シーズン中 息子の卒業式のためにアメリカに帰国したチャーリー・マニエル
米大リーグ、フィラデルフィア・フィリーズのチャーリー・マニエル監督(67)は28日、現役時代にプロ野球の近鉄でプレーしていた当時の監督だった西本幸雄さんが25日に死去したことについて、「彼のためにプレーするのは楽しかった。父のように尊敬していた」と球団を通じてコメントし、哀悼の意を表した。
阪急、近鉄(ともに現オリックス)の監督を務め、不全のため91歳で死去した西本幸雄さんの葬儀・告別式が29日、兵庫県西宮市の斎場で営まれ、近鉄時代の教え子である前日本ハム監督・梨田昌孝氏ら約650人が最後の別れを惜しんだが、西本さんに教えを受け、その訃報に悲しむ教え子はアメリカにもいた。
チャーリー・マニエル。
現在は、フィラデルフィア・フィリーズの監督を務める。
古い野球ファンには懐かしい名前だ。
大リーグでは実働6年、大きな活躍はしていないが日本では違った。
在籍していたのはヤクルトと近鉄(当時)。
地味な球団にいた割りに、その印象は強烈だ。
近鉄在籍の1980年には打率.325、48本塁打、129打点で本塁打・打点の2冠とMVPを獲得、チームをリーグ連覇に導いた。
ところが、この年の6月にこんなことがあった。
当時のパ・リーグは、前後期の2期制を採っていたのだが、近鉄が、ロッテ・日本ハムと前期優勝を争っていたこのとき、マニエルが西本幸雄監督のもとにこんなことを言ったのだ。
「長男の卒業式出席のためアメリカに帰国したい。
ふだん寂しい思いをさせているから卒業式には帰ると約束した。どうしてもだめだというなら野球をやめる。」
赤鬼との異名をとったマニエルのことばだ。
マニエルは1944年生まれでこのとき36歳。
卒業式を迎える息子は18歳の高校生だった。
そう、卒業式を迎える長男は、マニエルがまだ18歳の高校生のときに生まれた子供だった。
アメリカでは、高校を卒業した時点で大人として扱われるという。
マニエル自身が日本におり、父親としての役割を果たせていなかったから何としても卒業式に出たい、そんなニュアンスだったと思う。
日本人からはなかなか理解しがたい発想だが、西本監督はこれを受け入れた。
卒業式を終えて無事日本に戻ったマニエルは、近鉄のパ・リーグ制覇に大きく貢献した。
2008年 マニエル監督はナ・リーグ優勝決定シリーズの開幕直後に母ジューンさんを亡くした。
家族思いのマニエルだが、悲しみを乗り越えチームをワールドシリーズへと導いた。
*メジャー監督としてワールドシリーズに進出したのは、1986年にニューヨークメッツを優勝に導いた元巨人(1975~76年)のD・ジョンソン氏とマニエル氏だけ。
ほかにも、1989年カブスのD・ジマー氏(1966年東映)、2003、06年アスレチックスのK・モッカ氏(1982~1985年中日)、04年ドジャースのJ・トレーシー氏(1983~84年大洋)が監督としてプレーオフに進んだが、Wシリーズ出場はない。
1980年に高校を卒業した息子Charles jr氏は、現在49歳。
その後野球の選手にでもなったかと思ったが、調べても出てこなかった。