ヘルシンキ世界陸上

August 17, 2005

為末大の400Hの記録より悪かった400mの選手

閉幕した世界陸上ヘルシンキ大会、気になったことをいくつか書いておこう。

400mに出場した佐藤光浩。1次予選を突破して準決勝に進出するも48秒55と3組最下位で決勝進出を逃した。
この400mの48秒55というタイムだが、為末大が400Hで銅メダルを獲ったときの48秒10を下回るという歴史に残る不名誉なタイムだった。

こういうケースは実はいくつかある。
例えば、1996年アトランタ五輪、女子マラソンで銅メダルを獲った有森裕子の記録は2時間28分39秒。一方、男子マラソンに出場した実井謙二郎は93位 2時間33分27秒。有森を5分近く下回った。

今大会から正式種目になった女子3000m障害。
この種目は日本国内ではほとんど実施されていない種目だ。
早狩実紀は、予選で9分41秒21の日本新記録を出して、決勝進出を果たす。決勝ではこの記録を上回れず、12位に終わったものの、なんと、これが3000m障害4回目のレースだという。

早狩実紀選手。世界陸上は14年前の1991年以来2回目の出場だそうだ。
1991年というと東京大会。
あのナガシマ氏の「カール! カール!」の東京大会だ。(筆者は生でこれを見ていたが、ヘイカールとは言っていない)
東京大会には3000mに出場し、予選1組9分14秒02で11位と敗退している。

現在年齢は33歳、100mの朝原宣治とは同志社大学の同期だ。14年ぶりの世界選手権、新種目への挑戦 全国都道府県対抗女子駅伝ではおなじみのタフな選手である。

尾方剛が3位、高岡寿成が4位と久々に女子の結果を上回った男子マラソンだが、なんと50歳の選手が出場していた。しかも21位だった。
日本の入船敏が20位でゴール、実況の土井アナが後ろの選手が50歳であることを伝えている。その名はハイリ・サタイン
試しにBiography を確認してみると1955年生まれ、確かに50歳だ。
アテネ五輪でも2時間17分25秒で20位に入っている。
2年続けての世界大会でほぼ同じタイムを出している。常に自らの実力を出し切れる選手のようだ。

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August 14, 2005

なんで朝原と末續を入れ替えたのかなあ

第10回世界陸上(フィンランド・ヘルシンキ)第8日、男子4×100mリレー決勝に出場した日本チーム(末續慎吾、高平慎士、吉野達郎、朝原宣治)は、38秒77で8位に終わり、メダル獲得はならなかった。

日本は予選から走順を変更し、末續を1走、朝原を4走に据えて決勝に臨んだ。末續はいいスタートを切ったものの、バトンの受け渡しでのミスもあり、最後は朝原の懸命の走りも及ばず、アテネ五輪の4位(38秒49)を上回ることはできなかった。

アメリカがいなかった割にレベルの高いレースだった。
日本新が出てなければメダルはなかった訳だが、なぜ、朝原と末続を入れ替えたのだろう。
ちょっと悔いが残る。
とはいえ、38秒77は日本チームの世界陸上史上3番目のタイムに該当する。

●ヘルシンキ世界陸上 男子4×400リレー決勝
1.フランス 38.08
2.トリニダードトバゴ 38.10
3.イギリス 38.27
8.日本 末續慎吾、高平慎士、吉野達郎、朝原宣治 38.77

4×100リレーの現在の日本記録は38秒31。
1997年のアテネで行われた世界選手権準決勝とシドニー五輪の準決勝で出ている。
世界陸上のときは、準決勝2組で5位ながら出した記録である。
陸上競技は競泳と異なり、タイム順に次の段階に進むタイムスレースではなく、順位によって決められる。準決勝から決勝に進む際は、ふた組のそれぞれ4位までが決勝に進むわけだ。
そのため、日本は全体の順位では7位だったものの、決勝進出を果たせなかった。

シドニー五輪のときは、準決勝で日本新を出し、決勝に進むも、準決勝で好走を見せた1走の川畑が準決勝で右太もも肉離れ寸前の状態になり、急遽小島茂之に交代をする。そして3走の末續は2走の伊東からバトンを受け、わずか20メートルで肉離れを起こしてしまうが、そのまま走りきる。4走の朝原が懸命に走るも、日本記録の更新はならず、順位も6位に終わった。

100㍍のアジア記録10秒00を持つ伊東浩司が集大成と捉えていた種目だっただけに、残念な結果だった。当時、末續はまだ20歳のひ弱さの残る大学生だった。

●4×100リレー日本記録 38秒31
1997年8月9日 世界陸上選手権アテネ大会準決勝5位
井上 悟、伊東浩司、土江寛裕、朝原宣治

2000年9月29日 シドニー五輪準決勝2組3位
川畑伸吾、伊東浩司、末續慎吾、朝原宣治

1932年以降、なかなかリレーで結果は出ていない。
近年、好選手が揃い、上位を伺えるようになっている。

●世界陸上での4×100リレー
2005年 8位 38.77
2003年 6位 38.96
2001年 5位 38.96
1999年 出場せず
1997年 5位 38.31(準決勝 日本記録)
1995年 5位 39.33
1993年 7位 39.01(準決勝)
1991年 6位 39.19(準決勝)
1987年 5位 39.71(準決勝)
1983年 エントリーせず

●五輪での4×100リレー
1928年アムステルダム大会
相沢 巌夫、井沼 清七、大沢 重憲、南部 忠平
予選で落選(43秒6)

1932年ロサンゼルス大会
阿武 巌夫、中島 亥太郎、南部 忠平、吉岡 隆徳
5位入賞(41秒3)

1936年ベルリン大会
鈴木 聞多、谷口 睦夫、矢沢 正雄、吉岡 隆徳
失格

1956年メルボルン大会
赤木 完次、潮 喬平、清藤 亨、田島 政治
準決勝で落選(41秒3)

1960年ローマ大会
大串 啓二、岡崎 高之、柴田 宏、早瀬 公忠
準決勝で落選(42秒2)

1964年東京大会
浅井 浄、飯島 秀雄、蒲田 勝、室 洋二郎
予選で落選(40秒6)

1968年メキシコ大会
阿部 直紀、飯島 秀雄、小倉 新司、山田 広臣
予選で落選(40秒0)

1988年ソウル大会
青戸 慎司、栗原 浩司、高野 進、山内 健次
準決勝で落選(38秒90)

1992年バルセロナ大会
青戸 慎司、井上 悟、杉本 龍勇、鈴木 久嗣
6位入賞(38秒77)

1996年アトランタ大会
朝原 宣治、伊東 浩司、井上 悟、土江 寛裕
予選失格

2000年シドニー大会
伊東 浩司、朝原 宣治、小島 茂之、末讀 慎吾
6位入賞(38秒66)、※予選、準決勝は 伊東・朝原・川畑・末讀

2004年アテネ大会
土江寛裕、高平慎士、末讀慎吾、朝原宣治
4位入賞(38秒49)

●こんなこともあった  末讀の東海大時代のはなし
2001年9月27日 陸上の全日本大学選手権(インカレ)4×100リレーで東海大学(宮崎、末讀、藤本、奥迫)は、38秒57で優勝。これはこの年の世界陸上5位の日本チーム(松田、末讀、藤本、朝原)の記録38秒96、北京ユニバーシアード優勝の日本チーム(川畑、奈良、奥迫、大前)の38秒77を上回る、この年の世界陸上でも銅メダルに相当する好記録であった。

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August 13, 2005

速報 日本決勝へ 4×100リレー

1走に朝原、4走に末続を並べた日本は2組3位で順当に決勝進出を果たした。
なお、アメリカはバトンミスで失格し、TBS解説の伊東浩司氏は、「日本チームの金メダルもある」と興奮気味に語った。

●世界陸上 男子 4×100リレー 予選
<1組>
1.フランス 38.34 Q
2.ジャマイカ38.37  Q
3.ドイツ 38.58 Q
4.オーストラリア  38.65 Q
5.ブラジル 38.92
6.フィンランド 39.30
アメリカ 失格

<2組>
1.トリニダードトバゴ  38.28 Q
2.イギリス 38.32 Q
3.日本 38.46 Q 朝原宣治、高平慎士、吉野達郎、末續慎吾
4.オランダ領アンティル諸島 38.60 Q
5.カナダ 38.67
6.ナイジェリア 39.29
イタリア 失格
ポーランド 失格

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August 12, 2005

DAIという名前は大きいことを意味している

世界陸上の男子400m障害で4年ぶり2つ目の銅メダルを獲った為末大選手の英字のインタビューがIAAFの公式サイトにあったので紹介します。
為末選手ってTBSで現地からレポートしている久保田智子アナの高校(広島県立皆実高校)の2年後輩なんだよね。
ちょっといいなあ。

アテネ五輪自転車チームスプリント銀メダルの長塚智広選手にTBして頂きました。
ありがとうございます。

為末はメダル獲得後、次のように話している。
「エドモントンの世界陸上(2001年)で銅メダルを獲得した後に、自分自身を含むみんなが銅メダリストに値するパフォーマンスを期待した。そして、エドモントンの後の2、3年の間、そのことが不快であると感じたことがあった。

しかし、私はこれがエリートのスポーツマンの人生であると理解した、そして、昨年から、私はそれを受け入れることができるようになった。そして、今年私はメダルを獲ることに煩わずに、競技を楽しむことができるようになった。」

一方、為末について、金のメダリストのバーショーン・ジャクソン(米国)は次のように語ってくれた。
「年齢や身長は大きな問題ではない。ハートさ。彼が小さいと考えるならば、彼は小さくしか走れない、しかし、彼が大きいと考えれば、彼は大きく走れる。 僕自身の様に、為末には大きなハートがある。彼は偉大なスポーツマンであって、これからもそうあり続けるだろう。」

為末は、世界でも最も小さなハードル選手で、身長は 170cmしかない。
しかし、彼の名前『DAI』は大きいということを意味している。

●男子400mハードル結果 決勝 8/9 (現地時間)
1位  バーショーン・ジャクソン  アメリカ  47.30  
2位  ジェームス・カーター  アメリカ  47.43  
3位  為末大  日本  48.10

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August 11, 2005

91年東京世界陸上 谷口浩美マラソンを制す

1991年9月1日 防災の日と重なったこの日、第3回世界陸上競技選手権大会東京大会 男子マラソンがスタートしたのは午前6時。
それでも気温は26度。しかも湿度が73%という悪条件だった。
日本陸連科学部が「東京での開催は選手の生命にかかわりかねない」として、この種目だけ北海道での分離開催が提案されたこともあった。懸念された通り、厳しい残暑との戦いとなった。

体力の消耗を避けるためか、どの選手もスピードを上げない。いや上げられないのか、ゆっくりしたペースで進んでいく。25キロを過ぎて強豪のメコネン(エチオピア)が棄権。続いて31キロ付近で、日本のエース中山竹通がレースを止めた。

先頭グループから次々と脱落者が出る中、「暑さは気にならない」という谷口浩美は「我慢」と自分に言い聞かせていた。
早朝にもかかわらず、沿道には約5万3000人(警視庁調べ)が応援に駆けつけた。
日本人のマラソン好きは、東京五輪時も、世界陸上時も、そして今も変わらない。
声援が谷口を押す。
38キロの市ケ谷駅前の上り坂を、口をあけ、首を振りふり、必死の形相でスピードアップ。4人の先頭集団から、谷口が抜け出した。四ツ谷の交差点で右折した時、谷口が後ろを振り返ると、もう後続は小さくなっていた。

いつものように首を傾け、口を開いてゆがめた苦しみの形相が笑顔に変わる。
ゴール手前100メートル。悲鳴にも似た歓声がスタンドを包む中、谷口は両手を広げてガッツポーズ。
酷暑のレースに耐え抜いて日本選手として大会初の金メダルをつかんだ瞬間だった。

マラソン金メダルは、1936年ベルリン五輪 日本統治下の朝鮮出身の孫基禎氏が獲ったことはあるが、日本人としては女子を通しても五輪、世界陸上を通じて初の快挙だった。

当時、谷口はマラソン14戦で7勝目。その最高のタイトルは自己最低の2時間14分57秒という記録だった。

 ◆1991年 東京世界陸上 男子マラソン成績
 (1) 谷口浩美(日本)     2時間14分57秒
 (2) サラ(ジブチ)       2時間15分26秒
 (3) スペンス(米)       2時間15分36秒

谷口は世界選手権金メダルでバルセロナ五輪代表に内定される。
しかし、バルセロナでは途中シューズを踏まれ転倒。それでも後半追い上げ8位入賞を果たした。
そのとき、誰に恨みをいうでもなく「こけちゃいました」
と笑顔で答えた谷口。彼の人柄を示すエピソードだった。
なおバルセロナ五輪では男子は森下公一が、女子では有森裕子が銀メダルを獲った。

マラソン選手にとって最も過酷だったのはどの五輪あるいは世界陸上だろうか。
マラソンはロード競技であり、トラック競技とは性格を少々異にしている。道路や環境の状況によって条件が違いすぎるためだ。
そのため、競歩とともに世界新記録という言い方をせずに「世界最高記録」といっている。
マラソンは男女とも近年、大幅に世界記録が更新されているが、40年前の東京五輪の優勝タイムと比較してみても意外と記録の相違はない。

1983年に始まった世界陸上選手権の優勝タイムを合わせて比較してみると、優勝タイムの最も悪かったのは68年メキシコ五輪の2時間20分台。
メキシコシティは海抜2240㍍の高地であり、空気抵抗が少ないため、陸上の短距離や跳躍で高記録が続出した。
一方、空気が薄いため長距離は苦しかったようだ。
エチオピアのマモーに続いて君原健二さんが2位に入ったが、タイムは2時間23分台。
マモーから3分以上離されていたことになる。
君原さんの走り方は首を振り、いかにも苦しそうに走るのだが、このときは一層苦しそうに見えた。

ついで注目は2つの東京のタイム。
1964年10月10日に開幕した東京五輪のマラソンは、すばらしい条件下で、アベベ・ビキラがローマ大会に続いて史上初の連覇を達成。世界最高記録のおまけもついた。
一方、91年の東京世界陸上。
前述のように、優勝タイムは2時間14分台。
高地のメキシコを除いて、ここ40年間の五輪、世界陸上で最もタイムが悪い。
夏のマラソンとしては陸上史に残る過酷なレースである。

昨年7月20日の東京の最高気温は39.5度、翌朝の朝も最低気温は30度を割らなかった。
もう一度、東京で五輪をやるとしたら、あるいは2007年大阪世界陸上のマラソンは、深夜にやるか、札幌を舞台にするか真剣に考えるべきだ。

今回のヘルシンキは随分と寒く、摂氏10度というはなしもある。
観客を見ても全く冬の格好だ。マラソンは好記録が期待できるぞ!

●五輪のマラソン優勝タイムの変遷(男子)
1964 東京       2時間12分11秒2 アベベ・ビキラ(エチオピア) 
1968 メキシコ     2時間20分26秒4 マモー・ウォルデ(エチオピア)
1972 ミュンヘン    2時間12分19秒8 フランク・ショーター(アメリカ)
1976 モントリオール  2時間09分55秒 ワイデマール・チェルピンスキー(東独)
1980 モスクワ     2時間11分03秒 ワイデマール・チェルピンスキー(東独)
1984 ロサンゼルス   2時間09分21秒 カルロス・ロペス(ポルトガル)
1988 ソウル      2時間10分32秒 ボルディン(イタリア)
1992 バルセロナ    2時間13分23秒 ファン・ヨンジュ(韓国)
1996 アトランタ    2時間12分36秒 チュグワネ(南アフリカ)
2000 シドニー     2時間10分11秒 アベラ(エチオピア)
2004 アテネ      2時間10分55 秒ステファノ・バルディニ (イタリア)

●五輪のマラソン優勝タイムの変遷(女子)
1984 ロサンゼルス   2時間24分52秒 ベノイト(アメリカ)
1988 ソウル      2時間25分40秒 ロサ・モタ(ポルトガル)
1992 バルセロナ    2時間32分41秒 エゴロワ(EUN)
1996 アトランタ    2時間26分05秒 ロバ(ケニア)
2000 シドニー     2時間23分14秒 高橋尚子(日本)
2004 アテネ      2時間26分20秒 野口みずき(日本)

●世界陸上マラソン優勝タイムの変遷(男子)
1983 ヘルシンキ   2時間10分03秒 ロバート・デ・キャステラ(豪州)
1987 ローマ     2時間11分48秒 ダグラス・ワキウリ(ケニア)
1991 東京      2時間14分57秒 谷口浩美(日本)
1993 シュツットガルト2時間13分57秒 M・プラティス(アメリカ)
1995 イエテボリ   2時間11分41秒 M・フィス(スペイン)
1997 アテネ     2時間13分16秒 アント・アベル(スペイン)
1999 セビリア    2時間13分36秒 アント・アベル(スペイン)
2001 エドモントン  2時間12分2秒 G・アベラ(エチオピア)
2003 パリ      2時間08分31秒 ガリブ(モロッコ)

●世界陸上マラソン優勝タイムの変遷(女子)
1983 ヘルシンキ   2時間28分09秒 グレテ・ワイツ(ノルウェー)
1987 ローマ     2時間25分17秒 ロサ・モタ(ポルトガル)
1991 東京      2時間29分53秒 パンフィル(ポーランド)
1993 シュツットガルト2時間30分03秒 浅利純子(日本)
1995 イエテボリ   2時間25分39秒 M・マチャド(ポルトガル)
1997 アテネ     2時間29分48秒 鈴木博美(日本)
1999 セビリア    2時間26分59秒 チョン・スンオク(北朝鮮)
2001 エドモントン  2時間26分01秒 リディア・シモン(ルーマニア)
2003 パリ      2時間23分55秒 C・ヌデレバ(ケニア)

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August 08, 2005

陸上100mのはなし カール・ルイスからガトリンまで

Q.陸上競技男子100㍍で史上始めて10秒の壁を破ったのは誰でしょう。

 1.カール・ルイス
 2.ジム・ハインズ
 3.ボブ・ヘイズ

答 2.ジム・ハインズ

陸上100㍍の歴史を見てみよう。
ベルリン五輪のJ.オーエンス(米10.3)、ローマ五輪のA.ハリー(西独10.0)、ミュンヘン五輪のV.ボロゾフ(ソ連10.14)など幾人もの名スプリンターが出ているが、もし時代を分けるならば、一つ目は手動計時から電気計時に変わったときではないだろうか。

そして二つ目はカール・ルイスの登場以降である。

1970年まで陸上競技の全自動電気計時のタイムは、スターターのピストル発射後0.05秒で時計が始動する取り決めになっていた。

1964年東京五輪100㍍、金メダルのボブ・ヘイズの電気計時のタイムは10.01。
競技規則の換算表によって10.0と発表された。
ちなみに3人の計時員の手動で計ったタイムは9.8、9.9、9.9だった。
限りなく9.9に近い10.0であったといえる。

1968年メキシコ五輪100㍍。
金メダルのジム・ハインズのタイムは0.05秒遅動の電気計時で9.90、「9.9」として記録に残された。

1970年に電気計時の0.05秒遅動の措置は廃止され、1975年、400㍍以下のレースの世界記録は、電気計時と手動の2本建てで公認されることになり、ハインズの9.95が世界記録として公認された。
この翌年に、日本記録もメキシコ五輪準決勝で飯島秀雄が出した10.34が公認されることになる。

そして1976年8月から、400㍍以下の記録は1/100秒単位の電気計時しか公認されないことになり現在に至っている。

メキシコは標高2000㍍の高地。
短距離や跳躍種目に当時としては驚異的な記録が生まれている。
ジム・ハインズの9.95も83年にカルビン・スミスが9.93の世界記録を出すまで不倒の世界記録として君臨していたほか、ボブ・ビーモンの走り幅跳び8㍍90も91年東京世界陸上でマイク・パウエルが8㍍95を出すまで残っていた。 

studioカール・ルイスが世界にデビューしたのは1983年、第1回のヘルシンキ世界陸上であった。
現在開催中のヘルシンキ世界陸上は22年ぶりに最初の開催地に戻ったのだ。
23歳のルイスは100㍍を10.07で優勝、走り幅跳び、4×100㍍リレーと合わせて3冠を達成した。

当時の世界陸上は4年おきに五輪の前年に開催されており、翌84年のロサンゼルス五輪でルイスは、100㍍の9.99のほか、200㍍、走り幅跳び、4×100㍍リレーでベルリン五輪のジェシー・オーエンス以来の4冠を達成し、ルイス時代の幕を開けた。  

今回のヘルシンキで最も注目されていた、今年9.77の世界記録を出したA・パウエル(ジャマイカ)は、故障を理由に欠場。ガトリンが五輪との2冠を達成できるかが最大の見所となった今朝 未明のレース。
ガトリンがただ一人9秒台をマークして圧勝。
200㍍、リレーと合わせて3冠が見えてきた。

●五輪・世界選手権の男子100㍍の優勝者 
現在の世界記録9.77/A・パウエル(ジャマイカ)

83年 ヘルシンキ世界陸上  カール・ルイス(米)10.07
84年 ロサンゼルス五輪  カール・ルイス(米)9.99 
87年 ローマ世界陸上  カール・ルイス(米)9.93 
88年 ソウル五輪  カール・ルイス(米)9.92 
91年 東京世界陸上  カール・ルイス(米)9.86 
92年 バルセロナ五輪  リンフォード・クリスティ(英)9.96 
93年 シュツットガルト世界陸上  リンフォード・クリスティ(英)9.97 
95年 イエテボリ世界陸上  ドノバン・ベーリー(加)9.97 
96年 アトランタ五輪  ドノバン・ベーリー(加)9.84 
97年 アテネ世界陸上  モーリス・グリーン(米)9.86 
99年 セビリア世界陸上  モーリス・グリーン(米)9.80 
00年 シドニー五輪  モーリス・グリーン(米)9.87 
01年 エドモントン世界陸上  モーリス・グリーン(米)9.82 
03年 パリ世界陸上  キム・コリンズ(セントクリストファー・ネイビス)10.07
04年 アテネ五輪 ジャスティン・ガトリン(米)9.85
05年 ヘルシンキ世界陸上 ジャスティン・ガトリン(米)9.88

ローマの世界選手権、ソウル五輪ではベン・ジョンソンがそれぞれ9.83、9.79で1位でゴールしているが、ドーピングが発覚、金メダルは没収され、2位以下が繰り上が っている。

写真 東京世界陸上でルイスがはいていたミズノのシューズ

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August 07, 2005

陸上女子の永遠に破ることのできない世界記録

世界陸上ヘルシンキ大会が始まった。
昨夜TBSの中継を見たが、男子100mの2次予選など生中継で放送していた。
録画の部分も多いのだが、2003年、2001年と評判の悪かったところが少し改善されているようだ。

さて、陸上競技の、特に女子の世界記録を見ると、1980年代に出された記録が今なお残っていることに気づくだろう。
旧ソ連や旧東ドイツの組織的なドーピングの残滓であるとみる。
下の表は女子の陸上世界記録と今季のベスト3である。

●陸上女子の永遠に破られない世界記録
<100m>
世界記録 FG・ジョイナー(アメリカ) 10.49 1988年
2005年ランキング
(1)10.84 Chandra Sturrup (バハマ)
(2)10.91 Lauryn Williams (アメリカ)
(3)10.94 Christine Arron (フランス)

<200m>
世界記録 FG・ジョイナー (アメリカ) 21.34 1988年
2005年ランキング
(1)22.13 Allyson Felix (アメリカ)
(2)22.22 Rachelle Boone-Smith (アメリカ)
(3)22.27 Lauryn Williams (アメリカ)

<400m>
世界記録 M・コッホ (旧東ドイツ)  47.60 1985年
2005年ランキング
(1)49.28 Sanya Richards (アメリカ)
(2)49.69 Tonique Williams-Darling (バハマ)
(3)49.80 Svetlana Pospelova (ロシア)

<走り幅跳び>
世界記録 ガリナ・チスチャコワ (ソ連) 7m52  1988年
2005年ランキング
(1)7m04 Irina Simagina (ロシア)
(2)6m96 Tatyana Kotova (ロシア)
(3)6m92 Concepción Montaner (スペイン) 


100m・200m・400m・走り幅跳びは永遠に破られることのない世界記録と言われている。
ジョイナーの100・200mの世界記録はソウル五輪直前とソウル五輪で出されたもの。
この4年前には全く普通の選手だったジョイナーが、1988年に急激に強くなった。
覚えているだろうか、ド派手な化粧もドーピングによる身体の変化を隠すためともいわれている。
心臓を患い若くして急死している点もドーピングの噂を否定できないところだ。
100m今季1位の10.84も速いがジョイナーの10.49は昨日の朝原のタイム並。
今の時代、100mは11秒切れればメダルの有力候補になる。


マリタ・コッホ
ある意味この人は東ドイツの完成させた究極のアスリートだったといえる。
400mの世界記録を作ったとき既に28歳。
10年以上世界のトップで活躍した大選手だ。
五輪金メダルはモスクワ大会の400mのみだが、間違いなく80年代を代表する女子選手といえる。
東ドイツが1968年から1988年までの五輪で獲得した金メダルは154個。
日本が五輪初参加以来獲得した金メダル98個(ともに夏季のみ)を大きく上回る。
だが、旧東ドイツの女子選手への薬物投与は明らかになっているところで、有罪になった者も多く出ている。
被害者の選手達は、自分が知らないうちに、ビタミン剤などと言われて禁止薬物を飲まされ、その後遺症に今だに悩まされていると言われている。
コッホが「クロ」であるという話はないが、49秒すら難しい400mで47.60を20年前に出したコッホ。

皆さんはどう考えるだろうか。

テニスのS・グラフがジュニア時代に陸上でも才能を高く評価されていながら、テニスを選んだことについて
「陸上は今後ドーピングなしで記録を伸ばせるか疑問だった…」
と言い辛そうにインタビューに答えていたことがあったことを最後に付け加えておこう。

●参考リンク
陸上女子の永遠に破ることのできない世界記録 (中国人選手編)



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August 02, 2005

室伏広治 世界陸上欠場へ

アテネ五輪陸上男子ハンマー投げ金メダルの室伏広治が、体調が万全ではないためヘルシンキで開幕する世界選手権を欠場することが分かった。
室伏はシーズン開幕前から腰に不安を抱え、さらに発熱もあって今季初戦に予定した5月の国際グランプリ大阪大会を欠場。6月の日本選手権に出場し、前人未到の11連覇を達成したが記録は76㍍47にとどまった。その後、米国で調整していたが、思うように調子が上がらず、世界選手権出場を見送ることになった。

今季の室伏の唯一出場した日本選手権での76㍍47は、今季の世界ランクでは30位を超える状況だ。
世界選手権だけで、95年、97年、99年、01年、03年と5回出場。05年の今回で6回連続となるはずだった。さらには00年、04年と2回の五輪。98年・02年と2回のアジア大会に出場している。この10年間、全く休めなかったといってもいいだろう。
五輪の翌年くらいは、休養にあてても良いのではないか。

●室伏広治の主な国際大会の結果
1995年イエテボリ世界選手権 予選B組
18位 67m06

1997年アテネ世界選手権 決勝
10位 74m82

1998年 バンコクアジア大会
優勝 78m57

1999年 セビリア世界選手権 予選B組
7位 75m18

2000年 シドニー五輪 決勝
9位 76m60

2001年 エドモントン世界選手権 決勝
2位 82m92

2002年 釜山アジア大会
優勝 78m72

2003年 パリ世界選手権 決勝
3位 80m12

2004年 アテネ五輪
優勝 82m91

2005年 ヘルシンキ世界選手権 欠場

意外だが、10年前の世界陸上初出場のときは、67㍍しか投げられなかった。
当時20歳前後。メダル争いの常連になったのも、シドニー五輪で失敗して以降のことだ。
父親の重信氏は「ハンマー投げは30歳を過ぎてからの競技」と言っているのを聞いたことがある。
その重信氏も38歳くらいまで現役だったはずだ。
とはいうものの、巨漢ぞろいのこの競技で、100キロない室伏の身体は細すぎる。
室伏広治よ、たまには休め。

ヘルシンキ大会は、室伏以外にも先に男子100㍍で世界記録9.77秒を作ったパウエル、アテネ五輪男子200㍍金のクロフォード、アテネ五輪1500/5000㍍金のエルゲルージなどの欠場が伝えられている。困っているのはTBSだろう。
だが、五輪の翌年に世界選手権が本当に必要だろうか?
「真の世界一決定戦」とはどういう意味だろう。

あんな録画だらけで引っ張りすぎの放送では視聴者は付いて来ない。
日テレ時代の方が、まだ良かった。
EURO VISIONを見る方法はないのだろうか。

●参考リンク
室伏広治 今季は世界30位

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