川口悠子ロシア代表で銅メダル
昨年の北京五輪のロシア選手団に、2人の変わったプロフィールの選手がいたことは、日本ではほとんど知られていない。
この2人というのは、アメリカからロシアに帰化したバスケットボールの選手だ。
ひとりは、ジョンロバート・ホルデン、JRホルデンと呼ばれるアフリカ系のピッツバーグ生まれのアメリカ人。
アメリカではプロのバスケットボール選手になれなかったホルデンは、ラトビア、ベルギー、ギリシアを経てロシアに渡り、名門CSKAモスクワに入団、現在でもプレーをしている。
CSKAは、2005-2006年シーズンにヨーロッパクラブ王者になり、このときのホルデンの活躍は、時のプーチン大統領の目に留まった。
ポイントガードに恵まれていなかった『ロシア代表のために帰化をしろ』、プーチンの後押しで、ホルデンは僅か10分でロシア国籍を取得、ロシア語も話せないままロシア代表に入る権利を手にした。
2007年の欧州バスケットボール選手権決勝 ロシアは地元スペイン相手に終了直前、ホルデンのシュートで1点差で勝利した。
肝心の北京五輪でロシアは9位に終わったため、ホルデンのことは話題にもならなかったが、アシストランキングでは2位になった。
一方、女子のロシア代表にはレベッカ・ハモンというやはりアメリカからロシアに帰化した選手がいて、ロシアの銅メダル獲得に貢献した。
この例からわかることは、ロシアはスポーツでの国威発揚のためには、比較的簡単にロシア国籍を出しているということだ。
ロサンゼルスで始まった世界フィギュアスケート選手権、ペアのフリーが行われ、川口悠子とアレクサンドル・スミルノフ(ロシア)のペアが合計186.39点で3位に入り、銅メダルを獲得した。
昨年の世界フィギュアまでは、川口=日本、スミルノフ=ロシアという国際ペアで出場していた。2007年9位、2008年4位、そして2009年3位と毎年順位を挙げ、バンクーバー五輪ではメダル獲得の射程距離にいる。
とすれば、ロシア国籍取得は早い。
2008年11月に帰化の手続きに入り、今年の1月にはロシア国籍を取得。
JOCも川口のロシア代表としての五輪出場を許諾、(帰化3年以内の選手には元の国のNOCの許可が必要)、バンクーバーでのメダル獲得が見えてきた。
ホルデン等のアメリカからロシアに帰化した選手と、川口悠子の決定的な違いは何か。
日本が、アメリカとは異なり、二重国籍を認めていないため、日本国籍を離脱していることだ。
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