーとして度々出てくる。

このロイ・ジョンーンズJrが、なぜ今頃ニュースになったのか?
元4団体統一世界ミドル級王者のバーナード・ホプキンスとラスベガスで対戦し、ロイ・ジョーンズJrが敗れたというのだ。
実はこの2人、1993年5月22日に空位だったIBF世界ミドル級王座を懸けて対戦し、ロイ・ジョーンズJrがホプキンスを敗っている。
バーナード・ホプキンスは、17年前の雪辱を果たしたという訳だ。

これはいわゆるエキジビションマッチであり、タイトルが掛かっていたわけではもちろんない。
ラスベガスでは、こうした往年の名ボクサーのエキジビションマッチは度々行われている。

それにしても年齢を見て驚いた。
バーナード・ホプキンスは1965年1月15日生まれの45歳、ロイ・ジョーンズJrは1969年1月16日生まれの41歳。
なんとも凄い対戦である。


よい機会だから、ロイ・ジョーンズJrについて付け加えておこう。
ソウル五輪で不正と思われる試合に敗れ、金メダルを失ったロイ・ジョーンズJrとUSOCは、その結果を覆そうと10年に渡ってIOCを相手に戦い続けた。

その結果ソウル五輪から10年目の1997年2月に、「ロイ・ジョーンズJrにも金メダルを」と、まとまりかけるが、結局その5月にメダルの色は変わらないことで決着した。
その当時の読売新聞にこんな記事が出ている。

ソウル五輪ボクシングの判定疑惑、灰色決着/IOC

 1988年のソウル五輪のボクシングライトミドル級決勝で米国選手が地元の韓国選手に23の判定で敗れたのを不服として、米国五輪委員会(USOC)が調査を求めていた問題で、国際オリンピック委員会(IOC)理事会は20日、「不正を証明する新たな事実は見当たらなかった」との判断を示した。IOCのカラード事務総長らによる調査団が、担当したモロッコ人審判らから事情を聞き、結論に達した。

 しかし、この審判は大会期間中に他のアフリカの国の審判とともに、現金300米ドルをソウル五輪組織委員会から受け取っていたことも認めた。その趣旨については「食費の足しに、ということであり、その金には何の条件もついていなかった」と話したという。(読売新聞1997.05.21


スポーツでは、一度決まった勝敗は何があっても覆らないことが基本だ。
判定(勝敗)がいちいち調停裁判に持ち込まれては、スポーツは成り立たないからだ。
ソウル五輪でのロイ・ジョーンズJr、シドニー五輪柔道の篠原など、判定が波紋を呼んでも、結果が覆らなかったのはそのためだ。

であったにも関わらず、2002年ソルトレークシティ五輪のフィギュアペアでロシアとカナダの2組に金メダルが贈られたことは、結果として五輪史に残る汚点を残る汚点となった。
IOC理事会の決定に際し反対に回った中国のIOC理事何振梁氏は、「どんな理由でも競技結果を覆すのは危険な前例を作る」と、2002年当時に警告していた。
現在のフィギュアスケートの不明瞭さの原点は、やはり2002年にある。

●ロイ・ジョーンズJrの記事
ソウルオリンピックのボクシングも酷かった




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December 24, 2008

石井ショック③ 石井慧の穴埋まらず

この夏の北京五輪の柔道は、日本男子の惨敗振りが強調された。
獲得したメダルが石井慧と内芝正人の2個(いずれも金メダル)に過ぎなかったためだ。
とはいうものの、金メダルを獲った国は階級の軽い方から、韓国、日本、アゼルバイジャン、ドイツ、グルジア、モンゴル、日本となる。
複数の金メダルを獲ったのは日本だけだったのだ。
世界一の柔道人口を誇るフランスはアテネに続いて金メダルゼロに終わり、ソ連以来の伝統を誇るロシアはひとつの銅メダルすら獲れなかった。

IJF(国際柔道連盟)による競技の国際的な普及がうまく行っている証左であると見る。
IJFの会長にオーストリア国籍のビゼール氏が就任。
会長は隔年開催だった世界柔道を毎年開催にし、五輪正式種目から外れて20年になる、無差別級の単独の世界選手権を五輪開催年に行うことにした。

この大会が20、21日にパリ近郊のルバロワで行われ、日本代表監督になった篠原信一氏の初采配となった。
日本男子は2007年世界柔道無差別級金メダルの棟田康幸、先の嘉納杯の100㌔超級を制した高井洋平、100㌔級を制した穴井隆将が出場した。
結果、フランスのテディ・リネールが優勝、ロシアのアレキサンドル・ミハイリンが2位。

高井は19歳のリネールに鮮やかな大外刈りを決められ、穴井は地元のピエール・ロバン(2005年世界柔道100㌔超銅)に小外刈りから横四方固めで抑え込まれ完敗、棟田は、ヤヌシュ・ウォイナロビッチ(ポーランド)に仕掛けた投げ技を返されて一本負け。
3人ともに8強にも残れなかった。

五輪後、組んでない状態でのタックル気味の技が禁止され、効果ポイントの廃止とともに日本勢に有利なルール改正が行われている。が、焼け石に水といったところだろうか。

総合格闘技に転向した北京五輪100㌔超級金メダルの石井慧は17歳で嘉納杯、19歳で全日本を制した逸材だ。石井は石井の穴は埋まらない。

一方こんなニュースもある。
レスリングの全日本選手権が22日に代々木第二体育館で行われ、男子フリー96㌔級は、アテネ、北京五輪のグレコローマン84㌔級代表で大会9連覇中の松本慎吾が制した。
松本のフリーでの優勝は10年ぶりだという。
来4年月から母校の日体大と日本代表で指導することになっている松本は、決勝ではグレコにない足技で倒してフォール勝ちした。
松本は高校時代には、レスリングと柔道を掛け持ちでやっており、柔道でもインターハイ2位という記録もある。

北京五輪の柔道男子100㌔級で金メダルを獲ったモンゴルのナイダン・ツブシンバヤルは、もともとモンゴル相撲の選手だ。
こうした話を聞くと、格闘技は、特に若い内は、複数の種目をやっていた方が良いような気がする。

●参考記事
石井慧のライバル リネールは204センチ19歳

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November 07, 2008

石井ショック② 賞金大会を巡る日本の柔道界

この10月に東京の日本武道館で行われた柔道の世界団体選手権、日本の女子チームは優勝し、賞金50,000USドルを手にした。

普通に考えれば、日本代表の人数で50,000USドルを割った額が、選手個人の懐に入る・・・。
ところが、実態は異なっている。
全柔連のサイトには賞金について次のような記述がある。

個人の場合:本連盟50%、当該競技者50%
団体の場合:本連盟50%、50%を当該競技者・役員等で均等分配

ということは、まず25000ドルは、全柔連が獲り、残りを役員を含めた代表チームの人数で割ることになる。役員の人数がよく判らないが、結局選手個人が手にした賞金は20万~25万円位だろうと思われる。

というのも、全柔連はプロ選手の登録はもちろん、賞金付き大会への選手の参加にもいい顔をしていなかった。
柔道という伝統的価値観に基づく日本の文化にプロも賞金もそぐわないためだ。
全柔連の規定にも「競技会は、賞金、出場報酬又は高価な物品等を競技者に与えないものとする」とあり、ヨーロッパの大会で選手が獲った賞金は全額 全柔連の預かりとなっていた。

それでもカラー柔道着が採用されるなどヨーロッパの趨勢に従い、日本人選手の賞金付きの大会への参加を認めることになり、現在の賞金に対する規定も2001年に改定された。

そしてこの秋、ロンドン五輪に向けて、国際柔道連盟は09年以降の国際大会に賞金を付けることを決定した。
マスターズという最高峰の大会の賞金総額を20万ドル、嘉納杯を含むグランドスラムと呼ばれる大会の賞金総額を15万ドル、その下に位置づけされるグランプリの賞金総額を10万ドルと決めた。
とはいえ、日本人選手が、賞金を獲得した場合はやはりその半分は、全柔連が獲ることになるようだ。

こんな柔道界だが、実は日本のトップレベルの柔道選手は、事実上の「プロ」である。
柔道の実績をもとに年間数千万円の報酬を得ているチームがあるのだ。 (続く・・・)

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