2006ドーハアジア大会

June 02, 2014

伊東浩司 100mで10.00 1998年バンコクアジア大会

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November 30, 2010

日本球技 実は大健闘 アジア大会

11月28日に広州アジア大会が閉幕した。
日本が獲得した金メダルは48個。
目標としていた60個を大幅に割り込み、前回ドーハ大会よりも-2個。
これに対し、メディアの評価は厳しい。

他のアジア諸国も力をつけてきており、日本の厳しい現状が浮き彫りになった。(東京新聞)
全体的に低調で金の数3位は4大会連続。すっかり指定席になった。(時事通信)
日本のスポーツは気づかぬうちに、世界やアジアから取り残される危険性もある。(毎日新聞)

確かに一つも金メダルの獲れなかった競泳女子、金メダル一つに終わった陸上男子など惨敗との烙印を押さざるを得ない競技もあるだろう。
が、球技に絞って結果を見てみよう。

1994年の広島大会以降のアジア大会における各球技の金メダル獲得国は、下記のようになる。
地元開催だった広島大会とドーハ大会は金メダル2個。
バンコク大会と釜山大会は1個しか獲れなかったのに対して、広州大会では5個の金メダルを獲った。
中国・韓国だけでなく、中東勢や中央アジア勢が各球技に力を入れている今の時代においては大健闘ではないだろうか。

Kinmedal

特にU21のみ、しかもクラブでは控えが多い選手や学生で固めたメンバーだった男子サッカーの初優勝、2016年から五輪正式種目になるラグビーの金メダルは評価できよう。
因みに、3位に終わった韓国男子サッカーは、海外組5名、A代表経験者8名、現在モナコに在籍している朴主永などオーバーエージ3名を含んだメンバーであった。

2012年以降の五輪正式種目からは外れ、アジア大会からも外されようとしているソフトボール。
北京五輪以来の日本代表復帰となったエース上野由岐子は、決勝の中国戦で120キロを超える世界最速の投球も見せるなどその存在はやはり圧倒的だった。
アジア大会は世間の関心も低く、テレビの露出も少なかったが、上野の投球は出来るだけスポーツをしている多くの子どもに見てほしいとすら思った。

男子バレーは、先の世界選手権(13位タイ)の惨敗から目標を切り替えて、よく結果を出した。
とはいうものの、準決勝で死闘を演じた韓国は世界選手権に出ることのできなかったチーム、決勝で戦ったイランは世界選手権19位タイのチームであることは、忘れてはならない。

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November 26, 2010

男子バレー決勝は 日本対イラン

広州アジア大会 今日は男子バレーの決勝が行われる。
カードは日本対イラン。

9月にイタリアで行われた世界バレーの1次ラウンドで顔を合わせ1-3で日本が敗れた相手だ。

イラン3 - 1日本 15-25 25-17 26-24 25-23

イランはこのとき、世界バレー初勝利。
日本は雪辱を果たせるだろうか。

<世界バレー2010>
イラン:1次ラウンド敗退
日本:2次ラウンド敗退13位タイ


Men2010

●参考記事
広州アジア大会のバレーボールは?

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福島千里陸上3冠なるか

昨日の200mでも優勝し、100mと併せ2冠となった福島千里
今日の400mリレーでも優勝すればアジア大会3冠となる。

女子200mで、福島以前に200mで日本人として最後に金メダルを獲ったのが磯崎公美
1982年のニューデリー大会では
200m、400m、400mリレー、1600mリレー
の4冠を達成している。
磯崎が日本人の陸上1大会の最多金メダルではないだろうか。

伊東浩司は、1998年バンコク大会で
100m 200m 400mリレー
の3冠を達成している。

ほかにも2冠は、1986年ソウル大会の高野進 400m、1600mリレー、1994年広島大会で高岡寿成が5000m、10000mでそれぞれ達成している。

海外勢では1986年ソウル大会に出場したインドのウシャ(女性)は、
200m、400m、400m障害、1600mリレーの4冠女王だ。
この4冠の組み合わせは面白いが、ウシャが最も得意としていたのは、400m障害だったはず。
同じソウル大会は地元韓国の林春愛(女性)が800m、1500m、3000mの3冠を成し遂げた。

磯崎、ウシャ、林はいずれも80年代の出来事。
この当時と異なり、現在の陸上女子は中国が金メダル獲得に総力を挙げ、それにインドが続く時代だ。
その中で福島が3冠を成し遂げれば、その価値は極めて高いと言えるだろう。

Fukushima


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November 25, 2010

劉翔 復活のアジア大会3連覇

広州アジア大会は24日、陸上競技注目の男子110m障害が行われ、アテネ五輪金メダリストで北京五輪は1次予選で棄権した劉翔(中国)が13秒09で3連覇を果たした。

10代の頃には上海に天才少年がいるといわれていた劉翔も今年27歳。
北京五輪で屈辱の棄権をした後、アメリカでアキレス腱の手術をし、昨年も今年も大きなレースには出ていない。
今年唯一地元上海で走ったタイムは13秒40。

もうかつてのような走りは見られないのではないか、限界説も出ていた。
アジア大会が始まって22日の1次予選の記録は13秒48。平凡な記録だ。
それでも「劉翔の復活を見たい」昨日の決勝には7万人の観衆が集まった。
80元のチケットは1600元になったという。
その中で出した13秒09は恐れ入る。
今季の世界ランクでも3位に入る好記録だ。

ではロンドン五輪で劉翔は金メダルを獲れるか?
劉翔のいない北京五輪で3位になったデビッド・オリバーが強い。
今季だけで12秒台を5回出した。
5月の上海のグランプリでも劉翔の目の前で12秒99を出している。
その一方劉翔は、自分はもう12秒台は出せないと言い切っている。

Liuxiang


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November 22, 2010

福島千里44年ぶり金メダルなるか

北京五輪の陸上400リレーで銅メダルを獲った4人の内、アジア大会で金メダルを獲ったことがあるのは誰でしょう。

1.塚原直貴
2.末続伸吾
3.高平慎士
4.朝原宣治

日本は、アジアの中では短距離王国で五輪や世界陸上でも活躍している。
確かにその通りだが、400mリレーで戦後初めて決勝に残ったのは五輪は1992年のバルセロナ大会、世界陸上は1995年のイエテボリ大会だ。
それ以前は、健闘こそしても準決勝が精一杯だった。
もちろん100mで決勝に出たことはない。(1932年に吉岡隆徳さんが決勝進出、6位になっている。)

アジアにおいても意外と100mの金メダルを獲っていない。
それでも、最も印象深いのは、伊東浩司さんが優勝した1998年バンコク大会だ。
準決勝で今なお日本記録として残る10.00を出し、決勝では10.05で優勝した。
伊東さんはこの大会で100m、200m、400mリレーと3冠に輝くのだが、伊東さん以前にアジア大会の100mを制したのは、1970年大会の神野正英さんまで遡らなければならない。
神野さんのあとはなかなかタイ勢に勝てなかった。
カタールのタラル・マンスールのように1986年~94年まで3連覇した超人もいた。

広州大会にもエントリーしながら故障で出場辞退した塚原直貴は、2006年大会で銀。
朝原宣治さんも2002年大会で銀に終わっている。
が、200mで金メダルを獲っているのが、現在休養中の末続伸吾だ。
末続は、2002年、2006年と200mに連覇した。
ちなみに2006年は高平慎士が3位に入っている。

答え 2.末続伸吾

上記のように男子は1998年以来12年間金メダルから遠ざかっているが、女子はもっと凄い。
最後にアジア大会の100mで金メダルを獲ったのは、1966年大会の佐藤美保さん。
「メダル」というと大迫夕起子さんが銀メダルを獲った1978年が最後となる。

日本のエース、福島千里は実績なら文句なくアジア一番だと思うが、44年ぶり金メダルはなるだろうか。

●アジア大会における100m優勝者と、日本人選手の最高順位
1966年 バンコク大会
男子)
①マニカヴァサガラン・ジェガセサン(MAS)10.49
②神野正英(日本)10.52
女子)
①佐藤美保 (日本)12.3

1970年 バンコク大会
男子)
①神野正英(日本)10.5
女子)
①紀政 (TPE)11.6→メキシコ五輪銅メダリスト
②山田恵子(日本)12.6

1974年 テヘラン大会
男子)
①アナト・ラタナポール (THA)10.42A
②神野正英 (JPN)10.55A
女子)
①ロチエスター・ロット (ISR)11.90A
③山田恵子(日本)12.42

1978年 バンコク大会
男子)
①スチャート (THA)10.44
女子)
①Ying Yaping (CHN)12.20
②大迫夕起子 (日本)12.21

1982年 ニューデリー大会
男子)
①ラブアン・ピット (MAS)10.68
女子)
リディア・デ・ベガ (PHI)11.76

1986年 ソウル大会
男子)
①タラル・マンスール (QAT)10.30
女子)
①リディア・デ・ベガ (PHI)11.53

1990年 北京大会
男子)
①タラル・マンスール (QAT)10.30
女子)
①田玉梅(CHN)11.80

1994年 広島大会
男子)
①タラル・マンスール (QAT)10.18
女子)
①劉暁梅 (CHN)11.27
④北田敏恵 (日本)11.58

1998年 バンコク大会
男子)
①伊東浩司 (日本)10.05
女子)
①李雪梅(CHN)11.05w
⑤新井初佳 (日本)11.59

2002年 釜山大会
男子)
①ジャマル・アル=サファル(KSA) 10.24
②朝原宣治 (JPN)10.29
女子)
①スサンティカ・ジャヤシンゲ (SRI)11.15→シドニー五輪銀メダリスト

2006年 ドーハ大会
男子)
①ヤヒヤ・ハッサン・ハビーブ (KSA)10.32
②塚原直貴(JPN) 10.34
女子)
①グゼル・フビエワ (UZB)11.27
⑥高橋萌木子 (日本)11.85

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November 19, 2010

男子メドレーリレー 辛くも5連覇

広州アジア大会の競泳は、日本勢は予想以上の苦戦を強いられた。
全38種目の内、日本が手にした金メダルは9個。
中国は2倍以上の24個
前回ドーハ大会は16個で同数だったが、今回は随分と引き離された。

昨夜の男子の400mメドレーリレーは、日本が中国に20年ぶりに敗れたかと思った。
が、中国の第一泳者と第二泳者の引き継ぎ違反があり、日本に金メダルが転がり込んできた。

この種目で日本は、五輪や世界水泳で5大会連続でメダル(銀か銅)を獲ってきた種目であるが、昨年ローマで行われた世界水泳で途切れている。
以下が2003年から2009年までの泳者と記録である。
ご覧いただければ一目瞭然 メダルを獲ったときは北島康介がいたのだ。

北京五輪以降北島は休養期間に入り、ローマの世界水泳は立石諒が泳いだ。
記録こそ3分30秒91と好記録を残しているが、これは高速水着のおかげ。
ここのところ好調だった日本の競泳チームの世界の中での地位が、少しずつ下がってきている訳で、今回のアジア大会でも如実にそれが出ている。

100m、200m、400mで優勝した朴泰桓(韓国)に1500mで勝った孫楊(中国)は、198センチ19歳だそうだ。
しかもタイムは14分36秒43!
ロンドン五輪の自由形は、日本を除くアジア勢に席巻されるかもしれない。

●世界水泳・五輪の400mメドレーリレー
2009年ローマ世界水泳
⑦古賀淳也、立石諒、藤井拓郎、原田蘭丸 3分30秒91
2008年北京五輪
③宮下純一、北島康介、藤井拓郎、佐藤久佳 3分31秒18日本新
2007年メルボルン世界水泳
②森田智己、北島康介、山本貴司、細川大輔 3分35秒16
2005年モントリオール世界水泳
③森田智己、北島康介、高安亮、細川大輔 3分35秒40
2004年アテネ五輪
③森田智己、北島康介、山本貴司、奥村幸大 3分35秒22日本新
2003年バルセロナ世界水泳
③森田智己、北島康介、山本貴司、細川大輔 3分36秒12日本新


●400mメドレーリレー アジア大会は5連覇だけど
2010年広州アジア大会
①立石諒、藤井拓郎、原田蘭丸 3分43秒10
2006年ドーハアジア大会
①宮下純一、北島康介、山本貴志、細川大輔 3分36秒52
2002年釜山アジア大会
①錦織篤、北島康介、山本貴志、奥村大輔 3分37秒45日本新
1998年バンコクアジア大会
①錦織篤、林亨、山本貴志、伊藤俊介 3分41秒98
1994年広島アジア大会
①小嶺英司、林亨、糸井統、松下幸広 3分41秒70日本新

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November 16, 2010

広州アジア大会のバレーボールは?

世界バレーとアジア大会はともに五輪の中間年に開催される。
しかも開催期間は近いことが多い。
そのためアジア大会のバレーボール競技には思わぬことも起こりうる。

▼2006年 ドーハアジア大会
この年の世界バレーで男子全日本は8位(24カ国中)とホームの利を生かして好成績を残した。
世界バレーに出場した国は、アジア大会ではシードされ8強から競技に参加した。
日本の初戦はサウジアラビア。
近年バレーボールにも力を入れていたが、この当時のFIVBランキングは日本10位に対し、サウジは最下位の106位。
普通にやれば負ける相手ではない。
が、世界バレーの直後で全日本は集中力が欠けていたのか?0-3のストレート負けを喫した。
その結果5-8位決定戦に回ることになり、結局5位。
世界バレーの健闘も帳消しにする大惨敗だった。

▼2002年 釜山アジア大会
この年はアジア大会と世界場レーの日程が見事に被ってしまった。
そのため世界バレーには全日本が出場し、アジア大会には全日本Bが派遣された。
結果、全日本Bは銅メダルを死守。
この全日本Bのコーチだったのは現全日本監督の植田辰哉氏。
選手には長い間全日本で活躍し、最後の代表となった泉川正幸、新鋭山村宏太、そして高校3年だった越川優も含まれていた。

こういうときアジア大会の開催国である韓国は、世界バレーは辞退し、アジア大会に集中する。
世界選手権で上位にいける可能性は少なく、逆にアジア大会で優勝できればは徴兵免除となるためだ。

▼1998年 バンコクアジア大会
この年の世界バレーは日本開催だったにも関わらず、史上最低の15位(24か国中)に終わった。
全日本のセッターは現女子監督で当時35歳だった真鍋正義氏。
ほかにも現在はビーチバレーで活躍する朝日健太郎やイタリアでもプレーした加藤陽一などがいたが惨敗だった。
その落ち込んだ雰囲気のままアジア大会に向い、史上初めて台湾に敗れ4位に終わった。

さて、今年の広州アジア大会だが、世界バレーで2次ラウンドで敗退した男子は、このときのメンバーを少し入れ替えた陣容。
女子は、世界バレーで銅メダルを獲った全日本は参加せず、全日本Bが出場している。
こちらのチームの注目は木村沙織の妹でリベロを務める木村美里19歳。
185cmの姉に対し、美里は161㎝。
姉妹で20㎝以上身長が違うのも面白い。


●参考記事
お疲れ様 女子バレー今年の最終戦

●世界バレーとアジア大会の比較
2006年
ドーハアジア大会
男子)①韓国②中国③サウジ④カタール⑤日本
女子)①中国②日本③台湾④タイ⑤韓国
世界バレー 
男子)開催国:日本
日本8位 中国・韓国17位T イラン・カザフスタン21位T
女子)開催国:日本
中国5位 日本6位 台湾12位 韓国13位T カザフスタン17位T

2002年
釜山アジア大会
男子)①韓国②イラン③日本④中国
女子)①中国②韓国③日本④カザフスタン
世界バレー
男子)開催国:アルゼンチン
日本9位T 中国13位T カザフスタン19位T
女子)開催国:ドイツ
中国4位 韓国6位 日本13位T タイ17位T

1998年
バンコクアジア大会
男子)①中国②韓国③台湾④日本
女子)①中国②韓国③日本④タイ
世界バレー
男子)開催国:日本
韓国13位T 日本・中国15位T
女子)開催国:日本
中国2位 日本7位 韓国8位 タイ15位

1994年
広島アジア大会
男子)①日本②中国③韓国④カザフスタン
女子)①韓国②中国③日本④タイ
世界バレー
男子)開催国:ギリシア
韓国8位 日本9位T 中国13位T
女子)開催国:ブラジル
韓国4位 日本7位 中国8位

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November 12, 2010

主将は村上幸史 旗手は潮田玲子

第16回アジア競技大会は12日夜、中国広東省広州市の珠江の島「海心沙」をメーン会場に開会式が行われる。
中国でのアジア大会は1990年北京大会以来20年振り2度目。
45カ国・地域から選手、役員合わせて1万4000人以上の参加が見込まれ、27日までの日程で史上最多の42競技、476種目が実施される。

広州に決まるまで
当初2010年のアジア大会には広州のほかにも、ソウル、クアラルンプール、アンマンも招致を目指していた。
が、ソウルは8年前に釜山で同大会を開催したばかり、クアラルンプールは政府の支持が得られないなどの理由で辞退、広州に落ち着いた。
とはいうものの、北京五輪から僅かに2年しか経っていない中、またも中国での国際大会の開催となる。
2010年招致を辞退した韓国は、結局2014年大会を仁川で開催することが決まっており、1986年のソウル大会以降の8大会は、韓国で3大会、中国で2大会、その他3大会と東アジアに偏った開催となっている。

主将と旗手
総勢1078名の日本選手団の主将は陸上やり投げの村上幸史、旗手はバドミントンの潮田玲子が務める。
これまでのアジア大会の日本選手団旗手は、バレーボール 特に女子バレーの選手が選ばれることが多かったが、現在女子バレーの全日本は世界選手権に参加中のため、アジア大会はB代表が出場する。
ほかにも男子体操も、先の世界選手権2位のチームは出場しない。
また、野球も韓国がMLBの選手も含めたプロ軍団であるのに対し、日本は社会人で日本代表を組んでいる。

●近年のアジア大会日本選手団主将と旗手
2010asia


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October 18, 2010

反日デモは大丈夫か?来月は広州アジア大会

尖閣諸島の領有権問題に絡んだ中国・四川省や河南省での反日デモは一部暴徒化する様相を見せている。
気になるのは、来る11月12日に第16回アジア競技大会が、広東省広州市をメーン会場に開幕する。
果たして、反日の嵐の中大会は開幕するのか、中国政府はこれを強引に納めるのだろうか。

アジア大会の中国での開催は1990年の北京大会以来2回目で、大会は11月27日まで続く。
北京五輪からわずかに2年、中国は再び世界的スポーツイベントの開催国となる。


中国市民は、1990年代の江沢民政権時代に、過去の歴史を利用した徹底的な愛国教育を受けている。
当局は、統制された学校教育、マスコミなどを通じ、旧日本軍の「罪状」を徹底的に宣伝、その視点で現代日本も批判してきた。
そのため多くの市民は「反日は正義、親日は売国」という屈折した民族主義的感情を持つといわれる。
言わば中国人観客が見せる反日感情は、中国共産党政権自身が育ててきた側面があるのだ。

中国では今なお、共産党一党独裁の言論統制下にあり、日本に対するこうした感情は矛盾にも当局の監視が届きにくいインターネットを通じ、広く共有されている。


▼2004年サッカーアジア杯
この10年あまり、中国での国際競技会は常に反日と隣り合わせに行われてきた。 
何と言っても最も歴史に残るのは、2004年のサッカーアジア杯だろう。

「私の記憶する限り、このようなことが北京で起きたことはない。怒りを禁じ得ない」。
阿南惟茂駐中国大使(当時)はアジア杯決勝戦終了後、日本公使が乗った公用車が中国人観衆に襲撃された事件に不快感をあらわにした。
16カ国が参加したアジア杯、日本は決勝で中国を3-1で下し3度目の優勝を遂げた。
日本に敗れたことを不服とする中国市民は、日本公使公用車を襲撃する。
後日 後部ガラスが盛大に壊れるなど、無残な状態で公用車は公開された。
日本側の抗議に対し、北京市公安局は「警備上の不手際」を謝罪したものの、中国メディアは事件の発生、経緯についてほとんど報道しなかった。
一方、決勝の行われたスタジアム(北京工人体育場)では、日本人サポーターは決勝戦終了後2時間もスタンドに足止めされ、日の丸が焼かれるなどもした。

このアジア杯の時の中国での反日の暴動と、事実上これを放置した中国側の対応は異常だった。
なぜか、日本の対戦相手国の小旗が、必ず会場で配られた。
予選リーグから決勝までの全ての試合で、国歌演奏時や試合中で激しいブーイングや反日行為に晒された。
これに対しては当時の日本代表監督ジーコも「国歌演奏のときにブーイングするのは納得がいかない」とあきれて批判した。

▼2001年北京ユニバーシアード
スポーツにおける反日行動が顕在化してきたのは、2001年の北京ユニバーシアードの頃からではないだろうか。
男子サッカーの決勝 日本対ウクライナ戦は異様な雰囲気の中の試合となった。
日本に対する声援はかき消され、日本選手がウクライナ選手を倒そうものなら、日本をののしる罵声が飛んだ。
ユニバーシアードの開催を支えていた中国の大学生ですら「かつて中国を侵略した日本への正常な反応」と言ってみせた。
中国のサッカーが敗退した腹いせかと思いきや、そうではない。
数100人規模の人民武装警察隊員が通路に5mおきに立つ中、中国人の小学生から、大人までもが一緒になって、大声で日本代表に罵声を浴びせる試合は尋常ではなかった。

▼2007年サッカー女子W杯
浙江省杭州市で行われたサッカー・女子W杯のドイツ戦で「反日ブーイング」の中で敗退した日本チームが試合後、「ありがとう、中国!」とローマ字、中国語などで書いた横断幕を広げ、中国の観客に感謝のメッセージを伝えた。
女子日本代表チームは、ブーイングを浴びせた中国の観客に感謝の気持ちを示したのだ。
これに対し新華社の発行する「国際先駆導報」は、「日本女子代表は我々に、『過去に生きる者は過去の中に消え去り、未来に生きる者は未来に向かって前進する』という現実に相対すべきことを教えた」とする論評を掲載した。
一方ネットにも、「日本は試合に負けたが、中国は人で負けた」と題し、「我々は成り金のように教養や文化が欠けている。本当に強い国になるためには、啓発運動が必要だ」説くブログもあった。

▼2008年北京五輪
国際的な注目度が他の競技会とは全く違う五輪。
北京五輪では、市民が暴走しないように中国当局の監視は半端ではなかったとされる。
それでも男女のバレーボールや女子サッカーでは日本に対するブーイングが目立った。
バレーボールで日本選手がサーブミスをすると、中国人観客の喜ぶこと…。

▼2005年上海世界卓球選手権
中国で開催された競技会では、こういったこともあった。
2005年4月、大規模な反日デモが起きた直後の上海で開かれた世界卓球選手権。
中国で最も知られた日本人のひとりである福原愛。
彼女に対しては、ブーイングはもちろん全くなかった。
福原は、東北なまりとも言われるが流暢な中国語を操り、日本に辛口な中国のメディアも「日本生まれの中国育ち」と福原だけは扱いが違った。

上記以外にも中国で行われた競技会で、日本人選手が標的になったケースは多い。
2005年蘇州で行われたハンドボールの東アジアクラブ選手権は、中国人観客が暴徒と化すのを危惧し、一般観客を入場させずに無観客試合を行った。
同じ年の北京国際駅伝では日本チームに主催者側から「ユニホームの日の丸が見えると危険なので隠してほしい」と要請があった。

選手に試合に専念できる環境を提供するのが、国際大会の最低の条件だろう。
仮にも夏季五輪を成功裏に開催させた中国。
アジア大会で、選手や応援団の安全確保に不都合が生じるのであれば日本からOCA(アジア五輪評議会)や国際競技団体へ問題提起すべきだ。

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