第10回世界陸上(フィンランド・ヘルシンキ)第8日、男子4×100mリレー決勝に出場した日本チーム(末續慎吾、高平慎士、吉野達郎、朝原宣治)は、38秒77で8位に終わり、メダル獲得はならなかった。
日本は予選から走順を変更し、末續を1走、朝原を4走に据えて決勝に臨んだ。末續はいいスタートを切ったものの、バトンの受け渡しでのミスもあり、最後は朝原の懸命の走りも及ばず、アテネ五輪の4位(38秒49)を上回ることはできなかった。
アメリカがいなかった割にレベルの高いレースだった。
日本新が出てなければメダルはなかった訳だが、なぜ、朝原と末続を入れ替えたのだろう。
ちょっと悔いが残る。
とはいえ、38秒77は日本チームの世界陸上史上3番目のタイムに該当する。
●ヘルシンキ世界陸上 男子4×400リレー決勝
1.フランス 38.08
2.トリニダードトバゴ 38.10
3.イギリス 38.27
8.日本 末續慎吾、高平慎士、吉野達郎、朝原宣治 38.77
4×100リレーの現在の日本記録は38秒31。
1997年のアテネで行われた世界選手権準決勝とシドニー五輪の準決勝で出ている。
世界陸上のときは、準決勝2組で5位ながら出した記録である。
陸上競技は競泳と異なり、タイム順に次の段階に進むタイムスレースではなく、順位によって決められる。準決勝から決勝に進む際は、ふた組のそれぞれ4位までが決勝に進むわけだ。
そのため、日本は全体の順位では7位だったものの、決勝進出を果たせなかった。
シドニー五輪のときは、準決勝で日本新を出し、決勝に進むも、準決勝で好走を見せた1走の川畑が準決勝で右太もも肉離れ寸前の状態になり、急遽小島茂之に交代をする。そして3走の末續は2走の伊東からバトンを受け、わずか20メートルで肉離れを起こしてしまうが、そのまま走りきる。4走の朝原が懸命に走るも、日本記録の更新はならず、順位も6位に終わった。
100㍍のアジア記録10秒00を持つ伊東浩司が集大成と捉えていた種目だっただけに、残念な結果だった。当時、末續はまだ20歳のひ弱さの残る大学生だった。
●4×100リレー日本記録 38秒31
1997年8月9日 世界陸上選手権アテネ大会準決勝5位
井上 悟、伊東浩司、土江寛裕、朝原宣治
2000年9月29日 シドニー五輪準決勝2組3位
川畑伸吾、伊東浩司、末續慎吾、朝原宣治
1932年以降、なかなかリレーで結果は出ていない。
近年、好選手が揃い、上位を伺えるようになっている。
●世界陸上での4×100リレー
2005年 8位 38.77
2003年 6位 38.96
2001年 5位 38.96
1999年 出場せず
1997年 5位 38.31(準決勝 日本記録)
1995年 5位 39.33
1993年 7位 39.01(準決勝)
1991年 6位 39.19(準決勝)
1987年 5位 39.71(準決勝)
1983年 エントリーせず
●五輪での4×100リレー
1928年アムステルダム大会
相沢 巌夫、井沼 清七、大沢 重憲、南部 忠平
予選で落選(43秒6)
1932年ロサンゼルス大会
阿武 巌夫、中島 亥太郎、南部 忠平、吉岡 隆徳
5位入賞(41秒3)
1936年ベルリン大会
鈴木 聞多、谷口 睦夫、矢沢 正雄、吉岡 隆徳
失格
1956年メルボルン大会
赤木 完次、潮 喬平、清藤 亨、田島 政治
準決勝で落選(41秒3)
1960年ローマ大会
大串 啓二、岡崎 高之、柴田 宏、早瀬 公忠
準決勝で落選(42秒2)
1964年東京大会
浅井 浄、飯島 秀雄、蒲田 勝、室 洋二郎
予選で落選(40秒6)
1968年メキシコ大会
阿部 直紀、飯島 秀雄、小倉 新司、山田 広臣
予選で落選(40秒0)
1988年ソウル大会
青戸 慎司、栗原 浩司、高野 進、山内 健次
準決勝で落選(38秒90)
1992年バルセロナ大会
青戸 慎司、井上 悟、杉本 龍勇、鈴木 久嗣
6位入賞(38秒77)
1996年アトランタ大会
朝原 宣治、伊東 浩司、井上 悟、土江 寛裕
予選失格
2000年シドニー大会
伊東 浩司、朝原 宣治、小島 茂之、末讀 慎吾
6位入賞(38秒66)、※予選、準決勝は 伊東・朝原・川畑・末讀
2004年アテネ大会
土江寛裕、高平慎士、末讀慎吾、朝原宣治
4位入賞(38秒49)
●こんなこともあった 末讀の東海大時代のはなし
2001年9月27日 陸上の全日本大学選手権(インカレ)4×100リレーで東海大学(宮崎、末讀、藤本、奥迫)は、38秒57で優勝。これはこの年の世界陸上5位の日本チーム(松田、末讀、藤本、朝原)の記録38秒96、北京ユニバーシアード優勝の日本チーム(川畑、奈良、奥迫、大前)の38秒77を上回る、この年の世界陸上でも銅メダルに相当する好記録であった。